『 白薔薇の剣 』
−最後の王女の騎士録−
第6章 『人売りの馬車』
碧の焔石。
見ていると不思議な気持ちになる。
中を覗けば確かにそれは、光が揺らめいているように見える。
石は、持つ物を火と水の災いから守り。
だが一度 二つに割れたなら。
中から炎が溢れ出し、大地は紅蓮に染まるだろうと。
(ならば、)
とオヴェリアは思う。
日にかざす、光は優しく彼女に降り注ぐ。
――1つの疑問に囚われる。
竜の命を宿した石。この石が眠っていたという竜の亡骸。
(それは本当に、)
死んでいたというのだろうか?
本当は眠っていただけで。
骨となり、土となってもその命は。
大地を守る、光となりて。
――彼女が石を眺めていると、カーキッドは少し面倒くさそうな顔をして、
「厄介な事にならなきゃいいけどな」
と虚空を睨むのである。
6
レイザランを出て2日。オヴェリアとカーキッドは北へと歩を進めた。
その最中、道は森へと続いた。
旧街道の1つだろうかとカーキッドは思う。道は、雑だが確かにきちんとならしてある。
そこをカーキッドは少し足早に歩いた。
その足取りはここまでで一番早く。オヴェリアは息を切らし、最後には小走りでなければついていけない程だった。
「カーキッド、待って」
ここまでただ1度も行った事なかった言葉を、オヴェリアはついに口にした。「ちょっと、待って」
だがカーキッドは彼女をチラと振り返り「急げ」と呟くだけだった。
レイザランを出てから、カーキッドは少し機嫌が悪い。
だがこの森の中の道に入ってから、それが一層増したように感じられた。
広い背中から放たれているのは……オヴェリアにもわかる、強い警戒心。
カーキッドは殺気立っている。
「カーキッド」
オヴェリアは彼に駆け寄り、少しためらい勝ちに問いかけた。「どうしたのですか?」
カーキッドは答えなかった。
前方、道はまだまだ続いている。森の終わりは見えない。
「とにかく急ぐぞ。さっさと森を抜ける」
「?」
「この道は、やばい」
こんな、四方を森に囲まれたような場所。
絶好の場所ではないか――つまり、襲撃するならば。
(俺ならここで狙う)
周りは森。木々の間からいつ何時襲い掛かられるともわからない。
ましてそんな場所では野宿もできない。
確かに刺客に狙われているとわかっている今、ここはあまりにも危険な場所。
(俺だけならまだしも)
オヴェリアも一緒にいる以上は。
……だがオヴェリアはカーキッドの心情を知ってか知らずか、小首を傾げた。
だからこそカーキッドは警戒を強めているのである。一人ではないからこその。姫を抱えているからこその。
(面倒くせぇ)
プレッシャー。
だがここでオヴェリアに警戒を強く強く説く気にもなれない。
「とっとと行くぞ」
てめぇも風呂に入りたいだろう?
意地悪そうに笑って見せると、オヴェリアは少し顔を赤らめた。
それを見、視線を前方に戻し、カーキッドは思う。
黒竜討伐、暗殺者、竜の石、
(その上、魔術と呪いか?)
とにかくこの森を抜けよう。
でなければ到底気は休まらないし。不利は明らかに目に見えている。
……再び足早に道沿いを歩き行く2人。
「あ」
息を切らしながら後を追いかけるオヴェリアが、ハッと声を出した。
「あれは?」
見れば。道の隅に何やら戸板が立っていた。
カーキッドは訝しげにそれを見やったが、やがてそこまで至ると。
「これは、乗合馬車だな」
「?」
「この道は馬車の通り道だそうだ」
カーキッドの言葉にオヴェリアは少し目を輝かせた。「馬車ですか」
「ここで待てば馬車がくると?」
「さぁ? ここは停留所とか言うんじゃなさそうだし」
待ってあわよく遭遇しても。果たして乗り込めるかどうか。
カーキッドはそう言ったが、オヴェリアは見るからに嬉しそうだった。
「馬車に乗れれば、少しでもフォルストの地に着くのが早くなります」
そりゃまぁそうだが。
カーキッドは気乗りしなさそうに首筋を掻いた。
「待ってみましょう」
「だから、ここは停留所じゃねぇっつってんだろ」
「でも」
「とにかく歩くぞ。馬車に乗って、見当違いの方に連れて行かれたらどうする」
行くぞ、と歩き出したカーキッドに。
オヴェリアはだが、立ち止まったまま動かなかった。
「おい!」
苛立たしげに彼が振り返ると、オヴェリアは虚空に目を彷徨わせ、呟いた。
「何か聞こえませんか?」
「?」
「馬の、」
足音。
カーキッドは驚いたようにオヴェリアの背後を見やった。
森の奥が煙ってる。
(あれは、)
彼はさっと彼女の前に立ち位置を変えた。
「よかった、乗り合いの馬車ですね」
嬉しそうに笑い、手を振ろうとする彼女を。カーキッドは「待て」と制した。
「ありゃ、乗り合い馬車じゃねぇ」
「え?」
「あれは、」
そう言って、カーキッドは一瞬だけ剣に添えた手を。そこから離した。
