『 白薔薇の剣 』

−最終王女、騎士録−

 

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 第12章 『賢者の森』 −2− 

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「いやはや、嬉や。オヴェリア様にそのように喜んでいただけるとは」
 光栄の極みでございます。そう言ってデュランは彼女の手の甲に口付けた。
 だがその唇が触れるや否や、強い力で首ごと引き剥がされる。
「離れろ、エロ神父」
 振り返るとそこにいるのは、仁王のごとき形相の男。
「何でてめぇがここにいやがる」
「痛いなぁ……エロとは心外な。手の甲に口付けるのは敬愛の証。紳士なら誰でもする事だぞ」
「どこの誰が紳士だって?」
「……少なくともお前よりは? そんなにしたいならお前もすればいいと言っただろうが」
「叩き斬る」
 いよいよ腰元の剣に手をかけたカーキッドに対し、デュランはただ面白そうに笑うだけ。オヴェリアが慌てて止めに入る。
「やめて、カーキッド」
「すっこんでろ!」
「やだなぁ、男のヤキモチは誠に見っとも無い」
「……表出ろ。ここをてめぇの血で汚すわけにはいかねぇ」
「はは、いいよ? 相手になろうじゃないか」
「デュラン様も!! 煽らないでください!!」
 朝食を終え。
 レトゥの書斎にて、3人は顔を揃えていた。
 レトゥはいない。子供達に勉学を教えている最中である。その様は、オヴェリアもこの部屋に来る途中で見てきた。
 広い部屋に小さな子供達が机を並べ、目を輝かせてノートに筆を走らせる様はとても微笑ましくて。
 それを見ただけでも思った。ああ、学ぶとは素晴らしい事だと。
 だから結果として、3人でこうして顔を並べる事になったのだが。
「デュラン様、私の手紙を見てくださったのですね」
「手紙?」
 期待に満ちたオヴェリアの顔に対して、デュランは不思議そうに小首を傾げた。
「はて。恋文ですかな?」
「いえ……あの、教会に送ったのですが……」
「教会? もしや聖教会本部でございますか?」
「はい」
 答えてオヴェリアは気づく。そうだ、いくらなんでも早すぎる。商人に手紙を託したのは一昨日の事。ここからそこへは、それほど近い場所にはない。
 正式名称・聖サンクトゥマリア大教会。
 この国に点在するすべての教会組織を統治する場所。
 そこは万年雪が積もるガリオス山の麓にある。今いる場所からは北西、バジリスタとの国境に位置する。
「そうですか……いや、私も途中まではかの地へ向かったのでございますが、所用を思い出しましてな。ここに参ったわけです」
「用とは、レトゥ様にですか?」
 問うとデュランはニコリと笑って頷いた。彼から離れるようにして書斎の椅子に座ったカーキッドが、不機嫌そうに舌を打った。
「とか何とか言って、またつけてきたんじゃねぇのか?」
「馬鹿な事を。出立したのは私が先だったではないか。つけてくるとしたらお前の方だろう?」
 言い、カーキッドとオヴェリアが行動を共にしている事を思い出し、デュランは「失礼しました」と彼女に詫びる。
「ですがオヴェリア様、私に手紙とは? どうかされましたかな?」
 もしや私が恋しくて? などと茶化そうとしたデュランであったが。
 オヴェリアの顔を見て言葉を呑み込む。
「デュラン様にここで会えて、良かった……」
「……何かありましたか」
 もう一度問う。今度はデュランも真剣な顔で。
「そもそも姫様たちはなぜここに? 北を目指してみえたはず」
「ええ……ですが理由わけあって。レトゥ様には道中で知り合いました。カーキッドの事をご相談して、それでここに」
「カーキッドの事?」
 カーキッド、見せて。オヴェリアが言う。だがカーキッドはそっぽを見たまま動かなかった。
「カーキッド」
「……チ」
 渋々、嫌々と言った様子で右腕の包帯を解いた。
 白布を床に放り出し、勝手に見ろと言わんばかりに突きつけられたその腕を見て。
 無論デュランは、目を見開く。
「これはッ……!!」
「デュラン様、」
「いつからだ、これは。お前」
「……」
「あの時、か」
 目を合わせようともしないカーキッドの胸倉を、デュランが軽く掴む。「おい!!」
「へへ、すげぇだろ」
「笑い事か馬鹿者!!」
「……」
「なぜ言わなかった」
 デュランの顔が苦渋に歪む。一瞥だけして、カーキッドはすぐに目をそらした。
「デュラン様、カーキッドの傷の正体は?」
 怒りを顕にしていたデュランが、だがオヴェリアに覗き込まれたらその怒りを収めるしかない。
「これは……」
 言いよどむ彼に、オヴェリアは先を促す。その青い瞳で。
「呪いでございます」
「やはり……。ギル・ティモですね?」
「はい……奴が使う呪いの1つ」
 言い、改めてデュランはその腕を覗き込んだ。「これは……」
「この赤と黒の斑点はいつから? 徐々に広がっているな?」
「ああ」
「痛みは?」
「……」
「昼間、特に夜中、寝付けぬほど痛むという事はないか?」
「……」
 眠れぬ程の痛み、その言葉にオヴェリアはカーキッドを見る。「カーキッド」
「知らねぇ」
 その気配に、カーキッドはそ知らぬ様子で顔を背ける。
「嘘を付け。相当の痛みがあるはずだ」
「……」
「このまま放っておいたらお前は、痛みに気が狂って腕を切り落す事になるぞ」
「ッ!!」
「よしんばそれに耐える事ができたとしても、痛みは腕にとどまらない。やがて全身を蝕む。最後には地獄のような痛みの中で死を迎える事になるぞ」
「デュラン様ッ……」
 オヴェリアが口元に手を当て悲鳴のような声を上げた。
 デュランはカーキッドを厳しく睨んだ。
「馬鹿者」
「……」
 だが当の本人はやはり他人事のような顔で。
 少しだけバツ悪そうに頭を掻き上げたのだった。




