『 白薔薇の剣 』
−最終王女、騎士録−
第11章 『死の呪い』 −1−
ゴルディアの地には、かつて行った事がある。
その時から、思ってた。
……いつ、何時、どうなっても。
それはそれで、本望なのだと。
いつぞやのまじない師の言葉なんぞ。
クソ食らえ、だと。
11
「マルコの様子は?」
「眠っております。大丈夫。いずれ目を覚ましましょう」
もう一度レトゥは「大丈夫」と言い、席に着いた。
「それにしても、昨日に続き助かりました。……しかしなぜあなた方があそこに?」
――宿である。
山から戻った彼らはまずマルコを寝かせ、着替え、宿の奥にある食堂に集った。
問われオヴェリアは少し気まずそうにカーキッドを見、決意したようにレトゥに言った。
「申し訳ありませんでした。たまたまお二人が宿を出て行く所を目にして。少し……気になったものですから」
「それで後を追ってらしたと?」
「申し訳ありません」
「俺はやめとけつったんだけどよ」
他人の顔して言うカーキッドを、オヴェリアは少し恨みがましそうに見た。
「どの辺りが気になられましたか?」
だが老人は気を悪くした様子になく。至って普通の様子で尋ねた。
「昨晩からの、マルコの様子が」
「ほぉ」
あの怯えたような顔が、とは言わない。
だがレトゥは察した様子で頷いた。「わかる気が致します」
「我らは……お察しかもしれませんが。あれを処理するためにこの町に参ったのです」
食堂に彼らの他に人はいない。
「町の長に内々で頼まれまして。くれぐれも町の者に気づかれぬようにお願いしたいと。知れればここは大混乱になりますゆえに」
蟲の存在、そしてそれによって村や町が襲われているという現状。
それを知ったのは旅に出てから。蟲という存在、そしてそれによりこの国でそんな事が起きているのさえ、オヴェリアは知らなかった。
無論、その姿を見たのも旅に出てから。
「蟲は並大抵の火では及びません。かえって孵化を早め凶暴化させる恐ろしき存在です。人には過ぎる存在。ですので時折、私どもに助けを求めて参られる方がいる。そうした声にこれまでも何度か現場に足を運んで参りました」
「マルコは初めてだったのでは?」
核心を突くオヴェリアの問いに、レトゥは少し神妙な顔をした。そして黙って頷いた。
「そう……あの子に共をさせたのは今回が初めて。蟲を前にして術を成すのは、これが初めてす」
「……」
「あなた方は……初めてではないのですね? あの異形を前に迷いなく斬ってみえた。どこかで蟲と対峙した事があるとお見受けしましたが」
オヴェリアの顔に一瞬影が落ちる。だが次には強い目がレトゥに答えた。
その目を見て、レトゥは双眸を細めた。「あなたは……?」
「何者ですか……? カイン・ウォルツ……いや、オヴェリア殿?」
「なぜその名を」
「失礼ながら、先ほどカーキッド殿があなたをそう呼んでみえた」
あ、とカーキッドは声を漏らした。すぐにオヴェリアがカーキッドを睨む。
「申し訳ありません。理由 あってカインと名乗っております。確かに私の本当の名はオヴェリア」
「オヴェリア様……」
「それ以上は申せません。ですが確かに私も旅の道中で蟲を斬りました。その実態も見ております。ゆえに……あなた方が成している事は素晴らしい事だと思います。私も、蟲に滅ぼされた村を見て参りました」
カーキッドが長く息を吐き、目の前に置かれた珈琲に口付けた。湯気が香り立ち、オヴェリアの鼻をもくすぐった。
「近年、蟲が南下しているのはご存知か?」
老人の問いに答えたのはカーキッドだった。
「ああ? 元々蟲はもっと北に生息していた。アステル近郊から、バジリスタにかけてが主な生息地だったはずだが」
「そう。蟲の生息地域は近年徐々に南下を進めている。ハーランド近郊にまで及んでいる様子」
オヴェリアは唇を噛み締める。確かに彼女が初めて蟲を目にしたのは、ハーランドからまだ近い村であった。
「その数もどんどん増している……食い荒らされる人里は多い。どこかからやってきて、いつの間にやら卵を産み付けていく。蟲が一度に落とす卵の数もまちまち。その生態も未だはっきりとわかってはおらん」
「ギョウライチュウの変異だという話だが?」
「だが一体どのような形態でもってあれだけ巨大化・凶暴化したのか。研究も進まぬままに、数と被害ばかりが増しているのが実質」
「……」
「王室はどう思っているのか……この事態、いかに成すつもりか」
その言葉にオヴェリアの心臓がズキリとした。
その顔を何と思ったか、レトゥは少しため息を吐き、「少々言葉が過ぎました」。
「ともかくも、今回の一件はどうぞご内密に。事が知れれば住人は混乱する。土砂崩れの方も後で確認に参らねばなりますまい」
