はじめに

 家造りの楽しさをもういちどを書き始めたのが20064月で今から3年程前になりますが、その時に書いたはじめにの項は、現在同じことを書いたとしても十分に通用してしまいます。この3年の間この国の状況は全く変っていないのでしょうか。それとも悪くなっているのでしょうか? この国は一体どんな社会を目差しているのでしょうか。

ここで一冊の本を取り上げます 「拒否できない日本(アメリカの日本改造が進んでいる)」

関岡英之著 文春新書 平成16420日発行 サブタイトルにアメリカの日本改造が進んでいるに興味を惹かれて古本屋さんで立ち読みした所、建築に関する事が多く書かれていたので買い求めたものです。その内容の一つが、阪神・淡路大震災を機に改正された建築基準法は決していい方向に改正されたものではなく、アメリカが長年もくろんでいた事を実現するに良いキッカケに成った(詳しくは本文に書き記します)。この本で興味があるのはアメリカが日米構造協議締結後毎年アメリカ側から出される「年次改革要望書」(この様なものが在るのは全く知りませんでした−報道も殆どされてないと思います)成るもので、あらゆる分野について細部についても列記されているそうです。今話題になっている裁判の陪審員制度にかかわる裁判の問題(巧妙な仕掛けがあるそうです−アメリカの陪審員制度とは異なっています)、会計制度の世界統一(原価主義と時価主義)等々。しかも、これは要望ではなく強制に近いものだそうで、しかも毎年3月にその要望事項の成果をアメリカの議会に報告をされているそうです。アメリカが自国の利益のために他国に押し付けるもので内政干渉以外何物でもないと思いますが、何故マスコミの方々は取り上げて検証しないのでしょうか。テレビ等に出て発言されている評論家の方々等はこのことを把握されて発言なさっているのでしょうか。この国の政治家、中央の官僚の方々はこの事に関してどう考えているのでしょうか。本当にこの国の将来について考えて要望事項に答えているのでしょうか。とても私達には考えているようには見えません−官僚の天下り禁止法案がいつの間にか中央官僚の方々が勝手に政令を作って天下りが自由に(?)出来るようにしてしまったそうですが、この様な方々は自分の保身の為にだけ働いているようでとてもこの国の将来を考えて仕事をしているようには思えません。単に如何に旨く国民を騙して収奪する事しか考えていないのでしょう。官僚をチェックする国会が何の機能も果たしていない事の証明でしょうか。この国の未来に希望は無いのでしょうか・・・。よく日本は外圧がないと変らないといわれますが、これって変ですよね。他国が自国の利益を得ようとして他国に圧力を加えるもので、圧力を加えられた国は間違いなく損をしているはずです。この国が外圧によって変わったとすれば、確実にこの国は大きな損失をしているはずです。当たり前のことですよね。この当たり前のことが、この国の指導者といわれる方々には解らないのでしょうか。又何故検証しないのでしょうか。
今回は建築にとらわれないで書いてみたいと思います。以下暇つぶしに読んでみて下さい。

 目次

1 建築における国民からの収奪方法

 建築におけるCO2問題について

3 改正建築基準法について

4 楽しい家造りとは

  1        建築における国民からの収奪方法

1        建築確認申請等における勝手な値上げ

2007年に建築確認申請等について大幅な値上げが行われました。例として一般的に一番多い木質系住宅(100m22002)等について取り上げてみます
確認申請料 ¥16,000→¥41,000 中間検査料 ¥15,000→¥33,000 完了検査料 ¥15,000→¥35,000  計 ¥46,000→¥109,000 約2.4倍に値上げされました。単純に考えて年間100万件の申請があると仮定しますと630億円のお金が収奪されます(他の物件RC造、S造等を含めますと1000億を超える額になると思います)。では、値上げ前と何か変った事があるかといいますと、何にも無い、前にも書きましたが、全く無意味な書類が増えただけです。無駄な労力と、資源の無駄使いが増えただけで何の価値もありません。又値上げに関してはその理由に関しては一切何の説明もありません。その使い道について全く解りません
前にも書き繰り返しになりますが、検査を受けて合格して検査済み証をもらっても何の価値もありません。単に建築基準法に違反していないというだけで、丈夫さや出来栄えのよさを保障するものでは在りません。

