『 白薔薇の剣 』
−最後の王女の騎士録−
第3章 『碧の焔石』 −2−
翌日。
2人は市に足を運んだ。
食料の調達、旅に必要な消耗品などの揃えつつ。
「ほぅ、これは中々」
「旦那、それは掘り出し物だよ。ここいらじゃ手に入らない一品だ」
「ナメシの皮か……リコ青銅も使ってんのか」
「お目が高い」
道に並ぶ出店を一軒一軒見て行く。
特にカーキッドは丹念に、並べられた品を見て行っていた。
「こういう市の時には、通常出ないような珍しいもんも出る。特に遠方からこの時に便乗してやってくる行商人のテントは狙いだな。たまに、とんでもない掘り出し物があるのさ」
「へぇ」
キラキラと目を輝かせるカーキッドの姿に。オヴェリアは、彼の意外な一面を見た気がした。
「お前の装備も整えないと」
「私はあの白の鎧があれば」
「確かにあれは材質がいい。女の装備には上等だ。しかしそれだけでは今後心もとない。それに目立ちすぎる。もう少し考えないと」
特に顔だ、とカーキッドは鼻を鳴らした。オヴェリアは少し心外な心持であった。
今日は鎧は置いてきた。服の下に鎖帷子 は付けているものの、一見では普通の町人と変わらぬ質素な形 をしていた。
カーキッドもそれは同じ。黒の上着にズボン。こちらも軽装である。
しかし剣は肌身離さなかった。
それはオヴェリアも同じ。
宿に預けてこようかと思ったが、彼女の剣は特殊である。第一に、渡しても受け取れる者がいなくては話にならない。かと言って部屋に転がしておくには無用心。
「誰も持てねぇってのはいいな。盗まれる心配がない」
「そうかしら?」
「ああ。俺なんかは、もしこいつが盗まれたらと思ったら。ゾッとするね」
そう言って黒の剣を掲げて見せた。
確かに昨晩も彼はとても大事そうに剣を抱きかかえて眠っていた。それを口にしようとし……オヴェリアは咄嗟、ハッと口をつぐんだ。それを言ったら、夜中に彼を見ていた事がバレてしまう。
(別に他意があって見ていたわけじゃないけれど)
夜中に目が覚め、ここが部屋だと気づいたら。自然とカーキッドを探して見てた。戸口で眠る彼をぼんやりと。
(同じ部屋に、男の人がいる)
それが何とも、不思議で。
こんな日が来るなどと、思ってもみなかった。
王宮でドレスと輝かしい物しかなかった毎日から。一転、男と2人で旅をするなど。
「……お、ちょっとあのテント見に行くぞ」
人生わからぬ。一歩先は見えぬ。
人ごみの中、むしろ現実味がないほどの現実の中で。オヴェリアは少し深めに瞬きを繰り返した。
そんなこんなで、どれくらい店を回ったのだろう。
出店は多く、市は広かった。
でもオヴェリアはまったく飽きなかった。
色々な人がいるものだ。顔も、形も、表情も。
子供から老人まで幅広い。
また、声も様々。大きな声から鈴のような声まで。
多種多様。笑い方も1人1人違う。
その表情を追っているだけでも、楽しくて仕方がなかった。
その間にもカーキッドは店で1品1品手に取り、店主と話をし、笑ったり怒ったりを繰り返していた。
その顔も面白かった。
市とは面白い、物を買うとは面白い。
ましてこんなに多くの人が集う場所。
最初は興味津々見ていたオヴェリアだったが、段々とその動きに翻弄されるようになり。
……少し、目まぐるしくて。
「どうした?」
「いえ、」
「人に酔ったか?」
「……?」
何と答えたらいいものかわからず、オヴェリアはただ弱々しく笑って見せた。
カーキッドは舌を打ち、「そこらに座っとけ」。
「面倒くせぇ奴だな」
「……」
