『 白薔薇の剣 』

−最終王女、騎士録−

 

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 第12章 『賢者の森』 −1− 

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 雪が積もっているのかと思った。
「カスミ草だわ」
 言われてカーキッドは、ああと目を細めた。
 林道を抜けると、そこは一面の野原で。
 白い小さな花がじゅうたんのように、辺り一帯に広がっていた。
「雪みたい」
 オヴェリアが息を吐く。それにカーキッドも釣られたように息を吐いた。
「これを越えた向こうになります」
 先を行くレトゥが、2人を振り返り言う。傍らに立つマルコは、ただ黙ってオヴェリアとカーキッドを見た。
「行きましょう、カーキッド」
 オヴェリアの笑顔に、カーキッドは少し顔を背けた。「……おぅ」
 花畑の中を歩いて行く。
 それはカーキッドにとり、不思議な心持ちだった。
(花畑、か)
 ――多くの土地を旅した。海も見た、山も登った、人が生きるには過酷な環境をも旅したし、そこで戦ってもきた。
 常に戦場を求めて。
 生と死の狭間を、ただひたすら走り抜けるばかりで。
「カスミ草の畑なんて、初めて見ました」
 そうかい。俺は、花畑すら見た事ないね。意識すらした事なかったね、花なんぞ。
 ……いや、あるか。とカーキッドは思い直す。
 脳裏に浮かぶ花畑。それは。
 ――ハーランド。武大臣グレンに呼び出されて出向いた城、その帰りに迷い込んだ、薔薇の庭。
 むせるほどの薔薇の匂いと。
 そこに立つ、白いドレスを身にまとった1人の女性。
(俺にとっての花畑)
 前を行く少女の背中。マントが彼女の動きに合わせて小刻みに揺れている。
 花を美しいと思う事。その美しさに囚われた事なかった自分は。
 ――心を無に。何事にも囚われるな。
 不幸なのか、それとも幸福なのか?
 そう思ってカーキッドは自嘲気味に笑った。 
 知らねぇや。


  ◇


 コロネ。
 その町は、花畑を越えた向こうにあった。
「あ、先生こんにちは」
「ああ、こんにちは。調子はどうだい?」
「いやぁ、まぁボチボチだな。やっと雨が降ったからよぉ」
 町と言っても、見えたのはまず畑。立ち並ぶ民家よりも広い畑に、オヴェリアは目を輝かせた。
 そんな彼女とカーキッドにも、道行く人々は挨拶をしていく。
「先生、客人かい?」
「ああ。ちょっと助けてもらったんだよ」
「先生が? そいつはすげぇな」
「こんにちは」
「こんにちは」
 皆、笑顔。
 オヴェリアも笑う。
 すれ違う人々は皆、日によく焼けて服も泥に汚れている。でもいい顔だとオヴェリアは思った。
 何より、レトゥが彼らと話す様が。どれだけ町の人々に彼が慕われているか、すぐにわかった。
「ここコロネは、農業で栄える町。ご覧の通りです。もう少し内地に行けば家も人も多くなりますが」
「いえ。でも良い風が吹いている」
 オヴェリアの言葉にレトゥは嬉しそうに笑った。
「あれは何の畑ですか?」
「あれはトマトですな。キュウリにナスにトウモロコシに……ほら、もう実がついてる」
 本当だと、オヴェリアは身を乗り出した。
 小さな木の枝の先端から、実が鈴なりについている。緑色のトマト。赤く実る前のまだまだ小さなそれは、まるでトマトの子供のようだとオヴェリアは思った。
 畑見渡せば、そんな子供がいっぱいだ。雨の後だからか水撒きの後だから、水滴が反射してキラキラと輝いていた。そこに植わる苗たちがまるで、笑っているように見えた。
 オヴェリアにはその光景が何だか特別に見えて、手を伸ばしそうになった。すぐさまカーキッドから、「おい、はまるなよ」と注意が飛んでくる。
「ねぇ見てマルコ、こんなに実が」
 オヴェリアは少年を向いた。この感動を分かち合う友が欲しかった。
 だが。
 オヴェリアが見たその先で……レトゥが町の者と談笑していた。その傍らにマルコはいたけれども。
 その顔は、俯いたままで。
 スッと立ち居地を変えた。それは、町の者の視界から隠れるように。レトゥの体を盾にするように。
 そしてマルコはオヴェリアの視線に気がつくと、少し怯えたような顔をして。すぐに顔を背けた。
「オヴェリア」
「……」
「おい、オヴェリア」
「……ああ、え、何?」
「そこ、見てみろ。そこの葉っぱ」
「え?」
「見えないか? よく顔近づけて見ろ」
「……??」
「ほれ、芋虫がいるぞ」
「――ッッ!!」
 悲鳴と共に、飛び上がったオヴェリアが次にした事は、カーキッドの腕を掴む事。
 だがその勢いと力は思いのほか強く。
 油断していたカーキッドが引っ張られ、畑にひっくり返ったという展開は……むしろ、合掌。