「マルコは、大丈夫でしょうか?」
体の事以上に、オヴェリアが言いたいのは心の事である。
「今回の供は、あの子自身が望んだものです」
「え?」
「……蟲の退治には危険が伴う。未熟な魔術師を連れて行くわけにはいかない。……ですが今回はあの子自身が望んだ。それはあの子が、乗り越えなければならないと感じたからでしょう」
「……それは?」
「マルコは蟲に会うのは今日が初めてではないのです」
レトゥが次の言葉を口にしようとした時、食堂の戸口が開いた。そこにいたのは、先ほどレトゥたちを案内していた町の男だった。
「先生、少しよろしいでしょうか。町長が」
「わかりました。……申し訳ない、少し留守にします。マルコをお願いできませんか?」
「わかりました。お気をつけて」
レトゥはカーキのマントを翻し、宿を出て行った。
それを見送りオヴェリアはカーキッドを見た。
彼は知らん顔でクシャミを3つ連続でした。
それからオヴェリアたちは早めの昼食兼朝食を済ませ、マルコの部屋へと向かった。
マルコはまだ眠っていた。
オヴェリアはその寝顔をじっと見つめている。それを見ながらカーキッドは、戸口に背をもたれさせた。
「重ねるな」
「何を、」
「そいつに自分を」
――蟲退治に、マルコは自分で志願した。
レトゥは言った。少年は何か、乗り越えなければならない物があるのだと。
「重ねるなど、」
してませんとは。結局言えなかった。
確かにオヴェリアも竜を退治するためにこの旅に出た。そこには、色々な意志が伴っている。
「ただ……この子くらいの時だったなって。母上が亡くなったのは」
「……」
「あの時の私に……あんな異形の物と戦う勇気なんか、持てたかしらって」
オヴェリアの言葉にカーキッドは少しだけ鼻で笑う。
「でもお前も、その時分には剣を振り回してたんだろう?」
「……少しだけ」
「なら、同じじゃねぇか?」
「……」
「必要となれば、お前は戦ってたさ」
小さかろうが大きかろうが。
戦う事に、老いも若きも関係ない。
意志があるか。
立ち向かうべき物があるか、そしてあるならば。
誰であろうといつであろうと、振るう力はある。
生きている限り。
今オヴェリアが目にするマルコの寝顔には、怯えはない。
彼女は少し安堵のため息を吐き、布団をかぶせ直してやった。
「あなたは?」
「あん?」
「カーキッドはこれまで……何のために戦ってきたの?」
何を目指して。
「は? あんだよそりゃ」
剣を振るい、体を鍛え、技を磨く。上へと目指す、その理由。
「あなたも何か目指す事があるの?」
「……さぁな」
そっと視線を逸らし、彼にしては珍しくあからさまに話題を変える。
「それより蟲だな。この前の村といい、やっぱりあのじぃさんの言う通り、数が増えてる」
「そうだ、さっきはありがとう。遅くなってしまったけれど」
「あん?」
「マルコの術から、庇ってくれたでしょう?」
いいや、今日だけじゃない。オヴェリアは思った。
カーキッドはこれまでこの旅の中で何度となく、身を挺して自分を庇ってくれた。
俺はお守りじゃねぇと言いながらも。でも、オヴェリアにはわかっている。彼が自分の事を気遣ってくれている事を。
「ありがとう」
「うっせぇ」
ニコリと笑って言う彼女に、カーキッドはボリボリと鼻の頭を掻いた。
「たまたまだ。別にてめぇを守ったわけじゃねぇ」
「そう。でも本当に、」
「そう思うんなら、俺に守られなくてもいいようにさっさとなりやがれ」
半人前は旅にいらねぇよ。そう言ってそっぽを向いたカーキッドに、オヴェリアは少し呆れた様子でクスクスと笑った。
「腕はまだ痛むの?」
「――」
「腕の包帯。時々痛そうな顔してる。さっきもそちらを地面に打ち付けてなかった?」
「……大丈夫だ」
カーキッドの顔が、サッと変わった。それをオヴェリアは見逃さなかった。
「カーキッド?」
「あのエセ神父の薬も大した事ねぇ。だが随分と楽になったさ。まだ多少痛むけど、剣を握るにゃ支障はない」
言いつつも、だが、明らかにカーキッドはオヴェリアの視線から右腕を隠した。
違和感。
オヴェリアはカーキッドの傍に寄る。
「見せて、カーキッド」
「何でだよ」
「いいから見せて」
「……てめぇ、いつから医学の心得でも持ったよ?」
皮肉げにカーキッドは笑ったが、オヴェリアの顔は真剣だった。
「見せなさいカーキッド」
「ダメだっつってんだろうが」
「どうして」
「理由なんか、」
ねぇよ。
言おうとする、その瞳を。オヴェリアが覗き込む。
青い青い瞳。
宝石? ……いや違う。これは。
海だ。
「……」
言葉に詰まる。
「カーキッド」
『カーキッド』
「――ッ」
何で今、その声を思い出す?
