『 白薔薇の剣 』
−最後の王女の騎士録−
第7章 『鴉の躯』 −5−
この瞬間襲われたらどうなるだろうかと。そう思う事は多々ある。
森の道、洞窟、崖、人が密集するような場所。
ましてや今。牢獄。
……鉄格子の外に、今は看守はいない。だが時折様子は見に来る。
この部屋に通じる場所にも扉はあり、兵士は立っていた。
(そいつら全部殺して)
もし今暗殺者がやってきたら。
奴らは剣ではなく、針も使う。
今この瞬間をもし、襲われたら――。
(どう戦う?)
カーキッドは闇の中思いを巡らせる。
傍らではオヴェリアがまだ、寝息を立てていた。服越しに重みと、温もりを感じた。
(こいつを守って)
どう切り抜ける?
……結局暗殺者がそこにやってくる事はなかったが。
彼はそうして、闇の中、一人で戦い続けた。
姿のない敵と、ずっと、ずっと。
変化があったのは牢屋に放り込まれてしばらく。
時間の感覚はないが、当然日はもう落ちただろうと思える頃だった。
「腹減ったな。飯くらい出ねぇのかよ!」
「はしたないです、カーキッド」
そう言う傍から、オヴェリアの腹がキュルルと鳴った。
彼女は真っ赤になってうずくまったが、カーキッドは目を見開いた。
「何だ今の音」
「……うるさいです」
「待て待て。今の腹の音か? おい。あれが腹の音か?」
そう言う間にもカーキッドの腹は、グルグルと深めの音を立てて鳴り響いた。
「姫様の腹は、随分上品に鳴きやがる」
「……黙ってください」
「もう一回聞かせろ」
「え!? ちょ、イヤ! 来ないで!!」
「うっせぇ、減るもんじゃないだろうが」
そう言って腹に顔を寄せてくるカーキッドを。オヴェリアは必死に拒んだ。
「イヤ、イヤ、イヤ!!」
キュルル
「お、鳴ったぞ!! お前腹にインコ飼ってんじゃねぇのか。信じられねぇ、こんな音出す奴がいるのかよ」
信じられないのは、カーキッドの方である。オヴェリアは唇を噛み締めた。
「あん? 何だよ?」
「……」
「わかったわかった。腹減ったもんな。今看守呼んでやるから。待ってろ」
そう言う事じゃないのに……とオヴェリアはガックリ座り込んだ。
「腹が減ったぞ!! 飯食わせろ!!!」
(きっとフェリーナがここにいたら、)
こう言うわね、とオヴェリアは思った。
『姫様! このような下品な輩に近づいてはなりません!! 姫様が汚 れてしまう!!』
「オヴェリア、テメェも叫べ。腹減ったんだろうが」
「……」
でもね、フェリーナ。オヴェリアは脳裏で呟く。
(この人は優しいの)
思うよりずっと。
優しいのよ。
「姫君の腹も鳴ってるぞ!! さっさと飯持ってこい!!」
……でもねフェリーナ。確かにこの人は無神経だわ。
「カーキッド、恥ずかしい……」
「腹が鳴るのは健康な証拠だ」
「……」
もういい。放っておこうと思った。
だがその直後であった。
明らかに扉が開く音がして。人の気配が現れた。
「飯か? やっときたかよ、遅いぞ」
だが言いながらも。カーキッドは立ち位置を変える。
スッと自然、オヴェリアを庇うように。
「献立を聞かせてもらおうか」
何ら匂ってこない。まして相手は無言。
食事ではない。それはカーキッドが一番よくわかっていた。
だがそう言い、笑い。
相手をニジリと見る。
「……」
現れたのは3人。兵士が2人と、黒いローブ姿。
全身すっぽりと黒で覆われたその姿に。
「俺はな、今はパスタの気分なんだ」
「――残念だが」
食事ではない。
言い、黒ローブは面をあらわにした。
「ドーマ宰相?」
その顔に、オヴェリアは目を見開いた。
「おっと、これはこれは」
宰相自ら、俺たちの処刑にきたってか?
