『 白薔薇の剣 』
−最後の王女の騎士録−
第1章 『サンクトゥマリアの子守歌』 −1−
白い夢。
いつも見る。
その中で母はいつも歌っている。
サンクトゥマリアの子守歌
城の奥にある、白薔薇が咲き乱れる庭園で。
その姿はとてもとても美しいものだったけれど。
同時に少し怖くもあって。
なぜかいつも、そんな母に近づく事ができなかった。
……母はそんな私に気づくとふんわり笑って。
おいで、と手を差し出す。
でもその瞬間私は気づく。
これは夢だと気づいてしまう。
だから呼ぶ。
手を伸ばす。
でも母は笑ってる。
私は結末を知っている。
だから。
――触れると弾ける、まるで綿帽子のように。
空へと舞って、消えて行く。
自分の叫び声で目が覚めるのはもう、何度目か。
そして、夢で泣くのは何度目か。
オヴェリアは思う。
叶うなら、母に会いたい。
もう一度、会いたいと。
1
この3日、フェリーナは泣き通しだ。
そんな彼女を見るたび少し困って、オヴェリアは優しく頭を撫でてやるが。
それに、一層フェリーナは泣いてしまう。
「どうぞ姫様、お考え直しを」
何度彼女に乞われたかわからない。
いや、それは彼女のみにあらず。
オヴェリア付きの侍女全員が毎日同じように言い続けたし、場内の様々な者に言われた。
だが、オヴェリアはそれに静かに笑みを浮かべ、首を横に振るのである。
「しかし! 議会でも揉めているというではありませんか!」
「……」
「姫様! なぜ姫様がかような事!! 騎士などそこらにゴロゴロいるではありませんか!! 彼奴らとて王に仕える身!! 姫を守ってこそ当然なのに!! なのになぜ姫がご自身で剣など振るわねばならぬのですか!! しかもっ、しかもっ」
黒い竜の討伐など――。
こんな無茶苦茶な事っ……言いかけ、興奮しすぎたのかフェリーナはむせ込んでしまった。
その背中を優しくさすり、やがてオヴェリアは立ち上がった。
そして部屋に飾られている聖母の像の元へ。
その御前に置かれた剣を手に取り。
「……」
目を丸くするフェリーナの前に、それを差し出した。
「抜いてごらん」
「……」
フェリーナは目をパチクリさせながら剣と姫を交互に見た。
オヴェリアはそんな彼女を静かに見ている。
その目は雲なき空のようで。波のない海のようで。
こんな眼差しを向けられるたびに、フェリーナは少しドキリとしてしまう。
(姫様……)
白薔薇の剣。
白の柄、鞘もずいぶんと細かく掘り込まれている。
そして何より目を惹くのは、柄の部分に飾り付けられた白い薔薇。
フェリーナはごくりと息を呑んだ。
初めて見た。
王家に伝わる剣。
代々、国を継ぐ者だけが持つ事を許されたという剣。
その名を知らぬ者はいない。だがこの場内に、実物を目にした事がある者は一体どれだけいようか。
姫の視線に促され、手を伸ばしてみる。震えた。止めようとして止められるものではなかった。
「……」
両の手で姫が下から支えているその剣を。フェリーナは同じく両の腕でそっと持ち上げようとしたけれど。
「…………」
手に、触れているのである。
力を込めているのである。
だがその剣は持ち上がらない。
最初は確かに遠慮があった。だが徐々に彼女は目いっぱい、力を込めて持ち上げようと試みるが。
「……っ」
持てない。上がらないのである。
フェリーナは愕然とした思いでオヴェリアを見た。
彼女の顔は、先ほどと変わらない。涼しく澄んだ瞳がそこにある。
剣を持っている、それに対して特に無理をしている様子もなく。
汗一つ、流れない。
「……」
オヴェリアのその様子に、フェリーナは絶望を覚えた。答えを見た。
「……そう」
オヴェリアは頷いた。
「この剣は選ぶ」
――白薔薇の花言葉を知ってる? フェリーナの脳裏に、かつての姫の言葉が過ぎる。
「父はあの時、この剣を放った。でもあれは本当は」
試したのだ。
持てるのか、そして抜けるのか。
そして彼女はそれを抜いてしまった。
「……姫様」
「まだ、本当に選ばれたわけじゃない」
オヴェリアは自身が持つ剣を見た。それは彼女自身がよくわかっていた。
ただ持てたというだけ。
本当の、この剣の使い手として認められたわけではない。
「オヴェリア様……」
フェリーナが、涙をこぼした。
オヴェリアは苦笑して、その涙を手でぬぐってやった。
「ありがとう」
「……」
「……ありがとう、フェリーナ」
「……姫様……」
こんな事ならば、とフェリーナは後悔した。
グレン公の元へ向かう彼女を止めればよかったと。
幼い日より、武大臣グレンの屋敷へ足しげく通う彼女の事を。そこで何をしているか知っていたのに。
……剣など。
父王・ヴァロック・ウィル・ハーランドにもきつくきつく止められていたのに。
でもフェリーナは望んでしまっていた、姫の笑顔を。
……見つからないように、留守の間の工作だって手伝ってしまってきた。
(姫様が剣にのめり込むのは)
父上様と母上様の事があるから……そう思ってきたから。
姫様がおかわいそう。そう思わなかったわけがない。
……でもまさか、姫が薔薇前大会に出るなど、誰が思おうか?
