『 白薔薇の剣 』
−最後の王女の騎士録−
第8章 『共闘烈火』 −1−
8
「起きろ、オヴェリア」
「ん……」
「起きろ」
朝だぞ。
「…うん……」
中々目覚めぬお姫様に。
男は目覚めの口付け……などはせず。
ピトリと。濡れた布を頬につけてやった。
「ぅひゃっ!?」
「ハハハハハハ!!」
文字通り跳ね起きたオヴェリアに、カーキッドは大笑いした。
「ちょ!? 何をするの!?」
「ひっひっひ、テメェがちっとも起きないからだ」
ムッとオヴェリアは頬を膨らませたが。
次の瞬間、その顔は赤薔薇のように染まる。
「ちょ、」
「……? あんだよ」
「ふ、服っ」
「あん?」
カーキッドは笑いながら、自分の姿を見下ろした。
「?? ちゃんと着てるじゃねぇかよ」
「上っ! 上っ」
むき出しの上半身、隆起した筋肉に、オヴェリアはぎゅっと目を閉じてバタバタと顔を背けた。
「着てください!!」
「あぁ?」
「服!!」
「……」
真っ赤になるオヴェリアの姿に。
カーキッドは何となく、思わず苦笑を浮かべてしまった。
「お前、濡れた服着ろってか?」
「――」
「悪いが、お前の服も乾いてねぇぞ」
え。
言われて初めて、オヴェリアは。自分の姿を見た。
「――ッッ!!」
カーキッドの事をとやかく言えるような状態ではなかった。
彼はまだいい。下をきちんと履いている。だがオヴェリアが身にまとっていたのは。
布、1枚。
「!!!!!!」
「騒ぐなうっせぇ」
「私の服ッ!!!」
「だから、濡れてるつってるだろうが」
「構いませんッ!!! 服ッ!!!」
「風邪引くぞ阿呆」
慌てふためき、もがくものだから。布切れ一枚の状態でジタバタするものだから。
「あ」
布に足を取られて、オヴェリアはその場にひっくり返りそうになった。
「おっとっと」
それを咄嗟にカーキッドが抱きとめたのが、またマズイ。
「大丈夫か?」
「―――ッッッッッ!!!!!!!!!!!」
「……だから、騒ぐな阿呆」
だがその時カーキッドは思った。
面白ぇと。
……次の瞬間、平手打ちを食らうまでは。
◇
――フォルスト城の地下牢。
そこを出たオヴェリアとカーキッドとの2人は、下水道を辿った。
勘ぐり深いカーキッドは、その道が「ひょっとして罠か?」とも思ったが。
最終的に2人は出口にたどり着く事ができた。
そこには宰相ドーマが言った通り、連行された折に乗った馬車も置かれており。
中にはたくさんの食料も詰め込まれていた。
――これを使って街を去れ。
そんな、彼の意図が透けて見えるような状態であったが。
……結局2人は持てるだけの食料を持ち、馬車からは離れた。
そのまま森へ入り。
偶然見つけた池で、地下道を抜ける際に汚れてしまった衣服を洗い。結局そのままそこで一晩過ごしたのである。
「食え」
いつものごとく、カーキッドが手馴れた様子で朝食の支度をしてくれていた。
旅の荷物の多くは、教会に置いたままになっている。馬車に乗っていた食材を使っての、簡単な料理である。
パンに干し肉を炙った物を乗せ、野菜と一緒にはさんでもう一度パンに焦げ目がつくまでほんのり焼いてくれた物。カリカリのパンがたまらない。肉も上質の物だ。
それよりもオヴェリアがおいしいと思ったのは、デザートである。
「何ですかこれは」
「ティンカルの実だ。知らねぇのか?」
「何ですかそれは」
カーキッドが森の中で見つけてきてくれた物で、形はりんごに似ている。だがもっと柔らかく、歯を立てるとシャクリとした食感。果汁が溢れて唇を伝った。
「こいつは、こうするとさらにうまい」
と、カーキッドが懐から瓶を取り出しサラサラとした何かをかけた。それは塩であったが、
「どうだ?」
