『 白薔薇の剣 』
−最後の王女の騎士録−
第1章 『サンクトゥマリアの子守歌』 −2−
傭兵部隊の兵舎は城下の一番端にある。
騎士のそれが城門の内側にある事を思えば、明らかに差別を伺える待遇である。
だが当の本人たちは気楽なものであった。街に近ければそれだけ、隊務の後の酒にありつけるのも早くなる。
それにやはり、よそ者だという意識は国の面々よりも彼ら自身の方が強く持っていた。
――傭兵は、騎士とは違う。腕のみで雇われた、臨時の戦闘員である。
その剣を生涯国と王に捧げる騎士とは違い、彼らが剣を振るうのはただ己のためである。
給金のために仕え、雇われているから剣を振るう。
愛国精神など知った事じゃない。ただ興味があるのは己の腕前のみ。
その質は、国を流れた者、国を失った者、騎士になり損ねた者、己の信念でこの路 を選んだ者、腕を試したい者……様々だ。
だから、気に入らなければ去って行く。それだけ。
剣を振るう場所を求め、戦場を転戦する。戦がなければ剣は振るえぬ。振るえなければ金は入らぬ。
その点、この国は特異だ。
平和なのだ。
傭兵隊長カーキッド、彼がこの国にきて1年。戦争と呼べるような事はなかった。あっても盗賊・山賊討伐。それでも給料はきちんと、定期的に支払われている。
それが評を得て、この国の傭兵隊には長居する者が多い。
だが正直言って、カーキッドはそれがぬるいと思っていた。
平和はいい。愛すべき事だ。
だが。
(……ここは俺の性分じゃない)
出よう。次の戦場を求めて。
傭兵隊長、そんな地位までもらったけれども。
――そう思っていた矢先に、今回の試合の事を知った。
当然出場した。
戦いと聞いて、腕試しと聞いて、胸が躍らぬわけがない。
――優勝者には白薔薇の称号を与える。
突拍子もない話に、カーキッドは面白くて仕方がなかった。
1番になった奴に王位を譲るだ? 面白ぇ。
もし自分のような者が優勝したら、本当にそんな事が起こるのか? この国の血など一切混ざらぬこの俺をも。王に据えると言うんかい?
優勝してみたい。それでどうなるのか見てみたい。
それでもし――俺がこの国の民じゃないからとか、騎士じゃないからとか、ケチを付けて。
存外、この命を亡き者にしようとしてくるのならば。
全身全霊でもって立ち向かう、その覚悟もしていた。それならそれで楽しみだった。
自分が優勝する、それ以外に彼は思っていなかったから。
(ハーランドの騎士共全員、ぶった斬る)
だが実際に試合に臨み、初戦から試合を観戦する王の姿を見て。カーキッドは思い直した。
あの王は本当にやる。
もし自分が優勝したならば、本当に王位を譲る。
嘘偽りはない。
こちらに注がれる視線に、そんなまっすぐな気配を感じたから。
カーキッドはゾクゾクした。
この試合は己の運命になる。
王になるとかそういう事よりも。
そんな交差路に立った事に、胸が震えた。
「……」
――傭兵隊の詰め所には人は多くない。外回りか、他の任務だろう。
傭兵は騎士がしない仕事も引き受けている。街の治安維持は一般兵の務めであったが、傭兵隊もその一端を担っていた。
その中で、カーキッドは今日は特に外に用事はなかった。そのため、朝から鍛錬所で剣を振り続けていた。
「よぉ、試合見たぞ」