女の身で。すべての男を倒し、越えて。
そこまでして、この姫は。
「……オヴェリア様」
「泣かないで、フェリーナ」
この剣を求めたというのか……?
愕然と、フェリーナは頭を垂れた。
抗えぬ。
その頭が、ぎゅっとオヴェリアの腕へと抱き寄せられた。
甘いにおいがした。
たまらなかった。
……また、フェリーナは泣いた。
「真に姫様を行かせるおつもりですか!?」
同じ頃。
城中、謁見の間でも、混乱は巻き起こっていた。
「姫はまだ18! しかも女子 の身ですぞ!?」
「その女子 に、場内誰も敵わなかった」
文大臣コーリウスは苦々しげに言って、武大臣を見やった。
「これはそなたの責任ではないか?」
「……いかにも」
武大臣グレンは重々しく頭を垂れた。
「処断はいかようにも受けましょう」
「武門の名折れじゃ」
「……コーリウス、そこまでにせよ」
「しかし陛下!」
言いかけ、コーリウスは言葉を飲み込んだ。
玉座に座る王の姿。
それが……痛ましく。
体を支えるのがやっとの様子で、現王・ヴァロック・ウィル・ハーランドは深く腰を掛け、重そうにやっとの様子で瞼を開けていたのである。
「……陛下の御前にて、言葉が過ぎました」
「うむ。……グレンにも非はある。だが武大臣は解任せぬ。今、グレンに抜けられれば場内はますます混乱する」
「御意に」
――石病と呼ばれている。
この地方で、盛りを過ぎた男によく発症する病であった。
原因はまだ解明されていない。手足が少しずつしびれ、全身が動かなくなり、ついには事切れる。
進行を和らげる薬はあるが、完全に止めきれるものではない。まして完治する術はない。
(まだ早い)
誰もが思っている。
現王はまだ50歳。これからである。まだまだこの国を支え、導いていただかなければ。それだけのお力が彼には備わっているというのに。
(なんとした事か)
在務歴が一番長いコーリウスは、ヴァロックが王になった時の事をよく覚えている。
だからこそ、思いはただただ、
(無念)
「……」
見つめる瞳に少し涙が浮かべかけ。コーリウスは視線を外した。
「それに……あの剣の事は皆、存じておろう」
「……」
そこにいる6人の大臣は口をつぐんだ。
――白薔薇の剣。
「あれは持ち手を選ぶ。資格なき者は、鞘から剣を放つどころか、持つ事も叶わぬ」
「……」
「選ばれたのだ、オヴェリアは。あの剣に」
――あの瞬間。
試合の際、オヴェリアの剣が折れた時。
王は白薔薇の剣を放った。
だが、王は自身の手を見る。動かないのだ。
(放らされた)
……いや、違うな。王は自嘲混じりに苦笑した。
あの時オヴェリアに剣を渡したいと願ったのは王自身だ。
剣が折れてもなお、彼女の目は死ななかったから。心は折れていなかったから。
(戦え、オヴェリア)
そう望んでしまった。
その時、この手は動いた。
……王の願いと。
剣自身の願いを叶えるために。
「剣は、あやつを選んだ」
「……」
「他の誰にも勤まらぬ。ましてあやつは、知っていた。あの試合に勝ち上がればどうなるか」
「……」
奴の選んだ路 だと、王は息を吐いた。
「あの剣には聖母の力が宿っておる」
武大臣グレンが目を閉じ、呟いた。
「サンクトゥマリアでございますか」
「白薔薇の剣。あれは、建国よりこの国にある。初代ハーランド王よりこの方250年。代々王に伝えられてきた」
「……」
「伝承が真かは知らぬ。だが現実、あれは持ち人を選ぶ。ならばもう1つの伝承も然り」
「……竜は、常人には倒せぬ」
その鱗、鋼鉄のごとく。
その咆哮は地獄の炎。
止 をさせるのはただ1つ。
聖なる力を宿す剣のみ。
「……このような事」
コーリウスは首を振った。
「わが国には、どれだけの兵がおりましょう」
「日々鍛錬を続けるそれらすべてをもってしても」
抗えぬのか。
剣と、1人の少女の運命から。
「……」
武大臣グレンは遠くを見た。
その目翡翠の瞳に映る光景は。
……もう戻れない、あの夏の日。
止められなかった思い。
初めて姫に会ったあの日。
そして。
オヴェリによく似た面差しを持つ――もう一人の女性の姿。