『 白薔薇の剣 』
−最後の王女の騎士録−
第36章 戦士の墓場 −3−
命からがらだった。
生き残った者は皆、ラヴァから死にもの狂いで逃げた。
カーキッドも、その中の1人だった。
無事にエッセルトの宿舎まで帰り着いたのは、出陣した兵の、5分の1ほどだった。
……戦場はいくつも見た。
その中で、惨状だって体験をしてきた。
だがたった1度の出撃でこれほどまでに人数が減るとは。
宿舎。人で溢れ返っていた部屋が、見る影なくガランとしている。
寝台は余っている。床で寝起きするほどではない。だがカーキッドは場所を変えなかった。
この場所に戻った。だが眠っている暇はない。すぐにでも出陣はかかるだろう。
それでも、ひと時でもいい、目を閉じたかった。彼にしては珍しく静寂と闇の世界を求め目を閉じた。
「カーキッド」
しばらくして、分隊長が呼びに来た。
無視したかったが、意思に反して体が跳ねた。
「出陣か?」
分隊長は黙って首を横に振った。
彼はカーキッドの隣に座ると、虚空を睨み、やがて煙草を取り出した。
「吸ってみるか? 海向こうの物だ」
「ヤバイ物じゃないだろうな」
「ハハ」
カーキッドの手持ちの物より若干太い。だが吸ってみれば違和感もすぐに溶ける。悪くない。
「海の向こうか」
「ああ。行った事は?」
「まだない」
……呻き声が聞こえる。
戻った傭兵、すべてが無傷ではない。中には、決定的な傷を負った物もいた。
「……ラヴァ突入は、定刻だったそうだ」
前触れなしに、分隊長は言い出した。
「エッセルト軍を前にしたラヴァ部族民はすぐに投降の意志を表明。それに油断した瞬間を突かれた。……取り囲まれ、無数の兵の襲撃にあったらしい」
森の中でカーキッドたちも襲われている。あれも、単なる部族民ではなかった。
戦闘を知っている。……いいや、人を殺す事を知っている者だった。
「レセルハイム、か?」
背後に控える強国。
分隊長は首を横に振ったが、否定の意味ではなかった。
「そして現れた、あれだ」
「……」
「お前の答えを聞きたい」
――あんなもの、一つしかない。
「竜」
炎で焼き尽くしていた。
吹いた炎は、人を溶かした。
竜の火に?まれて、踊ってられる暇などない。
すべてを溶かされ。転がり、崩れる。
そして、何より恐ろしかったのは。
「一匹じゃ、なかった」
逃げるようとしたその正面から、もう一匹やってきた。
それは巨大な口を開いて鳴いた。世界の叫びそのもののようだった。
歩を止めた者が、次の瞬間胴体から食いつかれた。
首だけが吹っ飛んだ。
足しか残らなかった者もいた。
炎と、牙と。
そんな惨状にも関わらず、敵も兵士たちに平然と向かってくる。
戦場に長くいる。ここが住処 とカーキッドは思っていた。だがそれは勘違いだったのかもしれない。
気づけば口の端が笑ってしまう。
それは微笑んでいるのではなく――震えから。
あんな地獄、見た事ない。
――もしも、腕を掴むその手がなかったら。
自分は走る事ができていたのだろうかと。そう思う。
「竜を見たのは初めてか?」
「……」
「俺は、初めてだ」
分隊長の男の目の下は、ひどくくぼんでいた。
きっと自分も同じ顔をしていると思った。ひどい顔だろう。
「まさか、竜を使ってくるとは」
――泥沼になる。やめておけ。
そう言った……そう言ってくれた傭兵仲間の声が、カーキッドの胸にチクリと刺さった。
間もなく、招集がかかった。
ラヴァ攻略、奪回命令。
だがしかし、兵力は最初よりも格段に少なかった。
そして出陣までにそれは更に小さくなる。傭兵の中から脱走者が出たのだ。
当然だ。……あの地獄にもう一度帰らなければならないのだ。
竜が人を食らう様、あの炎。
奪回は不可能。ラヴァは捨てるべきだと誰かが言っても、上は聞かなかった。
カーキッドの隊は今回はエッセルトでの待機を命じられた。
隊とは言ってもすでにもう人数はいない。多くを失った。そして出撃した隊のほとんどがそんな状態だった。
……ラヴァ奪回のために出撃した第二陣が再び壊滅的な状況になった時、傭兵隊の分隊は全解除。
エッセルト騎士団長コーエンの元の、一部隊として再編成をされた。
その時点で傭兵隊は大半を失い、エッセルト兵団も危機的なほど数を減らしていた。
それでもなお、上はラヴァにこだわった。
だが敵はラヴァだけに非ず。西側から隣国が攻め入ってきた。
分散できるほどの兵力はない。
だが戦うしかなかった。
傭兵隊に課せられたのは、壊滅的な人数によるラヴァ奪還。
「無理だ」
そこには竜がいる。
竜……その存在、カーキッドは各地で聞いていたけれども。いつかは手合せしてみたいと思っていたけれども。
まさかこんな状況下で。
誰にも言いたくない。だが……恐れている自分を感じていた。
もうラヴァには行きたくない。
何のために戦う?