「惜しかったなぁー。もう少しで王になれたのに」
仲間に茶化されたが、カーキッドはただ軽く唇の端を傾けただけだった。
「それにしても……本気であの子に行かせる気かねぇ?」
「オヴェリア姫……ハーランド王のたった1人の娘だろう?」
「幾らなんでも、竜の討伐なんぞ」
熟練の使い手でも、行きあぐねる事だというのに。
「正気の沙汰かね」
カーキッドはそれに答えず、明後日を見た。
鍛錬所の入り口には、誰がしたものか、白い薔薇の花が一輪飾ってあった。
いや飾るというほどでもない。花瓶に1本突き立ててある、それだけだ。
先日までの薔薇大祭の名残か、はたまた新手の嫌がらせのつもりか。
「お前本当に、本気でやったのか?」
不意に、そこにいた傭兵の1人がニヤニヤ笑いながらそう尋ねた。
「相手が女だから、手を抜いたんじゃねぇのか?」
「ハハハ、言えてる」
少し悪意を感じるその言葉に、カーキッドは軽く笑って答えたけれども。
本当は。
――その首を、ここで、即刻ぶった斬りたい。
そんな衝動に駆られた。深く、深く。
だがやめた。許した。
「……二度と言うな?」
あの白い薔薇に免じて。
でも消せなかった、湧き上がった殺気を。
さすが戦場を巡る傭兵仲間はしっかり感じ取り、少し怯えたように去って行った。
――大祭以前は何も感じなかったその花に。
「……」
人のいなくなった鍛錬所、ぼんやりと、カーキッドはその花を見つめた。
そして……また、剣を振り始めた。
あの花を見て浮かぶ、不思議な想いを断ち切るように。
そんなカーキッドの元に使者がきたのはその翌日。
登城の命令であった。
呼び出しの主は武大臣グレン・スコール。
「わかった、行く」
傭兵隊の直轄は第十五師団である。その総隊長の呼び出しにはいつも、何だかんだ理由を託けて行き渋る彼が。今日は珍しくそう即答をした。
――わかっていたのである。この時が来る事を。
午前の巡察を他の者に任せ、カーキッドは城へと向かった。
薔薇大祭を終えたハーランドの街は、その余韻を微かに残しつつも、いつもの平穏を取り戻そうとしていた。
ひしめき合っていた露店もない。大祭中に来ていた行商の者たちも、また別の喧騒を求めて去って行ったのだろうか。
ただ、大祭を目指して手入れされていた薔薇の花が、街の至る所で、その時と変わらぬ美しさを誇っていた。
赤や黄色のそれに、多少視線を投げたカーキッドだったが。
「……白薔薇がねぇな」
街と城の間には川が流れている。その跳ね橋を抜けると城門がある。
そこからハーランド城へ。
城門は、名を告げるとすぐに通してもらえた。
「試合拝見致しました。感服いたしました」
「そらどうも」
カーキッドの名と姿は、あの試合ですっかり有名になった。今、彼を知らぬ者は城中にはまずいない。
歩けば必ず皆振り返る。好奇の目ならまだいいが、向けられるのはそればかりではない。
敵意。
姿は見えずとも常に張り付くように感じる気配。1つや2つではない……それを感じ、カーキッドは思わず笑みを漏らした。
何と言っても彼は、近衛師団のシュリッヒを下した。
騎士の尊敬と憧れの的である男を倒した。この国の騎士ならば、それにいい感情を抱かぬ者もいるだろう。
(馬鹿馬鹿しい)
俺を睨んだってどうともならねぇ。そこにあるのは結果≠セろう?
