『 白薔薇の剣 』

−最終王女、騎士録−

 

目次    次へ

 第16章 『焔石が泣いている』

しおりを挟む

 騎士団の行方を追う事はそれほど難しくはなかった。
 何と言ってもの様相である。街道をたどり行けば、その姿を見た者も多くいた。
 だが馬と人との足の差がある。ましてオヴェリアたちと彼らとの間には出発の時間からも間がある。道はたどれても、離されて行っている感は否めなかった。
 彼らは西へ向かっている。
 ゴルディアとは逆の方角へ行く事に、最初カーキッドは文句を言ったが。それでも結局彼はその道を付き従った。
 オヴェリアにはわかった。彼の中にも、思いがある事を。
 この先で何が待つのか、オヴェリアにはわからない。
 ただ思うのは一つ。このままには出来ない。
 ……いつも一人でいた少年の姿がオヴェリアの脳裏に浮かんだ。今なら、彼が感じていた孤独が少しわかる気がした。




  16

「足取りは、ここで途絶えたか」
 レトゥの元を発ち2日。
 カーキッドは煙草を吹かしながら手元の地図を眺め見た。「随分来たな」
「その分ゴルディアからは遠のいたって寸法さ」
 皮肉に言う傍らに、食事が運ばれてくる。宿で町で一番美味しい食堂は? と尋ねて教えられたのがここだった。オヴェリアは給仕の女性に頭を下げ、湯気が立つ料理を眺め見た。
「こちらにきたのは間違いありません。東からの街道はこの町につながっている」
「街道だけが道じゃねぇ」
 確かに、この町に至る途中には深い森や渓谷、海に望む川もあった。
「森に入ったか……渓谷か?」
「その先は先年の大災害の折に通れないようになっていると」
「だが相手は馬だ」
 念のために見に行った方がよかったか……と呟くカーキッドに、オヴェリアは「とりあえず食べましょう。冷めてしまう」と言った。
 渋々彼は適当に地図を畳み、煙草をもみ消した。
「美味そうだな」
「ええ」
 言うなりカーキッドはフォークを掴み目の前のソーセージにかぶりついた。肉汁が滴る。オヴェリアもそれを見てスープを飲んだ。
 それから彼女も料理を口に運ぶ。サーモンの香草焼きだ。「それ、焦げ過ぎじゃねぇか?」とカーキッドは言ったがオヴェリアは苦にならなかった。むしろ、これまで食べてきた中で一番風味が強いと思った。
 それからパエリアに手を伸ばす。大皿によそわれたそれに、少し考え、カーキッドの分も小皿に分けてやる。
「どうぞ」
 渡され、カーキッドは明らかに目を丸くした。オヴェリアが首を傾げもう一度念を押すように皿を出す。「はい」
 姫が取り分けてくれる、このような事は本来ならとてつもない贅沢な事なのだが。
「お前、下手クソだな」
 カーキッドは目を細め、ボソッと言った。照れ隠しである。
 だがオヴェリアはそんな事わからぬ。唖然と目を丸くした。
「貝も具も下敷きになってるじゃねぇか。ただよそやいいってもんじゃねぇ」
「ごめんなさい」
 ここでようやくカーキッドは、自分の犯した罪に気がついた。
「……チ、俺が見本を見せてやる」
 そう言って、ほんのり顔を赤らめて彼はオヴェリアのためにサラダを小皿に取り分けたが。
「カーキッド、これがあなたの手本ですか」
「そうだ」
「……トマトが下敷きです。後、葉物が一枚もない、ブロッコリばかり」
「うるせぇ、文句を言うならこうだ!」
「え!? やめて、ここにはシチューをかけないで!!」
 避けた拍子に暴れた皿から飛び出したブロッコリが、見事カーキッドの頭に刺さったのは余談。