カーキッドの目が、ギラリと光る。ドーマの脇の兵士の獲物は長剣か。
(格子の隙間から突かれたとして)
うまく逃げなければ射程範囲に入るか――。
まずオヴェリアをどこへどう逃がすか。そう思慮を巡らせていたカーキッドであったが。
「オヴェリア姫様」
宰相ドーマはそう言うなり、その場に傅 いた。
「ご無礼を、お許しください」
「……?」
側近の兵士もそれに習う。
「ドーマ……様?」
ためらい勝ちにオヴェリアは言った。
「姫の事は存じております。ええ。誰が見間違えましょうぞ」
「……」
「亡きリルカ姫のご息女。……その面差し、瓜二つ」
「……ドーマ様」
「長らくの登城なく、本当に申し訳ありませんでした。昔はよく、殿下の供をしてハーランドにも参りましたのに。……リルカ姫にもよく会いに参りましたのになぁ」
「……」
「生まれたばかりのオヴェリア様を抱かせていただいた事もございます。……本当に大きく、お美しくなられましたな」
「……」
オヴェリアの脳裏に、過ぎる光景。
そう言えばアイザック叔父様はいつも、供を連れていた。
でもその人はこんなにも小さい……方ではなく。もう少しふっくらとした方で。
「クーン……様?」
そう呼ぶと、ドーマは嬉しそうに笑った。
「お懐かしや、姫君」
「クーン様……クーン・ドーマ?」
記憶の中、面差しが重なりそうで重ならない。それくらい、目の前にいる男は変わり果てていた。
「何ゆえそれほどお痩せに」
絶句するようにオヴェリアは言ったが、ドーマは答えなかった。
ただ、「話したい事は山々あれど」。
「時間はございません。……その部屋、水が沸いていましょう? 壁面を探ってみなされ、地下水道につながっておる」
もう少し左……そう、そこじゃそこじゃ。
「本当だ、開くぞ」
「そこをたどれば街の外に出られる。急ぎ行かれよ」
「え」
「さ、早う」
ドーマが、周りの空気を警戒するように急き立てた。
「しかし、」
「今ならまだ行ける。……殿下の目が覚めぬうちに」
殿下とは。
「アイザック叔父様は、」
「オヴェリア姫様」
オヴェリアの背中に、寒い物が走る。彼女は格子に駆け寄った。「クーン様、叔父上は、」
「姫様」
近寄ると。クーンの頬は薄暗い中随分とこけて見えた。
「石を」
「っ」
「持っていらっしゃいますな?」
「……」
「レイザランから来られましたな?」
なぜそれを? 尋ねたがやはり、ドーマは答えなかった。
代わりに微笑み、彼は、
「持って行ってくださいませ」
「――」
「その石、見せてはならぬ」
この地にあってはならぬ。
「海に捨ててくださいませ」
「クーン様」
「早う。夜陰に紛れて」
言い、ドーマは剣を渡した。それはカーキッドの黒い剣だった。
「白薔薇の剣は我らには持てぬ。馬車ごと、下水道の出口に隠しておきますゆえに」
オヴェリアは首を横に振った。
「ここは危ない。早く」
「オヴェリア!」
叫ぶカーキッドに、オヴェリアは、ためらいながら黒の剣を渡す。
「行くぞ」
それを受け取り満足そうに笑うと。彼は先に壁の穴へと潜っていった。
オヴェリアはもう一度ドーマを振り返った。
「早う」
……掛ける言葉が。
わからない。
(この国は、何が起こっているというの?)
