『 白薔薇の剣 』

−最後の王女の騎士録−

 

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 第8章 『共闘烈火』 −4− 

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「人命救助が最優先!! 街の外に避難を!!」
「承知!」
「へぇへぇ」
 燃える街。
 その熱気に一瞬息を詰まらせながらも、オヴェリアは叫んだ。
「私は東側の通りを見て参ります」
「カーキッドは西へ」
「あー、面倒くせぇ」
 言いながらカーキッドはチラリとオヴェリアを見、「気ぃつけろよ」と言って走り出した。
「広場で合流!」
 2人の背中を見送り、彼女も、目の前に伸びる道を駆けた。
「誰か!! 誰かいませんか!!」
 辺りを見回す。
 炎は建物すべてから立ち上り、ゆらゆらと陽炎が揺れていた。
「誰か!!」
 建物の中へと踏み込むべきか? だがその炎は激しく。とても中には踏み込めない。
 しかしそれにしても。
(人の気配がしない)
 これだけの炎だ……すでに逃げていてもおかしくはないが。
(何か変)
 それは、立ち上る炎にも言える。
 熱気はする。轟音もする。揺らめくそれは確かに炎のそれだが。
 燃える建物が……原型を留めたままでいる。
 これだけ燃え盛っているのだ、建物が崩れてきてもおかしくなさそうなものを。
 ただ、炎は建物だけを包み込み、踊るように赤く染め上げ。
 それに対して縦横に走る道には、まったくと言っていいほど炎の欠片もない。すす一つ飛んできていないのだ。
「……」
 オヴェリアは往来の真ん中に立ち止まり、もう一度叫んだ。
「誰かいませんか!!?」
 返事はやはり戻ってこない。
 炎が上げるゴォォという音だけが、代わりに返事をするように辺りを占めていた。
「……」
 そんな中に一人立ちすくみ。
(叔父上……)
 呆然と炎を見詰める。
 ――アイザック・レン・カーネル。このフォルストの領主にして、オヴェリアの叔父。
 母ローゼン・リルカ・ハーランドの弟。
 オヴェリアにとって彼は、優しく、頼りがいのある叔父であり。
「……」
 仄かに思いを抱いた事ある相手であった。
 それが、
「……風が出てきた」
 デュランは言っていた。今回の一件の首謀者の1人である、と。
 赤子に呪いをかけ、人を獣とし、奴隷を買い集め? 屍人が徘徊する街。
「なぜ」
 ドーマ宰相は、死した。昨日笑っていたのに。
 リルカ姫によく似ていると、美しくなられたと、オヴェリアを見て懐かしそうに言っていたのに。
「……」
 建物と炎が邪魔して、ここからではフォルストの城は見えない。
 だが。
 ……オヴェリアは意を決したように走り出した。
「誰かいませんか!?」
 答える声はやはりない。
 そして。
 彼女が今本当に物を問いたい相手は、ここにはおらぬ。




