『 白薔薇の剣 』

−最後の王女の騎士録−

 

目次    次へ

 第7章 『鴉の躯』 −3− 

しおりを挟む

「ぐわぁああ!!」
「デュラン様!!」
 扉を開けるとすぐ、人が。飛び込んでくる。
 生きた人間。怪我、血、一見でも見て取れる重傷の度合い。
 それをデュランに任せ、オヴェリアは。
 その人に群がっていた塊の1つを斬った。
 即座カーキッドがそれを扉の向こうへ追いやるように、思いっきり蹴飛ばす。
 その勢いのまま、2人、扉の外へと飛び出した。
 2人の目に映ったのは。
「オヴェリア、すげぇな」
 カーキッドも笑う光景。
「盗賊、蟲、獣に奴隷商人に暗殺者……その上、今度は死霊と来たか?」
 彼も黒の剣を携えている。
 抜き放たば、それは、闇も恐れる絶界の黒。
「お前といると、事かかねぇなぁ」
「行くぞ!!」
 白き剣、天に突き上げれば。
 月が反射する、昂然の刃。
 脱兎。2人は飛び出した。
 だがその2人を向かいうけるのは、無数の屍人。
(何だこりゃ)
 そう思いながら、カーキッドは横に剣を一閃させた。
 それで一気に5つばかりの首が吹き飛ぶが。
(本当に、屍だってのか?)
 こんな事があるのか?
 立ち込める臭気。そして相手のなりは様々だが。統一して言えるのは。
 朽ちている。
 服が、肉が……体が。
「ゾンビかよ」
 襲い掛かる3体の足を腿からぶった斬る。
 一歩退き、別の屍人に斬りかかるが、
「オヴェリア!! 気をつけろ!! 斬っても動くぞ!!」
 それには、オヴェリアも気づいていた。
 腹を斬っても腕を斬っても、他の部分は変わらず動く。もがくように、彼女に詰め寄ってくる。
 首を断ち切っても同じ。残った体がまだうごめく。
 飛ぶように避け、オヴェリアは足を切り落とす。
(髪が邪魔)
 振り乱すその髪が、視界を隠す。死角から襲ってくる屍人に、ローブの一端を裂かれる。
「ッ!」
 何とか避けたが、足に痛みが走る。見れば、腿を切り落とした屍人が倒れながらも、爪を立てていた。
「オヴェリアッ!!」
 動きにくい。
 髪が。いっそ切り落してしまおうかとも思ったが。
『姫様、髪は女の命でございますよ』
 この屍人の群れの中、オヴェリアの脳裏で侍女のフェリーナが微笑んで見せた。
『姫様の髪は金糸。こんなに美しい髪を持つ女子は、この国にはおりません』
「ぼさっとすんなオヴェリア!!」
 彼女をかばうように、カーキッドが仁王立ちする。剣を振るう。
 その背後に隠れ、慌て彼女は、髪をひと束に結んだ。
「何やってんだ!!」
 それにカーキッドが叱咤したが。
「ごめんなさい」
 それだけ言って、挽回するかのように剣を薙いだ。
 右へ左へ。斬って斬って斬って。
 伸ばされる手を斬り、髪だけになった首を落とし、半分溶けた胴体を裂き。
 動くなら、動かなくなるまで。
 2人は斬る。
「ラウナ・サントゥクス、ラウナ・サントゥクス、ミリタリア・タセ、エリトモラディーヌ」
 その背後、デュランも言霊を紡ぎ。
「我に集え、天変の将!」
 言い、護符を解き放つ。
 それは白い浄化の光を解き放ち。
 光を浴びた屍人は、そこから見る見る溶けていく。
 だが溶けきるのを待つ2人ではない。
 足が止まった、そこを突き。
 返す刀でまた別の一体を斬る。
 デュランは2人に向け、守護の護符を放ったが。
 2人は、気づいていなかったかもしれない。
 それくらい無数。
 最終、斬った数など。2人にはわかるよしもなかった。
 ただ、転がる無数の屍が。
 じゅうたんのように、大地に敷き詰められていた。