「――!」
「そうか」
カーキッドは満足そうに笑い、シャクリとティンカルをかじった。
「美味しいです」
「良かったな」
幸せそうである。
……そんな彼女はすっかり服を着込んでいた。
まだ多少濡れていたが「構いません」と断固として身に着けた。
カーキッドの黒いシャツはほとんど乾いていたが、こちらは面倒くさがって、前をはだけて羽織るだけの状態になっていた。
厚い胸板が覗き見えるので、オヴェリアは少し視線に困っていたが。
「……もう少し乾いてからでもいいだろうが」
「イヤです。それにこれくらいなら平気です」
「……チッ」
「?」
カーキッドは、どこか残念そうにため息を吐くのである。
「それにしても……デュラン様は無事でしょうか……」
ひとしきり食事を終え、カーキッドが野宿の後始末をする傍らで。
白薔薇の剣を胸に抱き、オヴェリアは呟いた。
「あれはデュラン様でした」
牢獄。
ドーマとの別れの瞬間。彼の傍らに寄り添っていた兵士は。
「……」
カーキッドはそれに返事をしなかった。
「ねぇ、カーキッド」
「あん?」
返事を催促され、仕方なく。カーキッドは言う。
「……あいつは、一人で片付けたいんだと」
「え?」
「昨日の朝言われた。オヴェリアと一緒に教会に残ってろって。自分が1人で何とかするからって」
「……そんな」
「だから。1人で潜り込んだんだろうな」
「…………」
オヴェリアは地面を見つめた。
「私たちの、ためでしょうか?」
「あん?」
「私たちが……私が、危険に遭わないようにと」
「……どうだかな」
――敵は暗黒魔術を使う。そう言ったのはデュラン。
「今回の一件は……一体、何なのでしょう」
木々がザワザワとわなないた。
「レイザランのラーク公の御子への呪い、脅迫文はドーマ宰相の印で送りつけられた。そして奴隷商人は、ドーマ宰相が各地から大量の奴隷を集めているのだと言っていた」
でも、とオヴェリアは眉間にしわを寄せる。
「あの方はそういう方じゃない」
「……」
「クーン様……クーン様が宰相のドーマだった……。あの方はよく知ってる。アイザック叔父様の側近。世話役だった方。宰相になられていたなんて知らなかった」
アイザック叔父様、その名前にカーキッドはチロリとオヴェリアを見た。
それに気づき、オヴェリアは慌てて説明をする。
「アイザック・レン・カーネル。母上の弟君です」
「へぇー」
デュランから聞いてはいたが、初めて聞いたようにカーキッドは呟いた。
「アイザック叔父様はとても優しい方で。クーン様もお優しかった。ハーランドにおいでの際は、いつも遊んでくださった」
「……」
「わかりません。何が起こっているのか」
「……」
オヴェリアの中で何一つつながらない、記憶にあるアイザックとクーンの笑顔、思い出。それが、呪い、暗黒の魔術、獣、奴隷などとは。まったくどこをどうひっくり返しても。
「焔石と屍人もだ」
「……」
「宰相のドーマは、旅のまじない師を招いたと言ってたな」
「? でもそのまじない師は、この街に広がった疫病を止めたと」
カーキッドは意味ありげに少し笑う。
「まさか、」
「……全部仕組まれていたとしたら?」
「……」
「疫病を広めたのも、止めたのも」
「クーン様はそんな事!!」
致しません。
「それにもう一つ。宰相ドーマ。……それだけで本当に終わるのか?」
「――」
「ドーマが主犯だろうがそうじゃなかろうが。なぁ? オヴェリア。本当にアイザックとやらはすべての事を知らずにいると、」
「やめてカーキッド」
まさか、そんな。
「アイザック叔父様が……承知していると言うの?」
赤ん坊に魔術をかけて脅迫し。
人を獣とし。
奴隷を買い集め。
屍人は?