アイザック叔父様は一体……。
引かれる思い。だがオヴェリアは次の瞬間、見る。
ドーマの脇に立った鎧の兵士が、ついと面甲を上げた。
その顔は。デュランであった。
「……」
デュランは笑い、小さく頷いた。そのように見えた。
だから彼女は意を決し、ドーマに向かって頭を下げた。
「息災に」
「姫も」
――それしか言えなかった。だが。
(デュラン様)
胸に灯る、炎。
◇
鴉が鳴いている。
ガーゴガァァゴ
まるでそれはもう、鳴き声というよりは。雄叫びのように。
気違いじみたその音は。
「そうかそうか」
猫なで声で、一層強く、轟いていく。
「かわゆいかわゆい」
飛び来た鴉を、彼は受け。大層愛しそうに撫でてやった。
「よく懐いておるな」
その様を見て。男はポツリ呟いた。
「動物全般。よう懐いてくれます」
「それもそなたの魔術か?」
「さあて」
笑う、その口元には歯が数本なかった。
「いかがでございますか? 久しぶりの外界は」
「良い」
「それは良ろしゅうございましたな、殿様」
ヒェッヘッヘッヘ
黒のローブは闇に透けるようであった。
「ではでは? 早速でございますが殿様」
出陣でございますぞ。
回廊。
ドーマは歩く。
傍に兵士は5人。
足早に、場内を渡っていく。
兵士の内一人は、語るまでもなく。
……デュランは慣れぬ鎧に少々難儀しながら、だが、その歩調は一切乱さず他の兵士と歩調を合わせていた。
向かう先はドーマの私室。
(ともかく文だ)
やはりこれは、もう、捨て置けぬ。
(このままでは本当に)
国が。
(リルカ様の愛したこの国が)
大事になる前に早く。文を、使いを立てねば――。
その思いが、彼の足を早めていたが。
どれほど歩調早めても。いつか、止まる瞬間はくる。
――月夜の晩。
昨日より膨らむその月は、今やほぼ満月 。
だが、決してそれは満月にあらず。
欠けている。
満ちるのは、今日にあらず。
「……そなた、」
宰相が歩を止めた理由。
回廊の向こうに、人影があったゆえに。
それは黒。
闇同然の色。
ただそれも完全な闇にはあらず。
唯一出ている口の部分は肌の色。
笑った口は、三日月を描いている。
「ドーマ様や、そんなに急いでどこへ行かれる?」
「……」
「殿下の元かえ? それにしては方向が違いまするぞ?」
「自室だ」
「部屋に戻るのにそのように兵士を従えて? ヘェッヘッヘッヘ、お偉方は難儀じゃのう」
そして臆病じゃ。
鴉の鳴き声、木霊する。
この声が。これほどまでに嫌だと思った事はこれまでなかった。
(ここに仕えて30年余り)
ローゼン・リルカ・ハーランドが幼き頃から、アイザックが生まれた時より。
(若様)
「あなたが来られぬので、殿様が自らおいでぞ?」
ハッと、ドーマは目を見開いた。
「殿下」
「ドーマ」
「……」
闇より舞い降りし漆黒のローブ。その背後より。
男は現れた。
――アイザック・レン・カーネル。
ハーランド国五卿の1人。
若き、カーネルの当主。
このフォルストの地を統べりし。
「殿下、お体は」
「震えてるな、ドーマ」
「……殿下、」
「ドーマ、お前には失望した」
「……」
ゴクリ。
飲んだ唾は、鉛の味がした。
「石を持つ者を逃したそうだな」
「……なぜ、それを」
「それにその者たちは街の兵にも手をかけたそうな」
「――」
痛ましや、痛ましや。
黒いローブがはやし立てる。
「で、殿下」
意を決し。
ドーマは叫んだ。
「恐れながら申し上げます!」
「……」
「あれは、兵にあらず!!」
「……何?」
「あれは、あれはッ」
屍。
死者。
安らかな眠りを求める者。
動きたくても動けぬ者。
もう。
無念の思いを抱き。
この地より旅たつ他なかった者達を。
「これ以上、死者を辱めるような真似は、してはなりません!!」