「……人売りだ」
カーキッドが言った言葉。オヴェリアにはわからなかった。
「え?」
と聞き返しても、彼は答えなかった。
代わりに、無言で姫の腕を引くと森の中に身を隠した。
「静かに」
「?」
だが彼から聞かずとも、答えは間もなく彼女の目の前を横切っていく事となる。
馬車。
だが荷台に引いているのは鉄の塊。
さびだらけの、巨大な箱。
4頭の馬が、舌を振り乱し狂ったように走っている。
鞭を振るうのは、やけに派手に着飾った小太りの男なれど。
鉄の荷台の壁面を見た時に、オヴェリアは目を見開いた。
見えたのは、格子。
そこから覗き見えたのは、それを握り締める手。
幾つもの、人の顔が。
「――」
馬が乱す大地の音。
その騒音に中に彼女は、呻き声を聞いた気がした。
「何、あれ」
「……商人さ」
彼女の傍らでカーキッドが低く呟いた。「奴隷商人、だ」
「――」
「貧しい農村で口減らしに売られた子や、親とはぐれた孤児、借金の方にその身を売る者もいれば誘拐される者もいる……出所は様々さ」
そいつらを一同にまとめて、大きな町などへ行き、
「売るのさ」
奴隷として。
「……そんな、」
オヴェリアは明らかな嫌悪を顔に浮かべた。
「奴隷制度は廃止されたはず。人の売買は我が国家では禁じられました」
現王――オヴェリアの父・ヴァロックの世になってから。
だがカーキッドは空しげに頭を振った。「甘ぇよ」
「奴隷制度を廃止したって、何も変わらないさ。今まで奴隷がしていた事を、誰が好んでするってんだ? 貴族さん方は今でも平然とやってる。下働きや汚れた仕事、性奴隷として弄ぶ者もいる。名目は使用人、だがその実態は、」
「……我が城ではそのような事しておりません!」
カーキッドは否定しなかった。その真偽はわからないが、もしあったとしても、彼女がそれを知る立場にあるとは思えなかったからだ。
「貴族、豪族、商人……奴隷の需要は引く手あまたさ」
同じ人であるのに、そうとは認められぬ者たち。
まぁ、どちらにしても俺たちには関係ないことさ。そう言ってこの話を終えようと思ったカーキッドだったが。
すべてに先んじて、オヴェリアが立ち上がった。
「オヴェ」
そして、走り出した。
もちろん彼女が向かうその方角は。
「待てッ、オヴェリア!!」
人売りの馬車。
「待て!! そこの馬車、止まれ!!!」
いかにオヴェリアの足が速いと言えど、馬脚には勝らない。
彼女は腰元からルビーの剣を引き抜くと。
ビュっと、馬の一頭目掛けて投げた。
馬は悲鳴を上げて暴れる。
1頭乱れればすべてに及ぶ。狂ったように、馬たちはその場でのた打ち回った。
「何じゃ何じゃ!?」
それに御者は転げるように鞭を打ち、座席から投げ出された。「うひゃ!」
何が起こったのかわからぬまま、体をさすりながら起き上がった彼の喉元へ。
頭上からオヴェリアが剣を突きつける。
「!?」
御者は目を丸くして彼女を見上げた。「な、何じゃ!?」
「積荷は何だ!?」
そんな男に、オヴェリアは厳しい口調で問いかけた。「荷台に積んでいるのは何だ!?」
「人なのか!?」
「……何だお前は」
「人を売り買いするなど、許せぬ」
断じて。
男はそんな彼女を少し呆れた様子で見、やがてその上から下までを眺め見た。「主は女か」
その時背後で、ギィという重い音がした。
荷台の鉄の檻から、完全武装の鎧姿が3人。ガシャリと音を立てて這い出すように現れる。
「……丁度、お前くらいの女奴隷が欲しかった所だ」
男は下卑た笑みを浮かべる。
「人を売り買いして、何が悪い?」
男は背後の鎧たちにさっと目で合図をする。
「それだけ需要があるって事だ」
「何をッ」
「馬が台無しだ。……貴様、ただで済むと思うなよ」
背後から何かが飛んでくる気配に、オヴェリアは振り向き剣を立てた。
ガチャガチャンと飛び来た何かが剣に絡まっていく。
それは鎖。
「う」
思った時にはもう、剣は完全に鎖によって封じられていた。
鎖鎌。
鎖を手にした鎧は、彼女を引き寄せる。オヴェリアは必死に踏ん張ったが。
そんな彼女の元に、別の鎧が切りかかってくる。こちらは長刀だ。
「――ッ!!」
思わず歯を食いしばり、迫り来る完全鎧を凝視したが。
それが、オヴェリアに剣を振るう事はなかった。
カーキッドである。
彼は下段、腿、鎧の隙間を狙ってその足の一方を斬り飛ばした。
「ぐぁぁあぁあ!!!」
「馬鹿野郎ッ」
言いながら、喉元貫き、背後へと蹴飛ばす。
「構うなっつっただろうがッ!!」
「しかし」
「こっちから面倒事に巻き込まれてどうすんだッ」
叱咤しながら渾身の一刀で鎖を断ち切り。
黒の剣を構える。
「ったくよぉ」
こっちは警戒に警戒を重ねてるってのに。
ブツブツと言いながら。
だがその顔には笑みが浮かんでいた。
「そりゃ、護衛の2人や3人はいるわなぁ?」
さて、腕前やいかに?
