『 白薔薇の剣 』

−最後の王女の騎士録−

 

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 第9章 『さらば、愛しき人よ』 −7− 

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 ――うらら、うらら
 炎の音が、そんなふうに聞こえた。
 その傍らにある止まり木に、一羽の鴉がとまってる。
 動きはしない。だがその黒光りする目だけは、爛々と輝いている。
 獲物を見定めるかごとく。
「やはり私はもう、降りる」
 部屋。
 四方を囲むのは石。
 レンガのような小さなものではない。大きく荒削りな物を積んでできた空間。
 調度品はただ、暖炉とテーブルがあるのみ。
 貴族などが見ればここは、部屋などとは呼べない場所だろう。奴隷かもしくは罪人がいるような場所だと豪語するはずだ。
 実際、ここにいる身分高きその男は、この場所にひどい吐き気を覚えた。狭すぎてここは、押しつぶされそうだと。
「やはり間違っておったのだ私は……」
「わしが申し上げた事、嘘であったと?」
 王が王妃を殺した事。
 ――アイザックは首を横に振った。「知らぬ」
「わからぬ……わからぬ、姉上がヴァロックに殺されたならば、許せぬ。断罪すべき事。だが……できぬ」
「何を?」
「私には、あの娘を……オヴェリアに剣を向ける事は、もう」
 姉上の娘。姉上とよく似たあの顔とあの瞳。
「できぬ」
「ほーほー。ですがあの娘には、憎きヴァロックの血が流れておりまするぞ?」
「……」
「あなたの姉上に無理に剣を持たせ、婚約者と引き剥がし自らの物としたヴァロック王が、無理矢理奪ったその体。あの娘は、あなたの愛する姉上がヴァロックに犯されて出来た代物じゃ」
「……ッッ」
「ヴァロックが犯したのじゃ、お前の姉を、無理矢理に」
「……ッッッ、やめろ、やめろッ!!」
 やめてくれ……呻くように言い、アイザックは頭を抱え込んだ。
 それを見て、魔道師は「やれやれ」とため息を吐いた。
「とんだ、出来損ないの弱虫じゃ」
 止まり木の鴉が、ガァと一つ鳴いた。
 それにより、魔道師は顔を上げた。「おやおや」
「わざわざお越しで」
「失敗したそうだな、八咫やた=v
 近づく気配は感じられなかった。だがギル・ティモが振り返るとそこには、男が立っていた。
「申し訳ございません。ゴズー様」
「まぁよいさ。石はあの娘が持っている。そして娘が向かう先はゴルディア」
「は」
「……少し様子を見るとしようか」
 アイザックは、現れた男を凝視した。見覚えのある者ではなかった。
 だが、彼が胸につけていた章には覚えがあった。
「まさか、お主は……ッ」
 アイザックはギル・ティモに向かい叫ぶ。
「どういう事だ! なぜそのような者がここにッ」
「んー?」
 いかんかのう? とギル・ティモはアイザックの目を覗き込む。
「殿様に助力してくださるそうじゃ」
「何?」
「ハーランドを滅ぼす。そのためにこの方は力をお貸しくださると申しておるのです」
 それは、とアイザックは喉を鳴らす。
「バジリスタがッ……」
 ――隣国バジリスタ。
 その紋章は剣。
 ――天を貫く、剣の章。
 今まさに目に前にいる男が着けている物こそが。
「まさか、そんなッ」
 こんな。
 ……アイザックは逃げ出そうとした。出口はどこだ!?
「ヘェッヘッヘッヘ」その背に振りかかるは、ただ、笑い声。
「どこへ行かれるか、殿様や?」
 知らせねば。
 誰に? ああ、ヴァロック……義兄上か。
(姉上、)
 脳裏にその笑顔が過ぎる。
 だがそれは一瞬でかき消される。
 唐突に目の前に現れた、魔道師の醜い笑みによりて。
「ッ!!」
「殿様は、ご自分の立場を理解されておらん様子じゃ」
「……私はもう降りる!! 私が間違っていた!! この国はッ」
「降りる? 無理じゃ。もう後戻りはできんよ?」
「……ッ」
「ここに、手を当ててごらん」
 ギル・ティモは彼の腕を取る。「ほぉら、ここ。心臓が脈打つのが聞こえるかい??」
 無理にアイザックは自分の腕を掴まされた。
 そして。
「……ッッッ!!!」
「聞こえるか? 鼓動が」
「………」
「聞こえんな、鼓動は、もう」
「や、やた殿……」
「そうじゃ。もうお主の心臓、止まっておるよ」
「…………」
「あの折の実験で、そなたは不死身となった。そうじゃそうじゃ。もうそなた体は死んだんじゃから。それ以上の死はない。何人もの命をねじ込んだが、どれもこれもうまくはいかなんだ。お前は死んでる。そして誰の命もお前には宿っておらぬ。ならばなぜお主が動く? その根幹にあるものは何だと思う?」
 ギャァと、鴉が止まり木から飛び立って、ギル・ティモの肩に止まった。
「その体ももう、鴉の躯じゃ」
 奴隷、ドーマ、それと同じ術を。
 アイザックは自身の胸に手を当てた。何かが蠢く様だった。
「ウワァァアアアアァ!!!」
「騒ぐ事はない。騒ぐ事はない」
 言い、倒れこんだアイザックの頭をギル・ティモは抱え込んだ。
「怖き事は、何もない。そなたはそなたが理想描いたとおりに、死を超越したのじゃから」
「もうそなたには、死はない」
「悲しみもない」
「恐れもない」
「傷つく事も」
「震える事も」
「何もない」
 何も
 ない。
 ――ない。
 無。
「ほぉら、心を楽に」
 ――闇が、心を取り込んでいく。
「任せてしまえばいい。身も心も」
 その闇はとても穏やかで気持ちのいい物だったけれども。
「忘れてしまえばいいのじゃ……憎しみも、怒りも」
 喜びも。
(姉上)
「そなたは私の、かわいいかわいい躯の1つじゃ」





 闇が。
 包み、消し去っていく。
 色々な事を。
 大事な思い出を。
 アイザックが抗いきれないほどの力、速度で。
 その闇の中で、アイザックは呼んだ。姉上と、愛しき人の名を。
 脳裏に描く、姉の顔。
 ローゼン・リルカ・ハーランド。
 オヴェリアに良く似たその女性の顔が。
 ……消えていく。
 アイザックは涙をこぼした。
(姉上……)
 彼は微笑んだ。
 そしてすべてが闇に落ちる前に、彼は別れの言葉を呟いた。




 さらば、愛しき人よ、と。

 

  <第1部 完>

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