多く語らぬうちにカーキッドは人の中へと消えて行き。取り残されたオヴェリアは道の隅に腰を下ろした。
石肌が少し冷たい。
人の声は静まらず、思い思いの感情が音となり響いていた。
それを、少し目を閉じ聞いていると。
「大丈夫かい?」
と声を掛けられた。
見れば、彼女が座っていた所の横にあったテントにいた老人だった。
彼は目がかぶさるほどの眉の下から小さな瞳を覗かせ、彼女を心配そうに見つめていた。
「あ、はい」
オヴェリアは少し戸惑い、そう答えた。
この旅、1人になったのは今が初めて。ましてカーキッドがいない所で誰かと話すのも初めてだった。
「気分が悪くなったのかね? 何か飲むかい?」
「あ、いえ……大丈夫です」
笑って見せると、老人は「そうかい」とほっほと笑った。
「おや? あんたは剣など持っているのかね?」
老人は彼女が携えた剣に目を留め、身を乗り出してきた。
「ほう、変わった細工だ」
この剣は、城の者ですら限られた人間しか見た事がない。
しかしあからさまに目立つ白い薔薇の彫刻に。老人は目を見開いた。
「白い、薔薇……?」
オヴェリアは慌てた。
白薔薇の剣、そしてその騎士である事。今ここで知れるのがいい事だと思えなかったのだ。
だが、慌てふためく彼女の元へ、丁度その時カーキッドが戻ってきた。
「おう、すまねぇ。俺の連れだ」
「……おやおや」
「店先ですまねぇな」
笑いながら、自然に2人の間に滑り込んだ。
「ほれ、水だ。飲め」
「……りがとう」
「あなた方は旅の人かね?」
水瓶 だ。オヴェリアはそっと口付ける。色々な意味で、ほっとする心持であった。
「ああ。ちょいと野暮用で、北を目指している」
「北か」
「あんたはこの町の商人かい?」
「いいや、東から来た。マルフ・フォンテッドからだ」
「そりゃ随分遠出してきたな」
カーキッドは老人の目をオヴェリアから避けさせるように、彼の店先へと移動した。
「どれ、何を置いてる? ちょっと見せてくれ」
「何か探し物でもあるのか?」
「いいや。とりあえずここに立ち寄ったのは偶然だからな。掘り出し物でもあれば」
2人が離れ安心した様子で水を飲むオヴェリアをチラとだけ見て、カーキッドは内心でため息を吐きながら商品を見て行った。
「へぇ……ルビーか」
「この辺りでは珍しかろう」
「ああ。こういう造りの剣はないな。ルビーを埋め込んでるなんぞ、中々洒落 てる」
でも切れ味は……それほどではなさそうだ。長さも短すぎる。刃先の厚みも反りもカーキッドの好みではなかった。
ルビーの他に剣が4,5。どれも実用品と言うよりは装飾品に近い。防具も同じ。それから真鍮の置物と髪飾り。細工の凝った壷も置かれていた。
珍しい造りと材質ではあったが、今ここで買うような物でもないなと。カーキッドは適当にその場を離れようとしたが。
「ん?」
と、彼は眉を寄せた。
それは商品の端。赤や黄、緑といった宝石の首飾りがゴロゴロと無造作に並べられた中に。
「何だこれは?」
1つだけあった、青い宝石。
青……少し緑がかっている、言うなれば碧 。
手に取り光にかざすと、ほんのりと黄色い光が中に揺れるように見えた。
「変わった石だろう?」
答えず、カーキッドはさらに石を見た。回復したオヴェリアがやってくると彼女にも見せた。
「それ、先日たまたま手に入れた代物でね」
「サファイア……でもねぇな」
「材質はわからん。細工を施そうにも固くて固くて」
「へぇ」
「まじないの代物だという話だが、さてはて、効力はいかがなものか」
まじない、ねぇ?
