『 白薔薇の剣 』
−最後の王女の騎士録−
第5章 『鈴打ち鳴りて、閉眼の錠』 −3−
オヴェリアとカーキッドが宿に戻ったのは、デュランと別れてから少し後に事であった。
「飲みすぎるなよ」
何度も何度もそう言ったお陰か。今日は自分の力で宿まで戻れたオヴェリアであったが。
部屋に戻り、カーキッドが汗を流すために浴室に入り……出た頃にはもう、彼女は寝台に突っ伏すように寝入っていた。
その様は到底、姫様とは思えぬ。
カーキッドは嫌そうな顔と苦笑の中間を行ったり来たり表情に浮かべ。
仕方なく、きちんと寝台にその身を横たえてやった。
着替えはさせない。そこまでは知らん。受け持てない。
「……ったくよぉ」
呟きながら、彼も、もう1つの寝台に足を組んで座る。
寝息を立てる姫様を眺めながら、カーキッドは思った。
(今日は)
姫様は、うまいから飲んでたというよりは。
無理に飲んでた。そんなふうに見えた。
「……」
酒量は多分この前とそうは変わらない。
少し考え、やがてカーキッドも横になった。
窓から月が見えた。今宵は半月だった。
それを逆さに眺め、目を閉じた。
ラーク公の元へは明日の朝行こう。
果たして突然の面会に、会えるかどうかはわからない。
(なるべくなら、オヴェリアの事はさらさずに進めたいが、)
多分無理だろう。
王女の来訪、その理由がなければ会えない。
あの石は何だったのか。
そしてなぜ盗んでまで手に入れたのか。
……カーキッドにはわかっている。自分が関わる事ではないという事は。
(だが)
理屈ではない。
ただ……におうのである。
何か、無性にきな臭い、……言うなれば。
嫌な予感。
――眠りに落ちる間際まで、カーキッドは考えていた。
だが彼の場合嫌な予感も、胸を躍らせる一つの欠片。
眠りに落ちる彼の口元は、ほんのりと笑みを浮かべていた。
面倒ならばぶった斬る。
単純明快な考えしか、彼の中にはなかった。
そして。
……異変は、カーキッドが浅い夢の中を漂っている最中に起こった。
まず最初、彼は音によって目覚めた。
カーキッド・J・ソウル。戦場を寝床としてきた彼の眠りは常に浅い。音一つ、気配一つで彼の意識はすぐに覚める。
まして、ここに至る道でのあの奇襲。
油断できるわけもない。
聞こえた音に、カーキッドはハッと目を覚ました。
すぐにそのまま辺りの気配を探る。部屋には……侵入者の形跡はない。
だが。
「う……」
その音の出所はすぐにわかった。オヴェリアだった。
何だこいつの寝言か……と一瞬肩をおろしかけて。
すぐにカーキッドは気づく。
「うぁ……ああぁ……」
うなされている。
「オヴェリア」
彼女は眠りの中にいる。呼んでも気づかない。
だが彼女は呻いているのだ。
「いや……いや……ぁぁあ……」
「おい、オヴェリア」
その様子が尋常じゃなく、カーキッドは彼女を覗き込んだ。
「オヴェリア、おい、オヴェリア」
「ぅぁ……ぁぁ……」
「オヴェリア、」
「ぁ……ははぅぇ……」
母の名を。
彼女は空ろに呼んだ。
その閉じられた瞳から涙がこぼれた。
カーキッドはそれを見て、目を細めた。
「オヴェリア」
肩を掴んで。少し、揺り起こそうとした時。
ハッと、彼女の目が見開かれた。
月の明かりだけでもその瞳は、青に光を放ち。
カーキッドは一瞬、時が止まったようにそれに見入った。
……だが。
夜。
2人だけの部屋。
目を覚ましたら目の前に男がいて。
それも、自分の肩を掴み、覆いかぶさるようにしていたら。
「かっ、」
オヴェリアが、驚かないわけがない。
そしてカーキッドも、自分の置かれた現状を悟り、顔を引きつらせた。
風呂場で平手打ちにあった頬はまだ痛む。
