『 白薔薇の剣 』
−最後の王女の騎士録−
第9章 『さらば、愛しき人よ』 −3−
「ешю*****!!」
「ミリタリア・タセ・エリトモラディーヌ!!」
2人の詠唱重なりて。
虚空に生み出される、炎の風と氷の刃。
その瞬間、カーキッドはアイザック目掛けて剣を振りかぶった。
「――ッッッ!!!」
「姫様はカーキッドの補佐をッ!! こちらは私がッ!!」
カーキッドの重厚な一撃を、だがアイザックは手をかざすだけで受け止める。
しかもそこに、接点はない。カーキッドは驚愕する。アイザックと剣の間には、見えない壁があるようだった。
そしてそれにより、彼の剣は簡単に弾き飛ばされる。
「カーキッド!!」
地面に転がったカーキッドにオヴェリアは駆け寄ろうとしたが。
アイザックの目が。その足を止める。
「オヴェリア、石を渡しなさい」
「……嫌です」
「今渡せば、皆の命、助ける事もできようぞ」
「この石は、渡せません」
言い、オヴェリアは剣を構えた。
「叔父上は、この石を使って何をなさるおつもりか!?」
「……先ほど言うた。お前には関係ない」
「関係あります!!」
「……」
「私はこの国の、姫ゆえに」
カーキッドが立ち上がる。再びアイザック目掛けて斬りかかる。
だが打ち付けるのは虚空。やはりその剣は、男には届かぬ。
弾き飛ばされるカーキッドの姿を見て。起き上がっては斬りかかる彼の姿を見て。
――オヴェリア、ついに走り出す。
「やめなさい、オヴェリア」
静かなる声は、昔と同じ。
……否、違う。オヴェリアはそう思った。昔の叔父の声は、もっと明るくて。
(澄んでた)
脇を一閃。
オヴェリアの剣もやはり、虚空を斬る。
だが。
カーキッドが斬った時とは明らかに違う。アイザックには届いていなかった。だが、確かにその瞬間空気が揺らめいた。現実アイザックの顔に、驚愕の表情が浮かんだ。
「聖剣か」
手ごたえ。それを感じ、オヴェリアは返す刀でもう一刀入れた。
ドォン
その同じ場所を、間髪入れずにカーキッドも斬る。
「やめろオヴェリアッ!」
「ぁぁぁぁあああああ!!!」
「やめろと言うておるのだ!!」
アイザックが初めて、その手をオヴェリアに突き出した。
瞬間、オヴェリアは背中に嫌なものを感じ、その場を転がって避けた。
だが地面につくギリギリで。脇に強い衝撃を感じた。
オヴェリアは倒れ込む。その場所は、先ほど暗殺者から手傷を負った場所でもあった。
「くッ……」
「剣を捨てよ、オヴェリア」
「……捨てませぬ」
「捨てよオヴェリア!! それは呪いの剣ぞ!!!」
顔を上げれば、アイザックの顔にはありありとした怒りが浮かんでいた。彼のそのような顔、オヴェリアはかつて一度も見た事がなかった。
「叔父上、」
「なぜだオヴェリア。なぜその剣を持つ」
「……」
「薔薇前試合……なぜそんなものに出た。なぜお前がその剣を」
――よりによって、お前が。
「愚か者ッ」
「それはお前だッ!!!」
瞬間、カーキッドは横合いから突きを繰り出した。
アイザックはそれを、視線だけで受け止め流そうとしたが。
カーキッド渾身の突き。彼のすべての力を宿した黒き剣は。
ピキリ、と。
空間に、ヒビを入れた。
それにアイザックは目を見張った。
完全に空間が割れ、カーキッドの剣がその身に届こうとした所を。
ガキィィン!!