「一体こりゃ、何だってんだ」
 月を背景に、鴉が一羽飛んで行く。
 それをオヴェリアは見上げ、呆然とした様子でその羽が消えていく方角を見た。
「退いて」
 転がる屍、その一体一体に、デュランが護符をつけて行く。
 それは仄かな光を放ち、貼られた者はやがて骨だけとなり。それもすぐに、地面に吸い込まれるように消えて行った。
「デュラン様、何かお手伝いを」
 慌ててオヴェリアは駆け寄ったが。
 デュランはそんな彼女を見て少しだけ目を見開き、やがて苦笑を浮かべながら明後日に視線をそらした。
「いえいえ。結構でございます。それよりも」
「え?」
「着替えられた方が良ろしいかと」
「?」
 言われ改め彼女は、自分の形を見。そして絶句した。
 白いローブは血に汚れ。所々ちぎれ、破れ、ボロとなり。
 まして胸元が。
「――ッッ」
 真っ赤になって胸元をかき寄せると、今度はお尻が少し出てしまう。
 デュランが自分のキャソックを脱ぎ、彼女に渡してやろうとしたが。
 それより早く。
 カーキッドが自分の上着を掛けた。黒のシャツである。
 それはかなり大きめで。彼女のお尻まで届くほど。
「ありがと」
「いいから。とっとと着替えて来い!!」
「……ん」
 オヴェリアは赤面して頷き、チラとカーキッドを見上げた。
 シャツを渡した彼は、見事な筋肉の上半身をさらしている。
 それに目を留めオヴェリアはさらに赤くなり、逃げるように去って行った。
 その姿、たった今まで亡者と戦っていた勇猛な剣士にはとても見えぬ。デュランは思わず失笑した。
「かわいいな」
「……あ?」
「鬼神も魅入られた、か?」
「……斬るぞ」
 ハハと笑い、改めデュランは屍に向き合う。「おー、怖い怖い」
「そいつは一体何なんだ!!」
 怒りを口調に含ませ、カーキッドは荒れた様子で叫んだ。
「本当に、屍だってのか!?」
「んー、そうだなぁ」
 伏した屍にそっと手を当て。デュランは目を閉じた。
 その口元には笑みこそ浮かんでいたが。
「司祭様」
 開いた目には、それは、一切なかった。
「ご説明願えますかな?」
「……」
 ――散乱した屍を処理し終えた頃、オヴェリアは戻ってきた。
 それを待った様子で、司祭はため息を吐いた。
「始まりは、半年ほど前になりましょうか……」
 デュランもため息を吐いたが。明らかに彼の目はオヴェリアの胸元。鎖帷子になってしまったそこを見てのものだった。
 カーキッドもこっそりと見ていた事は、誰も知らず。




「半年ほど前になりましょうか……この街で、原因不明の病が流行りましてな」
 礼拝堂。
 戦闘は中には及ばなかった。椅子も、じゅうたんも、きれいなままである。
「多くの者がそこで命を失いました。……幸い病の流行はすぐに治まりましたが」
 祭壇の両側と、奥には見事なステンドグラスが壁面を彩っている。
「その頃からです……夜になると、墓場から亡者が現れ……街を彷徨うようになったのは」
 そのステンドグラスの前にあるのは、聖母サンクトゥマリアの像。
 告解部屋を出たオヴェリアは、彼女に向かって頭を垂れていた。その直後に、今回の事が起こった。
「幸い、亡者たちは家を押し入ってまでは入ってこず……きちんと錠を掛けて中に潜んでおれば何ともございません。ですが万一に、外に出しまったらば。そこを見つかってしまったならば」
「食われる、と?」
 デュランの問いに司祭は、怯えた様子で頷いた。
「しかし、死者が蘇るなど。そのような事が本当に?」
 オヴェリアの問いに、デュランは頭を横に振った。「オヴェリア様、彼らは決して蘇ったのではありませんよ」
「死した者が再び、その身に生を受ける事はありません。死は死です」
「ならば一体」
「……ゆえに」
 デュランは眉を寄せた。
「今回のこの一件は、陵辱でございます」
「え?」
「屍を操る輩がいるという事でございます」
「――」
 カーキッドは苦い目でデュランを見た。彼は黒のシャツを、前を止めずに羽織るだけにしている。胸元には大きな傷跡があった。
「魔道か?」
「ええ。そうでしょう。そういう臭いが致しましたな」
「……」
「もう少し厳密に申さば、暗黒魔術。……赤子にかけられていた物と同じ系統。今は禁とされている類の一つですよ」
「――デュラン様」
 司祭がデュランに向かい、たまらぬと言った様子で呻いた。「暗黒魔術とは、」
「そのような、そのような事が」
「……実際なのです、ムール司祭。あの波動はそれ。そして我らがここにやってきた目的も、その事を調べるため」
「……」
 デュランはオヴェリアに向き、「良いですかな?」と尋ねた。オヴェリアはその意図を汲み取り、小さく頷いた。
「これは他言無用にて願いたい。……我らはレイザランよりやってきた。この地フォルストから帰還した者がそれと関わりを持っていたためです。暗黒の魔術の所業により、かの地では一つの混乱が起き……いまだ苦しむ者がおります。我らにわかっている事は、フォルストという地、そして宰相ドーマが関係しているのではないかという事。今は情報が欲しい。何かご存知でしたらお教え願いたい」
「……」
「ご存知でしょうが、暗黒の魔術の使用は絶対たる禁。ましてや、その術が書かれた書物の在り処は教会でも数人の者しか知らぬはず。……それが悪用されている今、」
 このままにしておけば。
「放置すれば、世界は滅びましょうぞ?」
「……」
「ムール司祭、」
「デュラン殿……されど、私とて知る事は少ない」
 苦く苦く、ムール司祭は語る。
「半年前の疫病にて……ここでも何人の神父が死したか」
 オヴェリアの髪を解いてくれた女が、隅で泣き始めた。
 悲しみがあるのだと、思った。
 先ほど、あんなにも楽しそうに笑っていた彼女にも。
「この街は滅ぶと。誰もが思いました。それくらいの状況でございました」
 ――人は。目に見える顔の下に、どれだけの感情を背負って。
 生きているのだろうかと。
「だがそれを救ってくださったのが、ドーマ様」
「宰相のドーマ殿でございますか?」
「ええ……言い換えれば、ドーマ様が招いた客人によって」
 客人。
 その言葉カーキッドが顔を上げる。デュランも目を見開く。
 そして司祭の次の言葉により。
「旅のまじない師殿だそうでございまして」
 確信となる。