2 民間に検査機関が出来た理由

 改革という謳い文句で、民間で出来る事は民間でということで、今まで役所が行って来た確認申請業務等が民間に開放されたように宣伝されましたが、結局は中央、地方の官僚の天下り先を増やしただけです。
役所だけが業務を行っていた時は、建築確認申請料だけでしかも書類も現在よりずっと簡素なものでした(私は今でもその当時の書類の様式で十分だと思っています。現在の様式は煩雑で全く無駄なものだと思います)中間検査、完了検査は無料でした。それが民間に検査機関が開放されるに従って中間検査料、完了検査料を取るようになりました。当然で事務所の経費人件費等かなりの金額が必要に成ります。今までは申請料と税金で賄っていたものを全て申請料等で賄わなければならないので申請者からその分取るより他に無いので、当然各審査毎に料金を徴収する事になります。では民間に開放されたから何らかのメリットがあるかといえば、審査期間が短くなってとか多少はあるようですが、私に限って言えば民間には出さないで以前と変わりなく役所に申請していますのでなんら変りません。(確認申請料だけの時代から考えますと現在の金額差は¥93,000ほどに成り約6.8倍です。これを収奪といわないでなんというのでしょうか)同じ法律と同じ書類の様式を使用している以上は、民間、役所の違いはありません
結論は、官僚の天下り先を増やした事と、申請者の負担額が増えただけで何のメリットもありません。役所主導で新しい機関、団体が作られる場合は、全て天下り先と、庶民の負担が増えるだけで何のメリットありません

3 10年保障の義務化について

  今年の10月以降に完成する住宅については10年保障の保険をかける事が義務付けれます。一見良さそうな制度に見られますが、よく考えてみてください。前にも書き繰り返しになりますが、建物において、10年間に重大な瑕疵がある建物はほとんどありません。又、10年を経たずして重大な瑕疵があるような建物を造る事はごく普通に造れば在り得無い事です。(前にも書きましたが周りの人に聞いて見て下さい。新築後10年の間に、10年保障で言う重大な瑕疵があった場合というような事が在ったのか殆ど無い筈です。そんな事は当たり前で良心的に極々普通に造ってきたから在り得なかったんです。詳しくは前回のPART3 の2 10年保障って何の項を参照したください)では何故義務付けられることに成ったのか、それは簡単な事で官僚の天下り先を増やす事です。美名を元に何の価値も無い新たな制度、団体を作り莫大なお金を(年間数千億に成ると思います)捻出する事は官僚にとってお手の物です。(年末に官僚の手により政令で天下りが自由に出来るように、天下り禁止法案が全く機能しなくなったようですが、当たり前のことで一杯造った天下り先を反古にする様な事は在り得ませんどんな手を使ってでもその権益を守ろうとするのは当たり前です)それと義務付けられるといって建設会社が自己負担で行うのではなく、建築費の中に含まれています。当然、お客さんが支払う事になります。前から私が言っているように施主さんが支払うものならば、保険の内容を十分に説明を受け、内容を理解した上で、保険を掛ける掛けないかは、施主さんが決めるべき事柄で強制するものではありません。保険というものはそういう性格のものではないでしょうか。官僚に食い物にされるのは、真っ平ごめんです、がこの国では悲しいことに通用しないようです。