エッセルトに、何の恩義もないのに。
「竜を倒すには、どうすればいいの?」
……夜陰に紛れ向かう最中、チサが言った。
答える気力が湧かなかった。しかし、カーキッドは沈黙よりも会話を選んだ。
「聖なる剣、か」
「竜を倒せる特殊な剣があるの?」
「さぁな。ガキの頃、おとぎ話で聞いた」
「あんたの剣、そういう剣なの?」
「馬鹿言うな」
チサ・ミズキ。
彼女はカーキッドの言葉に笑って見せた。
なぜこの状況で笑えるのか、カーキッドは不思議だった。
怖くないわけがないのに。
そして、彼はずっと言いたかった事を告げた。
「……助かった」
「え?」
――ラヴァから逃げる時。立ち止まらずに走り続けられたのは、チサが腕を引っ張ってくれたから。
1人だったら立ち止まっていたかもしれない。凍り付いていたかもしれない状況で。
チサが。導いた。
生へと。
「何?」
「……いや、いい」
チサはそれに気付かなかった。
そしてカーキッドはその詳細を告げるまではしなかった。それは彼の、戦士としての意地が拒んだ。
――そしてカーキッドたちは再びラヴァにたどり着いた。
まだ火は消えていなかった。もう二度と消える事ない炎なのかもしれない。
そこには炎以外何もなかった。竜はいなかった。敵部隊もいなかった。
……そこで暮らし、生きていたはずの者たちも。
何もかも、紅蓮の中に帰していた。
◇
「伝令!! 傭兵隊は至急エリナ砂漠へ!!」
二度と奪い返せぬラヴァからの帰還。
すぐにカーキッドたちは次の戦場を指示される。北部のエリナ砂漠だ。
「北方警備隊が、北からの襲撃に苦戦中!」
相手は人か? 竜か?
駆けつけると、そこに待ち受けていたのは北の国からの斥候部隊。人であった。
人であったら何だと言うか、だがカーキッドはにわかに安堵を覚えた。
「行くぞ」
剣を。
握る腕が、少しくらい震えても。
足と、心はまだ挫けない。
そしてその中で、戦いの勘を取り戻していく。
こうして生きてきた。
戦う事。剣を握る事。
己を磨くこと。
――恐れず進め。
恐怖など、ない。
ここが寝床だ。
何をビクつく。
戦って死ぬならば、本望。
これが俺の決めた道。
進む道。選んだ道。
――戦う事。
もがく事。
……生きる事。
悲鳴が聞こえた。視線だけ振り返る。3人に囲まれている。チサだ。
「、せぇッ」
面倒臭いが。
敵を斬り、走る。
チサを斬ろうとしていた者の腕を吹き飛ばす。
返す刀で、次の者の胴体を。
斬った、その瞬間背後で黒い者が揺れる気配があった。
振り返っている暇はない。体をひねって避けようとした所を。
だが後ろからの攻撃は別の剣によって斬り伏せられる。分隊長だ。
「無事か」
返事をしながら、チサも敵にとどめを刺す。
「……何とか」
「助かった、分隊長」
「ありがと、分隊長、カーキッド」
2人にそう言われ、分隊長は一瞬言葉を失った。
「俺はもう分隊長じゃない」
「ああ、そうだっけ」
チサが、頬をぬぐった。
「そうだったな」
「そうだ。向こうでエッセルト兵が苦戦してる。行くぞ」
「……」
――駆けて行く分隊長の背中を見やり。
カーキッドは、走ろうとしていたチサを呼び止めた。
「あいつの名は、何だ?」
「は?」
チサは目を丸くした。
「分隊長?」
「ああ」
「覚えてないの?」
「知らん」
興味、なかったけれども。
チサは呆れ顔を、やがて苦笑に移した。
「ザークレストだよ」
「ザークレスト……?」
「そうだよ」
そして。
「まさか私の名前も知らないとか言わないよね?」
「……」
返事をせずにいると、チサは心底呆れた顔をした。
「私は、チサ。改めてよろしく」
本当はもうその名は知っていた。
だがカーキッドは視線をそらして、「そうか」と答えた。
「覚えておく」
――そう告げ、走った。
エレナ砂漠での戦闘は一昼夜に及んだ。
エッセルト兵と傭兵隊の活躍により斥候部隊は壊滅。
事実上初めてのエッセルト側の勝利となった。