「やっと、抜いたな」
「……」
アイザックは剣を抜き、それを受け止める。
カーキッドはニヤリと笑った。それはとても嬉しそうな顔だった。
「異国の民か」
その目と髪の色は、この国の物ではない。一目瞭然である。
「何ゆえお前のような者が、オヴェリアの供をしている」
「こっちが聞きてぇッ!!」
一歩退き、半身くねらせ一撃入れる。
それをアイザックは剣で受け止める。片手持ちである。
もう片方の手が、カーキッドの首を狙う。彼は、咄嗟にそれをよける。
体勢は崩れたが、だが今度はもう転げない。「っとっと」とうまく着地し、すぐに剣を構えた。
アイザックの手は掠めてもいなかった。だが、カーキッドの頬が少し切れていた。
「なるほど、常人じゃねぇや」
「黒き剣の使い手……聞いた事がある。砂漠の向こうの地、エッセルトの内戦。確か鬼神≠ニ呼ばれる黒き剣を持つ者がいたそうな」
「忘れた。そんな昔の、話なんざッ」
言いつつ、またしてもカーキッドが斬りかかる。
斜めから斬り上げたその一閃を。
アイザックは剣ではなく、手ぶらの手をかざし。
ガシリと直接腕で、掴み取った。
「!!」
これにカーキッドは明らかに驚愕の表情を浮かべた。
だが体の反応は早い。掴み取られたその状態で、アイザック目掛けて飛び蹴りを繰り出した。
それは確かにアイザックの胴体に入ったが。
身じろぎせぬまま、アイザックは残り一方の手とそこに握られた剣を躍らせた。
間一髪でカーキッドは狂剣から逃れたが。
体勢が悪すぎる。完全に、避けられる物ではなかった。
血が飛んだ。
カーキッド・J・ソウル。旅に出て血を流したのは、これが初めての事だった。
「カーキッド!!」
オヴェリアと反対側の脇腹から、血がにじみ出ていた。
「カーキッドッ!!」
「へへへ」
オヴェリアの叫びを他所に、カーキッドは笑っていた。
その目はアイザックしか捉えていない。
それはアイザック自身も同じ。
じっとカーキッドを見たかと思うと手を突き出して。
次の瞬間、カーキッドの腕から足から血が吹き飛んだ。
否正確には、それだけで済んだのは、彼が避けているから。
見えない、何かから。
(魔術!?)
でも見えないがゆえに、彼の身を何かが掠めるのだ。
切り裂く何か。それは風でもなく、弓矢でもなく。
――瞬く間に、カーキッドの身は傷だらけへと変貌する。
その中には肉を、抉り取ったような傷もあった。
そんな自身の姿を知ってか知らずか、カーキッドは剣を立てた。
「うぉおおおおお!!!」
雄叫びと共に斬りかかるが。
次の瞬間巻き起こった風圧に、カーキッドの体は見事に吹っ飛ばされた。
宙を舞う彼の巨体が、地面に叩きつけられる姿を。
オヴェリアは呆然としながら見ていた。それしか、出来なかった。
「カーキッド、」
「……ツッ……」
倒れ込む彼に向かい、アイザックが1歩、また1歩と歩き出した。
傷一つ、埃一つつかぬその姿。
焔の陽炎を身にまとっているかのように。その空気がゆらゆらと震えていた。
アイザックが近づくが、カーキッドはまだ立ち上がれない。
アイザックは剣を握りなおす。
目の前で、カーキッドに向かい歩み寄ってくるその姿。
幼き頃から見ていたその姿、良く知るその人が。
オヴェリアには今、唯一つのものにしか見えなかった。
死、そのものにしか。
「叔父上」
喉から。声は出た。
でも手は震えていた。
足も震えていた。
奥歯も震えそうだ。でも彼女は。
懸命に胸から声を、吐き出した。
「アイザック・レン・カーネル!!」
喉の先から出す程度の声では、届かない。
本能がそれを悟っているかのように。
声は彼女の奥から湧き出て。
先へ先へと、響いて行く。
「何ゆえ石を求める!?」
「……」
「碧の焔石……あまつさえ、この街の状況」
「……」
「見過ごせぬ」
言い、立ち上がった。
脇腹は痛むけれども。
それ以上に心が。
「……ならば、何とする」
「……」
「王女オヴェリア。我が所業を見て、貴女は何とする」
「……」
アイザックの目は、まっすぐにオヴェリアを見た。
6年間、待ちわびたこの日。
会いたかったこの人。
「アイザック・レン・カーネル。偽りなく述べよ。目的は何か」
「……」
「答えよ、カーネル」
「ならば申し上げましょう」
アイザックは体ごと正面、オヴェリアを向きなおり。
何ら飾らず、ゆっくりと。だが素直な声色で。
一言、こう言った。
「我が目的は1つ。この国を滅ぼす事」
オヴェリアの胸が。
ツンと、高い音で鳴いた。
「何ゆえ、そのような事」
「この国は淀んでおる」
「淀む?」
「もう、限界だ」
誰が? 何が?
