『 白薔薇の剣 』

−最後の王女の騎士録−

 

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 第2章 『暁の森』 −2−

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 剣を。オヴェリアはじっと構えていた。
 睨むは盗賊。
 そしてその肩に担がれた女たちを見つめた。
 3人。気を失っている様子。誰も身じろぎ一つしない。
 だが何よりオヴェリアの魂を揺さぶったのは。
 その衣服が、乱れていた事。
 半裸。
 ギリと、我知らず彼女は歯を食いしばった。
「その娘達、置いて行け」
「てめぇ、さっきから何だ」
「置いて行けッッ!!!」
 いよいよ握る指に力がこもる。
 真っ向睨む彼女を前に、だが賊の一人は高らかに笑い始めた。
「お嬢ちゃん、その剣で何をしようって?」
「俺達6人を相手にしようってか」
「危ない危ない。ひゃっは、怪我するぜ?」
「……よく見りゃこりゃ、中々の上物じゃねぇか」
 値踏みするように彼女を上から下まで眺め、下卑た笑みを浮かべる賊連中に。一層、気高くオヴェリアは激怒した。
「女達を置いて去れ。さもなくばただでは済まさん」
 そう言ってジリと足場を固めたオヴェリアを、背後からカーキッドは少し苦い顔で見ていた。
「この女も頭の元へ連れて行く」
「いいか、顔は傷つけるな」
 前列にいた盗賊たちがパッと腰元のダガーを抜いた。
「……だから、関わるなっつったんだ」
 こんな、雑魚連中。
 今オヴェリアから放たれてる剣気すら、感じる事ができない連中など。
「後ろの男は殺せ」
「おう」
「……おいおいおい」
 襲い掛かってくる盗賊連中に、カーキッドは非難の声を上げた。
「俺は別に何も言ってねぇんだけど」
 オヴェリアが、1人目のタガーを剣で受け流す。
 カーキッドへと刃を向けた盗賊は。
「あー、面倒くせぇ」
 と言いつつも、剣を向けられれば。
 この男の目が、ギラつかないわけがない。
 言いながらも口の端に笑みを浮かべ、剣を抜かぬまま、切り込んでくる彼らを軽いステップでかわし翻弄する。
「このッ!!」
 焦れてきた盗賊がいよいよ滅茶苦茶に切っ先を振り回そうとした時。
 カーキッドの目の色が変わった。
 パッと、瞬間的に腰の剣の柄を掴むと、そのまま一気に抜き放ち。
 首を。叩き落そうとした――その間際。
「カーキッド、殺すな!!」
「――ッ」
 オヴェリアから飛んできた声に、カーキッドは呆気に取られた。
「何?」
「絶対に殺すな。いいな!!」
「……おいおい」
 それでカーキッドは完全に士気をそがれた。
 剣から手を離し、切り込んできた奴を蹴飛ばす。背後から突っ込んできた者は投げ飛ばし、蹴りも入れておく。
 オヴェリアの方は剣の腹を使い、うまくのしていっていた。
「コノヤロ」
 言いかけた盗賊の鼻先に、剣の切っ先を突きつけ。
「もう1度だけ言う。去れ」
「……ッ」
「去れッ!!!」




 盗賊たちは互いに肩を貸し合い、女達を置いて去って行った。
 その際全員が、恨みのこもった目で2人を見て行った。
 それを見やり、カーキッドはため息を吐いた。
「知らねぇぞ」
「……殺しておいた方がよかったと?」
「さぁ?」
 肩をすくめたカーキッドに、オヴェリアは眉間にしわを寄せて言った。
「何でもかんでもすぐに剣を振り回し、斬ればいいという物ではない」
 いや、最初に抜刀したのはお前だろう?
 言おうとしたが、オヴェリアから放たれる高貴なる気配に、カーキッドは二の句が告げられなかった。




 しばらくすると、女達の目が覚めた。
 彼女達は一瞬、目の前にいるオヴェリアとカーキッドの姿に怯えて逃げようとしたが。
「心配ない。奴らは追い払いました」
 盗賊たちが逃げていった旨を話すと、ようやく、少し安堵の表情を見せた。
 それにより事情を聞くと。
 彼女達はこの先にある村の娘だという事だった。
 村を襲う盗賊たちの要求により、村を荒らさない代わりと差し出されたのが彼女たち3人だという事だった。
「村まで送りましょう」
 泣いて礼を繰り返す娘達に、オヴェリアは少し照れた様子でそう言って笑って見せたが。
 カーキッドは興味なさそうに、荷支度をしていた。
 それをオヴェリアは少し意外な心持ちで見ていた。
 ――そして、村人たちは戻った娘達に最初は戸惑いと驚きを隠せない様子だったが。
 事訳を聞くと、オヴェリアとカーキッドを大歓迎で迎え入れてくれた。
 さらわれた娘たちが家族と抱き合い再会を喜ぶ姿を見、彼女は心底安堵した。
「女性のご身分で奴らを蹴散らしてくださるとは!! 何と心強い!!」
「何もない村ではありますが、是非ともしばらくご逗留願いたい」
「いえ、先を急ぐ旅の身ですので」
 オヴェリアは困った様子でそう言ったが、村人に強く強く懇願され。
 結局その日は1日、そこに留まる事となった。