(勝利)
勝った、その報を聞いた瞬間、カーキッドは不思議な感覚に囚われた。
それは未だかつて一度も感じた事のない感覚。
「何とか持ちこたえたな」
……戦ってきた。幾度も戦場にいたはずなのに。
自軍が勝った。そんな事があっただろうか? カーキッドは思った。
いいや、あったはずなのだ――気に留めていなかっただけで。
目の前の事、敵を制する事だけしか興味を持っていなかったというだけで。
「……ああ」
「行くぞ、集合が掛かってる」
ザークレストの言葉に、カーキッドはもう一度、砂漠の彼方を見た。
「勝ったか……」
伝う汗をぬぐい、空を見上げる。黄金の光が差していた。
日は斜めに傾いている。
だがその光は今日一番美しくて、そして切ない。
向こうでチサが手を振っている。
――傭兵は、個人戦。仲間と言っても共に戦う事はない。
だがなぜか向けられた視線は悪くなかった。
「おう」
照れ隠しにもう一度砂漠に視線を落とし歩み出す。
合流は、最後になった。
エリナ砂漠戦の勝利に、場は奮い立っていた。
これぞ士気。
ようやく、武者たちの目に輝きが浮かぶ。
戦場は勢いである。攻勢は一つの渦を巻いて突き進む。
――だが。
得てして女神は気まぐれで。
追い風をすぐに、反転させもする。
集合から指揮官の号令。
今まさに勝どきを上げんとしたその刹那。
黄金 の光がすっと暗む。
物の、影。
カーキッドの心臓が、ドクンと跳ねる。
だがその場の全員は、余韻に酔っている。振り返るのが遅い。
「おい」
声を上げるのも遅い。
目を見開き、現状を捉え、
確固たる、理解を得た時には。
「――」
頭上より炎。
眩む視界の向こう側。
竜の姿、あり。
手を掴んだのは咄嗟だった。何の意識もなかった。
カーキッドはチサの腕を取り、
「ザークレスト!!」
そして、その男もすでに動いていた。
炎は、部隊のど真ん中に落ちた。
竜の放火。
まさか、ここに。
間髪、カーキッドたちは逃れるが。
悲鳴、絶叫、轟音と。
一転する、勝利と絶望。
「まさか」
何がまさかだ、とカーキッドはチサを放り投げる。
現実に、ここにある。
「へへへ」
剣を抜く。
指揮官が退却の号令を下す。
逃れられるか?
いいや、お前は逃すか?
そんな命令を受けたか?
ザークレストも絶句している。
人が、燃え上がっていく。
そして竜は地面に降り立つ。大地に、言いようのない衝撃が広がった。
それだけで、体だけじゃなく心も震える。
だが。
カーキッドは、真っ向竜を見据えていた。
そして彼は、口に笑みを携えたまま言った。
「……いつかの夢ではあったさ」
ザークレストが振り返る。
「竜と戦う事」
チサもカーキッドの背を見る。
「……ここか?」
夢。
戦士として、剣を道とし決めた時に描いた夢。
いつか、どこか。
――それはここか。
「まさか、お前」
竜は、逃げゆく者たちをじっと見ている。
「やる気か?」
カーキッドの目にはもう、竜しか見えない。
握る剣に力を込める。その刀身は、太陽の光に白く輝いている。
どこにでもある、ただの剣だ。
それでも、戦う権利がないわけではない。
様々に聞いてきた、戦士の英雄譚。
「逃げろ」
竜が走り出す。カーキッドも同時に走る。
その竜が再び、口の中から絶望の炎を吹き出さんとしたその瞬間。
カーキッドはその背を斜めに、斬った。
これが、竜を斬るという事か。
噂通りの感触だった。
――斬れない。
それに一瞬カーキッドの心は掴まれた。
だがその刹那、前方を向いていた竜が振り返った。
目が合った。
金の目だった。
その口から炎が飛び出した。
「――ッ!!」
反応できたのは奇跡。
跳ぶ。転がる、砂に足を掴まれる。
知らず歯を食いしばっている。その向こうに竜が牙を剥いて咆哮を上げた。
絶叫のような。
怒号の声。
それだけでもう、心臓が握りつぶされそうだった。
だが決めたんだ。
(勝利だ)
エレナ砂漠は勝利したんだ。