「賢者の森?」
 オヴェリアが尋ねると、レトゥは少し照れくさそうに言った。「ええ。子供達が言い出しのですがね」
「私の事を賢者ではないかと。ははは、私はただのしがない魔術師。少し教鞭を振るっているだけの事です。……ですがね、私は、私の教え子達の中から賢者を目指す者が出てくれる事を願いつつ、その名を使っているのですよ」
 ――町を抜け、森に入って間もなく。白い壁と赤い屋根の建物が見えてきた。
「そこが私の学校です。通称賢者の森=Bここで子供達を教えています」
 子供達の声が聞こえてくる。オヴェリアは少し嬉しそうに目を細めた。
「少し騒がしいかもしれませんが申し訳ない。カーキッド様の腕の呪い、早速調べてみましょう」
「よろしくお願いします」
 マルコは変わらず俯いたままだった。
 その後、レトゥの姿を見止めた子供達が一斉に喜んで彼の元へと駆け寄ってきた。
 20人はいるだろうか、だがその中の誰もマルコの傍には寄らず。マルコもまた、子供達を無視するように建物の中へと入っていった。
 その光景がオヴェリアは不思議でたまらず、その行く先をずっと見ていた。


  ◇


「こちらの部屋をお使いください。大したもてなしはできませんが」
「いえ、色々あとありがとうございます。本当に助かります」
 では、また後ほど。そう言い残しレトゥはニコリと笑って去って行った。
「……ふぃー、参った参った」
 2人が案内されたのは赤い屋根の建物から裏手に周った所にある別の建物。
 予備で作られた住居用のそこに、部屋を貸してもらえる事になった。
 2部屋。
「難儀な所に来ちまったもんだ」
「……でもあなた、凄く人気だったじゃない」
 オヴェリアがクスクスと笑う。カーキッドは嫌な顔をした。「あぁ?」
 確かに、群がる子供の大半はカーキッドに寄って行った。その逞しい体に目を輝かせる者、腕に捕まろうとする者、勝手に体当たりを始める者、屈強な猛者が持つ傷跡をしげしげと眺める者……太い黒塗りの剣を勝手に引き抜こうとする者もいて、「コラ、触んじゃねぇ!」。
「ガキは、疲れる」
「ふふふ」
「……何がおかしい」
「別に何も? ふふふっ」
「……腹が減った」
 この町にきてまだ数刻。だがカーキッドはすっかり疲れ切った様子でそう言った。
「ここの子供は23人。町から通っている者、レトゥ様の噂を聞きつけた他の村・町の親が託して預けた子供もいる。確かに、魔術のみならず勉学も教えてくれる人は中々いません。噂が広まればもっともっと、生徒の数も増えるのでしょうね」
 カーキッドは興味なさそうに煙草を取り出してくわえた。その服は、少し泥に汚れている。
「マルコは、……どっちなんでしょう?」
「あのガキか」
「ええ……見ていましたか?」
 カーキッドは答えなかった。ただ少しだけ苦く笑い、「てめぇの部屋はそっちな」
「俺はこっちにする。着替える」
「ええ……そうね。荷物を降ろしましょう」
 カーキッドが、隣の部屋の扉を開けた。オヴェリアも扉を開ける。そのまま入るのもためらわれて、オヴェリアはもう一度カーキッドを見た。
「また後で」
「おう」
 ――別々の部屋。
 入るとそこは、自分だけの空間。1人だけの部屋。
「……」
 部屋は広くはない。ベットが一つとテーブルが一つ。一人でやっとの、手狭なスペース。城にいた頃を思えば、部屋とも呼べないような場所だ。
 だが不思議とオヴェリアはこの場所を、狭いとは感じなかった。
 ただ、
(一人……)
 旅の多く、同じ部屋で共にした。
 最初は男性と2人きりで同じ部屋なんて抵抗があって仕方がなかった。緊張と恥かしさで眠れないような事もあった。
 だけど。
(別々……)
 今日は別の部屋。レトゥが用意してくれた。
 いつもなら「宿代がねぇ」と言うカーキッドも、今日は断らなかった。
「……」
 この感覚は何だろうかと、オヴェリアは思った。
(寂しい……?)
 そんなまさか、だって。男の人と同じ部屋で過ごすなんて、考えられないわ。
 そう……考えられないのよ。だって女で。王女で。
 第一、1人なんて慣れてるなず。城にいた頃はもっともっと広い部屋にたった1人でいた事だって。
「……」
 オヴェリアは首を振った。そしてコトンと荷物を置いた。
 マントを下ろそう。そう思って、肩に手をやった時。
 壁の向こうから、ゴトゴトという音が聞こえてきた。そちらはカーキッドが入った部屋だ。
「狭ぇ」
 壁ごしに聞こえてきた声に、オヴェリアは少し苦笑した。
「貸していただいたのに、文句を言ってはいけません」
「あぁ? でもこりゃガキ用のサイズだろうが」
「野宿に比べたら雲泥でしょう?」
 くすくす。
 ああ、隣にカーキッドがいる。
「荷物どこに置きゃいいってんだ!」
 薄い壁の向こうから、ドタドタと声が聞こえてくる。
 それだけで安心する自分がいる。
「カーキッド、隣に声が丸聞こえです」
「知らねぇよ、壁が薄すぎるんだ」
 マントを下ろす、マフラーを外す。
 息を吐く。
(1人じゃない)
 剣を見る。そしてもう一度オヴェリアは呟く。
 1人じゃない、と。




