『 白薔薇の剣 』
−最後の王女の騎士録−
第8章 『共闘烈火』 −2−
悲しみはいつか、御世に
どうしても消えない、痣となる
◇
全力。
カーキッドは走る。
でもここは森。
平坦できれいな、優しい道ではない。
木々は出張り、彼の行く手の邪魔をする。
地面とてそれは同じ。足を取り、複雑な隆起が速度を殺ぐ。
だが。
(ここで)
断つ。
決める。
先方まで捕えていた黒装束の姿がふっと消える。
見失ったか? ――否。
カーキッドは身を横へ滑らせる。
今まで彼が立っていた場所を、数本の針が飛んでいく。
だが、避けたその場所へとまた、矢となり雨となり。
そしてそれは、ただの針ではない。毒針。
だがカーキッドは口の端に笑みさえ浮かべ、剣ではじく。
「甘ぇ」
彼の上半身はむき出し。
覆う物も隠す物も守る物も、何もない。
――否、ある。2つ。
1つは場所。
どれほどの針が飛びきても。カーキッドは木を盾にして避ける、避ける。
――そしてもう1つは。
「こんなもんでこの俺が、」
黒塗りの剣。
「殺れると思うな」
針が止んだ一瞬の隙をつき。
カーキッドは狙い一刀、剣を横から半弧一閃させる。
それは地を斬り、草を斬り、木をえぐり、それでも。
力劣らず。
むしろ速度上げ、重圧を加えて。
黒装束の一端を、掠め薙ぐ。
「ッ!」
だがその黒装束も見事。それを避ける。並みの者ならば今ので胴体は2つになっていた。
「ヘヘヘ」
カーキッドは辺りの気配を手繰る。
――2人だけ。
ここにいるのは、自分とこの暗殺者の2人だけ。
――オヴェリアも、いない。
カーキッド・J・ソウル。その目に宿った炎は。
「掛かって来い」
赤ではなく。
青い、炎。
――暗殺者は腰から剣を取り出した。
二刀持ち。それが上下左右から入り乱れ、カーキッドを襲う。
その刀身の光は鈍い。
ここにも毒が仕込んである。それを、カーキッドは瞬時に悟る。
だが。
「見飽きた」
「――!!!!!!!!」
次の瞬間。暗殺者の技も剣もすべてを薙ぎ払い。
カーキッドの黒の剣は。
彼の双腕を、諸共に薙ぎ飛ばした。
宙を舞った腕、1つは剣ごと木に突き刺さり、もう1つは地面へドサリと落ちて行く。
「なあ」
だがそれでも、暗殺者は緩まない。
両腕を失ってなお、今度はその足が円弧を描く。
それをカーキッドは同じく足で受け止め。反動つけて蹴り飛ばす。
宙を舞う暗殺者を、そのままにはせぬ。地面に落ちる前に、腹に、肘を一つ叩き入れる。
「ぐはッ!!」
「……」
カーキッドは、息も吐かず。
倒れ伏した男の足に、太刀を振りかざした。
上がる悲鳴は。絶叫を通り越した、獣の声。
「随分世話になったな」
「……ッ……」
「言ってもらおうか。誰の差し金だ?」
目的は何だ?
なぜ俺たちを狙う?
黒装束の頭巾を取ると、出てきたのは痩せた男であった。
肌は浅黒い。
その顔は、苦悶と憎悪に満ち満ちていた。
脂汗が滴り落ちる。
飛び出さんがごとく、大きく見開かれたその目に。
……だがカーキッドはひるむ様子なく。
平然と、その目を受けた。
「なぜ狙う?」
「……………」
「俺は、そんなに慈悲深くないんだ」
そして今ここに。
オヴェリアはいないんだ。
剣の切っ先を、暗殺者の目へと向けた。
「――ッッ!!!!!!!!」
「言え。言わんと」
――命を、一瞬でも永らえて。
ただ苦痛を与えるだけの技を。
カーキッドは、知っている。
「言え」
片目を潰し。
腹を突き、えぐり。
でもまだ、生きている。
でもまだ彼は許さない。
「狙いは何だ?」
なのに凶悪なほどカーキッドの声は。
優しく。
穏やかだった。
「…………」
――最後に。事切れる前に。
その暗殺者がそれを口にしたのは。
カーキッドに対する憎念か。
それとも、……小さな小さな、啖呵と。
懇願か。
……殺してくれとの。
「例えここで、我が息絶えても」
「……」
「必ず、貴様らは死ぬ」
「……ほう?」
「白薔薇の騎士、オヴェリア・リザ・ハーランド。絶対に奴を、」
ゴルディアには行かせぬ。
「…………」
コトン。
命が終わる音。
カーキッドはそれを見届け、立ち上がった。
もう一度、今息絶えた男を見やり。
「狙いは、オヴェリアか……」
そして、ゴルディア。
ふぅ……カーキッドは長く長く息を吐き、立ち上がった。
「決まりか」
誰にともなく言った言葉は、鳥の声がかき消す。
……やがて吹いた、風とともに。
そうしてカーキッドは、息絶えた暗殺者に背を向けた。
そしてオヴェリアの元へ戻ろうとした刹那。
彼の耳に飛び込んできた、1つの音。
金属音。
言うなればそれは、剣と剣がぶつかり合うような。
「――ッ」
カーキッドは走り出した。
◇
目の前に立ちふさがる黒い者は。
何ら、気配なく。
言うなれば殺気すら漂ってこない。……影のごとくそこにあるだけである。
だが、オヴェリアは剣を構えた。
(これは、)
ゾクリとする。
深く、深く。
腰を落とす。握る手に力を込める。
見据える正面。
だが、返る視線は?