4        建築士対して3年ごとの定期講習の受講義務ずけ

又全く意味の無いくだらない制度の始まりです。一体何をするのでしょうか。現在設計事務所の更新は5年ごとに更新しなければなりません。その都度、管理講習の受講を義務付けられています。この管理講習会は単なる受講料をとる事と、世間に対してこの様な事をしているんだというアピ−ルすることだけで全く意味はありません(一度講習会を受講する事をお勧めします。私の言っている意味が良く解ると思います。私は全く必要の無い事だと思います) 今回の3年毎の講習も世間に対して国交省はこんな事もしているんだぞというアピ−ルと、受講料の徴収が目的で何の意味もありません。私たちにとっては、余計な事と、意味の無いお金の支出が増えるだけです。もうこんな事はやめましょうよ。民間に開放とか、規制緩和が言われますが、ふたを開ければ、結局は余計な事と支出が増えるだけです。官僚の方々もこんな無駄な事に労力を使わないでもっと意味のあることに労力を注いで貰いものです。無意味で無駄な講習会の義務付け等は、建築界にとどまらず多分あらゆる分野に及んでいて、皆さん困っている事だと思います。
まだまだありますがこれ等の事から言えるのは、税金と言う名目ではなく色々方法で国民の目の届きにくく、批判の出ないような方法で官僚は国民から収奪しています。
細かい事かも知れませんがこのことをマスコミの方々には是非取り上げていただきたいと思います。(あらゆる分野での収奪を調べれば、多分何兆円という数字が出ると思います。

2         建築におけるCO2の問題について 

1        近くの山の木で家をつくる
現在木質系の家に使用されている一般的な家は、木材の80%〜90%は輸入材で賄われています。
近くの山の木を使用した場合、木材の輸送距離が減るために約2000ℓのガソリンを削減できます。これは1世帯あたりCO2削減目標の約30年分を削減します。
石油は限りあるものですが、木は伐採した後植林をすれば又60年後70年後に使用できるように育ちます。山は手入れさえすれば常に再生可能です。

2  今日本の山は荒れています。
何故か、それは山にお金が流れないから手入れ出来ないからです。では何故山にお金が流れないのか、それは日本の山の木を使わないからです。では何故日本の山の木を使わなくなってしまったのでしょうか。木材(無垢材)には長所、短所があります(どんな物にも言えます)又見方によって長所が欠点にも変ります。例えば無垢材は、乾燥収縮により材が伸びたり縮んだり又反ったりします。それを欠点と捉えるのか、それとも調湿作用と捉えるのかで大きく変ります。
無垢材の欠点ばかりが強調されて(乾燥収縮等により床鳴り、施工に手間隙が掛かる等)、施工も簡単で手間隙が掛からなくて狂いも少ない合板、集成材、ビニ−ルクロス等新建材を多用するように成ってしまったからです(シックハウス症候群の原因になってしまいましたが)

3          無垢材と新建材の製造の違いから
無垢材は山から切り出して近くの製材所で製材(荒引き)をして天然乾燥させてから本製材、出荷となりますが、新建材集成材の場合は山から切り出し荒引きをして人工乾燥、集成材用に材を引き(柱の場合は3、梁の場合は3〜5)工場にて接着剤により圧着して製品化をします。無垢材と集成材の製造工程の違いは、山から切り出して荒引きの工程までは同じですが、集成財は人工乾燥、材の切り方、接着剤による圧着等工程が多いことです。工程が多いという事はそれだけエネルギ−を多く使用する事に成り当然CO2も多く排出される事になります。無垢板材と合板の違いも同じように生じます
結果として近くの山の木を使う事は、輸送にかかわる事だけではなくその製造工程についても大きな違いがありCO2はもっと大きな違いがあります。
今殆どの家は輸入材と新建材で造られています。地球を守る事、日本の皆の山を守る、家族を守るためにも、近くの山の木を使いたいものです。