「い、いやっ」
彼女の口元からまたしても叫び声が上がろうとしかけたその時。
「――待て」
と、カーキッドはその口を乱暴に塞いだ。
「!?」
男の、大きな手。
それにオヴェリアは目を白黒させたが。
「……何か、聞こえる」
「?」
「……笛の音か?」
外から。
確かに。オヴェリアの耳にもピー……という音は届く。
そして、何やら走るような音も……。
「何?」
カーキッドの手がどけられると、ほんのり顔に寒さを感じた。
彼の手が随分と温かかったと気づく。
「夜周りの警備兵か?」
「何かあった?」
「さぁ?」
だがすでに、カーキッドは身支度を始めている。その顔は薄く笑っている。
彼のその様子に、オヴェリアは少し呆れた。
「放っておけばいいのに」
「まぁな。お前はここで残ってろ」
「……」
そうしたいのは山々だけど。
「行きます」
「物好きだなお前も」
「……あなたに言われたくありません」
それに、とオヴェリアは心の中で続ける。
――今夜はもう、眠れそうにない。
体がジトリと濡れている、その感触と。胸にこびり付いた映像。
「カーキッド、」
「あん?」
剣を手に取りながら、オヴェリアは尋ねた。
「……私、何か言ってましたか?」
「あ?」
「……いえ、」
うなされていた、その事を。
カーキッドは口にしなかった。
「行くぞ」
宿から出て、2人は町を走り出した。
仰ぐと空は、東から徐々に色を薄め始めている。
日の出は遠くない。だが充分に辺りは暗い。
それでも通りが見えるだけましとも言える。
カーキッドが走り出す方向へ、オヴェリアも走った。
気を抜けばすぐにおいていかれそうになる速度。彼女は懸命に走った。
そして直に、建物の影に身を潜めるように止まったカーキッドの向こう。
走り行く、兵士の姿が横切った。
「あれは、」
「衛兵……か」
呟く2人の元に、彼らの会話は聞こえてくる。
「いたか!!」
「探せッ!!」
「急げッ!!」
ただ事ではない。2人は息を呑んだ。
「一体何が……」
「行ってみるか?」
「?」
「ラーク公の屋敷」
「……」
大まかな場所はもう、宿で尋ねてある。方向はわかる。
「そう、ですね」
彼女が答えるや否や、カーキッドは走り出した。
――そして、ラーク公の屋敷。
町の中心に位置するそこの周りには、衛兵と同時に騎士服の者も多く集まり。
開け放たれた門の向こうには爛々と、かがり火も焚かれていた。
「……んだよこりゃ」
場に明らかに漂う緊迫感に、カーキッドは薄く笑った。
「あ、おい見ろ」
物陰からその様子を見る2人は、居並ぶ兵士の中にその顔を見つける。
「捜索の範囲を広げろ!!」そう叱咤していたのは。
石を奪った戦士の1人。筆頭と言った方がいいのか。
「ランドルフ、だったか?」
オヴェリアは目を見開いた。
その時である。
「貴様ら、ここで何をしている!!」
背後から飛んできた鋭い声に。
瞬間、カーキッドは身を翻した。
「……ッ! 貴様はッ」
「おっと、また、見覚えのある顔だな」
カーキッドが答える間にも、相手は抜刀した。
石を盗んだ戦士のうちの1人だった。
「お前も騎士だったか」
「貴様らッ、まさか我々を追って」
打ち合い必至、その局面で。
オヴェリアは「待て!!」とそれを制した。
「一体何があった、この様相はどういう事だ」
「……ッ」
「確かに我々はそなた達を追ってきた。だがこの状態は、」
「問答無用ッ!!」
襲い来る騎士に、カーキッドは舌を打ちながらオヴェリアを跳ね除ける。「邪魔だっ!!」
「カーキッド!!」
それにしたたか壁に身を打ちつけながらも、オヴェリアは叫んだ。
「うるっせぇ!!」
ガキーンッ!!