――カーキッドの中で。自身にはわからぬ、その感情。
竜と戦いたい、それ以上に。
ここを、守りたいと。なぜか強く。
(さっさと逃げろ)
なぜか、逃げて行った者たちの背中ばかりが脳裏に過って。
強く、強く、遠くへ行けと。願いながら。
砂を吹き散らすようにして足を持ち上げるその竜から、逃れる、剣を振る。
だがその速度は、巨体から思えば信じられないほどに早い。カーキッドの剣が振り遅れる。空を斬る。
逃げるので必死。
慣れぬ大地に、足が取られる。思うように跳べぬ。
竜が炎を吐く。左右にまき散らすようにして黒いような炎が飛び出て。
逃げきれぬ、体が焼かれる。その痛みは今まで味わった事のないもの。
肉が焦げても。まだ腕は動く。
走る事が出来るならば。
(逃げろ)
振った切っ先が、竜の足を捉える。
だが浅すぎる。血も吹かない。
見上げれば頭上に竜の顔。
その巨大な瞳の中にも、炎が揺らめいている。
恐ろしい。
それでもカーキッドは、顎の下から剣を突き立てる。
「カーキッドッ!!」
声が聞こえるより先に、切っ先を流す。横へ走る。
竜が、たった今カーキッドがいた場所に牙を叩きこむ。そのまま突いていたら今頃は、
――竜が鳴いた。
その首が振り返った先に、チサがいた。
「逃げろッ!!」
ザークレストが竜の脇腹目がけて剣を突き立てる。
「お前ら」
竜の足がザークレストを捉えるが、浅い。砂に倒れるが、すぐに飛び起きた。
「カーキッド、」
チサも走り寄る。
「付き合う」
――竜を倒す。
ここで、この場で。
3人で。
「……お前ら」
色々な言葉が、カーキッドの脳裏に浮かんだ。
だが全部、自分の本当の気持ちではなかった。
結局彼はそのどれも言葉にはせず、ただ、
「やるぞ」
それだけ言って、剣を構えた。
彼方より真白き光が降り注ぐ。
太古より伝えられし存在を目の前にしている。
初めての相手、初めての戦い。
人以外の存在。人を越える存在。
速力、動き、すべてが想像できない。
――ザークレストが剣を構える。そこへ竜は首ごと体当たりをする。その反対側からチサが短剣を叩きこむ。
だが入らない。カーキッドが叫ぶ。尾がチサ目がけて頭上から振り落とされる。
間髪避けたチサの脚力は、やはり、一線を越えた戦士のもの。
真正面から腹目がけてカーキッドが剣を薙ぐ。
だが剣は見事なまでに弾き飛ばされる。カーキッドも距離を開ける。
そこ目がけて竜は炎を吐く。
砂すらも燃え上がる。
赤すら超える、光と闇に迫る色。
カーキッドが逃げる、だが竜の首の方が早い。
「こっちだ!!」
横からザークレストとチサが同時に斬りかかる。
竜は首を振り回し、吹き跳んだザークレストを踏みつぶしにかかる。
「ザーク!!」
チサが竜の目目がけて剣を放つ。だがそれは簡単に弾かれてしまう。
しかし竜の視線が一瞬チサへとそれた。そこを狙ってカーキッドが背中に飛びかかる。
一閃。
だがやはり、剣は弾かれる。
距離を取り走りながら、カーキッドは思考を巡らせた。
「カーキッドッ」
走るカーキッドの傍らに、チサも駆けてくる。
「どうする」
斬れない。
「やはり聖剣か?」
ザークレストの援護へ向かう。今度は足目がけて剣を振る。
(どこかにあるはず)
どんな物だろうが、生きている以上。
絶対たる存在などない。必ずどこかに、弱点はある。
(聖剣にしか斬れないなんて、認めねぇ)
そんなインチキみたいなもの、絶対に。
「――」
足先から腿まで斬り上げる。だが鱗が邪魔をする。
それは緑に近い色。
竜の中の竜、この世で最も恐れるべき存在たる黒い竜とは違う。
だから。
(倒さなきゃならないんだ)
自分の欲求のためじゃない。
カーキッドは思った。生まれて初めて。
――何かのために。
誰かのために。
剣を振るうという事。
チサが足の付け根を狙った。そこは無理だとカーキッドが思った時には、チサはもうその足によって蹴飛ばされていた。
チサの体がくの字に折れ曲がった。まずいと思った。