だがカーキッドの脳裏に、確かにその声≠ェした。
そして、彼にできたその隙を、オヴェリアが逃すわけがない。彼女はサッとカーキッドの腕を掴んだ。
たくましい、太い腕。
「触るなッッ!!!」
「ッ!!??」
だが。オヴェリアの手がその腕の包帯の一端を弾くには充分であった。
スルスルと、解き放たれた布は地面に向かって滑り落ちて行き。
代わりに現れたその腕は。
「――」
オヴェリアは息を呑んだ。
「カーキッド、これはッ」
「…………」
だから、と彼はボソリと呟いた。
「ダメだっつっただろうが……」
カーキッドの腕を、オヴェリアはこれまで何度か見ている。
だがフォルストでの事件以来久しぶりにさらされたその右腕には。
火傷の跡とは違う、黒と赤が織り交ざった毒々しいような斑模様が。右腕の肘から手首にかけて広がっていた。
「何、これ……」
「……」
「いつから!? ねぇカーキッド、いつからこんなッ」
「……チ」
カーキッドは観念したようにその場に座り込んだ。
「フォルストでの一戦」
「ッ!」
「……痛みはあった。だが実際に跡が出てきたのはそれから数日後だ」
「デュラン様には?」
「奴には見せてねぇよ。あいつが行った後だったから」
この傷跡、心当たりはある。
――ギル・ティモ。フォルストでの戦い、あの魔道師は最後去り際、オヴェリアに向かって何か放った。その時カーキッドはそれを庇い。
その時腕に、痺れのような痛みは感じた。……あれが原因だとしたら。
(これは、ただの傷じゃない)
「まぁ大した事ねぇよ。最近やっと痛みも引いてきたし」
不安げな顔をするオヴェリアに、カーキッドは嘘をついた。
「俺が大した事ねぇって言ってんだ。それでいいだろ」
「……でもッ」
「それにしてもじぃさんはまだかよ。チ、今からじゃ出発できねぇな……明朝に延期か」
「カーキッド、本当に、」
「くどいぞ。だから見せたくなかったんだ」
「……」
「……一服してくる。てめぇはここでガキのお守りしてろ」
包帯を拾いそう捨て置き、カーキッドは部屋を出た。オヴェリアは追って来なかった。
人目を確認し、サッと腕に巻いていく。幸い宿の外まで、誰にも会わずに済んだ。
胸のポケットから煙草を取り出し、火をつける。
空は明るい。雲の量は多いが、まだ、今すぐに雨が降るような天気ではない。
太陽を目の端で確認し、カーキッドは火を点けた。
(もしもこの傷跡が、あの時あいつから受けた物だとしたら)
ギル・ティモ。人を獣と変え、屍を操り、命を弄ぶ魔道師。
そんな奴が放った術。
(恐らくは、)
これは、死の呪い。
現実、黒い跡は徐々に広がって行っている。腕の痛みもそれに同じ。
「へへへ」
女を庇って呪いを受けて死ぬ、だぁ?
カーキッドは笑ってしまう。
自分のあまりの間抜けさに。
空しさよりも恐怖よりも何よりも先に。
笑ってしまう。
かつてカーキッドにこう言った者がいる。
――お前は生涯、剣によって生き、剣によって生かされる。そして最後は、己が戦う本当の意味を知り、愛する女を守って死ぬのだと。
おいおい、俺の戦う理由とか意味とか、何だよ? カーキッドは笑う。
そんなもん、俺が、俺のためにしているだけの事。理由もへちまもありゃしねぇ。
強くなりたい、剣客ならば誰もが望むその理想。
そのために戦う、これ以上の意味があるかい?
まして。
……愛する女って……誰だよ?
(俺は誰も愛さない)
改めて胸に刻む。
愛さない。……だから。
やっぱりあのまじない師はヘボだ。
俺は自分のために生きて、俺以上に強い奴に会って死ぬ。ただそれだけだ。
それ以上は、ないんだ。
――その夜。
「カーキッド、マルコが目を覚ましたそうですよ」
「へぇ、そうかい」
「ねぇ……カーキッド、その腕、医者に……せめて、レトゥ様に診てもらっては……」
「は? 何で魔術の先生に腕を診せなきゃなんねぇんだ? あのじぃさんは魔術師兼医者か?」
「いえ……でもッ」
「明日の朝経つ。いいな。もう寝ろ。俺の事はほっとけ」
「カーキッド……」
布団にもぐりこみながら、カーキッドはオヴェリアに背を向けた。
――それ以上は、ないんだ。
だからお前も俺に構うな。俺を気にするな。
そして彼は自分自身にも言う。
お前の一生は、お前だけのもんだと。
痛みも苦しみも何もかも。俺は俺だけのもんだと。
誰かにくれてやる命なんかないのだと。そう、刻んでいるから。
だから無論カーキッドは、痛みで眠れないなどとは誰にも決して、言わない。
雨が降り出したのを、カーキッドは聞いていた。
それがどんどん強くなるのも。
そういやじじぃが言ってたな。嵐が来るからさっさと旅に出ろと。
魔術師は天気予報もできるのかと内心思ったけれども。
隣の寝台にいるオヴェリアが、何度目かの寝返りを打った。
(眠れねぇのか)
いつもは必要以上にさっさと眠れるじゃねぇかよ、そう思いながらカーキッドもまた寝返りを打つ。
結局2人、寝付けないままに朝を迎える事となる。