『 白薔薇の剣 』

−最後の王女の騎士録−

 

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 第5章 『鈴打ち鳴りて、閉眼の錠』 −6−

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「……あーあー、やっちまった」
 ため息を漏らしながら。しかしカーキッドは満足そうにそう呟いた。
「お前はまったくよぉ」
 斬るな斬るなと人に言うのに、おいしいトコは持って行くじゃねぇかよ。
 ……そう言おうとして、気づく。
 カイルを斬った、オヴェリアは。地面に膝をついたまま動かず。
「ハァ、ハァ……」
 荒い息をしたままじっと、地面を見つめていた。
 その背中が語ってる。苦痛と、
 ――覚悟。
「……」
 カーキッドはそれを見つめ、やがて鼻から長く息を吐いた。
 そしてその肩をポンと叩いた。
「お疲れ」
 ……それにしても、とカーキッドは今倒れたばかりの獣人を振り返る。
 体に密集する針のような体毛を見、そして頭部を見る。
 閉じられた双眸とその顔は、だがむしろ穏やかに見えた。
 ――そう見たかっただけか?
 それは、生者のエゴか?
「カイル様……」
 そしてその亡骸を前にランドルフは。
 呆然と。へたり込んだままその末路の姿を見ていた。
 頭を垂れるその姿に、カーキッドは目をそむけた。
 腹立たしい思いはある。ここでぶっ飛ばしたい気持ちもあった。
 だがそれ以上に。
 見たくない。そう思った。
 目をそむけたカーキッドの代わりに、デュランがそっとランドルフに近づく。「ランドルフ様、」
「うな垂れてる場合ではございますまい」
「……」
「あなたには、すべき事があるでしょう?」
 ゆっくりと諭すその瞳が、すっと向けられた彼方。
 馬車の傍で、膝を付いて。テリシャは泣いていた。
「姫」
 慌てランドルフは彼女へ駆け寄る。
「やれやれ」呟きながら、デュランは今度はカーキッドを見た。
「貸しです」
「……あん?」
「先ほどの援護」
 デュランはニコリと笑って、地面に落ちた護符を拾った。
 カーキッドは心底嫌そうに顔を歪め舌を打つと、デュランに背を向けて剣を鞘に収めた。
「オヴェリア様、大丈夫ですか?」
 デュランがオヴェリアに声を掛ける。
「……大丈夫」
 テリシャがランドルフに肩を抱かれるのと。オヴェリアが1人で立ち上がったのは同時だった。
 彼女は立ち上がると最初に、カーキッドを見た。
 彼は仏頂面のまま、少し面倒くさそうに頬を掻いた。



  ◇


 それからすぐに、カイルの遺骸はそこから移される事となった。
 住民にこの有様を見せるわけにはいかなかった。
 デュランはその様を一部始終見届け、オヴェリアもそれにならった。
 ……ひとまずラーク家の屋敷に移された所で、
「テリシャ様、お話が」
 改め、デュランがそう言った。




