『 白薔薇の剣 』
−最後の王女の騎士録−
第2章 『暁の森』 −1−
――どことも知れぬ、とある場所。
一点の光すらない、闇だけが占めるその場所に。
彼は座し、待っていた。
何の気配もない。その男のそれも、零。無。
その中で。
「着たか」
音も、揺れも、何一つなくとも。男はそれに気づき、目を開けた。
「発ったか」
何も、誰も、答えぬ。
返る音はない。
だが男は「そうか」と口元を緩めた。
言葉がなくとも男にはわかる。仄かにだけ放たれた気配により。
男とその者は、それだけで伝わる、不思議な物がある。
絆、そう言い換えてもいい。
「白薔薇の騎士≠ゥ」
して、その腕前は?
何かを考えているような沈黙。それに男は小さく笑い、「よい」。
「先行してザハを行かせた。その成果でわかろう」
「……」
「おって指示を出す。それまで待機」
また、音もなく気配もなく。
だがその者はそこから去った。
それを汲み取り、男は腕 を掲げた。
「白薔薇の剣」
闇にその腕はおろかその姿も溶けきり。何一つ見えぬが。
そこに確かに刻まれたものがある。
男は闇の中で笑い、
――この世に、神の意思を継ぐ物など。
呟く。
「ありはせぬ」
闇の中、男は背を翻 した。
それを見た者も、見る者も。
先にも後にも、誰もいない。
2
街道を、一路北進。
王都を出たオヴェリアとカーキッドは、そこから3日間歩き続けた。
まだハーランドに近いという事もあり、道はきれいな方である。沿いには城下の町として休息できるような場所もあったが。
結局、軽く寝食を済ませるのみ。ほとんどずっと、2人は歩き続けた。
そして今日、昼を回った頃には、街道を離れ森に入った。
このまま道に沿っていったら、西の港町に出てしまう。それを見越しての樹海入りであったが。
(ぼちぼち限界かな)
一歩遅れてついて来るオヴェリアを振り返り、カーキッドは心中でそう呟いた。
しかし女の身でよくついて来た方である。彼は内心は感心もしていた。
最初は1日で潰れると思っていた。剣術と旅は違う。使う筋力からして別物。瞬発性と持続性のバランス。いかに名だたる剣豪とて、それが同時に登山家に成り得ないのと同じである。
しかもオヴェリアは女。
カーキッドは、元々早い歩速をさらに早めて歩いた。願わくば、さっさと根をあげて欲しかったがゆえに。
(潰れるなら早い内。まだ戻れる内に)
だが、オヴェリアはついて来た。
この3日、ほとんど無言ではあるが。その根性に、やはりこいつは只者じゃないと思わざる得なかった。
「ぼちぼち日が暮れる。今日はこの辺にするか」
「……」
まだ日はあったが、丁度川辺に出た。土地も幾分なだらかだ。
ここが頃かなと思い、カーキッドは荷物を降ろした。
野宿は今晩が、初めてである。
お姫様にはきついかなとも思いつつ。だがこれから先、必ず通らなければならない道である。
カーキッドは慣れた様子で野営の準備を進めた。
「そっちの荷物に鍋入ってるから。出しといてくれ」
「……あなたは?」
この声。鈴のような声。3日ぶりに聞いたような気がした。
「食い物探してくる」
「昨日買った非常食は?」
「非常食ってのは、何も食べる物がない時に食うもんさ」
ここはどこだ? と、カーキッドはニヒルに笑って、
「森は食料の宝庫」
それだけ行って、剣だけ持って森の奥へと消えた。
数分後、戻ったカーキッドが手に抱えた兎を見て、オヴェリアは一瞬目をそらしたが。
「……」
それに見せ付けるように、カーキッドは調理して行く。皮を剥ぎ、肉をばらす。
火を起こし、別に採ってきた薬草ときのこを煮込んでスープを作り。肉は串に刺して焼く。
よい香りが鼻腔をくすぐる。
そうなれば自然、体が空腹を訴える。
これが生きると言う事。
「ほら、食え」
「……」
オヴェリアは王女である。
だが生きている以上は、腹は、減る。
口にすると、肉汁が溢れ。
「うまいか?」
「……」
「そうか」
そうして生きていくのだと。
カーキッドは目を伏せ、自身も肉を頬張る。
「今後の予定なんだが、」
このまま北進を進め、山を1つ越えて北にある第三街道に出てから――。
そう言おうとして。カーキッドは気づく。
「……寝てやがる」
薬草ときのこのスープが入った椀を胸に抱いたまま。オヴェリアは木にもたれ、寝息を立てていた。
やれやれ、とカーキッドは息を吐いた。さすがに身に堪えたか。
椀を手からそっと取ってやり、自身が羽織っていた上着を肩からかぶせてやる。
――さっさと根を上げろと思う心境と。
「……」
その寝顔に、少しカーキッドは苦笑した。
「人形みたいな顔してるじゃねぇか」
だがその傍らには、白く光る剣がある。
これを手に入れるために、この娘は。剣技を磨き、他を圧倒し。
――どこまで着いてこられる?