3 改正基準法について

1        仕様規定から性能規定へ

阪神淡路大震災を契機として建築基準法が仕様規定から性能規定に改正されました。
仕様規定は工法、材料、材質(樹種)、大きさ(材の径、長さ等)等細かい規定があり(日本の地域、気候、風土を考慮したものだと思います−北海道〜沖縄の気候の違い等)、JIS,JASに規定された仕様(材料)が建築構造材として使用できる(例外規定がありますが海外からの建材の輸入には難しいものがあります)。それを性能規定に改正する事によって海外からの(特にアメリカ企業)進出が容易になりました。では性能規定とはどういうものか、変な言い方ですがこれが良くわかりません。単に一定の性能を満たせば工法や建材などを自由にする基準ということです(勿論細かいと思われる規定はあるようですが)。JIS,JASに適合しない材料についても一定の品質基準を満たせば認定を受けることにより建築構造材として使用できる。認定はどのように行うかというと、認定自体は国土交通大臣が行うものですが認定に必要な評価は国土交通大臣が指定する指定性能評価機関において行います。
ここで一つ面白いものを見せます。建築基準法の性能規定化のあり方に関する提言というものが在ります。この種のものにありがちな回りくどい言い方や解り難い表現が一杯あります。その中に性能要求、検証方法について「みなし性能要求、みなし検証方法」とあります。これは実物で実際に検証できないからみなし性能、検証する事だそうです。言ってみれば実物は本当に正しい性能を満たしているのかわからないということです。本当なんでしょうか?
前にも書きましたが、昔から言われているようにその地で育ったものを使用するのが一番良い。育った環境と使用される環境が同じだからです。
ここ12年建材の性能に不正な物が続々と出てきています。性能というものの基準が良くわからないところがあります。例えば数値の高低だけで判断される場合が殆どですが、それだけではなく材の質の問題も大切ですがその事には殆ど触れられていません。どんなに数値が良くても使用されている材質が悪ければその数値が正しいとはいえません(耐用年数の問題もあります)
結論
建築基準法の改正によって何が変ったのか。仕様規定から性能規定に変る事によって決して改正前より建物が丈夫になったとは言えない事です。今まで日本で難しかった海外の工法、材が認められるようになった事だけです。それらのものが今までの基準より優れているという事は決してありません。むしろ認定さえ受ければOKということで曖昧さを増す結果になっていると思います。もう一つは数値さえ良ければいいということは決してありません。性能規定は数値を最大限に重視(数値至上主義)している点が大変気になります。

4 楽しい家造りとは

家造りって

1 展示場に出かける
数多くの住宅メ−カ−の展示品(?)を見て歩いてその中の気に入った住宅メ−カ−に決める。決める場合の根拠となるのは人それぞれ住宅に求める物に依って異なります。

2 建築会社の造った建物を見て、気に入り建築会社に依頼する。(オープンハウス)

