『 白薔薇の剣 』

−最後の王女の騎士録−

 

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 第9章 『さらば、愛しき人よ』 −4− 

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「白薔薇の剣に選ばれし者がこの国の王となる……建国より250年、つむぎ継がれてきた愚かなる慣習」
 聖母・サンクトゥマリアの力が宿っているという白い薔薇の剣。
「ハーランドの家は、そうやって、代々王になる者を選んできた」
「……」
「お前の父、現王ヴァロックもそうだ。白薔薇の剣に選ばれた。……だがそれに至る前に何があったか。お前は知らぬ」
「叔父上」
「ヴァロックは……前の剣の持ち主を殺し、その権利を奪ったのだ。前の持ち主である――お前の母上、ローゼン・リルカ・ハーランドから」
 誰かが息を呑むような音が聞こえた。オヴェリアはたまらず叫んだ。
「叔父上、やめてください!」
 それは懇願ではなく命令であったが。
 アイザックは構わず、言葉を続けた。
「姉上には婚約者がおられた。幼き頃より決められていた婚だ」
「叔父上!」
「だがそれは、直前になって解消された……理由は1つだ。剣に選ばれてしまったがゆえ」
「叔父上、もうやめて!」
「前王亡き後、誰一人持つ事叶わなかった剣が。ようやく選んだ人物こそが……姉上だった。よりによってだ」
 なぜだ! とアイザックは叫んだ。
「姉上は剣など握った事もなかったのだぞ!?」
 なのに、白薔薇の騎士?
 アイザックは低く自嘲気味に笑った。
「それにより姉上は無理矢理ハーランドへ、ヴァロックの元へと嫁がされる事になった」
 笑い声が聞こえた。
 ギル・ティモの、狂ったような笑い声だった。
 だがそれはオヴェリアの耳を、とどまる事なく通り抜けていく。
「剣に選ばれた者が王となる? 選ばれていないヴァロックが平気な顔で玉座にいたではないか。民を騙し、欺き、そして姉上の人生をも歪めて」
「母は、父を愛しておられた」
 オヴェリアの頬を涙が伝った。
「だがヴァロックは姉を殺したのだ。剣に選ばれた姉をねたみ、自らの物にするために姉を殺したのだ!」
「そんな事、あり得ません!」
「だが姉が死んだ後よりヴァロックは真実の王になった。姉から奪ったのだ」
「……違う」
 オヴェリアは目を閉じ必死に首を振った。
 ――胸の病と聞いた。
 ローゼンは長く、胸を患っていたと。その発作に寄るものだと。
 知らされ、駆けつけた時にはもう。
 彼女は柩に納められていた。
 きれいなドレスを身にまとっていた。母がよく好んで着ていた、青のドレスだった。
 化粧を施された母の顔は美しくて。ただ眠っているだけのようにも見えた。
 微笑んでいるように見えた。
「母上は病気で亡くなられたのです」
「私もそう思っていた、ずっと。だが事実は違った。お前の父が殺したのだ」
「違う! 父はそんな事しない。私は父を信じております」
「ならばどうして泣く、オヴェリア」
「……ッ」
「父を信じている、そう言いながら。なぜ泣くオヴェリア?」
 違う。そう思った。
 オヴェリアは頭を振った。
「違います」
「オヴェリア」
「違う」
 父は。剣に命を懸けた。
 母は。この国を守るために戦った。
 2人は共に命を。剣とこの国に捧げた。
 2人は。
「オヴェリア」
 泣いて頭を振るオヴェリアに、アイザックが歩み寄る。
 その顔は、先ほどまでとは打って変わり慈愛に満ちていた。
「悲しき事を申したな」
「叔父上、」
「オヴェリア。すまぬ。母を守れず……すまぬ」
 その目の色に、オヴェリアは昔のアイザックの姿を見た。
 優しく強い、物知りで頼りになる叔父上。
 彼女が憧れた、愛した人の姿を。
「叔父上」
 呆然とする彼女の腕を引き、アイザックは自分の胸の中へと彼女を誘った。
「大きくなったな、オヴェリア」
「……叔父上」
「そして美しくなった。亡き姉上そっくりだ」
「……」
「私だって義兄上あにうえを信じていた。姉上が幸せならばそれでよいと。突然の婚儀、姉上の身を案じて何度もハーランドへ参ったが、最初は戸惑っておられた姉上も、次第に心を許しておられるのが見えた。あの方の元に嫁いでよかったと笑っておられた。そしてお前も生まれた。……だから私も安心していた。なのに」
 叔父の腕は強かった。胸はたくましかった。ドキリと心臓が跳ねた。
 ――でも。
「あいつは姉上を裏切った。そしてあまつさえ、お前にこんな剣を持たせるなど」
「……」
「愚かなりヴァロック・ウィル・ハーランド。このような国のあり方はおかしい。間違っている」
 ぬくもりは、感じられなかった。
「オヴェリア」
 声はあの日のまま。優しいのに。
「これからは、私がお前を守る。姉上の代わりに」
 ずっと会いたいと思っていた人なのに。
 胸を、寂しさが襲った。
 涙が出た。
 止め処もなく。