ザークレストが、チサを庇うようにして走る。
その頭上から竜が牙を剥く。上背は3倍以上もあるのだ。
炎じゃない。チサを背に回したザークレストが竜を睨んだその瞬間。
巨大に開いた口を、竜が。
その目が。
ニヤリと、笑うのをカーキッドは見た。
その瞬間彼が思った事は一つ。
させるか。
食わせるか。
ただ、それだけ。
彼の剣は聖剣ではない。
剣は何本も潰してきた。今持っているのは町の骨董屋で見つけた、これまでで一番手になじむ剣。
だがどこにでもある1本の鋼の塊。
それでも。
――渾身の力を込める、竜目がけて一気に叩きつける。
脳裏で剣に語り掛ける。すまん相棒、これで最後と思ってくれ。
でもどうしても、ここは譲れないんだ。
――刃は弾かれる。それでももう一度連撃。
連撃と連撃と、連撃に次ぐ連撃で。
腕が悲鳴を上げても。
――竜がカーキッドを振り返る。目の前にあるザークレストとチサをも差し置いて。
その男に何かを感じて。
竜は気高き生き物ゆえに。
向かい来る、純然たる魂を。
放置は、せぬ。
カーキッド目がけて恫喝を浴びせる。だがカーキッドは揺るがない。
睨む。挑む。挑め。
両腕に掴む剣の刃はこぼれている。
カーキッドの心は、だがまだ折れぬ。
折れぬなら、戦える。
戦えるなら、
「――ォォオォッォオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」
跳べ。
カーキッドの気迫に押された竜が、羽ばたきをした。
その羽に、斜めの光が入る。ザークレストの剣である。
「カーキッド!!!」
翼は裂けた。
そう、斬れぬわけがない。
――竜の心臓は、どこにある?
鋼鉄の体に宿るその魂。
瞳目がけ、カーキッドは剣を突き立てる。
チサの剣は入らなかった。だが。
「入れ」
カーキッドの剣が、ズブリと突き入る。
竜はたまらず悲鳴を上げながらその首を持ち上げる。振り回す。
目に剣を突き立てたまま、カーキッドも必死にこらえる。
宙を舞うカーキッドを竜は食らおうとしたが、間髪、顔を蹴ってカーキッドは宙へと逃げた。
竜は片翼をもがき、放り出されたカーキッド目がけて首を伸ばした。
どちらも体制は悪い。
だがどちらも、視線は互いを捉えていた。
目と目。
人と竜。
剣と牙。
鼓動と鼓動が。
――太陽が采配を決める。
天より落ちた光。
一瞬、竜の目すらもくらませる。
だがカーキッドは目を見開いていた。偶然にもその光を遮ったのは、彼がかざした剣だった。
その瞬間を、狙わないならば。
もう、戦士ではありえない。
首は白かった。
首を弱点にせぬ生き物はない。
ここに賭けた。
全力の一刀。
血が吹いた。
絶叫が上がった。
地面に崩れ落ちた竜の。
腹に。
竜の血を浴びた剣を突き立てる。
鱗があった。
だが、裂けた。
柄まで深く、深く。
刀身すべてを竜へと沈めると。
――やがて、竜は、痙攣と共に。
……息を、引き取った。
「やった、のか……」
「まさか」
息が、整わない。
誰よりもカーキッド自身が茫然とその光景を見ていた。
竜が倒れている。完全に、その体は動かない。
「竜を倒した」
チサが叫んだ。
「まさか……竜を、倒した」
ザークレストも放心したように首を振った。
「カーキッド、カーキッド」
「……」
チサはカーキッドの顔を覗き込んで、そしてハッと息を?んだ。
「泣いて……るの?」
なぜだかわからない。悲しくなどないのに。
カーキッドの目から、大粒の涙が零れ落ちた。
「馬鹿。男の子でしょう」
それを見て、チサの目からも涙がこぼれた。
「……うっせ」
泣いてない。そう否定して。顔をぬぐっても。
溢れてくる。
――夕焼けに誘われるように。
3人で。
泣いた。
そして。
竜から引き抜いた時、カーキッドの剣は。
銀だったその刀身は、まるで光を奪い去られたように。
――竜の血がそのままそこに飲み込まれたように。
真っ黒に、なっていた。