3 設計事務所の設計した家を見て(実物、雑誌等)気に入り設計事務所に依頼する。

4 知り合いに建築関係の人がいたから依頼する

5 その他

人それぞれ選ぶときの基準があると思いますが、現在家を造る世代30代〜40代の人の殆どは、家は「買うもの」であると思っていらっしゃる。「造るもの」だと思っている人は1割も居ないのではないかと思います。何故だろうかと考えて見ますと、イメ−ジばかりが先行して、住み心地や、使用されている素材等(工法、素材、構造材の樹種、材質、大きさ、壁の構造、内装材の種類、特性等については余り重要視していないようです。本当は大切な事ですが)に余り関心が無いようです。家に対する想い入れが余り強くないように思われます。
家を造るとき、自分を含め家族全員が設計段階から(設計に、決まった形がある訳ではないので、ゼロからの出発になり、施主さんの希望、要望を具体的に聞きながらプランを練っていくのには本当に時間がかかり、通常34ヶ月は掛かります)地鎮祭に始まり基礎、建て方(建前)、内装、設備(流し台、浴槽、照明器具選び等)、建具、外装等工事が完成する最後まで「参加」する事です。出来るだけ現場出向き現場の進捗状況や、職人さんの技術を見たり、話を聞いたりしながら、物が出来上がっていく姿を見ることは、骨組みから全ての工程を見ることが出来ますから安心感にもつながります。勿論現場写真を自分で撮っておくことも完成した後の楽しみにもなります。
現場で職人さんの技を見るだけでも色々参考になりますし、物造りの楽しさも味わう事も出来ます。職人さんは、施主さんが見てくれて、評価される事に誇りを感じて仕事に励みます。本当の職人さんは決して手を抜くような事は致しません、施主さんが家造りに関心を持って見てくれることによって、この人の家を造っているんだという思いが一層増して、より一生懸命に仕事に励むようになり、丈夫でより良い家が完成いたします。
家造りに参加する事とにより、物造りの楽しさ、大変さを味わう事によって、家に対する想いも自然と備わってきて完成後、住む様になってから家を大切にするようになると思います。又時々ふっと家を造ってくれた職人の仕事振りを思い浮かべて、ああこの家はこんな風に出来たんだなと嬉しいような、楽しいような気持ちにさせられる事があると思います。
施主と職人の顔がお互いに見える家造りをする事が楽しい家つくりの基になることを忘れないで頂きたいと切に思います。
現在多くの家は、施主と職人の顔の見えない家が、あっという間に出来上がっています。その実態は、現場で働く職人(?)は過酷な労働を強いられています。
安い賃金で、短期間に工事を終えなければならない為に、長時間働く事になります。此れではとても職人を育てる事も出来ません。勿論これ等の建物は熟練した職人の腕を必要としない簡易な建物に成ってしまいます。此れではとても金額に見合った建物は出来上がりません((PART14建築界の現状を参照)
顔の見える家造りがどんな事なのかを考える事が、自分の家造りにとって如何に大切なのかを知る事に成り、また楽しい家つくりの始まりになると思います。
(お金を溝に捨てるような事は、早く止める事をお勧めいたします。そして楽しい家造りをしてしてください)

 少々長い、あとがき

 私は、たまたま建築関係の仕事をしていますので、建築に関しての現況等をお話してきましたが、他の分野でも建築の分野と同じで、行政機関が行っている規制(法、条例、政令等)は矛盾、的外れな事が多すぎます。何か問題が生じた時に如何に責任逃れするかに終始する内容ばかりです(大袈裟に思われるかもしれませんが決してそうではありません。放送界等マスコミ関係でも多いと思います)では何故その様な事に成ってしまうのでしょうか。それは、何か問題が生じますと、何の検証する事も無く、(私達も含めて)マスコミ等が一斉に行政機関を攻撃するからです。何故か、一番無難で容易な方法だからです。そしてその結果が全て無駄で的外れな表面的改正法令となって、私達自身の首を絞める結果となっています。私達の次の世代、また次の世代はもうウンザリしてやる気が起きなくなるようなことばかりです。20年位前に簡素化ということが言われた時期があります。その当時と比べて現在は書類の種類も量も何倍も増えています。簡素化とは全く逆になっています。資源、労力、時間の無駄使いばかりです。では20年前の書類でいけないかといいますと20年前の書類で充分です。的外れな規制緩和が何をもたらすのか、私達はよく考えなければならないと思います。

100年に一度(?)と言われる不況に見舞われていますが、現在打ち出されている経済政策が、目先の事ばかりではなく、20年後、30年後、50年後・・・を見通した政策であるかどうか。例えば先日全国の学校等公共施設に太陽光発電が云々されましたが、本当に効果があるのでしょうか。太陽光発電の効率の悪さは以前から言われています。エコだからといいますが本当でしょうか。太陽光のパネルの製作に掛かる総エネルギ−(使用する資源、製作に必要なエネルギ−等)効率性、耐久性、廃棄されるに必要なエネルギ−等、全てをト−タルで捉えて考えて行われているとはとても考えられません。現在、太陽光発電が本当に今後いいものなのかどうか、ト−タルなものとして、具体的に誰も検証したデ−タ−を示してくれてはいません。一つのことを行う場合、全てト−タルで考え、検証されなければ、単に地球に優しいとか、環境にやさしいという美名の下に物事を進める事は、逆の結果を招くことが多いにあると思います
現在の社会の流れを見ていると、何ら具体的な根拠あるデ−タ−が明確に示される事も、検証されることも無く、何とかに優しいとか、エコ何とかという、美名を元に全て物事が進んでいるように感じられます。私達は本当に私達の後に続く世代の事を思って行動しているのでしょうか。私には目先の利益ばかりに目が向いていて(大企業優先の)、とても私達の後の世代の事を考えているとは思えません。前にも書きましたが、今、私達に欠けているのは、わたしたちの子孫に何を伝え残す事が大切なのかという視点です。