「しゃらくせぇや」
 よっこらせと言いながらカーキッドは立ち上がる。足元はおぼつかない。
 だが目はしっかりしている。
「それがこの国を滅ぼそうとする理由ってか?」
 カーキッド、とオヴェリアが顔を上げる。アイザックから離れようとしたが、その腕は強く、彼女を離さなかった。
「姉上を殺した王が憎い? だから王も国も滅ぼしちまえってか」
「……」
「陳腐な理由だねぇ……なぁ、本当にそれだけかい? カーネルさんよ」
 オヴェリアは見えない。アイザックがカーキッドに向けている、鬼のような形相を。
「お前にとっては陳腐でも、私にとっては絶対だ」
「そうかい。でもそれであんたのねぇさんは浮かばれるのかね?」
「お前には関係ない。異国の民よ」
「そうだな。どの道俺にゃぁこの国の顛末なんざ知らないね。どうでもいい事だ」
 カーキッドは鼻で笑う。その顔も体も、血に汚れていた。
「ったく、この街にきてからいい事なしだ。一張羅はどこぞの神父にくれちまうしよ。名誉の負傷は増えるしよ」
 イテテとわざと言い置き、カーキッドは、黒の剣を握りなおした。
「もっと言や、この国にきてから、か?」
 そして口の端にあった血を、ピっと親指で払う。
「オヴェリア、俺はお前のお守りじゃねぇっつったぞ」
「……」
「そこにいたら、一緒に斬るぞ」
 あ、とオヴェリアはもがいた。
「オヴェリア」
「離して叔父上」
「……何ゆえだ」
 少し腕が緩む。その間に、オヴェリアはドンとアイザックの胸を押し退けた。
「オヴェリア」
「叔父上」
 アイザックは驚きの顔を浮かべた。オヴェリアの胸はそれに少し痛んだけれども。
「違います、叔父上」
 違う。
「叔父上は間違っている」
「……」
「こんな事、間違っている」
「……」
「白薔薇の剣の持ち主、継承は、2つと聞きます」
 1つは剣自身に選ばれる事。
 もう1つは、前の持ち主が選んだ誰かを、剣が認める事。
「母は、父に託した」
 涙が伝う。
「剣と、国の行く末を」
 だから。
「父と母が持ったこの剣、守ったこの国は、私が守り抜きます」
 言い、オヴェリアは剣を構えなおした。
 切っ先をアイザックに向ける。
 これが、決断のとき
「そうか……」
 目を伏せにじむような声でアイザックはそう呟いたが。次の瞬間オヴェリアを見たその顔は、彼女の知らぬアイザックの顔であった。
「悲しいな」
「叔父上」
「そして、哀れだ」
 何が? そう問う間もなく。
 アイザックの剣は、オヴェリア目掛けて振り下ろされていた。
 それを捉える間もなく、背中を誰かに引き寄せられる。
 彼女の鼻先を、アイザックが描く剣が振り下ろされていく。斬られはしなかったが、鼻にツンとしたものが走った。
 そして彼女を引き寄せたその腕は、そのまま後ろへ彼女を放り。
「退いてろ」
「カーキッド、」
「カーネルさんよ、あんたの相手はまだ俺だろう?」
「……」
「カーキッド、傷が、」
「異国で」
 そう言いカーキッドはニヤリと笑った。
「鬼神≠ニ呼ばれた剣」
 見せてやるよ。
 ――言い捨て、カーキッドが飛び出す。