(気に入らないなら、斬りこんで来い)
いつでも向かえ打ってやる。
俺を倒してみろ、超えてみろ――。
場内を歩く。その顔は飄々《ひょうひょう》としていたが、剣気は消さなかった。
いつ刃が飛んできても迎え撃てるように。
そして内心、それを待ってもいた。
(掛かって来い)
だが結局目的の場所に着くまで、彼に斬りかかる者はおらず。
無事着いてしまった事に、少し落胆のため息を吐いた。
「……つまんねぇ」
――場内鍛錬所にて待つ。
約束の時間より少しだけ遅れて、カーキッドはその扉をくぐった。
場内の鍛錬所はいくつかある。
そのうちの1つ、入るとそこは少し湿ったにおいがした。
汗のにおいよりは少し淡く。かと言って砂のにおいよりは辛い。
屋外の鍛錬所が多い中、3つだけある屋内のそこに、彼はいた。
武大臣グレン・スコール。
1対1で何組か打ち合いができそうな広い空間。だがそこに、グレンはただ1人彼を待っていた。
「来たか」
部屋の中央に立つ彼の姿を認め、カーキッドは後ろ手に扉を閉めた。
「あんたが呼んだんだろう」
そして視線はグレンを捕らえたまま、ゆっくりと回り込むようにそちらに向かって歩を進めた。
「十五師団のオーバは、常から、お前の扱いには手を焼いているようだったが」
「オーバ? そんな奴、眼中にないんでね」
腕もないのに家柄だけで地位を得たような輩だった。当然そんな者にカーキッドは興味なかった。
「誰に従うかは、自分で決める」
「そうか」
ジリジリと、グレンを中心にして半円を描くように歩むカーキッドに対して、グレンは動かない。視線はまっすぐ虚空に向けていた。
だが。
(こいつは、できる)
腰に剣は持ってきた。彼の愛刀だ。長年戦場を共にした彼の唯一無二の相棒。
「わざわざこんな所に呼びつけて」
何の用だい? そう言うより早く。
――カーキッドが動いた。
一気にグレンに向かって駆ける、抜刀する。そのまま横から大きく薙いだ。
グレンは動かない。捕らえた、一瞬そう思ったが。
斬ったのは、空 。
寸前でグレンはヒラリとそれを避けた。
驚くより早く、カーキッドは剣を返す。そのまま叩きつけるように半弧走らせる。
それも避けられる――が、それを予想して、一歩右足を踏み出す。
足を狙う。膝丈を、一気に横へ一閃させる。
が。
そこを完全に止められた。
グレンの剣。
抜いたな、その事実にカーキッドはニヤリと笑った。
そして力目いっぱい、押し切ろうと思ったが。
(これは)
瞬間、背筋に悪寒を悟り、後ろへ跳んだ。
そしてカーキッドがたった今までいた場所を、右下からの突き上げが掠めていった。
完全に避けた、そう思ったが。
「……ッ」
頬に痛みを感じる。何か流れた。
(斬られた)
面白ぇ。
カーキッドの目が、爛 と輝いた。
愛刀を強く握り締め、グレン向かって再び走り込もうとした刹那。
「狂犬だな」
「――」
「そしてそなたの剣は、乱れておる」
「何を、」
「そんな剣では、わしは倒せん」
「……抜かせッ」
「先日の試合の折の太刀筋とは幾分違うな。迷いがある」
「――」
カーキッドはグレンを睨んだ。だがグレンはその挑発には乗らなかった。
しばしそれを続けたが、最後にはカーキッドは諦め、息を吐いた。
「迷い、かい」
「ああ」
――武大臣グレン。
さすが、噂通りの男だとカーキッドは思った。
彼の武勇はカーキッドも聞いている。数年前に起こったハーランドと隣国との闘争、その際の武功。
まして――薔薇前試合6連覇の記録は歴史上唯一。まだ誰にも破られていない。
赤薔薇≠フ中の赤薔薇=Bこの国の真の英雄。そして武の象徴。
剣で名をはせたヴァロック王ですら、生涯倒せなかった1人の剣士。
「だがさすがだ。剣を抜く気はなかった」
「……」
「その腕前は真 のもの」
カーキッドがあの試合に出た理由の一端に、この男の事もあった。
この国で一番の剣士として知られる一人の男。そいつと戦ってみたい。剣を交えてみたい。
何年か前にもう薔薇前試合からは引退したのだとも聞いていたが、今回はこれまでと得られる物が違う。一縷 の望みを託し、最後まで期待した。
だが結果として、やはり武大臣は出てこなかった。
それに心底落胆し、口惜しくて仕方がなかったけれども。
――王と同じようにずっと試合を見続けているグレンの姿を、カーキッドは捉えていた。
だから彼は、剣を振るい続けた。
対戦相手ではなく――壇上に臨む、武大臣に向けて。
戦っているのは誰ぞ?
