『 白薔薇の剣 』
−最後の王女の騎士録−
第9章 『さらば、愛しき人よ』 −5−
カーキッドとデュラン。
前に立つ2人の男は、どちらもが、傷だらけとなっていた。
元々ここに至るまでに、連戦を重ねてきている。
デュランは瀕死の状態からの今に至っている。本当は、立っているのもやっとなくらいなのだろう。
だが2人は剣を、腕を構える。
その後ろに控える一人の女性を守るために。
オヴェリアを、守るために。
「……」
オヴェリアは一度瞼をぐっと閉じ。
そして見開くと。
1歩。
2歩。驚き振り返るデュランの隣を抜け。
カーキッドの前に立つ。
面白そうに喉を唸らせた魔術師を前に。
無言で。剣を構える。
両腕で。
柄に描かれた白い薔薇が、彼女を見ている。
剣を照らすのは太陽の光。
だが彼女の目には入らない。
今は光も、闇さえも。
遠く。
何ら頭に導かれるものなし。
「私に剣を向けるのか、オヴェリア」
アイザックの顔には、悲しみも怒りも浮かんでいない。
ただ、カーキッドが成した傷だけが生々しく。だが現実味のない物としてそこにあった。
――剣を握るその時は。すべての感情を捨てよ。
脳裏を打つのは、師であるグレンの声。
――心乱さば、剣も乱れる。波立たぬ湖畔のごとくあれ。
オヴェリアは一度ジリとかかとに力を込め。
走り出した。
彼女の足は速い。本気ならばなおさらに。
その技は、すべての剣士を凌駕したのだ。
剣術に精を出す兵士たちを。国を守る事に命を懸ける騎士たちを。王を守り民を守る事に誇りを持っていた戦士たちすべてを。
上回ったからには。
キィィン!!
「ハッ」
1歩退き、今度は飛びながら回転して剣舞を叩き入れる。
アイザックはそれを剣で止める。だが想像以上に早く、速度によって重さを帯びたその剣に、一瞬顔がひるむ。
そこを、反転させたた剣先が襲う。
ギンッッ
止められてももう一度。
下から突き上げ、脇を狙う。
かわされたならさらに速度を上げて。
飛び、舞い、踊るかのごとく。
腕はしなやかであれ。足は柔軟であれ。
アイザックはオヴェリアが繰り出す剣に、内心驚きを隠せなかった。
(これほどまでに)
姿を隠して大会に出たとは聞いていた。だが、相手をした者が生ぬるかったのだろうと思っていた。
だがこれは。
剣戟。
流れる川のごとく、吹く風のごとく。
(これがオヴェリアが)
磨き続けた剣。
「фбкёш」
オヴェリアが1歩間合いを開けた瞬間、ギル・ティモが彼女目掛けて炎を放った。
それにオヴェリアはもちろん、カーキッドたちも一瞬息を呑んだが。
炎は、轟音と共に、オヴェリアをすり抜けていった。まるで何もなかったかのごとく。
ギル・ティモはハッとした。
「焔石の守護かッ!!」
――碧の焔石は、持っている者を火と水の厄災から守る。
顔を歪めて更なる呪いを姫にかけようとする魔道師目掛けて、デュランがそれを許さぬ。術を繰り出す。
炎から逃れたオヴェリアの姿を見て、いよいよアイザックが剣を走らせる。
――アイザック・レン・カーネル。その名は決して、歴代の薔薇前試合において栄誉を得る事はなかったけれども。
勝ちのぼった事がないわけではない。決勝まで上り詰めた事だってある。
敗れた相手は、現武大臣グレン・スコール。
ゆえに、その実その剣は生半可な物ではない。まともに打ち合えば、速さにおいてはオヴェリアだが力においては不利。
小柄を生かし、オヴェリアはアイザックの足元を薙いだ。体勢はよろめいた。だが倒れるほどではなかった。
足が裂かれても、砕かれても、だ。
アイザックは顔色を変えない。
――痛みを失う事が、本当に正しい事か?
オヴェリアは彼の肩目掛けて振り下ろす。だが一瞬にしてかわされてしまう。逆に剣の腹がまともにオヴェリアの腰を叩きつける。
悲鳴を上げかけて、ぐっと堪える。倒れかけたが、どうにか反動をつけてもう一度飛びかかる。
――悲しみを失う事が、本当に正しい事か?