そして碧の焔石を。
「独断でするには事が大きすぎる」
「――」
「アイザックとやらが黙認しているのか、指示しているのか」
もしくはそいつはすでに死んでいるか。
「…………」
オヴェリアは完全に。黙り込んでしまった。
カーキッドは、少し後悔をした。
(しかし)
答えは避けられない。
きっとこの娘は、このままここを立ち去る事などできないだろうから。
(宰相ドーマ)
カーキッドは思う。
ドーマは言っていた。
ここは危ないと。そして、殿下が目を覚ます前にと。
「……」
導き出される答えは一つだ。
(逃げてもいいんだぞ、オヴェリア)
カーキッドは彼女を見た。
彼女は剣を抱きしめたままだった。
その姿を見つめ、カーキッドは深く瞬きをして。
やがて、
「おい」
「……?」
「剣を持て」
「……え?」
「鍛錬だ」
打ち込み、やるぞ。
言い、カーキッドは黒の剣を手にする。
「付き合え」
「……」
「鈍 る」
「…………」
オヴェリアはカーキッドをじっと見上げた。
カーキッドは羽織っていたシャツを脱ぎ捨て、構えた。
「着てください」
「邪魔だ」
「イヤです、鎧もつけてない人と打ち合うなんて」
言いながらも、オヴェリアは立ち上がる。
「何だお前、それ、言い訳にするのか? 戦場で、裸のヤローとは打ち合いしませんってか?」
「ここは戦場じゃないし」
「逃げの口実かよ。いいなぁ、女は」
「……じゃあカーキッドは、私が全裸でも迷わず打てるっていうの?」
「当たり前だ」
オヴェリアは口を尖らせながら、剣を抜く。
それにカーキッドは、ニヤリと笑った。
「てめぇの裸なんざ、何て事ねぇな」
「……痛い目見ても知りませんよ」
「へへ。いいぜ? 本気でかかってこいや」
白と黒。
構え、見据える、互いの目。
風は穏やかに、ぬるいほど。
だが。
「ッ!!」
ガキィーーーーン!!
まず一刀、刀がぶつかる。
力勝負なら、当然カーキッドが上。オヴェリアは弾き飛ばされる。
だがそこから体を回転させ、下から上に突き上げる。
そこはカーキッドが簡単に受け止める。横へ力で流し飛ばす。
オヴェリアの体が宙を舞うが、体制は崩れていない。視線もカーキッドを見据えている。そのままの姿勢で横からの一閃。
それは、カーキッドは後ろへヒョイと避けて避ける。
避けたついでに上から打ち込むが。
今度はそれを、オヴェリアが受け止める。
「重いッ!!」
思わずオヴェリアが呻くほど、さすがカーキッドの剣。まともに受けては、止められない。頭が割れる。水のごとき、スルリと横へ流す。
流した所へ左から一閃。
カーキッドはニヤリと笑って受け止める。
「早ぇ早ぇ」
オヴェリアの切り替えしの速さに、カーキッドは思わず言う。その顔は笑っていた。
「つくづく、女にしとくにゃもったいない」
「でも、女ですから」
一歩間合いを外し、カーキッドは口の端を歪める。
「しかも姫様ときたもんだ。極悪としか言いようがねぇ」
「あなたこそ、その姫に向かって無礼千万」
「手打ちにするってか?」
「ええ。されても文句は言えません」
ガキーンッ!!!
重なり合う剣と剣。
その持ち手の2人は。
「はは」
「へへ」
笑っていた。
――互いが互いを信用していなければできぬ、そういう打ち合いである。
「面白ぇ」
――もう一度。
カーキッドは思った。
もう一度こいつと、本気で戦ってみたいと。
できれば命を懸けるほどに。本気で。
戦ってみたい。
(でも)
カーキッドの中にはこんな感情もある。
こいつとは、もう、戦いたくないとも。
――強い者と戦う、それを何よりの悦びとしてきた男が。今、剣を交えながら思う事は。
(敵にしたくねぇ)
こいつとは、……こいつは。
ガキィーンッ!!!
「カーキッド、本気で打ってください」
「何言ってんだ、俺が本気出したらてめぇは死ぬぞ」
「それはこっちの台詞です」
こんなに強いのに。
もう、そういう対象に見えなくなっている自分が。
カーキッドは、不思議でならなかった。
「脇が甘ぇよ!!」
ただ、今胸を沸くこの感情が何なのか。
……彼にはわからなかったが。
……2人。どれくらいそこで打っていたのだろう?