そう呟くや否や、カーキッドは斬り込みを掛ける。
それに残りの2人はさっと散り、2人同時に横から打ち込むが。
「甘ぇッ!!」
身を回転させて流し、転げながら斜めに空気を両断する。
それを鎌で受けた鎧兵は、その場に倒れ込むが。厚い鎧が邪魔して無傷。
ハッと地面を蹴りながら、カーキッドはそこへ追い討ちを掛けるが。
残った1人がオヴェリア目掛けて斬りかかってきた。
「殺せッ!! 殺してしまえッ!!」
奴隷商人の叫び声にオヴェリアは眉間にしわを寄せた。
ガキィーーーーン!!
「く」
重い。
打ち合いで間近に見た剣、何と太いのか。
まして相手の上背は頭2つほどオヴェリアより勝る。
(剣を合わせるのは、)
不利。
ならば。
――オヴェリアは状態をさらに低くし、腹部を横に薙ぐ。
厚い鎧にいささか跳ね返されるが、まったく入らなかったわけではない。
「ぐぉおおおぉぉ!!!」
相手は狂ったように剣を振り上げ、彼女目掛けて振り下ろした。
オヴェリアは身を屈めてそれを見上げ。
鎧兵の懐深くから、喉元にある鎧のつなぎ目目掛けて。
一刀。
突いた。
今度は、
(入った)
血が吹く。
オヴェリアは地面に転がるようにしてそれから逃げる。
「ひぃぃぃ!!」
奴隷商人が悲鳴を上げる。
その瞬間、カーキッドも最後の鎧兵を叩き斬っていた。
こちらは見事、分厚い装甲をも砕く、痛恨の一刀。
「ゆ、ゆ、許し、命ばかりはッ」
奴隷商人が泡を吹いて泣き叫んだ。
哀れ、失禁するその姿に。オヴェリアはだが目を細めて呟く。
「我が国の法では、奴隷売買は禁じられているはず」
厳罰に値するぞと、彼女は言う。その傍らでカーキッドは、馬に突き刺さったルビーの剣を抜き、血糊をふき取った。
「あーあー。かわいそうになぁ」
と苦い顔で撫でてやる様は、とても今2人殺めたとは思えない。まして、
「面倒くせぇ。斬るぞ」
奴隷商人の首目掛けて。問答無用で剣を振り上げんとした。
「ま、待っ待ってッ!! わ、わたくしは頼まれただけでございます!!」
「あん?」
ほとんど聞く耳なかったカーキッドに対して。
オヴェリアは眉をビクリと動かした。
「……誰に?」
「ど、奴隷を集めろと。いくらでも買い取るから、とにかくたくさん連れて来いと」
もし何なら、奴隷に限らず。人であれば何だろうと――。
媚びたように奴隷商人は笑い、オヴェリアを見上げた。
それに彼女は、
「誰、が」
カーキッドはハッとオヴェリアを見た。
「おい、」
「誰がお前にそう言った!?」
言い、オヴェリアは剣を構えた。
狙うは奴隷商人の目。
「そ、そ、そ、それはッ」
もうオヴェリアは何も言わない。
ただ見つめる。睨む。
白薔薇の剣と、殺気携える眼光をもってして。
「フォルストのッ、ドーマ宰相………」
――決まった。
オヴェリアは剣を鞘に納めた。
カーキッドは彼女に、無言で、ルビーの剣も渡す。
「ありがとう」
伏目勝ちに受け取り、彼女はクルリと背を向けた。
奴隷商人をカーキッドがどのように処置したか。それは見ない。
……見えなかった。己の内から出る炎があまりにも身を焦がすから。
ただ、商人が狂ったように叫びだしたのと、立ち上がった気配だけは。
……彼女にも、感じられた。
だが。それよりも。
――奴隷。
18年生きてきた。その中で。
――悪しき法制を正すため、奴隷制度は廃止された。
父が成したその事は、オヴェリアの中では、誇りの1つであった。
父が振るった正義の剣。
奴隷などあってはならぬもの。まして人の売り買いなど。
(父上、)
旅に出てまだ日は浅い。
だが……彼女は空を見上げた。
城の中ではわからなかった事。教科書と人の伝聞だけで描いていた、父が成してきた功績と、平和な国家。
――ハーランド王は代々民に愛され、特に現王・ヴァロック・ウィル・ハーランドは武にも知にも長けた王として、騎士からも民からも支持されている。
だが。
奴隷の売買は消えていない。
小さな村は盗賊によって襲われ、不条理な力に虐げられ、怯えて過ごしている。
異形の蟲が人を襲い、それによって滅びる村もある。
貴族であろうとも、身内を盾にされ脅され。
……禁断の術。そして人が獣にも変えられる事態まで起こっている。
(黒い竜だけではありませぬ、父上)
この国は。
私が知らなかっただけで。
何も……知らなかった。
王とは何か? 王女とは何か?