(……否)
確実に向こうもこちらを、
見ている――そう思った刹那。
その気配なき影が、ユラリと小さくさざめくように動いたかと思うと。
瞬間、すでのその影は射程の距離。
(速い)
速さにかけて、未だ並ぶ者なきオヴェリアが。最初の一刀遅れる。
だが何とか下段から剣先にて、
カキ――ン
受け止める。
相手は短刀。
だがそれは、先ほど対峙した黒装束の者たちが持っていたものよりは少し長く。
だが、白薔薇の剣よりは、頭一つ短い。
刀身も細く、
――瞬間の切り替えし、その動き、水のごとく。
オヴェリアも体をひねり、受け止める。
重なる、二刀目。
だが音が鳴るや刹那に、影は一歩後ろへ飛び退り。
その反動から、上半身ごと脇を狙ってくる。
相手、小柄ゆえに。
オヴェリアですら、胸に用意に入られる。
(早い)
オヴェリアは地面に転がり避けたが。
「――ッッ!!」
痛い、否、熱い。
(斬られた)
それに歯を食いしばっている暇はない。
持ち上げた顔の先にあったのは刃。すでに影は剣を振り上げ彼女の面相目掛けて。
そこはどうにか、砂利に身をひねってひねって避ける。そのたびに石が傷跡をえぐるが、それを構っている暇はない。
(剣を、)
持たねば殺られる。
だがまともに構える暇なく、相手は矢継ぎ早に打ちかけてくる。
もがく、逃げる、転がる、追い立てられる、息すら、
「――ッッ!!!」
もがけもがけと言われているがばかりの。
逃げ。
地面転がり何度目かの攻撃を、木の幹を盾にして避けて。
オヴェリアは、何とか膝を持ち上げる。立ち上がる。
だがまだ剣は構えられない。
ザシュザシュと、影は風のごとく剣を突き出す。
足がもつれる。
岩場に手をつき、そこから何とか剣を振り回すが。
簡単に影は、宙を舞うかのように距離を開けた。
「ハァ、ハァ」
息の乱れは、同時、心の乱れ。
正眼構える。
だが次の瞬間にはまた、影は俊足を持ってして、彼女の喉元目掛けて剣を突き立ててくる。
どうにかそれは弾いたが。
――この旅、オヴェリアにとって初めてと言えるほどの。完全なる防戦であった。
オヴェリアは強い。
その剣術は実際に、薔薇前試合で最高の栄誉を得たほどである。
――だがそれは、対剣術において。
彼女はまだ、浅い。
――本当の戦いは。
相手の得物、攻撃のスタイル。
剣の技という点ではなく、殺し合いという観点において。
オヴェリアは、まだ、
――もつれた足に、身を支えきれない。
転ぶ。体を地面に打ち付けた。
だが痛みよりも、彼女は見据える。
目の前の影。
黒い装束が風に揺れて。
一瞬、顔を覆うその頭巾が、ユラリと横に揺らめいた。
その顔がオヴェリアの目に映る直後に。その背後に光は輝き。
雲からこぼれた太陽が。
オヴェリアの目を真っ白に染めた。
光だ、と思った。
――目に映るのはすべて。
まばゆいばかりの、
光。
「――ディア、サンクトゥス!!」
耳の断片に届いた言葉。
刹那、視界を覆った赤の光。
炎。
オヴェリアは目を閉じる。影はサッと明後日へと飛ぶ。
一瞬何事かと思い呆然としたオヴェリアであったが。
すぐに立ち上がり、剣を構えた。
腰を落とす。腕を構える。ようやくオヴェリアの形≠ニなる。
――わが身一つの、御世にはあらねど。
残勘の腕。振るいし斜め掛けの閃光。
ここで初めて、白薔薇の剣が黒い影を捉える。衣の一端が、散る花のごとく舞い上がった。
だがそれに構わず、黒い影はオヴェリア目掛けて剣を繰り出そうとしたが。
その気配に、影は後ろを振り返る。
虚空から飛翔する、黒の剣。
カーキッドの剣が、影にさらに一刀叩き入れる。
「無事か、オヴェリア!!」
叫びながら彼は、オヴェリアの前に立つ。
「平気です」
「上等!」
「……」
オヴェリアとカーキッド。2人を目の前にして、その影はひと時剣を構えていたが。
形勢明らかに不利と見て。やがて2人に向かってつぶてを投げつけ、そのまま飛び去った。
「……」
俊足。逃げ行くその背。追っても間に合わぬ。
ひと目で悟ったカーキッドは、オヴェリアを振り返った。
「大丈夫か」
「……ええ」
「見せろ」
オヴェリアの衣服は、血に汚れていた。
「私の事よりも。それよりも」
額に汗をかきながら、オヴェリアは地面に落ちた紙を指した。
「あの護符は」
――それから数刻後。
オヴェリアとカーキッドにより、デュランが見つかる。
だが2人が見つけた彼の姿は。
瀕死の状態。
意識を失い、全身傷だらけの……目を疑うような状態であったのである。