「で、どうするんだお姫様」
 あらかた皿が空になると、カーキッドは爪楊枝で歯をいじりながら再び地図を広げた。オヴェリアは温かい飲み物をもらい一息を吐いた。
「この店は、人が少ないですね」
 美味しいのに……と言おうと思ってから気づく。今日の食事は何だか、それどころじゃなかったわと。カーキッドとはしゃいでいるうちに皿が空になっていたと思い返し、少し惜しい事をしたとも思う。
 けれどもこういう経験のないオヴェリアにとっては、それはすぐに胸躍るような感覚に変わる。食事は楽しい。こんな感覚は城にいた頃は決して味わった事なかった。旅に出て2ヶ月になろうとしているがまだまだ目に映るすべてが新鮮だ。
「あんまり景気の良さそうな町じゃねぇな」
 カーキッドはさほど興味なさそうに言った。それにオヴェリアの顔も曇る。
「来る途中道がひび割れている箇所がたくさんありました。大災害の影響でしょうか……」
 土地が枯れれば作物にも影響は出る。それは無論、人への影響に及ぶ。
 深刻に考え始めた彼女に、カーキッドはその鼻先でパチンと指を鳴らした。驚きオヴェリアは悲鳴を上げた。
「おい、そんな事にまで鎌ってはられねぇぞ」
 確かにそうだ。目下憂慮すべき事は別にある。
「いっそ奴らの事は忘れてゴルディアに向かうか?」
 半分本音で問うてみてたが、オヴェリアの答えは最初からわかっていた。
「ここまできて、そうはいきません」
 言うと思ったぜと、カーキッドは再び煙草を取り出しくわえた。
「にしても、やっぱり俺にはわからねぇ」
 なぜマルコが連れて行かれなければならなかったのか。それはオヴェリアもずっと考えていた事だった。
「マルコの両親は蟲を作った罪で処刑をされた、と」
「本当ならそりゃ確かに、極刑物さ」
 だが真実は違うのだと、レトゥは言っていた。
 オヴェリアの脳裏に、初めてマルコに会った時の事が浮かんだ。レトゥと共に蟲退治のためにやってきた彼は、蟲の孵化を目の当たりにし、絶叫と共にとてつもない水の術を生み出し気を失った。
 だが後に学校を襲った蟲に、カーキッドと共に自ら進んでまた向かい合っている。
 マルコにとって蟲とは何だろうかとオヴェリアは思う。両親を死に追いやり、故郷を焼いた存在。彼のうなじにあった痣を思い出す。あれは一体いつついたものだろうか? 思いを巡らせオヴェリアは目を閉じた。
「けれどもそれは冤罪だった」
 レトゥは言った。マルコの両親は蟲など作っていないと。
 しかし代わりに彼らが生み出そうとしていた物は、
「竜……」
「いい趣味してるぜ、まったくよ」
 口元に笑みをたたえ、カーキッドは煙草を吹かした。
「焔石から竜を呼び戻す、ってか」
「そんな事ができるのでしょうか?」
 ポツリ呟き、オヴェリアは懐から石を取り出した。
 今日もその石は仄かに碧に揺れていた。光にかざせば、金の光も見える。
「さぁな。俺は学者じゃねぇし」
「……」
「でもやろうとしてた。そういうこったろ」
「……ええ」
「だとしてだ。問題は山のようにある」
 オヴェリアは頷く。
 2人が竜を作ろうとしていたとして。なぜ彼らは、蟲を作っていたなどという容疑をかけられる事となったのか。本当に作っていないのならば、なぜ彼らの周辺に蟲の存在が現れたのか。詮議もおろそかに処刑される事となったのはそれが引き金だ。
 何か、悪意が感じられた。最初から2人は狙い撃ちをされたのではないだろうかとオヴェリアは思った。同時にそれは吐き気を伴う嫌悪へ変わる。
「マルコが連れて行かれたのも、両親の件以外にはないでしょう」
 彼を連れ去ったレトゥではなく、息子であるマルコが連れて行かれたのだから。
 ならばどっちだ? 蟲か? 竜か?
「2人が単純に状況だけで処刑されたってんなら蟲だ」
 しかし何らかの悪意によって2人が、事実を捻じ曲げられて裁きを受けたというのならば。
「……客が引きすぎだ。これ以上は目立つ。宿に戻るぞ」
「はい……」
 ――竜。
 オヴェリアは石をそっと懐に戻す。