国の事、何も知らず。それで国の主と言えるのか?
「オヴェリア」
……カーキッド。
オヴェリアは思った。
せめての救いは彼が傍にいた事。誰かがいてくれた事。
でなければ、でなければ。
今ここで、彼女はどうなっていたか、わからない。
身の内からほとばしる炎が。熱くて痛くて苦しくて。たまらなかった。
乱れた馬により、荷台もかき乱された。
だが、完全鎧の者達が出た後、荷台は開け放たれていた。
逃げようと思えばいくらでも、逃げる事できたのに。
……のに。
カーキッドが覗くと、暗い箱の中に人はぎっしりと埋まっていた。
大小は様々である。幼子から老人まで。一応にくたびれたような布をまとっていた。
だが彼らは皆、カーキッドの姿を見ても驚く様子はなく。その視線は濁り疲れ切っていた。
手枷、首枷、壁面につながれた者もいて。
……カーキッドは仏頂面で鎖を切り、オヴェリアは商人が持っていた鍵束で拘束を解いていった。
だが。
自由になったにも関わらず、誰も、動かなかった。
「あなた方はもう自由です」
オヴェリアが言った。
「どこへでも。好きな所へお行きなさい」
もう囚われ人ではない。故郷へも戻れる、会いたい人にも会える。
オヴェリアは微笑んで見せたけれど。
彼らの1人が言った。
「もう、戻れない」
「?」
「ここを出ても、俺たちには、」
もう、行き場がない。
――様々な事情の果て、ここに至る。
金で売られた者、普通に生きられなかった者。
生まれてすぐに、この宿命を背負ってしまった者。……子供は泣きもせず、ただ乾いた瞳で呆然とオヴェリアを見ている。
彼女はそんな子供をぎゅっと抱きしめ、言った。「どこへでも行ける」
「まだ動く足が、あるじゃないか」
「……」
「体は動くじゃないか」
行き場をなくしたなどと言うな。
世界はそれほど狭くはない、そして。
「生きてるじゃないか」
――無慈悲でも、ない。
◇
「あーあー、せめてあの馬でもありゃなぁ。この森を抜けるのも容易だっただろうに」
一人愚痴るカーキッドに、オヴェリアは頭を振った。「足があります」
「それに、馬が必要なのはあの方たちです」
「……ったくよぉ」
大きくため息を吐き、カーキッドは改めてオヴェリアを向いた。「お姫様、」
「この際だ、言っておく。俺はお前のお守りじぇねぇぞ」
「……知ってます」
「だったら話は早ぇ。行く先々で厄介事に首を突っ込むのはやめてもらおう。こっちの身が持たねぇ」
「? 私はそんな事」
「してる。充分だ。盗賊にさらわれた娘を助けてみたり、勝手に石を買ってみたり」
「……そんな、あなただって。先日のレイザランの異変、先に町へ飛び出したのはあなたではないですか」
「うるっせぇ。俺はいいんだよ俺は!!」
無茶苦茶な言い分に一瞬オヴェリアは頬を膨らませたが。
「……何にせよ、道は続いています」
「フォルストか」
「宰相ドーマ」
何のために焔石を求め。
そして人をも集めるか?
ラーク公はその地へ行き、獣となっている……。
(この国は、)
父の国。父が治める国。
良くせんがため、この国のためがだけに剣を持ち、その身を捧げ。
……もう、動けぬその体。
オヴェリアは思う。父が生涯を捧げたその国が。
(本当に)
楽園となるように。
(父上、この国は)
私が守ります。
どうか父の目に映るこの国の姿が、輝かしい物となるように――。
吹き上がった風に花は誘われ。
花びら1枚、舞い上がる。