  ◇

「よい村ですね」
 王都を出て以来初めて過ごした、安穏たる1日。
 それにオヴェリアは心底安らいだ表情でそう呟いた。
 ――その夜の事である。
  夕食にと、村長の家に招かれたその帰り道。オヴェリアとカーキッド、2人で村を歩きながら。彼女は満足げにそう呟いた。
 王宮の物とはもちろん比べようがないが、目いっぱい料理と感謝の気持ちは痛いほど伝わってきた。それだけでオヴェリアは、充分心くすぐられる思いだった。
 さらわれた娘達もその席におり、笑顔を見せていた。それを見て、オヴェリアは本当によかったと改めて思った。
「作物の実りもいい、のどかで優しい。……いい村です」
「……」
 宿までの道。オヴェリアの言葉に、カーキッドは答えなかった。
 夕食の席でもそうだった。彼は一環して無口を貫いていた。
「こんな村を襲うなんて。あまつさえ、娘を要求するなど」
 眉間にしわを寄せたオヴェリアに、カーキッドは初めて口を利いた。
「こんな村、だからこそじゃねぇか?」
「え」
「明日の早朝発つぞ」
 唐突な物言いに。
 オヴェリアは怪訝な顔をした。「なぜ」
「そんな……慌てずとも、」
「あぁ?」
 カーキッドは彼女をひと睨みする。「馬鹿かてめぇは」
「一刻を争うんじゃねぇのか?」
「……しかし、」
 今少し、滞在してくれと村人達は言っている。理由はわかっている。盗賊たちの報復を恐れているのである。
 それがわかっているからこそ、オヴェリアも渋る。
「今日の明日というわけでは、」
「話にならねぇ」
 オヴェリアはムッと顔を歪めた。
「しかし、あなたもわかるでしょう? 彼らが抱えている不安が。もう2、3日様子を見ても、」
「2,3日様子を見て、何が変わる?」
「……」
「このまま北へ行けば第三街道に出る。そこから北進する。出立は明日だ。曲げねぇ」
「……」
 一方的なカーキッドの態度に。
 オヴェリアは立ち止まり、初めて声を荒げた。
「なら、あなたはあの時彼らを殺しておけばよかったと?」
 カーキッドは答えない。それが一層、オヴェリアのかんさわった。
「悪しきと認めれば、すぐに斬り捨てろと? 遺恨を残すなら斬れと? それが剣士たる所業だと?」
「……うるせぇ」
「そんなの間違ってる。障害はすべて斬り倒して前へ行く、そんな未来に幸があるとは思えません」
 カーキッドは、大業にため息を吐いた。そして、
「理屈じゃねぇよ」
「……、」
「ただ」
「……何」
「……うんにゃ」
 その先は言わず、カーキッドは視線を逸らした。
「出立は変更なし。滞在は今晩一晩。明日村を出る」
「……」
 オヴェリアは、形のいい唇を噛み締めた。
 そして仕方なしに空を見上げた。
 星は満天。
 今夜は月が、やけに光っている。