 食堂を出ると辺りは一面闇に落ちていた。
 だが真暗ではない。まだ付近には火が焚かれている。宿に戻るには充分視界は明るかった。
 夜空を見上げると星が満天に輝いていた。オヴェリアの目に一番に飛び込んできたのは、コル・レオニス。獅子を形作る星座の一つ、その心臓部分にあたる星であった。
 思わず立ち止まりそれを眺めていると、先を歩いていたカーキッドも足を止めて振り返った。
「どうした」
 オヴェリアはカーキッドを見、そして再び夜空に目を移す。
「焔石って、何なんでしょう」
「あん?」
 今も胸で光を携えているその石。竜が滅びた後もその魂が宿っているかのように光り続ける石。これは本当に竜の心臓の石なのだろうか。
 竜の命を宿す石。肉体朽ちた後もその魂は、何かを感じ取っているのだろうか?
「碧の焔石……竜の心臓の石」
「って話だな」
 カーキッドは煙草を取り出した。「それがどうした」
「だったらこの石の中には……この石があった竜の記憶とか思いとか、そういうのも詰まっているのかなって」
 カーキッドは少し驚いた様子でオヴェリアを見た。
「竜の記憶……大地を駆けた記憶、空だって飛んだかもしれない。何かを守るためにも戦ったのかもしれない」
「……」
「誰かを愛した事も、あるかもしれない」
「……竜が、か?」
「ええ、竜だって」
 何かを愛し、尊ぶ事があったかもしれない。
 この石は生きた証。
 ……それは今自分の胸で鼓動を打っている心とて同じ。刻まれていく思いがある、道がある。
 マルコの両親は石から竜を呼び戻そうとしていた。
 それが本当だとして、何のためにそんな事しようとしたかはわからない。だがオヴェリアは思う。竜は恐ろしい存在だと言われてきた。世界を崩壊させようとしたとも。そんな物を迷いなく復活させようとしていたというのならば、マルコの両親は処刑されても何とも言えない。
 だが彼らが処刑された理由は別にあるのだ。竜を作ろうとしていた罪でも、充分、罪状は重いと思われるのに。あえて教会はそれをしなかった。
 竜を蘇らせる事。そしてそれを成そうとしていた事。
 オヴェリアはそっと胸に手を当てた。
(震えている)
 それは気のせいだったかもしれない。だがオヴェリアには、石が震えているように思えた。そしてそれはまるで、泣いているようだと思った。
「竜の恋なんざ、想像もできねぇな」
 先ほどオヴェリアが投げかけた言葉を、カーキッドはまだ考えているようだった。くゆらせた煙が夜空に溶けて行く。
 その様子を見て、少しオヴェリア笑った。
「竜も恋をするかもしれません」
「んなもん、おとぎ話の世界だろ」
「でも、カーキッドだって恋をするでしょう?」
「……だってとは何だ、だってとは」
「カーキッドも、今まで好きになった人くらい、」
 いたでしょう? そう言おうとして。オヴェリアの胸をチクリと痛む物が走った。
(好きになった人……)
 オヴェリアにもいた。初恋の人。
 今その人はどこにいるのだろうか? 最後に見たのは、炎の城。そして、黒い鴉に抱かれて消え行く様。
(叔父上……)
 そんな彼女の様を、カーキッドはじっと見つめていたが。「姫君の頭ん中は平和で羨ましいぜ」
「俺は傭兵だ。愛だの恋だの、戦場に持ち込んでられるか」
 それに、と彼は言葉を濁して「俺のツレはこいつだけだ」と、腰元の剣を掲げて見せた。
 カーキッドの声に我に返ったオヴェリアは、彼と黒の剣を見て少し微笑んだ。それはカーキッドには悲しげに見えたが、それ以上何も言わなかった。
「その剣、本当に大事にしてるものね」
「ああ、俺の命だ」
「何かいわれのある剣なの?」
 それはオヴェリアにとり、何気ない場つなぎの一言であったが。
 カーキッドは背を向けた。煙草の煙だけが見えた。カーキッドは「ねぇよ、んなもん」と答えた。
「宿に戻るぞ。明日もう一度聞き込みだ。明日も早いぞ」
「そうね」
 オヴェリアは表情を改める。今はデュランとマルコの行方が最優先である。
(竜……)
 足早に行くカーキッドの背中を追いながら彼女は思う。この旅、最終的な目的は黒竜の討伐。ゴルディアで発見されたというそれを討伐するために、彼女は旅立った。白薔薇の剣を持つ騎士として。
 だが途中彼女は竜の心臓だと言われる石を手にした。それを巡り、異形と化した者とも会った。人の命を弄び、暗黒の魔術を操り、国を滅ぼすのだと言った者もいた。
 そして今度は、竜を作ろうとしていた者の息子と会い、彼を助けるために歩いている。
(これは偶然なの?)
 普通に何気なく暮らす中で、竜に縁がある事などほとんどない。
 だが今彼女の周りには、竜にまつわる物が集まり始めている。まるで、導かれているかのように。
 竜とは一体何なのか。この先に何が待っているというのか。
 決意した、覚悟もしている。だがオヴェリアは何となく背筋に悪寒を感じた。
 けれどももう一度カーキッドの背を見ると、その悪寒は止まった。大きな背中。自分の傍にはこの人がいる。
「ねぇ、カーキッド」
「何だ」
「……ううん、何でもない」
 傍にいてね、と言いかけてオヴェリアは止めた。少し恥ずかしい気がしたから。
 でもなぜだろう。この背を見ていると安心する。
 昔叔父の背を見て同じ事を思った。だがその時の感情とは違うような気もする。オヴェリアにはわからない。
 だが彼に傍にいて欲しいと思う。この気持ちは何なのだろうか?
(刻まれていく思い)
 私の心も、やがて鼓動が止むその日まで。幾つの思いを刻んでいくのだろう。そしてそれは最後にはどんな色を灯すのだろう。
 もし城にいたら、こんな事は思わなかった。こんな世界も見なかった。それは果たして、何の意味を持つのか。
 遠い夜空を見上げる。もう一度星を眺める。そして歩く。
 そしてカーキッドに追いつくために、走る。



 石が震える。
 だからオヴェリアは胸を抑える。大丈夫だよと言い聞かすように。
 私も刻んでいく。共に刻もう。
 悲しくとも辛くとも。
 共に行こうと。ぬくもりを、分かち合うように。

しおりを挟む

 

目次    次へ