「ディア・サンクトゥス!!」
 カーキッドとアイザックの間に火花が散ったのと同時、光も交差した。
 辺りに巻き起こった閃光と煙に紛れ、デュランは走った。
 そしてたった今までギル・ティモが立った場所目掛けて。
「オストロ・ディスト・ロオザィム!!」
 持っていた護符を投げ放った。
 捉えたか!? その目が一瞬光ったが。
「それで裏をかいた気か?」
「!!」
 声は真後ろから聞こえた。
「セシモ」
「ッッ!!」
 咄嗟避けるが、避けきれる間合いではなかった。腕を氷の刃が掠めて行く。
「ぐッ!!!」
 痛みに苦悶の顔を浮かべたが、膝はつかない。次の護符を握り構える。
 デュランのその姿に、ギル・ティモは面白可笑しそうに笑った。
「無駄じゃ無駄じゃ」
「ラウナ・サンクトゥス、ラウナ・サンクトゥス」
「……懐かしき調べ。聖魔術か。ラッセル・ファーネリアがよう使っておったな」
「エリトモラディーヌ!!」
「西の賢者が編み出しし、聖なる魔術の音」
 だが。
「そんなものではこのわしは止められぬぞ」
 詠唱なし。ただ手を振りかざしただけで。
 烈風も何もない、切り裂くような風の刃が生まれ出て。
 斜めに、デュランの体を切り裂く。
 後ろへ身をよじらせたが、デュランの体はそれにより宙を舞って。地面へと叩きつけられる。
「ヒェッヘ、無様」
「……」
「助けを呼ばぬのか? 神父」
「……笑止。お前など、俺一人で充分だ」
 地面に崩れたデュランは、口の端を伝った血をグイと手の甲でぬぐった。
「お前こそいいのか? 放っておけばお前の傀儡、討ち滅ぶぞ?」
「……ほう?」
「カーネル卿を焚き付けたのはお前だろう?」
 操っている、と言い換えるべきか?
「お前の目的は何だ」
「目的? 我はただ、殿様の願いを叶えたいだけ」
 願い。
「この国を滅ぼすという」
「人を屍の兵と成し、業火と変えてか」
 デュラン・フランシス、その息は荒い。
 だが眼光強く。
 その光が、唯一、倒れた獲物を前にする魔道師の足を止めている。
「死を超越した、痛みも恐れも悲しみもない兵団じゃ」
「暗黒魔術の書に記された禁忌の魔術だ」
 膝から、立ち上がる。かろうじてといった様子。
 だがまっすぐ腕をかざす。
「竜の焔石を得てどうする」
「うぬも知ろう。あの石、割ればどうなるか」
「大地を覆う炎となるか……いいや違う。お前の目的はそんなんじゃない」
「……」
「赤ん坊にあんな呪いをかけてまで捜し求めるんだ。違う、お前は。そんなお易い目的のために、しかも人のために動くような奴じゃない」
「ならば?」
 ニィと笑った歯の向こうから、覗く暗黒。漆黒という名の無。
 それに飲み込まれないように。デュランは腕に力を込めた。
 それだけで、自分の周りに結界を描くように。
「なぁ神父」
 そんな彼を見下す彼のフードが、一瞬風によって動いた。
 闇の中から一瞬、ギラリと光る目が見えて。それは射抜くようにデュランを見ていた。
「聞かずとも、お前ならわかるのではないか?」
「何、」
「ラッセル・ファーネリアの弟子よ。そして」
 ――使いし者よ。
「ディア・サンクトゥス!!」
「そんな術でわしは射ぬけぬわ」
 ヒッヒッヒッヒという高笑いと共に、ギル・ティモの姿が消え失せる。
「我を射抜く物あるとすればそれは、禁断の魔術のみ」
「オストロ・ディスト・ロオザィム!!」
「そしてお前はなぜ気づけぬ?」
 なぜ疑わない?
「獣人となったラーク公」
「――」
「なぜ思わない――アイザックが同じだと」
 デュランは刹那、衝動的にカーキッドを振り返った。
「カーキッド!!」
 そしてその時デュランが見たのは。
 カーキッドの黒き剣が、アイザックの体を貫いた瞬間だった。




