『 白薔薇の剣 』

−最終王女、騎士録−

 

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 第11章 『死の呪い』 −2− 

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「川が氾濫してる!! 石垣が崩れたぞッ!!」
 夜から振り出した雨は、いよいよ勢いを増してきている。
 そんな中でも人が慌しく行き来している。
 通りを合羽カッパ姿の者が何人も走っていくのが、宿の窓からでも見える。オヴェリアは眉を潜めた。
 そんな彼女の背中を見、カーキッドは言う。
「濡れるぞ」
「……」
「さっさと用意しろ」
 振り返ればカーキッドは、もう旅支度を整えていて。後は剣を手に取るだけの状態だった。
 だが対してオヴェリアはまだ、部屋着のままである。
「オヴェリア」
「……」
「早くしろつってるだろうが」
 声に、苛立ちが混ざっている。それを見止め、オヴェリアはため息の代わりに目を閉じた。
「雨が、ひどいです」
「関係ねぇ」
「川が氾濫して、北に行く橋が通れないと宿のご主人が」
「……だったら違う道を探す」
 行くぞ。
 いよいよ剣を腰に身に着けたカーキッドに。
 オヴェリアはゆっくり目を開け、彼を見た。
「行きません」
「あん?」
「……北へは行きません」
 何言ってんだ……、カーキッドは舌を打った。
「雨に濡れるのが嫌ってのか? これだからお姫様は嫌なんだ」
「そんな事言ってません」
「じゃあ、ついに旅が面倒になったのか?」
 そりゃそうだろうな。旅なんて実際面倒な事ばかりだ。
 体は悲鳴を上げているし、食べ物だって困る。いつもきちんとありつけるかはわからないし、寝る所だってそうだ。
 すべてが日和見でその場しのぎで。確実な事が一つもない。
「そんな事言ってないでしょう?」
「だったら何だってんだ」
 カーキッドの目つきが厳しくなる。
「竜退治が怖くなったってのか」
「……ゴルディアへは向かいます」
 オヴェリアの目も厳しくなる。「でも」
「このまま北上はできません」
「あん?」
「あなたの腕をそのままにして、この先には進めません」
「――」
 雨は。
 雷と風を伴って。
 大地に激しく吹き荒ぶ。




 眠れなかった。
 オヴェリアは昨晩、結局一睡もできなかった。
 カーキッドの腕の傷を見てから。ずっと、心臓が早鐘に打っている。嫌な汗ばかりが吹き出してくる。
 いくらオヴェリアが世慣れしてないお姫様であっても、カーキッドの腕の赤黒いあざが尋常ではないのはわかる。
(あれはただの傷じゃない)
 火傷でもない、切り傷でもない、内出血でもない……あんな禍々しい模様。
 でなくば何か、思い当たるのは1つ。
(呪い)
 フォルストで彼女達が戦ったのは、常人ではないのだ。
 赤ん坊に呪いをかけ、人を獣とし、死んだ者を操るような輩。
 獣となった人がどういう末路をたどったか。
 宰相ドーマの成れの果て。
 まして……アイザック・レン・カーネルの姿。
 満身創痍のデュランがどのような傷を負っていたか。全身に、どれだけの傷を受けていたか。
 ギル・ティモ。彼女達が対峙したその魔道師は。
 残忍で。
 冷血で。
 ……笑っていた。
 その戦いの中で受けた物だとしたならば。カーキッドの傷は。
 ……それに彼は、傷の痛みは和らいできていると言っていたけれども。オヴェリアは気づいていた。彼が時折顔を苦痛にしかめるのを。それが少しずつ増してきているのを。
(守られてきた)
 そして思う。私はどれだけこの人に守られてきたのだろうかと。
 竜退治。簡単に言ってのけた。国を守るため、使命のため。この剣を持つならば、背負わなければならない定めだったから。
 でも実際に旅に出て思った事は。何と浅はかだったのだろうかという事。
(私はゴルディアまでの道すら知らない)
 旅は、容易な事ではない。
 誰も巻き込まないように1人で成そうと思って城を出たけれども。
 ――己一人で成し得ると? 傲慢なお城ちゃんだ
 かつてカーキッドに言われた言葉。確かに自分は傲慢だった。
 もしあの時本当に1人で旅に出ていたら。自分は今ここにいられただろうか? 命そのものさえ、あったであろうか?
(守られてきたんだ)
 お守りはしねぇと口癖のように言うこの男に。
 だけどその腕に。
 何度危機から助けられ、何度その身を庇われて。
 薔薇前大祭で優勝した……その腕を誇ったつもりはなかったけれども。本当はどこかで、驕ってていたのかもしれない。
 この世界は広い。
 そして自分は何一つ知らない。知らなかった。
 その中で。
(カーキッドがいたから)
 ここまでこれた。
 戦う事、生きる事、前に進む事。
 ……だから。




