『 白薔薇の剣 』
−最後の王女の騎士録−
第42章 帰還 −7−
――帰ってきたのだ、ハーランドに。
扉が開く。大臣が一斉にそちらを振り返る。
そしてそこにいた人物に、全員が目を見開く。立ち上がる。
「姫様!!」
オヴェリア・リザ・ハーランド。
この国が残した、最後の希望。
強き王と王妃が残した、唯一の娘。
「コーリウス、クトゥ、トマス、コーンウェル、レガット……息災で何よりです」
姫に続き、グレンとカーキッドたちが続く。
「帰還の挨拶が遅れた事、申し訳ありません」
「い、いえっ! こちらも満足にご挨拶をせず、」
コーリウスが取り乱す。
「……コーリウス。ブルームの件は、申し訳ない事をいたしました」
エンドリア戦線。不意を突かれて失った一つの命。
「もったいなきお言葉」
コーリウスは頭を垂れる。
「我が弟は……役目を果たしました」
「消えてはならぬ命です」
大臣が顔を上げる。
「人の命は、役目などという言葉だけで収まる物ではないはず」
何かを成せば死んでいいのか? 違う。
「……父の事、尽くしてくれて、感謝します」
頭を下げるオヴェリアの姿に、大臣たちは恐縮する。
――この国の大臣なれど、本当は何も知らぬ。
本当の、オヴェリアという娘を。
この娘がどんな信念を持ち、何に向かって戦いを挑み。
何を心に掲げているのか。
この娘の本当の強さを。
――姫は霊廟に通って泣き暮れていると聞いていた。ほれ見ろ、たかだかか弱き娘だ。
大臣たちは内心どこかで、そう軽んじていた。
だが違う。
「……状況はどうなっていますか? バジリスタでズファイが蜂起したと聞きましたが」
この娘は駆けてきたのだ。戦火の中を。
周りの男たちに守られ、戦いから逃れてきたのではない。
自ら剣を振りかざし、竜を前に立ち向かったのだ。
今、国を揺るがそうとしているバジリスタの脅威と、暗黒魔術の脅威の中に。
この娘こそが、誰よりも先に戦い挑んでいたのだ。
――そこに、父と母の意志を持ち、ハーランドの存亡を賭けて。
「バジリスタ第一王子ディザイは教会に助けを求めましたが、これを拒否され、バジリスタ西部のトカネス地区でズファイ軍と交戦中。戦況はズファイ側が圧倒的有利」
「ズファイがバジリスタを掌握するのも時間の問題かと」
「そうですか」
短く呟き、オヴェリアは視線をそらした。
「ズファイの目的は、ハーランドです」
「はい」
「……必ず、この地を狙い来ます」
エンドリアは前哨戦。だがハーランドは要を一つ砕かれた事となる。
「この事を、国民に知らせねばなりません」
「――」
オヴェリアの言葉に、5人の大臣は絶句した。
「なんと」
「バジリスタの脅威、ですか?」
「様々な脅威が、この国に向かっている事です」
そして、
「父の死も」
「なりません、それは!」
大臣の筆頭たるコーリウスが悲痛に叫んだ。
「それはなりません、姫。今、かような時にそれを露見させれば、」
「隠し通せません」
「しかしッ」
「……きちんと民に報告し、父を弔いたい」
国を挙げて、すべての人の前に、何ら恥ずべき事はなどない。
「それが父の願い」
――国を欺き、白薔薇の剣を王妃に託し、王となった一人の男。
彼の苦悩、自らを責め続けたその生涯。
そんな事、もう、終わりにしたい。
堂々と。弔いたい。
あの時と同じ事は、しない。
「全国民に向けて」
すべてを告げよう、とオヴェリアは言った。
「私が言います」
5人の大臣はもう言葉を完全に失い。
代わりにグレンが、恭しく胸に手を当てる。
「姫にそのような真似をさせるわけには参りません」
「いいえ。私が出ます。……そうしたいの」
ね、グレン? とオヴェリアはグレンの瞳を覗き込む。
「そうしたいの」
もう一度。
その目の輝き。