「……このたびは、わが主のために、」
 客間に居並ぶのは、オヴェリア、カーキッド、デュラン。
 テリシャは深く頭を下げた。その顔は憔悴しきっていた。
 最後に部屋に入ってきたのはランドルフ。彼はテリシャの様子を見、心を痛めた様子で彼女の脇についた。
「その話は。それよりもテリシャ様、今一度お聞きします」
 ピシャリとそう言い放ち、デュランが口を開く。
「カイル様はいずこへ行かれた? どこより帰還して後、あのような事に? 手紙の主は誰でございますか?」
「……」
 だが尚も答えぬ姫の様に。
 デュランは少し、彼にしては珍しく苛立った様子で息を吐いた。
「ならば申しましょう。あなたの御子にかけられた呪い……あれは、禁じられたいにしえの術法」
 テリシャが顔を上げる。その目をじっと見つめ、デュランは告げる。
「暗黒の魔術だ」
「……ッ」
「昨晩は簡単に申しましたが、私はこう言いましたね? 赤子にかけられた魔術は、徐々に喉が閉じて呼吸ができなくなっていく物だと。それが何を意味するかお分かりか?」
 息が、できなくなっていく。
 ジワリジワリと時間をかけて。
 この世界に溢れる空気を、搾り取るようにしか吸えなくなっていくその様。
 最後にあるのは、ただひたすらの苦悶。
 いわんや、
「古代、拷問に使われた魔術ですよ」
「――ッ!!」
「……今から数百年前、魔術は栄えた。だが同時に生み出された物の中には人道に反する物も幾つかあった。その中から特に秘密裏に生み出され……際立って人道に反するとされた魔術。悪魔との契約によって得られた禁断の暗黒魔術。その性質がゆえに禁忌とされ、使った者は即刻死刑とされたその魔術の中の1つ」
 それが、あなたの赤子にかけられていたものですよ。
 テリシャとランドルフ、そしてオヴェリアもが言葉を失う。
「その上、ラーク公のあの有様だ」
 人を獣に変えるなど。
「それも、まさか暗黒の魔術?」
 オヴェリアの問いに、デュランは少し考え首を横に振った。
「悪魔をも、凌ぐかもしれない」
「……?」
「テリシャ様、再度再度お尋ねします。誰ですか? そのような魔術を、しかも赤ん坊にかけるような輩はッ」
 怒りが。その声にはこもっていた。
 テリシャは全身震え始めた。それをランドルフが支える。
「私は、私は」
「テリシャ」
 そんな彼女をじっと、オヴェリアが見つめた。
 その瞳は青く透き通り。
「あ」
 波立つ心臓が、……その光に、少し、落ち着きを取り戻して行く。
「我が殿が行かれたのは、」
 促されるように。
 テリシャは言葉をつむいだ。




「北の、フォルスト」




「フォルスト」
 その地名に、オヴェリアは目を見開いた。
「フォルストの領主は……五卿の1人、カーネル様」
「書状には、宰相ドーマ様の印が。ゆえにカイル様はドーマ様を尋ねてフォルストへ」
「……」
 唖然とするオヴェリアの隣で、デュランは唸った。
「御子の命、カイル殿の命、そしてあなたの命……すべてのために、石を探せと。そのドーマという者が命じたか」
 苦しげにテリシャは頭を下げた。
「それで問題の石は? まさかもう、」
「いえ……ただ、知らせを。昨晩のうちにすでに、早馬をフォルストに」
 現物はここに、と彼女は懐から包みを取り出した。
 布の中から出てきたのは、確かにあの時市で見た物だった。オヴェリアは少し安堵の息を吐いた。
「ならば追ってもう一報。石は教会に渡したとお伝えください」
 デュランの言葉に全員が目を見開いた。
「碧の焔石、竜の心臓……割ればそこから溢れた炎は大地を焦がすと言われている、そのような危険な物を、かような輩に渡すわけにはいかない」
 責任は我ら教会で追います。そう言って彼は手を差し出した。「こちらへ」
 その様をカーキッドは人事のように見ていた。
 だが、ここに1人人事では済ませられない者がいた。
「お待ちください」
 オヴェリア・リザ・ハーランド。ハーランド王の唯一の娘にして、
「その石、私が預かります」
 白薔薇の騎士=B
 オヴェリアの言葉に、デュランは心から驚いた様子だった。「何と」
「何を申されるか」
「その石は元々わたくしの物」
「?」
「すでに商人より買い取っております。現在の持ち主は私」
 あの時、市で。
 ……カーキッドは慌てて彼女を止めようとしたが、彼女は構わず続けた。
「その石をどうするかは、私が決めます」
「……ならばオヴェリア様、買値の倍お支払い致します。お譲りいただけないでしょうか?」
 オヴェリアはデュランを無視し、テリシャに言った。
「早馬を立ててください。石は直接お届けすると」
「――ッ!? まさか、」
 この時一番驚いたのはカーキッドだった。
「私が直接参ります」
「――」
「行って事の真偽を確かめます」
「待て待てオヴェリアッ!!」
 誰よりも早く非難の声を上げ、彼はオヴェリアに向かった。
「俺たちの役目は何だ!? オヴェリア」
 周りをはばからず、彼はそう言ったが。
「許せません」
 カーキッドに言葉を失わせるほど、彼女の目は怒りに満ちていた。
「あのような事。人を獣に変えるまど……しかも公爵を」
「オヴェリア、」
「カーネル卿は私の叔父です」
 その名を辱めるような真似、
「宰相ドーマ、私が直接問いただします」
 カーキッドは思った。最悪だと。
「それにカーキッド、私たちの向かうべきは北」
 フォルストも北。
「道は、たがってはいません」
 カーキッド・J・ソウル。彼は決して筆まめではないけれども。ここで初めて、武大臣グレンに手紙を書こうか思った。
 ……面倒くせぇ事になりそうだぞ、と。
「わかりました。石はオヴェリア様に託しましょう」
 渋々といった様子でデュランは首を振った。
「姫様、しかしそれでは姫様が危険な目に」
 悲鳴を上げるテリシャに。
 だがオヴェリアは優しく笑うのである。「私は大丈夫」
「私には屈強な共がいますゆえ」
「……」
「カーキッド・J・ソウル。彼がいるから、大丈夫です」
 ……そんな事言われてしまっては。
「……クソったれめ!」
 露骨に嫌な顔をしながらそっぽを向いた。
 だがその表情には半ば、諦めのようなそれも浮かんでいた。