「あなたの体を治すのが最優先です」
「……」
 その言葉にカーキッドは唖然とした。
「……傷は徐々に癒えているって昨日も言っただろうが」
「嘘です。ならなぜそんな顔をするのですか? むしろ徐々に広がってる、違いますか?」
「……」
「そしてそれはギル・ティモの呪い。私を庇って受けた物でしょう?」
「……お前には関係ない」
「私を守って受けた傷ならば、関係なくはありません」
「自惚れんな、誰がお前なんぞ、」
「レトゥ殿に診てもらいましょう。何かわかるかもしれない」
 腕を取ろうとするオヴェリアを、カーキッドは邪険に払いのけた。
「触んな」
 パシっと打たれた手が痛かった。その痛みは彼女の胸をも打ったけれども。
 オヴェリアはもう一度、カーキッドの腕を掴む。
「触るなと、」
「自惚れてるのはあなたの方です!!」
「……ッ!」
「こんな腕を、こんな状態のあなたを、この私が放っておけると思っているのですか!!!」
「…ッ…………」
「これはギル・ティモの呪い。ならばこれは命に関わるものとなる。あなたはそう思っている」
「……だから、さっさとゴルディアに行くっつってんだ」
 この命が絶たれる前に。
 オヴェリアはカーキッドを睨んだ。
 ――この人は。
「とまってる暇はねぇ。急いで北上するぞ、時間がねぇんだ」
「勝手に決めないでください!!」
 強い人。でも本当は。
「あなたの体が最優先です」
「竜退治が最優先だ」
「そんな物、二の次です」
 カーキッドはギョッとした。「お前……」
「あなたが倒れては何の意味もない」
「……」
「あなたが一緒にいてくれなくては……あなたが一緒じゃなくては。あなたは竜を倒したいんでしょう? 強い者と戦いたいんでしょう?」
「……」
「だったら勝手に諦めないで! 勝手に自分の未来を決めないで!! あなたはそんな呪いに負けてはいけない。違うでしょう? あなたが目指してる強さは」
「……俺が目指してる強さ?」
 ――戦う事の意味。
「あなたは自分のために戦う人。自分のために技を磨く人、高みを目指してる人」
 それはひとえに、
「それはあなた自身が、あなた自身に、失望したくないから」
「――」
「あなたは失望しないの? それが本当に満足なの!? 呪いで倒れる自分の姿が」
「……」
「……カーキッド」
「……うるせぇ」
 カーキッドは目をそらした。その顔はいつになく、迷いに満ちていた。
「てめぇが俺の身を案じるのは、竜退治の共がいるからか?」
 そんな言葉、彼は普通なら言わない。
 言わせているのだ、彼の中にある恐怖が。
 ――死への。
 本当はカーキッドは戦っている。腕に刻まれた死と。
「竜退治と……道案内人が必要だから、俺の事を」
「そうです」
「……」
「でもそれだけじゃない」
「……」
「あなただから。カーキッド。あなたは私の大事な共。仲間だから」
「……」
「これ以上、大事な人がいなくなるのは真っ平です」
「……大事な人、かよ」
「そうです。決まってるでしょう? 大事に決まってる」
「……」
「カーキッド、許しませんよ。勝手に、勝手に」
 ――涙が。
 カーキッドが海だと思った瞳から、幾つもの涙が。
 溢れて、ポロポロと。
「死ぬなんて、許しません」
 彼女の泣き顔。
 それを前にして。
 カーキッドは項垂れた。「……すまねぇ」
「すまねぇ……………」
 らしくなく、神妙にそう呟いた。


  ◇


「これはッ……」
 数刻後、オヴェリアとカーキッドはレトゥとマルコの部屋にいた。
 無論、カーキッドの腕の傷を見せるためである。
「カーキッド殿、これはどこでどうされた?」
 答えあぐねていると、先にレトゥが言う。
「呪い……」
「レトゥ様もそう思われますか?}
「いや……間違いないでしょう。しかもこれは……そうか、だからか」
「?」
「あなた方に会った時から何か妙な気配を感じておった。これが原因か」
「治りますか?」
 オヴェリアはじっとレトゥを見た。
 魔術師は深々と眉間にしわを刻み、息を呑むように腕を見つめた。
「わかりません、……だが、コロネに戻れば何かわかるやも……」
「コロネ?」
「南西の町コロネ、私が子供達に魔術と学問を教えている所です。そこにある書物を紐解けばあるいは。いくつか特殊な薬もあります。試してみる価値はありましょう」
「カーキッド」
 オヴェリアはカーキッドを見上げた。彼は苦々しい顔をしていた。
「レトゥ様、お願いできますか?」
「……やってみましょう」
「いいですね、カーキッド」
 不承不承。「……しょうがねぇ」
「……頼む、先生……」
 大の男が頭を下げて。
「治してください……」
 この男がこんな風に人に物を乞う姿を。
 オヴェリアは驚いたが。だが一緒に深く深く頭を下げた。
「お願いします。レトゥ様」
「お二人ともどうか頭を上げてください、……わかりました。出来る限りの事を致しましょう」




 1日中降り続いた雨は夕方になってようやく上がった。
 空を浄化したのか、その日の夕焼けはいつもに増して美しく見えた。
 その日のうちにオヴェリアは、文を一通したためた。
(デュラン様……)
 デュラン・フランシス。
 ギル・ティモの暗黒魔術を前にもひるまず立ち向かったあの神父。彼はギル・ティモの目的を調べるために教会本部へ戻ると言っていた。
 彼がそこにいるかはわからない。だがオヴェリアはカーキッドの腕の事をしたためて、行商人に文を託した。
 届くかはわからない。だが、彼に伝えるすべは他にはない。
 私達はコロネの魔術学校にいます。もしこれを目にしたならば……そうしたためて。
 願いと共に。
 空を仰ぐ。天を仰ぐ。神に手を合わせる。




 そして翌朝。
 オヴェリアたちはレトゥとマルコと共に、コロネに向かって旅立った。

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