話題をまた変えます。「食品の裏側」(安部 司著)という食品添加物等に関しての本があります。この本の全てが正しいかどうかは解りませんが、殆どそうだろうと思います。
私達が現在ス−パ−等で購入している食品の殆ど(100%と言ってもいいと思います)は多くの食品添加物が含まれているという事と、食品添加物無しの生活は不可能でありということも事実だと思います。この本の中で気になることを少し書きます。
味覚の問題、著者自らが自分の子供の食べている食品を見て、子供たちがおいしいと言って食べている食品が、正に自分が作っている多くの食品添加物入っている食品類であることに愕然とした。これは何を意味するかというと、日本人の味覚が変ってしまう。その食品の本来持っている味を知らないままに成ってしまうと言う不安感。
次は、食品添加物によって劇的に、味、臭い、色艶等が自由に変えることが出来きる。当然保存期間も添加物によって変えることが出来ます。また量も変えることか出来る。驚く事ばかり私達は普段こんな物を食しているのかと思うと恐ろしくなります。健康云々が持て囃されていますが本当の健康って何なのでしょうか。普段の食生活が食品添加物満載の食品を食べているとしたら、一体健康って何の意味があるのでしょうか。そこでこの本の中で言われているのが、我が家の台所にある調味料を基準として選んでください(我が家の台所にある調味料以外の添加物は、出来る限り避けて選ぶ)という事です。

これを建築の分野に置き換えて考えて見ますと、今や新建材といわれる合板類(接着剤により薄くスライスされた物を貼り合わせた材)ビニ−ルクロス等(石油製品)が圧倒的に多く使用されていて(シックハウス症候群を招きました)無垢の木材、塗り壁(漆喰、じゅらく壁等自然素材)の持つ本物が殆ど使用されること無く、自然素材の持っている優しい肌触り、感触、味わい、風格等本物に触れる機会が殆ど有りません。食品の分野と同じように建築の分野においても本物が駆使されています。何度も言うようですが私達は子供達に誇れるような事をしているのでしょうか。

現在建築の分野において全く馬鹿げて、無意味な多くの法律、規制が行われています。私達実務に携わるものにとって、法律、規制には従わなければならないのですが、本当に施主(建てる人達)さんにとって有意義で、必要なことならば従わなければ成らないのですが、無意味で不必要ならば従いたくはありませんが、もし従わないで行った場合、なんら問題が生じなくても、この事を逆手に取られて何らかの形で訴えられた場合は負けてしまいますので下らない法律、規制に従わざるを得なくなってしまいます。しかし此れで本当に良いのでしょうか。良くないですよね。しかしこの国の人は何故か表立ってお上には逆らわないようです。何故なんでしょうかね。人は理不尽と思われる事に立ち向かう気持ちを失ったならばそこでその人の人生は失われてしまうと思います(反骨精神)。(最前線に立って実務をしているものにとっては大変なエネルギ−が必要に成ります)。何度も言うようですが私達大人は、子供たちに誇れる自分である事が最も大切な事ではないでしょうか。

最後にマスコミ関係に従事されている方に御願い致します。本当のことを伝えた下さい。社会の風潮や、流れに乗った、安易な方法によって得られた不確かな情報を流すのでは無く、しっかりと検証されたことを、そのデ−タ−も含めて報道していただくよう切に御願い致します。