ヘェッヘッヘッヘッヘ
鴉までも、笑う。
闇が笑う。
もちろんアイザックも。
「何を言うかと思えば」
「殿下、」
「ドーマ。所詮お前も、その域か」
「――」
「人の身での限界」
思考。
浅慮。
成すがままに。
「神と言う限界」
命という限界。
世界という限界。
己という限界。
他人、取り巻くすべてすべて。
最終は。
善悪という、
限界の中の限界。
「お前はそこまでだ」
それではこの先へは。着いては来れぬよ。
「さらばだ」
アイザックは腕を突き出す。
ただそれだけの動作。
だが悪寒。
走ったのはただ一人、デュラン。
「ドーマ殿!!}
彼は咄嗟に体当たりしてドーマを転がす。
代わりに。ドーマの背後にいた兵士の一人が。
「ぐごごごご」
もだえ苦しみ、大量の血を吐いた。
「ハッハッハ。見事見事」
よう悟ったわ。
「は、わわわ」
デュランは兜を脱ぎ捨てた。
アイザックが再び手をかざす。ドーマは転がる、デュランも走る。
その中で、兵士たちが。
――胴体を脱ぎ捨てる。足の止め具を外す。
血を吹き。
何もできず。
剣すら抜けず。
倒れていく。
赤い海は。
赤いじゅうたんに。
黒いような染みを作り。
――脱ぎ捨てた、装甲。
抜き出たのは、キャソック1枚。
翻し、立ち挑む。
胸から護符を取り出し。
構える。
「ほぉほぉ??」
黒のローブは歌うように言葉を紡ぐ。「これは何とした事か?」
「ドーマ様逃げよ!!」
「そ、そなたは、」
「私は教会よりの使い。聖サンクトゥマリア大教会の神父」
――デュラン・フランシス。
構えろ、利 き腕 を。
「聖サンクトゥマリア大教会と!!」
ゴァッゴアッゴァッアッァ
それは誰の笑いぞ? 鴉か? 人か?
それとも悪魔か?
「懐かしや懐かしや」
デュランは眉ねに力を込め、真っ向闇を見据えた。
「ギル・ティモ」
風が強くなる。
そこに狂気の臭いを含ませ。
「……ほう?」
黒いローブは舐めるような口振りで呟く。
「久しいのう、その名」
「……やはり」
「そなたは誰ぞ?」
デュランの背中から。
ほとばしる気配。
「ようやく会えた」
それは色で例えるなら黒。
物に例えるならば。
「お前を探し、探し、この幾年、」
「ヒェッェッヘ? わしを? このわしを?」
炎も及ばぬ、地獄の。
「俺は、ラッセル・ファーネリアの」
業火。
「弟子だ」
――詠唱を始める。
「らっせる? らっせるらっせる……」
――ラウナ・サントゥクス、ラウナ・サントゥクス、
「ああ!!! ラッセル・ファーネリア!! 西の賢者か!!!」
「ドーマ殿、走れ!!!」
――ミリタリア・タセ、エリトモラディーヌ!!!
腕より解き放たれた護符が。
炎の鳥へと変化する。
「セシモ」
鳥はまっすぐ、黒いローブとアイザックに向かうが。
黒ローブは動じない。たった一振り腕を振っただけ。
それで炎の鳥は霧散する。護符も燃え尽き塵と化す。
「жсжбюаишжбоеи」
護符出しデュランは構える。口早に防御の陣を。
「ешю**********************************************!!!」
――間に合わない!!
「ディア、サンクトゥス!!!」
轟音、烈風、劈 く、劈 け、諸共、磐火。
切り刻む、無数の刃の含んだ豪風を。
懸命堪える。歯を食いしばる。キャソックが敗れる。肌が裂かれる。髪が裂かれる、傷が傷が。
風が止んでからの方が、血は吹き出した。
「ドーマ様無事か!?」
振り向こうとした刹那。
「セシモ」
第二迅。
防御の詠唱間に合わない。
ドーマの腕を掴み、デュランはすぐそこの角へと逃げ込んだ。
風が。壁を壊していく。
「そ、そなた、」
「あれは悪魔だ」
「――」
「なぜあいつをここに留めた!!?」
「そ、それはっ」
「あいつは、」
世界を滅ぼすぞ?