「どうでしたか? 誰か見つかりましたか!?」
 中央の広間。噴水のある場所で、3人は再び顔を揃えた。
「呼べど叫べど誰もいねぇ」
「やはりか」
「でも先ほど……悲鳴が聞こえたような気がしたのですが」
 もう逃げたんじぇねぇのか? とカーキッドは言ったが。それは彼自身も思っていない事であるのは明白だった。
「やはりおかしい。第一にこの炎」
 言い、デュランは取り囲む炎の渦を見やる。
「ただの炎ではない」
「やはり魔術の類か」
「ああ」
 彼の頬にも汗が光っていた。
「例のまじない師か」
「……」
 カーキッドの問いに、デュランは息を吐いた。
 そしてスッと目を閉じ、ポツリと呟いた。
「ギル・ティモ」
「?」
「魔道師ギル・ティモ……私が所属している聖サンクトゥマリア大教会ではそう呼んでおります」
 1歩。デュランは歩き出した。
 それにオヴェリアが続き、カーキッドは天を見上げた。5歩ほど遅れて、渋々といった表情で彼もその後ろに続く。
「元は聖教会に仕える無名の神官の1人でありましたが。ある事件をきっかけに、今では教会組織内にこの名を知らぬ者はいない」
「ある事件?」
 噴水を抜け1度角を曲がると。
 そこからは一直線に見える。
 ――フォルスト城。
 だがその城の様に、オヴェリアは改めて絶句した。
 燃えていたのだ。
 上から下まですべて。城門から天守、別塔、展望郭、天へ突き出た旗の先まで。
 石垣のそれを炎はすっぽりと包み込み。まるで城事態が、そうした一つの炎をまとう生き物であるかのように。
 だが旗は揺らめいているのである。フォルストを示す旗、炎にあおられれば一番に焼け落ちるはずのそれが、炎をまとったまま平然と。
 フォルストの紋章である鴉を。しっかりと刻んだまま。
 それは常事つねごとにはあらず。
「ギル・ティモは、ある人間を殺しました。どのような方法を使ったかはわかりません。だが……当時西の賢者と呼ばれていた一人の老人を彼は殺した。そしてその老人は、教会でも最大の秘密とされていた禁断の書のを知る数少ない人物だったのです」
 それが、
「禁書――暗黒魔術の術書です」
「そいつの狙いはその魔術書だったと?」
「でしょうな。現実、西の賢者亡き後禁書の行方は知れない」
 燃え盛る城。……だが。
 唯一炎を帯びていない場所がある。
 それは場内への入り口。
 普段は門兵が控えているようなその場所が、ただ今は誰もおらず。
 ただ、黒き口を開けたたずむのみ。
「禁書には様々な事が書かれていた……暗黒魔術のすべてと言ってもいい。絶対に、世に出してはならなかった書物」
「……」
「ゆえに。教会は必死にギル・ティモの行方を追った。……私もそのうちの一人」
 そして。3人の視線もその1点に注がれていた。
「書物に書かれた術が真に開放されるような事あらば、」
「世界が滅ぶとでも言うんかい? 神父様」
「いかにも」
 カーキッドはヒュゥーと口笛を吹いた。
「黒い竜やら暗黒魔術やら」
 世界崩壊への布石がゴロゴロしてやがる。
 そう言って彼は笑った。そして今度は、カーキッドが一番最初に1歩を刻む。
 彼の歩が向く先は無論の事、城。
「お前が倒れてた原因はそいつか?」
「……」
 デュランは答えず、彼もまた、歩き出す。
「昨晩。ドーマ様と我々は彼に襲われ」
「ドーマは殺され、お前はギリギリでどうにか逃げおおせたってか」
「……」
 その瞬間デュランが出した空気に。オヴェリアは少し息を呑んだ。
「ドーマ様を殺したのは……ギル・ティモなのですね?」
「……」
「お答えください、デュラン様」
 ――オヴェリアが求めていた最後の答えは。ただ1つ。
 ここに至り、彼女が救われるであろう答えはたった1つだけ。
 すなわち、ギル・ティモがアイザックを操り。
 ギル・ティモが、邪魔になったドーマを殺したと。
 ……だが現実は。
 そしてデュランにはそれがわかっていたからこそ。
 一度立ち止まり、彼女を振り返った。
「宰相ドーマを殺したのは、カーネル卿です」
「――」
「姫。……申し訳ございません」
「何を、」
「私は、ドーマ様を守れなかった」
「……」
「昨晩私は、あなたに向かって頷いた。ここは任せてくださいと、あなた方はお逃げなさいと。すべてを請け負い、あなた方の背中を見送った。追いやったのに」
「……」
「だが私は、守れなかった。ドーマ様を」
「……デュラン様」
「あの方は……最後に必死に訴えてみえた。カーネル卿に向かって、殿下は間違っていると。これ以上死者を辱めるような事をしてはならぬと」
「……」
 ゆえに。
「屍人を操るのはギル・ティモ。そしてその後ろにいるのは」
「――」
「そしてもう1つ。姫。……アイザック・レン・カーネル卿は、もう、」
 常人ではありませぬ。




 オヴェリアは。
 6年前、叔父の結婚式で泣かなかった。
『叔父上、おめでとうございます』
 笑顔でそう言った。
 一切の心を隠して。
 そしてアイザックは少し照れたように笑って言ったのだ。
『ありがとう、オヴェリア』
 それが、かわした最後の言葉。
 ……泣いた日があるとしたならば。
 式が終わり、2人がフォルストへと去り。
 すべての喧騒が消え去った後。
 フェリーナが作ってくれたパンケーキを。
 食べた、その時だった。




「……」
 足が動く。
 オヴェリアの足。右。そして左と。
 白い鎧は今日の戦いとこれまでの旅に、少し汚れているけれど。
 磨けば光る。
 それは白ゆえに。
「オヴェリア様」
 道は一つ。
 炎が導いている。
 真っ黒い穴の中へと。
 デュランの脇を抜け、カーキッドの横まで来た時。
「いいのか?」
 カーキッドが、明後日を見ながらそう言った。
「……」
 何がいいのか何が悪いのか。オヴェリアにはわからなかった。
 ただ今は、涙は出ない。
 こみ上げ押しつぶされるような、様々な感情は渦巻くけれども。
 でもそれも、炎の城を見れば。
 一瞬、無に帰す。
 ――やらねばならないのだろう。きっと。
 そう思い、彼女は剣を見た。白い薔薇の剣。
(剣を持ち)
 踏み込むのか?
 もう一度自問して。
 オヴェリアはゆっくりと頷いた。
「レイザランで、テリシャ様が待ってる」
 赤子の呪いを、断ち切らなければならない。
「……」
 そして。
(叔父上も待ってる)
 呼んでる。
「お二人を巻き込んだ事、本当に申し訳ないと」
「デュラン様、やめて」
「……」
「この道は、続いていたでしょう」
 例えデュランと会っていなくても。
 例えレイザランに行っていなくても。
 例え焔石を手にしていなくても。
 最後にはきっと。
 続いていた。
「行きましょう」
 城へ。




 炎が上げる轟音は。
 まるで誰かの悲鳴のようにも聞こえた。

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