 半年前突然流行した疫病。
 死者多数。
 街は壊滅に直面し。
 だがそこに現れた、まじない師が。
 瞬く間に疫病を止めた。
 彼は街の救世主と呼ばれ。
 今は、領主・カーネル卿の傍に仕えていると。
 ……だが疫病去った後、夜になると屍人が街を徘徊するようになったのだと。
 それもあり、旅人は少なくなり。
 街では法外な値段で商売をする者も現れたと。
 すべては、食べていくために。
「なぜ出ない?」
 とカーキッドは尋ねた。
「こんな街。なぜまだ残る? おかしいじぇねぇか。とっとと逃げればいいものを」
 なぜ残る必要がある?
 それに、司祭は首を横に振った。「皆、この街が好きゆえに」
「それに」
「それに?」
「……疫病が治まった後、ドーマ様から発布された法令に、このような文章がつけられているのです」
「?」
「疫病がまだ本当に絶えたかわからぬ今、これを他の領地に広める事はまかりならぬ。ゆえに=v
 街を出でようとする者は厳罰とする。
 万一、街を出てしまった者がいたとしたならば。
 その近隣者……親、子、隣人、友人、知人……それに至る者達を。
 死罪とする、と。
「――」
「楔でございますよ。実際に、逃亡した者の隣に住んでいたというだけで、斬首された者もおります」
「……そんなッ!」
 狂ってる、とオヴェリアは呟いた。
 だが司祭は言った。「かも、しれません」
「今日もその旨で一件。葬儀を承った次第」
「……昼間の鐘は、」
「皆、耐えている」
 そして。
「生まれ育った街を……人を、捨てられぬと」
 耐え忍び、暮らしているのだと。
 ……すすり泣く声は、止まず消えず。
 オヴェリアの胸に冷たい風を呼び込んだ。