俺をも上回った、その剣技。
女の身であそこまで剣を振るい、国内最強までのし上がったその魂。
見上げると、木々の間から見える空が、茜から紺へと移り変わろうとしていた。
「……」
カーキッドは少しほくそ笑むと、火の中へ薪を放り込んだ。
周囲に薔薇なんぞ咲いていないはずなのに。
なぜか鼻腔、その匂いがした気がして。カーキッドは鼻を鳴らした。
そうして夜は、更けていった。
月が、真天井に昇る。
星は闇の中に輝きを増し、夜空一面に散りばめられていた。
森に、梟の鳴き声が木霊して。
だがそれ以外は沈黙。
風も止まっている。木の葉は揺るがない。
焚き火は、小さくなったもののまだ燃え続けている。
その傍らでオヴェリアは眠り続け、カーキッドも膝に顔を埋めていた。
夜の帳 は安らかなる眠りと共に。2人を包み込んでいるように見えた。
だが。
……チ
炎が鳴った。
そしてガサリと、薪が音を立てて崩れ落ちた。
それを合図としたかのように、カーキッドは目を開いた。
「……」
一目、少女を確認する。眠っている。
一つ小さくため息を吐き。
彼はスッと立ち上がった。
衣擦れの音は、風に溶けるように。スルリと消えて行った。
そして1歩踏み出す。
欠伸をしながら、腰元の剣を確認する。
もう1歩、2歩、3歩。
……やがて、炎の光が照らす範囲から抜け出ると。
トントンと、靴の先で地面を叩いた。
「おい」
そして虚空に向かって言葉を放つ。
「覗き見とは、いい趣味だな」
言葉はしっかりしていた。それは今まで眠っていた者から出るような語調ではなかった。
「鬱陶しくて、眠れやしねぇ」
言って笑うカーキッドに、野宿、そして傍らに姫を置いて眠る意志が本当にあったのかは別として。
「出て来い。眠気覚ましに、」
相手をしてやる。
言うが早いか、虚空よりヒュッと何かが飛来した。
カーキッドは僅かに首をひねってそれをかわす。それはそのまま、音を立てて木に突き刺さった。
針。だが普通のそれよりも随分太く、長い。刺されば場所によっては致命傷。
そしてそれはまっすぐ、彼の目を狙われていた。
カーキッドは笑った。
「面白ぇ」
彼が剣を抜き放つと同時、頭上の木の間から黒い者が襲い掛かってきた。
全身黒。目の部分のみが見えるその者は。
短剣かざし、カーキッドに打ちかける。
カンと、一撃目、カーキッドは鞘で受け止める。
それを見越して、黒装束のそいつは体をくねらせ、もう一方の手に握られた短剣を横から突き立ててきた。
それは抜き放った剣で受け止め、同時にカーキッドは上体をひねる。蹴りを叩き入れる。
入った。いい感触。あばらはもらった。
だが後ろへ逃げたそいつの代わりに、別の黒装束が躍り出る。今度は3人同時。
それぞれが2本の短剣を同時に使う。それをカーキッドは1本の剣で起用に受け止め、流す。
木の裏へ逃げ、そこから反転させ下段から1人のアゴ先へと一閃入れる。
掠めたのみ。でも血は吹いた。しかし返す刀で隣の黒装束へと裏蹴りを入れる。
そんな最中にも、針が飛んでくる。
頭を落とし逃げ、ついでに前方の黒装束の足を切る。
「グギャァ」
「騒ぐなうるせぇ」
心臓に、一突き立てる。
その隙に、彼の後ろから切り込んできた者を。突き刺した黒装束が持っていた剣を奪い、眼光切り裂く。
そのまま喉元へと。とどめ。
その間に自分の剣を抜き放ち。
落ちていた短剣を取り、木々の間へ投げ放った。
悲鳴と、何かが転げ落ちる音。
地を這うように走り来る黒装束の一刀を受け止め、そのまま押し倒す。
左からの二手目はもう想像の範囲内。腕ごと切り落とす。
悲鳴は上げさせない。口に剣を突き立ててやるから。
「……さて」
カーキッドはため息を吐き、背後を振り返った。
「後はお前だけだ」
まともに動けるのは。
ニヤリと笑い、剣を向けた。
「何者だ?」
俺達が何者か知った上での事か?