この娘の事、生まれた時から知っている。ずっと見てきた。
『剣を教えてほしいの』
あどけない、あの時から。
ずっと、ずっと。
(強くなられた)
もう敵わぬか、……否、生まれた時よりそれは永遠に。
この娘に、敵う日など来ない。
「承知」
「全国民に発布する。私が立ちます。良いですね」
「……とんでもねぇ事になってきた」
カーキッドがニヤリと笑った。
「おてんば王女の本領発揮か」
「……私はおてんばではありません」
「悪ぃ、乱暴者の間違いだったか」
「ちっ、違いますっ!」
「姫様カッコいいです」
「補佐いたしましょう。何なりとお申し付けを」
旅で得た仲間。
「ありがとう」
知っているはずなのに、知らぬ、浩然たる輝きを持つ娘。
これが、この国の最後の希望。
「オヴェリア様」
「姫様」
まだハーランドには、この娘が残っている。
――その日、城門はすべての者に解放された。
城門をくぐった先にある広き庭。城下に住まうすべての者がこぞって、そこに集まった。
人が湧き立つ。
何事かと皆が騒ぎ立てる中、城内から白きその人は現れた。
城内へと伸びる階段の一番上に立ち、そこにいるすべての人々に視線を向ける。
誰もが息を?んだ。
傍らに武大臣グレンと、文大臣コーリウスを従えて。
純白のドレスを身にまといし娘。
――その光景は後の世にも語られる。
ハーランド史最後の王女オヴェリア。その演説。
彼女はこの国の現状を包み隠さず語った。
竜を倒す旅に出た。そして竜を逃した事。
この国を脅かそうとする様々な苦難。
バジリスタの脅威、そして暗黒の魔術。
人々は絶句する。――否、我を忘れて聞き入った。
そして王が、凶刃に倒れた事。
だが、
「悲しみに暮れてはなりません」
王女は人々に朗朗と問うた。
「王の意志はこの国に残る」
ヴァロック王の魂。
「この国は、脅威に負けぬ」
人々は、その娘の中に見る。
「おそらくこれから、皆には困難を強いる事となりましょう」
王の意志と、魂を。
「だが恐れないで。負けないで。哀しくても辛くても、例え絶望の闇の中に堕ちてしまっても」
――全部、自分に向けて。
民に言う、言葉の全部を。
それは、オヴェリア自身が自分のために、自分の心に。
響け。
刻め。
「内にある希望を、忘れないで」
――貫きたい正義を忘れないで。
例えその道が、誰から見ても悪だとしても。
でも、己の中の正義を忘れないで。
真実を見失わないで。
守りたい物を、守り続けて。
かけがえのないものがあるのならば、命に代えてもと思うものがあるのならば。
それを全力かけて。
夢も、希望も。
目を閉じず、そこに向かって突き進んで。
――光は、誰かから与えられるものではない。
自分の中に灯し続けて。
守るために戦って。
持てる全力は、全力を持って、ここから先に進むためにその全力を。
自分の絶対が震えるほどの。
光を、想いを、忘れないで。
――涙が出る。
この国を、愛している。
(父上)
絶望に沈んだ。もう動けぬと思った。
でも、剣は手放せなかった。
(これで、よろしいですか?)
返答はない。
だが、父は呆れ顔でもきっと頷く。
仕方のない娘だと言いながら。
「わしの娘だ」
と。
(戦います)
この国のために。
私自らの意志でもって。
「この国に住まうすべての人々へ。これから築かれるこの国の歴史、子らに、そしてこれから生まれるすべての命に向かって誇れる歴史を。生き方を」
王の葬儀は、盛大に執り行われた。
ハーランドに住まうすべての人々が嘆き悲しんだ。
――だが同時に。民は決意も新たにした。
王に代わり、この国を守る。
1人1人がその思いを胸に。
そしてそこに、1つの姿が宿った。
白薔薇の剣を持つ王女、オヴェリア。
その人のためにと。
――ハーランド国最後の物語は、ここから始まる。