アイザックの剣を避ける。避けた場所に、オヴェリアの腰が。そこにはルビーの剣があった。食い千切られるようにそれは、軽々と弾け飛んだ。
あ、とそれに視線を奪われてしまったが刹那、アイザックの一刀がオヴェリアに入る。
胸を一閃。鎖帷子で防ぎきれない。衝撃に、思わずオヴェリアは倒れ込んだ。
「オヴェリア!!」
カーキッドの叫びも聞こえぬままに。
顔を上げた彼女が見たのは。影と。
彼女に乗りかかり剣を差し向ける、アイザックの姿 。
逆光で表情は見えないが。
そこにいるのは叔父であるアイザック。他の誰でもない。
切っ先は目と鼻の先にあった。
その中で。オヴェリアは。
すっと顔から力を抜き。ただじっと、その目を彼へと向けた。
「叔父上……」
あと一突き。この剣を刺せば、オヴェリアは死ぬ。
「動くな、黒の剣士。動かばすぐに刺す」
「……ッ」
「オヴェリア」
アイザックはじっと、彼女を見下ろした。
オヴェリアも彼を見ていた。
その青い青い瞳で。
(同じ瞳)
まるで宝石のような。いやそれ以上の光。
(姉上と同じ)
……カーネル家はハーランド家と遠くない血筋。輝くような金の髪と青い瞳を継承している家柄である。
「……」
アイザック・レン・カーネルは。剣を構えたままオヴェリアを見つめ続けた。
(姉上……)
瞳だけじゃない。オヴェリアは似ている。ローゼンに瓜二つだ。
――だから彼は、避けた。
8年前にローゼンが亡くなってから。6年前、婚儀の式でオヴェリアに会った時に確信した。
オヴェリアは姉によく似ている。これから先大きくなればなるほどに、その姿は重なっていくだろう。
だから。それから彼はオヴェリアに会わないようにした。
その姿を見れば己の心が痛むのは目に見えていたから。
(姉上)
愛していたから。
彼は、ローゼン・リルカ・ハーランドの事を。
『アイザック。早く結婚して父上を安心させてあげて。カーネル家を守るのはあなたなのですから』
結婚などする気はなかった。だが家のため、何よりも亡き姉上がそう言っていたから。望まぬ婚儀を果たした。
だが、妻を彼は愛せなかった。
目に過ぎったのは、いつも、姉の姿だった。
――あなたの姉上は、ヴァロック王に殺された。
そして今回、その事実を彼は聞かされてしまった。
姉の人生を狂わせ、なおかつ命まで奪ったハーランドとヴァロックが。
アイザックはとても、許せなかった。
だから国を滅ぼそうと思った。
この国が元凶だから。この国こそが元凶だから。
「叔父上」
「……」
目の前で。姉と同じ顔をした少女が呟く。
「これが、定めですか?」
「……?」
「叔父上は昔私におっしゃっていた……人には、どうする事もできない定めというものがあるのだと。抗えないものがあるのだと」
「……」
「私たちも最初から、こうなる定めだったのですか?」
悲しい顔をしている。
姉と同じ顔の少女が今、目の前で、まっすぐ自分を見つめながら。
だが、悲痛な顔をしている。
それは本当に。姉上が乗り移っているかのような――否、姉上そのもののような。
そしてその時、アイザックの脳裏に一つの声が過ぎった。
――この世には、どうする事もできない事がある。定めというものが確かにある事。
(これは、)
――だけどねアイザック。すべての事象には必ず、きちんと意味がある。忘れないで。今は辛くても悲しくても。必ず後からその試練は、あなたを照らす光となるから。
「姉上」
瞬間、太陽の光を受けた白薔薇の剣が、まばゆいほどに光出した。
その光は一直線に、アイザックの目を突き、焼いた。
たまらず閉じたその目が、再び開かれた時。
彼は目を疑った。
彼が剣を向けているのはオヴェリアではなかった。
そこにいたのは。
「あ、あ、」
ローゼン・リルカ・ハーランド。
愛する姉に、彼は。
剣を突きつけていた。
「あぁぁああ!!」
次の瞬間、アイザックはオヴェリアから逃げるように退いた。そして狂ったように叫びだした。
「あ、姉上ッッ!!!」
「叔父上!?」
「あぁっぁぁぁぁっぁあああああああああああああ!!!」
「いかん」
アイザックの異常に、ギル・ティモが咄嗟に彼の元へ向かおうとしたが。
その首に、剣は突きつけられた。
赤いルビーの剣。オヴェリアが先ほど落としたその剣を。突きつけていたのはデュランだった。
「チェックメイトだ」
「……ッ!!」
その瞬間、カーキッドが天を舞う。
黒い剣を縦に両断、振り下ろす。
「ぐあああああああああ!!!!」
アイザックの右腕が、剣ごと、落とされる。
痛みを覚えぬ体は、何に悶えて叫ぶのか。
カーキッドは僅か舌を打ち、次は首を狙う。叩き落して、それでも死なないならばまたその時考える。
そうして振るった次の刃は、完璧に捉えたと思われたが。
「ッ」
ギル・ティモがデュランの腕から逃れ。
ふわりと宙を舞い、後ろから、アイザックを包むように抱いた。
すると途端体は空気となったように透け。カーキッドの剣も虚空を舞った。
「ヒッヒッヒ」
半狂乱のアイザックの顔を、ローブの内へと隠し、魔道師は歯のない口を歪ませた。
「やりおるわ」
「叔父上ッ」
「今日の所は、主らの勇気と運に免じて、退いてやるわ」
「待て、逃げる気か」
「逃げる? ヒヒヒ、誰が逃げると言うた?」
笑うと、魔道師はじっとオヴェリアを見た。
「少し時間をやると言っているだけだ」
言い、ギル・ティモは腕を振るった。
その瞬間、カーキッドがサッとオヴェリアの前に躍り出て、咄嗟に何かから防ぐように腕をかざしたが。
「――ッ」
「ヒヒヒヒ、次はないぞえ? 石は必ず貰い受けに参る。ヘェッヘッヘッヘッヘ」
笑いながら、その姿は虚空へと消えて行った。
「カーキッド」
2人が消えるや否や、デュランはカーキッドに駆け寄った。
「腕を見せろ。何か異変は?」
「……いや」
呆然と。
忽然と消えた空を見上げる。
◇
間もなくの事。
城を包んでいた炎は消える。街の建物を取り巻いていた炎も。
そして代わりにそこかしこに、倒れ伏した人々が現れた。
その多くは目覚めたが、中にはそのまま目を覚まさぬ者もいた。
命を燃やした炎の代償だろうと、オヴェリアたちは思った。
3人は城を降りて間もなく目の当たりにした状況に、必死に人命救助を行った。
多くの人々はギル・ティモによって呪いをかけられている間の事を覚えてはいなかった。
それでいいと思った。
オヴェリアは自らの正体を明かす事もなく、魔道師の事も領主アイザック・レン・カーネルの事も告げなかった。
ただアイザックは旅に出たと。
それだけを、告げた。