「だから、だ」
背後の闇より手が伸びてきて。
デュランが気づいた時にはもう。
ドーマの腹から手のひらが。突き出していた。
ぱっと開くとそれは。花のようでもあった。
「ガハッ」
「ドーマ殿!!」
ガクガクと。血を吹きながら。ドーマが何か言っている。
誰に? 何を?
いつの間にやら彼の、すぐすぐ傍までやってきたアイザックは。
静かに微笑みを浮かべ。デュランを見下ろした。
「ゆえに」
なかんずく。
「我は選んだ」
その1本の道を。
デュランの背筋を走ったのは悪寒――それ以上の。
絶望。
……いやそれ以上。
もはやこれは、何ら願望も欲望も浮かばぬ絶対的なほどの。
――死。
「ラウナ、」
唇が震える。
心も震える。
指も足も首ももう何もかも。
体のすべてが震えて擦れて。
もう、来るべき最期の瞬間を予期して。
それに恐怖している。
でも。
たった一つだけ。
――魂が。
『太陽は、』
もがけと。
まだもがけと。
まだ諦めるなと。
唇は動くぞ。
腕も動くぞ。
足も動くぞ。
心臓は脈打っているぞ。
まだ、まだ、
『これからは、あなたのためだけに』
『私の代わりに、あなたを照らす、』
『永劫の』
『光と』
『なりますように――』
「・サントゥクス、ラウナ・サントゥクス、ミリタリア・タセ、エリトモラディーヌ!!!!」
デュランは、手にしていた護符をアイザックの顔に突きつけた。
護符はまばゆく光った。
「ぐあああああ!!!!」
その光は、目を焼く。
だがそれ以上に。その光はただの光にあらず。聖なる光にて。
「ラウナ・サントゥクス、ラウナ・サントゥクス、」
走れ!!
「セシモッ!!!」
「ミリタリア・タセ、エリトモラディーヌ!!!!」
背後から迫る殺人の豪風に、炎の盾をぶつける。
瞬間、巨大な爆発が巻き起こる。
「ラウナ・サントゥクス、ラウナ・サントゥクス、」
――逃げろ。
足はまだ動く。
とにかく走れ、走れ、走れ、走れ。
「жсжбюаишжбоеи」
聞こえ来る、その詠唱。
歯噛みをし、デュランはもう一度向き直り。
腕をかざす。
「御免」
――бюшюкффюлёб$!!
刹那湧き立つ。七色の光。
風も音もすべてを飲み込むその光は。
……やがて光が収まると。
半径2mほどの空間。そこにあった物すべてが、無となっていた。
回廊は消え。壁も天井も消え。
虚空。
……ザクリと切り取られたように。
空気さえも。
消え去っていた。
「……あやつは」
ヒェッヘッヘ
黒いローブは笑う。
はためくローブは形を変え、一部虚空へと飛び出す。
間もなくそれは鴉となり。
「追え」
ギャァギャァッ
飛び立った。
「……殿様、この有様、申し訳ござらん」
腕にまとわりついた絶命したドーマを投げ打ち、グルリとアイザックは首を回した。「良い」
「だが、宰相は必要だ」
「かしこまりました。その者、鴉 の躯 と致しましょうぞ」
「頼むぞ」
「……屍の兵士もまた元のままに致しましょう。奴隷の買い付けも、うまくいっておりますゆえ」
ただ。
「あの神父は……あの怪我だ。遠くは行けまい」
「石を持っているという者の所在は」
「直に」
そうそう、と黒いローブは語調を跳ね上げ、アイザックの元へと歩み寄った。
「何でもその者、こう申したそうでございますよ?」
「?」
「我が名はオヴェリア・リザ・ハーランド、ハーランド王の娘であると」
「……」
「殿様や? いかがされたか?」
「……いや」
限界は、どこにある?
己か?
世界か?
そして超えるのは。
己のためか?
世界のためか?
それとも。
(人の域ではせいぜい)
腹を割って這い出すくらいの業。
それ以上を成さば。
善悪など。
無、同然。
そしてそこへ至れるか?
淡き浅き、人の子らよ。