  ◇


 出立間際。
「これを。道中でお食べください」
 宿に戻り荷をまとめ、もう一度ラーク家の屋敷に行くと。テリシャから包みを渡された。
 オヴェリアはそれを嬉しそうに受け取った。中から甘いにおいがもれてきていた。「ありがとう」
「必ず御子の元凶、断ち切って参ります」
「オヴェリア様、」
 テリシャは何とも言えない顔をした。
 その傍らでデュランが、
「私も御子の呪いを解いた後、フォルストへ向かいましょう」
 不満顔のカーキッドにできたのは、
「来んな」
 デュランにそう言う事くらいなものだった。
「オヴェリア様」
 いよいよ出発か、その状況で。
 テリシャはオヴェリアに問うた。
「あなたはなぜ、そんなにお強いのか……」
 意味がわからず、オヴェリアは首を傾げた。
「向こうは、人智を超えた術を使う輩」
 御身とてただでは済まないかもしれないのに。
「あなたはなぜそんなにお強いのか」
 ――羨ましいほどに。
 そう呟き、テリシャはすでに歩き出している傭兵の背中を見た。
 強く、そして自由に。
 その様子にオヴェリアは首を傾げてこう答えた。
「確かに私は、強さを求めて剣の技を磨いてきました。でも、手に入れたのは強さではなかったかもしれません」
「?」



「責任です」








「不思議なお方だ」
 オヴェリアが、先に歩く傭兵に向かって駆けて行く。
 2人、町を去って行く。
 その背を眺め、テリシャの傍らでデュランは呟いた。
「取り急ぎこちらは術払いの儀を行いましょう。カイル様亡き今、御子にどのような術がなされるかわからない」
 対魔術防衛の陣を張り、
「御子に対するでき得る限りの防御をして後、私もフォルストへ向かいます」
 私とて、捨て置けませんゆえ。
 ……言い置き、神父は屋敷へと消えて行った。
 残されたテリシャとランドルフは、彼方の空を眺めた。
「泣いてはおれませんね」
「……」
「私たちも戦わねば」
 そして彼女は「ランドルフ、」と言った。
「殿の埋葬の準備を」
「は」
「……ランドルフ、この後も、」
 私についてきてくれますか?
 無言でそう問いかけるテリシャに、ランドルフは頭を振った。
「このランドルフ、生涯、テリシャ様にお仕えいたします」
 あなただけのために鼓動打ち。
 あなただけのために剣を振るう。
 あの2人のように、肩を並べて歩く事はできないかもしれない。
 だが、
「行きましょう」
 テリシャはランドルフに微笑みかけた。



 消え行く姫の背中に背を向け。
 あの人のように強くなろうと。
 誓う。
 その鈴が、鳴り止むその日まで。
 秘めた思いを、胸に抱き。

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