  ◇


 その夜は、それから、何事も起こらず過ぎた。
 しかし念のためにとデュランが教会に陣を敷き、カーキッドも礼拝堂で過ごした。
 オヴェリアもカーキッドの傍にいたかったが、無理矢理客間に戻された。
「でも……」
「いいから、部屋で眠っとけ!」
 殺気立った彼の気配に。オヴェリアは結局そうせざるを得なかった。
 屍人が徘徊するのは、朝日が昇るまでの間。
 果たして朝日は、街を照らした。
 安堵の光かと、ステンドグラスから差し込む光を見てカーキッドは思った。
(人々にとちゃぁ)
 太陽以上の守り神はいないんだろうなと、そう思った。
「……何事もありませんでしたな」
 一人、礼拝堂で欠伸をしていると。カーキッドの元へデュランが現れた。
 キャソックに弓も携帯している。彼もまた、寝ずに番をしていた様子だった。
「守りの陣を、街全体に敷けぬのかと、」
「オヴェリアか? まぁあいつならそう言うだろうな」
 どの道あらかたの屍は、昨日斬っちまったんじゃねぇか? そう言いながらカーキッドは胸元から煙草を取り出した。
「それにしても、まじない師≠ゥ……」
「鬼神カーキッド、そなたもその言葉に何か思いがあるようだが?」
「……てめぇもか、破戒僧」
 デュランは少し片目を上げて、「ふふ」と笑った。
「どの道、城か」
「領主はカーネルとか言う名前だったな」
「ああ。姫様の叔父上だ」
 そんな事言ってたな……と興味なさげに彼は煙草に火を点ける。
「ハーランドの五卿の一人。アイザック・レン・カーネル。御歳31」
「若ぇな。レイザランの領主より下か?」
 領主なんて、ジジィがやりそうな事なのによ。
 クツクツと笑うカーキッドに、デュランは構わず続ける。
「オヴェリア様の母君、ローゼン・リルカ・ハーランド殿の弟君だ。ローゼン殿の一回り年下の弟。生きておられれば、ローゼン様は今年43」
「……」
 ――ははうえ……。
 オヴェリアが寝言でそう呟いていたのを思い出す。涙を流していた。
「病気か何かか?」
 亡くなったのは。
「と、聞く」
 デュランは祭壇のサンクトゥマリアの像を見た。
「カーネルの当主は5年前に他界した。その時より当主になったアイザック・カーネル卿。……傍にてそれを補佐していたのがドーマ宰相」
「そういう人間関係の構図は良くわからんが」
 とにかく怪しむべきは、
「まじない師、だろう?」
「……」
「まぁ要するに、そいつを斬ればいいってこったろう?」
 最悪は。
「まだ何もわからんぞ」
「でもお前さんもそう睨んでる、だろうが?」
「……」
 デュランは少し言葉を呑み、やがて、天井を見上げた。
 そこには見事な彫刻が成されていた。天使か、翼の生えた赤子が、ラッパを持って浮かんでいる姿だ。
「この後2日、お前は姫様と一緒にここで滞在しろ」
「……あん?」
「城へは、私が1人で行く」
 カーキッドは鼻で笑った。
「何言ってんだか」
「冗談ではない」
「バーカ。こんな所でくすぶって、」
「……身を案じるから、だ」
「?」
 デュランは天井を見上げたままである。
 白い喉笛、今猛獣が現れたら一気に食い千切られそうだとカーキッドは思う。
「オヴェリア様を、巻き込めぬ」
「……何に」
「今回の事、私の想像するような事ならば」
「……」
「……そなたらを巻き込めない。相手は、禁術を使う恐るべき術者」
 ガァ、ガァと。無遠慮な声がした。
「いいな。ここを出るな。片は私がつける」
 捨てるようにそう言い、デュランはカーキッドに背を向けた。
「それで済むなら? 俺は楽だけどな」
 その背中にそう返事をするが。
 礼拝堂からデュランが消えると。彼も天井を見上げて呟いた。
「……それで済むなら、な」
 喉笛に、今猛獣が襲い掛かってきたらと、カーキッドは思った。
 その狙いは上等だ。確かにここは、俺たちの弱点の一つ。
 でも。
「甘ぇ」
 それより先に必ず俺は、お前の首を叩き斬ってやるよ。
 それがたとえ猛獣ではなく。
 ――視線を戻せばそこには、聖母がいた。だから。
「あんた、だったとしても」
 神だろうとも。




 それから間もなくの事であった。
 教会に、城からの使者が訪れたのは。
 挨拶も何もなく、無遠慮なまでにズカズカと教会内部に押し入った彼らは。
「ここに剣士がおるはず」
「昨晩、亡者達を斬り捨てた剣士がここにおるはず!! 直ちに連れてまいれ!! これは宰相ドーマ様よりの命令ぞ!?」
 オヴェリアと2人、食事を取っていたカーキッドは。それを聞くなり。
「面白ぇ」
 そう言い、パンを一飲みにして剣を取った。
 オヴェリアは嘆息を漏らしながら。
(アイザック叔父様……)
 その顔を、ふと、脳裏に浮かべた。

しおりを挟む

 

目次    次へ