「……」
だが黒装束は答えない。
そして剣を構えるわけでもない。両手はがら空きの棒立ち。
それでもカーキッドは思った。
こいつはできると。
「答えろ」
ゾクリとする。背筋が。
唇を嘗める。
「でなくば」
「――」
剣を構える。その身から強烈な剣気が噴出した刹那。
黒装束は、逃げた。
まるで鳥のように森の中へと飛び退り、そのまますぐに気配は消えて行った。
「……チ」
カーキッドはそれを追わなかった。ただ舌を打ち、気配の消えて行った方を睨んだ。
息があった手負いも、いつの間にやら姿を消している。
「つまらねぇ」
そう言いつつも。
その顔には、ギラリと光るような笑みが浮かんでいた。
剣についた血をぬぐい、オヴェリアの元に戻る。
その姿勢は変わらぬまま。彼女は寝入ったままだった。
カーキッドは呆れたように眉を上げた。
(あの殺気の中で寝ていられるなんざ、)
やっぱり只者じゃない。そう思い、改め彼女の隣に腰を下ろした。
◇
「夜襲?」
「ああ」
翌朝。
目を覚ましたオヴェリアは、すでにカーキッドが起きて朝食の準備をしてくれていた事に驚いた。
昨日のスープの残りと、非常食のパン。
城にいた頃には比べようのないほど質素なものではあったが、気にならなかった。温かく、おいしかった。
ただ、異性と2人だけで過ごした事がなかったオヴェリアは、寝顔を見られてしまった事に少し恥ずかしさを覚えた。それにより無言でスープを飲んでいたのだが。
昨晩の事を知らされ、彼女は目を丸くしてカーキッドに聞き返した。
「一体誰が?」
「さぁ? 俺も聞きてぇ」
「……」
「王女誘拐、もしくは王女暗殺」
「そんな。もう私が旅に出ていると知れて?」
「どちらにせよ、てめぇが当代白薔薇の騎士≠ノなった事は、先刻の大祭で公になっちまってるだろうが」
「……」
「その上で暗殺を企てるような輩も中々度胸があるって話だ。しかもあれだけひっそりと王都を出て、ろくな護衛もない。普通に考えたらどうかとは思うがな。まぁ、今頃ハーランドは、お前がいなくなった事でてんやわんやだろう。それで知れててもおかしくはないが」
「……一体、誰が」
「どちらにせよ、この先名乗る時は偽名を使おう。カイン・ウォルツでいいだろう。俺もカインと呼ぶ」
カーキッドはそう言い、胸元から煙草を取り出した。
その様子を見、オヴェリアは少し目を伏せた。
「私の、命……」
「どうだか知れん。ただの盗賊・夜盗かもしれん」
と言いつつ、それは違うとカーキッド自身がわかっている。
(あれはプロだ)
言うなれば……暗殺の。
あの針状の武器、あれと同じ物を見た事がある。
姫の命を狙い、その腕前を知った上で仕向けた人材か?
「まぁ、ただ、いつも気を許すな。いいな?」
「……はい」
確実に、奴らは2人の行動を見ていた。
だが視線に気づいたのは夜になってからの事。
(様子を伺っていた?)
俺達が、狙いの獲物かどうか――?
だとしても、だとしなくても。
(また来るだろうさ)
そう思い、カーキッドはニッと小さく笑った。
「あの……カーキッド」
「あん?」
「……昨晩は、ありがとう」
「何が?」
「もし、彼らの目的が私の命だったとしたら……助けてくれて」
モゾモゾと言う彼女に。
カーキッドは少し眉を上げて鼻で笑った。「馬鹿」
「俺はただ、俺の安眠を妨害する奴を始末しただけ。お前のためじゃねぇよ」
「……」
「俺はお前の護衛じゃない。俺は俺の目的があってお前と同じ方向に向かっているというだけ。いいか、勘違いすんな? 俺に守ってもらおうなんて思うな。てめぇの命はてめぇで守れ」
「……はい」
少し、強く言い過ぎたかな? と欠片に思ったけれども。カーキッドは構わず煙草を吹かした。
そしてその時であった。
人の話し声が、聞こえてきた。
カーキッドはすぐさま火を消し、辺りを伺った。
男だ。男の笑い声がする。1つ2つではない。
「6……7か?」
手早く荷をまとめ、様子を伺いに行く。オヴェリアもその後ろに続いた。
そして。木立の向こうの獣道を、男達が歩いていくのが見えた。
「盗賊か」
ポツリと呟いたカーキッドの横で。オヴェリアは「あ」と声を漏らした。
猛獣のような毛皮を着た男達が肩に担いでいた物は。
女だったのである。
それも、見える限りで3人。
ただ事ではない。即座そう感じたオヴェリアは。
「面倒くせぇ。やり過ごしてとっとと先行くぞ」
そう言ったカーキッドの声を完全に無視し、彼らの前に躍り出たのである。
馬鹿っ、と彼が目を丸くするのと、彼女が剣を抜き放ったのは同時だった。
「その女性、どうした」
「あぁ? 何だてめぇは」
「答えろ! その人たちをどうするつもりだ?」
盗賊たちにそう叫ぶオヴェリアに。
カーキッドは深くため息を吐き、
「……どくせぇ」
まったく気乗りせぬ様子で、彼女の元へと歩いていった。
その足取りは、昨晩とは別人のそれ。不承不承を絵に描いたようなものだった。