カーキッドはもう一度興味深そうにその光を見ていた。
「どうだい? 500リグ」
「高いな」
「……じゃぁ450でどうだ?」
――結局その場は、カーキッドは笑ってその石を返した。
「魔術師に連れはいないんでね」
それからその場を離れ。
結局市では、自分用に皮の手袋。そしてオヴェリアにマントを買った。
「首元がしっかりしてるから、ちったぁ顔も隠れるだろ」
色は茶。裾に少し刺繍がしてある。地味だが、嬉しかった。
「ありがとう」
笑って例を言うと、
「さっさと着ろ。顔隠せ」
「……」
オヴェリアは少し、頬を膨らませた。
朝から市を眺め、結局夕刻まで2人は町をぶらついた。
市には城で食べられないような珍しい食べ物もあった。芋を串刺しにして揚げただけの物だったが、実においしかった。
「うまいか」
「……」
「そうか」
もしゃもしゃと食べるお姫様の姿に、カーキッドは笑いをこらえる心持だった。
「城の料理には比べられんだろうが。そうだな、旅に出て今まで食った中で一番うまいと思った物はなんだ?」
何となく気まぐれに、カーキッドはそう聞いたのだが。
「……」
オヴェリアは少し考え、そして。
「……スープ」
「? 昨日食堂で食ったやつか?」
「そうではなく……きのこと薬草のスープ」
それは。カーキッドは少し目を見開いた。
「野宿の時に食ったやつか」
「ええ」
「……あんなもん、そこらに生えてたのを積んだだけだぞ?」
そうなのだが。
味と呼べるような物でもなかったのだが。
なぜかオヴェリアの心に残る、味だった。
温もりと言い換えてもいい。
「……物好きだな」
言いつつも、カーキッドは少し照れくさそうに目を伏せた。
――夕刻。
並ぶ店舗がそろそろ店じまいを始めている。叩き売りを始めた所もあった。
それを遠目に見、2人は町を流れる川にかかる橋でぼんやりと頬杖をついていた。
水の匂いを運ぶ風は、草原のそれとは違う。
吹く風も、場所によっては変わるのだと。オヴェリアは初めて知った。
夕焼けがにじむように空を染めていく。
「明日の朝出立するぞ」
見上げたカーキッドの横顔も、夕に染まっていた。
夕焼けすらも、見る場所によって違い。景色によって変わり。
そしてもう一つ。誰と見るか。それによって違うという事も。まだ……オヴェリアが思うよしはなかったが。
「今晩一晩、ゆっくり休め。また明日から北進だ。遅れても待たんぞ」
彼の物言いにもすっかり慣れた。
「はい」
強い瞳で答える様子に、カーキッドは「上等」と。こちらも満足げに笑うのだった。
「今夜は飲みすぎるなよ。昨日みたいなのは御免だぞ?」
「昨日? 私、何かしましたか?」
「……だから、お前、宿に着いた時にはぶっ倒れて」
言いながら。カーキッドはふと足を止めた。
宿へ戻り荷物を置いて。昨日の食堂にくり出そうとしていたのだが。
「ちょっと戻っていいか?」
「え?」
カーキッドは、店じまいが進む市を振り返り、頭を掻いた。
「……やっぱり、少し気になる」
「?」
「さっきの石だ」
一瞬オヴェリアは、彼が何の事を言っているのかわからなかった。
「……ああ、あの碧色の?」
「ああ」
「まじないの道具は要らないと、」
「そうは言ったが」
何となく、どうにも気になる。
「……理屈じゃねぇよ」
言い、「お前は先に宿に戻ってろ」。
だがオヴェリアがそれに応じるわけがない。しっかりとその後ろについて行った。
カーキッドもそれを無理に咎めはしなかった。
「ああ、あそこだ」
遠目、その店を見とめた彼らが。
次に、見たのは。
「――ッ!!」
集団が、その店に押し入り。
「何だお前らはッ!!」
老人の叫び声は木霊した。カーキッドはもう走り出していた。
6人の黒い男達。
その姿は、鎧を身にまとい、腰に剣を携える、
戦士。
オヴェリアは、彼女も走りながら「あっ」と声を上げた。
あの男達は、昨晩食堂で見た。カーキッドが見るなと言った一団。
「てめぇら、何してやがる」
カーキッドが叫んだ時には。
その戦士達はもう走り出していた。
走り去る彼らを見、「何だあれは」と店主の老人を見たカーキッドに。
「ぬ、盗まれた!!」
「あん?」
「石! あの石っ」
あの碧の石か。
思うなり、カーキッドは再び走り出した。
「カーキッド!!」
「石が盗まれたぞ!!」
理屈じゃねぇ。だが。
(あの石はやっぱり、)
何かある。
全力疾走。
逃げ行く戦士達の背中をカーキッドが捕らえたのは。
それからわずか、数刻の事であった。