視線のみの男に向かい、グレンは剣を走らせた。
「あんたと戦ってみたかった」
言いながらカーキッドは、愛刀を鞘に収めた。それにグレンは笑って答えた。
「この老兵に、お前のような剣士はちと骨が折れる」
よく言う。カーキッドは苦虫をかみ締める。
(こいつは)
違う。
一刀合わせただけ。それだけでカーキッドは決定的に知らされた。
――実力の差。
こいつは知っている。剣の重み。それが奪う物、その力の意味。
命。
そして戦いの本質。
「簡単に止めたじゃねぇか」
「それはお前の剣に迷いがあったから」
「フン……ないね、そんなもん」
「その実はわしは知らん。己の胸に問うてみよ」
食えない親父だ。内心毒づき、改めグレンに向き直った。
「……それで、何だ用ってのは」
普通の騎士間の上下関係ならば敬語は原則であるが、傭兵に上下もくそもないとカーキッドは思っている。
そしてグレンもまた、取り立てて彼のその態度に注意はしなかった。
「そなたに頼みたい事がある」
グレンは抜き身の剣をゆっくりと鞘に戻しながら言った。深い声だなとカーキッドは思った。
「頼み? あんたがか」
「そうだ」
その内容、カーキッドは何となく気がついていたけれども。気づかぬ振りをした。
「武大臣様直々に、一介の傭兵に一体何の用が」
――風が吹いた。
天窓から吹き込むのだ。今日は特に風が強かった。
だから、屋内のこの場所でも、地面の砂が少し舞った。
転戦をし、旅をする途中で砂漠も歩いた。その時の記憶がカーキッドの脳裏を掠めた。
「お前の腕を見込んで頼みがある。これは……わし個人の願いだ」
風のにおい、砂のにおい、汗のにおい。
そして仄かに鼻腔を掠めたのは、薔薇のにおい。
鼻についたのかもしれない、それくらいこの国は薔薇に溢れていて。
「オヴェリア様に課された使命……黒い竜討伐の任。そなたも、同行して欲しい」
こんなに花に囲まれた事は、今までの人生、カーキッドはなかったから。
何か感覚が、おかしい。
くすぐられる。
……理由はだけど、わかっている。
「俺に、姫様のお供をせよと?」
「そうだ」
答えずいると、グレンは1度深く瞬きをし、唸るように言った。
「姫と共にかの地へ赴き、姫をお助けし、黒き竜を仕留めて欲しい」
カーキッドは口の端を吊り上げた。
「そして、姫にもし万が一の危険が及びし時は」
――薔薇のにおいが。
「その身に代えても、姫をお守りせよ」
脳を揺さぶる。
「……それは、死ねって事かい?」
「……」
グレンは答えなかった。
カーキッドは鼻で笑った。
しばし、沈黙が落ちる。
だがその果てに。
「いいぜ」
すっとした声だった。
「ただし、それに見合う奴だと思ったら」
「……」
「俺の命を引き換えにしてもいい奴だと、それに足る人物だと思えたならば」
「……でなくば?」
「斬る」
「……」
「邪魔になるなら、斬る」
「……………」
もういいかい? 言って、カーキッドは背を向けた。
「お前は何のために剣を振るう?」
そんな彼の背中に、グレンは問いかけた。
「何ゆえ力を求める?」
思わずカーキッドは歩を止めた。
それは――浮かんだ言葉を、飲み込み。
ゆっくりと振り返り、カーキッドは答えた。
「俺のためだ」
「……」
「……無様に死にたくないからだ」
そう言って口の端を歪めて見せ、彼はその部屋を出た。
鍛錬所を出ても、薔薇のにおいは消えなかった。
そのまま壁にもたれ、カーキッドは胸元から煙草を取り出した。
そしてそのまま火を点けた。
「……」
煙草のにおいに、少し、気が紛れた。
そのまま天井を見上げると、胴 のレンガ造りが延々と続いていた。
その色は血にしか見えない。
そう思うと少し、煙草が不味くなった。
壁でもみ消し、窓の隙間から捨てる。
「……」
そして彼は歩き出した。
腰元の剣が少し鳴った。
煩わしくはない、だが少し重いなと。
今日は珍しくそんな感情が淡く、胸に過ぎった。