 カーキッドの顔に一瞬光が過ぎった。
 貫いたのは心の臓。
 事実アイザックは目を剥いた。
 だが。
 すぐ様カーキッドは異変を感じた。剣を引き抜き、アイザックの体を蹴飛ばした。
 アイザックの体は地面に転がり。伏したが。
 血が。地面にもカーキッドの剣にも。
 ほとんどと言っていいほど、流れなかったのである。
「……ははは」
 そして間もなく。
 地面に横たわるアイザックの体から。笑い声が聞こえてきた。
「ふふふ……」
 口元を押さえるオヴェリアの前で、カーキッドは「へへへ」と笑った。
「おいおい、どっかで見た事あるぞ、こういう光景」
 言うカーキッドの腹からは、新たな傷ができて血がにじんでいた。
「ギル・ティモ。確かにそうだ、お前の言った通りだ。本当に、痛みも何もない」
「左様でございましょう?」
 答えるように。ギル・ティモの姿がスゥッと空間からにじむようにアイザックの隣に現れた。
「見事なり」
 アイザックは自分の腕を、何度か動かし見た。
「死なぬ」
 我は死なぬぞ。
「どういうこった」
「レイザランの領主、カール公に成された術と原理は恐らく同じ」
 デュランが姫の傍に寄りアイザックとギル・ティモを睨み見た。
「禁断の魔術の1つ。あれは、生命の融合」
「何?」
「……実物を見た事がなかったゆえに、あの時はっきり言えなかったが……暗黒魔術の1つにそういう技があると聞いた事がある。生命の融合、バラバラの生命を1つの生命として融合させる技だ」
 ギル・ティモがニヤニヤと笑っている。
「ラーク公に成したのは、獣と人との同化だな?」
「……左様。ラーク公に成した技、せっかく御身を不死身にして差し上げようとしたのにな。残念。逆に獣に命を食らわれてしもうたわ。ラーク公には悪い事をした」
「嘘だ。全部計算づくだろう。彼が命を食われるのも、暴れ狂う事になるのも」
 ギル・ティモは、下卑た笑いだけでそれに答える。
「そしてカーネル卿は何と掛け合わせた!?」
「……」
「ならば問おう。アイザック・レン・カーネル。あなたには妻がいたな」
 オヴェリアはハッとした。
「まさか、」
「そなたの妻、ソフィア様はどこにおる?」
 それにギル・ティモは笑ったが。
 当のアイザックは少し微笑むだけだった。
「ここに」
 彼はそう言い、胸を指す。
「我妻ソフィア」
 その顔は淡々とした物だった。
「彼女は私をよく愛してくれた」
「……」
「だが私は、愛せなかった」
「…………」
「彼女は言うたのだ。これは彼女が望んだ事だ」
 愛されずとも、あなたの命にはなれますと。
「ソフィアだけではない。我が身に宿るのは数人の命」
 融合。
 だから。
「私は死なぬ」
 ――もう、とオヴェリアは思った。
 目の前にいるのは彼女が良く知るアイザックではないと。
 魔術師と共に。
 知らぬ世界にいる知らぬ男だ、と。

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