第一刀まみえ、返す刀で第二刀の金属音が通りに木霊 する。
その音を聞きつけた衛兵達が、驚いた様子で駆けてくる。
それにオヴェリアは眉間にしわを寄せながら、「待て!!」と声を張った。
「我ら、他意はない!! そなたらに危害を加える者ではないッ!!」
だがそう言いながらも彼女の連れは、喜色満面で騎士と打ち合いをしている。その鋭い横薙ぎに、騎士はたまらず吹っ飛ばされた。
「サーク様!!」
その様を見た衛兵が、刹那に抜刀する。オヴェリアに打ちかけてくる。
それに、彼女は不承不承剣を抜くより他ない。
「やめろッ!!」
言いながらも叫ぶ。
「我々はッ!!」
だが一気に押し寄せる5人の兵士に。
言葉呑み込み、オヴェリアは目尻にしわを寄せた。
だが、5人だろうが何人だろうが。雑多の兵士に彼女が捕らえられるわけがない。
その剣は、目下、この国最強の称号を持つ物。
疾風の一薙ぎ。風が吹いたとしか思えないそれ。
だがその一閃に、5人のうち3人はたたら踏んだ。
「!?」
そして何が起こったかわからないままに、己の皮の鎧に剣戟の跡がついている事に気づく。
それもザクリと。
残り2人はそれをかわしたが。次の瞬間、下から斜めに振られた剣に、足を取られる、肩を取られる。
「ギャッ!!!」
刃を立てていなくても。疾風たる彼女の剣で無傷でおれるわけがない。
兵士があげる悲鳴にオヴェリアは一瞬ビクリと肩を揺らしたが。どうにかこらえて、剣を構える。
「退けッ!!!」
この場、ここで彼らと戦う理由はない。
(退かせる一手は一つしかないか)
オヴェリアは目を細める。
「聞けッ!! 我はハーランド王が娘、」
正体を明かすしか――そう思い、高らかに言い放とうとした時。
「全員退けッ!!!!!」
彼女に代わって、彼女よりも大音量で叫ぶ者がいた。
カーキッドではない。驚きオヴェリアが振り返るとそこには。
「ランドルフ様……」
「全員剣を収めよ。この2人、剣を交える相手にあらず!!」
「……てめぇ」
「そなたもだ、黒の剣士」
言われ、この場で一番剣を振るっていたカーキッドにランドルフは言った。
「剣を収めよ。各自持ち場に戻り、捜索を再開せよ。急げッ!!!」
「……ハッ」
ランドルフの言葉に、その場にいた兵士達は去っていく。怪我人も担がれ、屋敷の中へと走り去って行った。
その場、一応に事態は収拾する。だがカーキッドは面白くなさそうだった。
「また会えたな」
「……そなたら、」
とランドルフはカーキッドを見、そしてオヴェリアを見下ろした。
「……」
「何の騒ぎだこりゃ」
「……貴殿らに関わりはない」
そう言って2人に背を向けた彼に。
「ランドルフ殿」
オヴェリアが言った。
「先日の石が関係しているのか?」
「……」
男は答えなかった。
だが彼女は構わず続けた。「これは尋常ではない」
「何を探している?」
「……何度も申し上げませぬ」
「この地で何が起こっている!?」
「……」
「答えよ、ランドルフ」
オヴェリアは言った。その口調は。
王位の、それだった。
「……」
ランドルフは彼女を向き直り、少し目を見開いた。
「やはり、あなた様は……」
「……」
「……屋敷へ。ご案内致します。わが主の元へ」
ランドルフの後を追い、ラーク公の屋敷の中へ向かう。
オヴェリアは神妙な顔なれども、カーキッドはいささか不満げだった。
その顔にははっきりと、彼の心が浮かんでいた。
公爵様の謁見なんぞ面倒くせぇだけだ。
それより今は、やっと見 えたこいつと、剣を交えたいのに……と。