 その日は施設内の見学をし過ごした。
 食事の時間は子供達とも一緒に食べた。小さな子供も多くいる。それぞれが笑い合って食べている様は、オヴェリアが今まで感じた事のない賑やかさだった。
「コレ、静かに! すいませんね、お客さんが珍しいんですよ」
 困ったように言った女性は、年は50程。レトゥと子供達の世話をするためにコロネの町から通っているのだと言った。
 他にも、オヴェリアが見た所でここにはもう1人大人がいる様子だった。レトゥより少し若そうだが、くたびれた印象の男だった。
「おい! このガキ!! 俺の飯だぞそりゃ!!」
 カーキッドはいつの間にやらすっかり子供達に好かれ、(本人の意思とは別に)オヴェリアはそれがとても楽しそうに見えた。
「この野菜美味しいです。魚も。これは何て魚なんですか?」
「イワナだよ。美味しいでしょう? 昼間釣ってきた物だよ。野菜はね、畑で採れたての物。この辺りは谷間になってて少し土地が肥えてるから、野菜が美味しいって近隣でも有名なのよ」
 魚は塩を振って焼いただけの物、野菜もほとんどが刻んで炒めただけのような物。簡単な味付けだ。だが魚は風味が強く、野菜は甘かった。こんな甘い野菜を食べたのはオヴェリアは初めてだった。
「果物みたい」
「ははは! そりゃいいね」
「カーキッド殿はお酒は? いけますかな? とっておきのがあるんですが」
「いいな、酒は俺の燃料だ」
「ほほっ、ここで酒の共が出来るなんぞ、初めてだわい」
「えー、僕も僕も」
「ガキはすっこんでろ!」
 レトゥと2人で酒を飲み始めたカーキッドを見て、オヴェリアは、体の具合はどうなのだろうか? と思った。
 本当はずっと気がかりで仕方がなかった。だがそれを口にはしなかった。
(大丈夫)
 カーキッドは笑っている。楽しそうにそこにいる。
 今はその現実があればいい。
(呪いはきっと、解ける)
 何の確証もない。けれどオヴェリアはそれを信じて。
 彼女も笑っていた。




 翌朝。
「頭痛ぇ……」
「飲みすぎです」
 朝からカーキッドは頭を抱えていた。昨日の晩の酒である。
 レトゥに勧められるままに酒を飲んだのはいいが、思いのほか強く。彼にしては珍しい失態であった。
 昨晩は途中から記憶もない。どうやって部屋に戻ったのかもわからないまま朝が来て、布団にいた自分に気づいた。
「昨日の晩、何もなかったか?」
「え?」
「夜襲だ」
「いいえ。平和な夜でしたよ」
 カーキッドの表情が曇る。昨晩もしもあの暗殺者が来ていたら。完全に遅れを取っていた。
(油断しすぎだ)
 暗殺者の襲撃は、フォルストの一件以来止んでいる。
 だが彼は聞いている、暗殺者の1人の言葉を。彼らの狙いがオヴェリアだという事を。
 ましてあちらには――オヴェリアに傷を負わせたほどの者もいるのだ。
「すまん」
 カーキッドは呟いた。ここだって、いつ何時どうなるかわからないのだ。
「何が?」
「いや、だから。昨日酔いつぶれて」
「…………別に、それは」
「すまん、俺とした事が、油断した」
「いいえ。……私は大丈夫、気にしてませんから」
 ポッと顔を染めたオヴェリアに、カーキッドは「あん?」と訝しげな顔をした。
「確かにちょっと、恥かしかったですけど……見てませんでしたから」
「……何の話だ?」
「? だから、昨晩でしょう?」
「昨晩だ」
「だから……カーキッドが酔って、踊りだした事ではなくて??」
「……………」
 カーキッド・J・ソウル。
 その日彼は思った。しばらく酒は控えようと。
 ――そのまま2人は朝食のために食堂へと向かった。
 食堂にはもう子供達がいて、朝食の最中だった。2人を見つけたレトゥと朝の挨拶を交わす。
 そしてオヴェリアは、昨晩と同じ所に座ろうとしたのだが。
 昨晩カーキッドが座っていた場所に、別の人物が座っていた。
 一枚布の紺の衣服。茶に近い金の髪と……何より目を引いたのは、彼の傍らにあった荷物。
 弓矢。
 これは……とオヴェリアはもちろんカーキッドも動きを止めた。
 その気配に気づいた紺服の男が、背後に立った2人を振り返った。
 そして。
「あ」
「あ」
「おや」
 男は口に端に赤いソースをつけながら、にこやかに微笑んだ。
「これはこれは、オヴェリア様とカーキッドではありませんか! いやはや、何たる偶然」
 神父特有のキャソック姿のその男。
「デュラン様!!」
 オヴェリアが歓喜の声を上げたのは、言うまでもない。

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