お互い息は切れ始めている。
でもやめられない。楽しかったのである。
剣を打つ瞬間、オヴェリアは無だった。
(剣が、こんなに楽しいと)
久しぶりに思った。
だから打ち合い続けたのだが。
「――」
2人、間合いを開ける。
向け合った剣、視線。
互いの乱れた息も聞こえる。
その中で。
「ハァ、ハァ……」
カーキッドが深めに瞬きをした。
オヴェリアも気づいた。
「ハッ!!」
接近。何度目かの、カーキッドとの打ち合い。
その中で彼は、
「気づいたか?」
「――」
「何かいるぞ」
「……はい」
距離を開ける。
息を整える。
カーキッドはニヤリと笑った。
その鍛え抜かれた腕が、振り上げられた刹那。
彼の背後に、何かが飛び来た。
だがカーキッドはそれを読んでいる。振りかざした剣を途中で半回転させ、背中に向かって一閃させた。
悲鳴も上げられるまま、それは、肩から頭をスッパリ斬り飛ばされた。
そしてその襲撃者の様相は。
黒い装束。
「ここで、お前らのお出ましか」
暗殺者。
「オヴェリア!! 気をつけろ!!」
「はいッ!!!」
むき出しの体からは、湯気も出ている。
むしろそれは、剣気。
血を吹き出す躯を、蹴飛ばして散らす。
そんな彼の元へ頭上の木々から、暗殺者は襲い掛かる。オヴェリアの元へも2、3の刺客が。
左右から突き出される短刀は音なく、早く。
だがカーキッドが一閃すれば。
ブォンッ
風が唸りを上げる。
市販の剣より少しばかり長い剣は、後ろへ飛び逃げるその腹までも掻っ捌く。
避け切れなかったら、もう捉えられたも同然。
たたら踏んでいる間に、上からそれは、叩き下ろされる。
「ッッ!!!」
オヴェリアも、前後左右からの同時攻撃に一瞬足をもつれさせたが。
後ろへ逃げる、追いかけるようについてきた短刀を弾き飛ばし、
下へ潜る。一気に一人、胴体を切り裂く。
倒れ行く体を盾にしながら2人目の脇を突き。
最後の1人は、刀を思いっきり回し一刀。
断末魔、残った力で彼女に斬りつけようとした腕の一つは、カーキッドが叩き落す。
ガサガサガサ
頭上で音がし、見上げると。
黒装束の者が、慌てた様子で森の中へ逃げて行った。
「逃すか」
「カーキッド!」
「お前はここを動くな!!」
言い捨て、カーキッドは駆け出した。
「いいな!! 絶対動くな!!!」
――ここで捕える。
これ以上野放しにはしねぇ。そう誓い。
カーキッドは走った。
「……」
森奥へと消えていった男の背中を。オヴェリアはため息で見送った。
(それにしても一体)
この人たちは……? そう思い、伏している者達を見た。
「……」
動かない。
絶命している。
(また私は)
斬った……。
そう思い、白薔薇の剣を見る。
(カーキッド……)
あなたと打ち合ったあの瞬間は、とても楽しかったけれども。
やはりこれは、殺人の道具なのね。
(いいえ)
この剣が何になるのかは、使い手次第。
凶器となるも、そうではない違う物となるも。
(私次第)
この剣を持つ事課せられた私だけが。
この剣の運命を決める。
「……」
その時、ザと音がした。
オヴェリアは顔を上げた。
風は止んでいる。
いや……吹く。
少し冷たくて。
少し強めの突風が。
「……」
――向こうに、人が、立っていた。
オヴェリアは眉を寄せた。
カーキッドが走っていったのは反対の方角から。
木々の間を抜けて。その人影は、
「誰」
黒。
先ほどまでと同じ、黒い装束姿の。
だけど。
(気配が)
ない。
白薔薇の剣を握りなおす。
(これは)
オヴェリアは剣を構える。
背筋を走ったのは悪寒。
――旅に出てここまでで、一番の。
(強い)
これは、恐怖。