 ――不服。
 その夜オヴェリアは、どうしても寝付けなかった。
 体はこの数日の酷使に疲れ切っているというのに。
 胸をたぎるのは、黒い感情。
 怒り。
 それが沸き立ち、焦がし、眠れない。
 ベットは固い。でも地面で眠るのとは雲泥の差だ。
(カーキッド・J・ソウル)
 剣の腕は立つ。それは認めている。
 だが。
(……)
 何度目かの寝返り、オヴェリアはうっすらと目を開け思った。
 あんな人間、今まで彼女の周りにはいなかった。
 まず、自分にあんなふうに口を利く人間など。
 姫様、オヴェリア様 と傅かれて育った彼女に対して、
「てめぇ」
 と物を言う人間など皆無だった。
 対等か、むしろ小馬鹿にしたようなあの口調。
 だが彼女が抱いたのは怒りよりも驚き。オヴェリアにとってカーキッドのその口調は新鮮で、無垢な彼女には内心、喜びのような感情も浮かんでいた。
 自分にあのように物を言う人間。
 あり得ない、ありようも得ない。初めて一人の人≠ニして向き合ってもらえたような喜び。
 ……しかし。それとは別に。カーキッドという男は。
(……)
 淡白? 無情か……?
「2、3日くらい、」
 いいではないか。
 もう安全だと認められるまで、いいではないか。
 初めてだったのだ。あんなにも感謝されたのは。
 姫として生まれ、育てられてきた。それ以上も以下も望まれぬ城という箱の中で。
 目を盗むようにして鍛えてきた剣技が。
 こんな形で誰かの、役に立ったのは。
『剣は殺生の道具』
 かつて彼女に、師である武大臣グレン・スコールはそう言い聞かせた。
『されど、それのみにあらず。人を、物を壊す域でとどめるは、本当の剣技にあらず』
 何かを壊す道具。されどその先に、何かを生かしてこそ、本当の意味でその技は価値を持つ。
『力は、人を虐げるために持つ物ではない。それでもって自分ではない誰かを生かす事。誰かを守るそのために力を振るう、それを学びなさい、オヴェリア姫』
「……」
 人を生かす剣。
 だから、彼女は。
(……やっぱり、)
 明日発つなんて、できない。
 もう少し、もう少し……。
 王女としてではなく、向けられた無数の笑顔が脳裏に浮かんで。
 オヴェリアはきゅっと口の端を結んだ。
 明日カーキッドに言おう。そう心に決めた。
 そして改めて目を閉じ、眠りへと向かおうとした刹那。
 ドンドンドンと、乱暴に部屋の戸が叩かれた。
 咄嗟にオヴェリアは剣を引き寄せ起き上がったが。
「おい!! 俺だ!!」
 たった今まで思い浮かべていたその男の声がして、オヴェリアはビクンと肩を震わせた。
「起きろ!!」
 この村に入ってほとんど沈黙を守ってきたカーキッド。その男がこれほどの剣幕で怒鳴っている。これはただ事ではない。彼女は慌てて上着を羽織り、戸を開けた。
 王宮の自室の扉に比べたら、これが本当に扉かと疑いたくなるほど軽く薄っぺらい物であったが。
 これが扉。
 これが、城の外にある、本当の世界。
「何か、」
「様子がおかしい」
 まさかあの盗賊の夜襲!? 身構えたオヴェリアに。
「剣士様、剣士様!!」
 2人の元へ、村人が数名、転がるように走ってきた。
「起きておみえで」
「どうした、何があった」
「それがっ」
 息を切らし、村人の一人が声を震わせながら言った。
「山向こうにある村から人が、逃げてきて。向こうが、羽蟲はむしに襲われてると」
「羽蟲!?」
 首を傾げたオヴェリアを他所よそに、カーキッドは強く眼光を光らせた。
「すぐに行く」
「――かたじけない」
 足早に部屋に戻っていくカーキッドを、オヴェリアは慌てて追いかけた。
「カーキッド」
「お前はここに残ってろ」
「……羽蟲とは?」
 オヴェリアの問いに、カーキッドは少し目を丸くした。
「王女様は知らんのか」
 揶揄するようなその言い方に、彼女は少しムッとした。
「最近急激に頻発している事象さ」
「……?」
「人食い蟲だ」
「――!」
「野生のギョウライチュウ。それが変異してな。最近、里に降りて人を襲うのさ」
「……そんな、」
 知らない、とオヴェリアは眉間にしわを寄せた。
「姫様の耳に入れるような事じゃぁないだろうな」と言って、カーキッドは鎧を着込んだ。
「元々はもっともっと北の森に生息する大人しい生き物だったんだ。……こんな所にまで出るようになったのか」
「……」
「山向こうか……とにかく急ぐか」
 一人呟くカーキッドに。
「私も行きます」
 オヴェリアはそう言い放ち、自室へと駆け行く。
「残ってろ!」
 と叫んだが。
 ――数刻。カーキッドが出立する時にはもう、用意を済ませた彼女はピタリと彼の側にいた。
 それに、カーキッドはあからさまに舌を打った。
「村まではどれくらいだ」
「そう高くはない山ですが、裏道を使っても大人の足で3時間」
「1時間で行くぞ。いいな」
 カーキッドはオヴェリアに言った。
「遅れても待たん。置いて行く」
「結構です」
「……フン、上等」




 夜半過ぎ。
 そうして2人は、村を飛び出した。

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