――うろたえてはならぬ。
脳裏、どこかで、父の声がした。
オヴェリアの父、ヴァロック・ウィル・ハーランドの。
(父上)
「……カーネル、何を申しているかわかっているか」
「無論」
「国を滅ぼす、その言葉の意味」
「……」
「それは反逆ぞ?」
アイザックは小さく笑った。「然り」
「なぜ、なぜ」
「……」
「なぜカーネル…………叔父上!!」
オヴェリアは叫んだ。
「なぜ!?」
「……」
必死に。
叫ぶその目からは、涙が。
弾けて飛んで。頬を伝い流れたが。
構わずオヴェリアは。何度もその名を呼び、叫んだ。
「アイザック・カーネル!! なぜ!?」
「……」
「この国は、母上の……そなたの姉上の、」
「だから、だ」
「……?」
「だから、ゆえに」
私は、とアイザックはオヴェリアの剣に視線を向けた。
「俺はこの国を、滅ぼしたい」
「……ッ!?」
「この国と、王であるヴァロックを」
消し去りたいのだと言ったその顔は。
今までの無に近かった表情から一変して。憎しみに満ち満ちていた。
「父上をッ……」
殺したい?
叔父上が?
「なぜ」
「愚かなり、ヴァロック」
「……ッ」
「何と愚かか……よりによってその剣を、この娘に持たせるのか」
「叔父上、」
「白薔薇の剣……持つ事できるのは剣に選ばれし者のみ……聖母・サンクトゥマリアの力を宿す剣」
でも。
「何が、聖剣だ」
風が。
「何が、聖母だ」
強く吹いて。
「何が、選ばれし者のみだけが帯刀を許されるだ。国を背負う資格を持つ、だ」
オヴェリアの髪を。心を。
「そんなものを抱きしこの国は、こんな国は」
乱し、乱して。
「間違っている」
荒 ぶ。
「オヴェリア、お前も知っているはずだ。この国が犯した罪」
「……」
「姉上がヴァロックの元に嫁ぎ、そしてその後築かれていった罪」
オヴェリアはゴクリと唾を飲み込み。だが白薔薇の剣を構えた。
「罪、などと」
「罪だ。国が犯し、お前の父が犯した罪」
「……父は何もしておりませぬ」
オヴェリアはジリと足場を固めた。
「姉上が何をしていたかお前は知っているだろう? ハーランドに嫁いだ姉が、何をもって何をさせられていたか」
「……それは、」
「どのような気持ちであの方は……生きておいでだったか」
「叔父上ッ、その話は」
ここにはカーキッドがいる、デュランもいる、見知らぬ魔道師もいる。
これだけの人間がいる中で、その話はしてもいい話ではない。
禁忌――駄目なのだ。
「叔父上、」
やめて。
お願いだから。
……だが。
そんな悲痛なオヴェリアの顔をあざ笑うように。
アイザックは言葉を続けた。
「この国が姉上に課した所業、罪。そして罰」
そして。
「ヴァロックが王になった理由」
「父上が、」
何?
「お前は知らぬ。知れば、お前も私と同じ気持ちとなろう」
何の事? オヴェリアは眉を寄せる。
「この国最大の秘密」
それは、
「白薔薇の騎士、それが――お前の母ローゼン・リルカ・ハーランドから、ヴァロック・ウィル・ハーランドへと移った本当の理由」
アイザックがそう言った時。
オヴェリアの背後で魔道師が、ニヤリと不気味に微笑んだのを。見たのはただ1人。