 それからすぐに、カーキッドにはデュランから厳しい「絶対安静命令」が出た。
「この呪いは身を刻む。お前が腕を振るえば振るうほどだ」
 覚えがあるだろう? 
「痣は剣を振るった直後に広がる、違うか?」
 カーキッドはそれに答えなかったが、その沈黙こそが答えなのだろうとオヴェリアにはわかった。
「今後一切の剣技を禁止する」
「はぁ? 何だと!?」
 そんな事、この男が納得できるわけがない。
「俺は剣士だぞ? 剣を振るうなって事は、死ねって言ってるのと同じだ」
「よく考えろ! お前は本当に今、限りなく死に近い所にいるんだぞ?」
「そんなもん、」
 生きてる限り誰でも一緒だ、死に遠い奴なんざいるかよ。そう言いかけたが。
 傍にいるオヴェリアの泣きそうな顔を見て。
「……腕が、なまる」
 結局、そう言った。不承不承。
「我慢しろ。とにかく早急に呪いを解く方法を考える。いいか、それまでは絶対に剣を使うな」
 きつく言いつけ、それからデュランはレトゥの書斎にこもった。無論、レトゥも一緒にである。
「レトゥ様は聖大教会で魔術の指南をされていたお方」
 デュラン・フランシスの腕前は、オヴェリアも目の当たりにしている。
(大丈夫)
「カーキッド、いいですね? デュラン様の言いつけ通りしばらく大人しくしていて」
「……」
「お願いだから、ね?」
「……チ、わかったから。そんな顔すんじゃねぇ」
「カーキッド」
「大人しくしてりゃいいんだろ? ……いいよもう、寝る」
「ええ、休暇だと思って」
 パタパタと手を振り、カーキッドは部屋へと消えて行った。
 扉が閉まるのを見届け、オヴェリアは少し息を吐いた。
 だが、気が緩むと途端、涙がこぼれそうになった。
(呪い)
 カーキッドが死の呪いを受けている……。
 初めてあの痣を見た時からずっと、どうにか堪えてきたけれども。
 もう、耐えられなかった。
(先日見た時より少し広がっていた)
 オヴェリアも部屋に戻る。そして、少しだけ泣いた。
 カーキッドの前で泣くわけにはいかないから。今だけ。
 声を殺して、泣いた。


  ◇


「ラウナ・サンクトゥス、ラウナ・サンクトゥス――」
 カーキッドの腕に護符をかざし、デュランが呪文を唱える。
 だが、
「……やはりダメだな」
 ――2日後の事である。
 夜、デュランに呼び出され再び書斎に訪れるなり、デュランはカーキッドの腕に様々な術を試した。
 だが、どれもうまくはいかなかった。
 しかしそれにデュランは落胆というよりは、わかっていたといった様子だった。
「奴は私が聖魔術を使う事を知っている。当然か、やはり聖魔術では太刀打ちできぬ呪いがかけられている」
「デュラン様、それではッ……」
「オヴェリア様、落胆召されるな。予想はしておりました」
「てめぇの腕がヘボだからじゃねぇのか?」
 カーキッドの悪態を鼻で笑って聞き流し、デュランはレトゥを見た。
「オヴェリア様、カーキッド殿。デュラン殿からお聞きしました。呪いの掛け主は禁忌の魔術の使い手だと」
 禁断の術――暗黒魔術。
「我が書斎には、それを打ち破るような魔術書はございません。……申し訳ない」
「そうですか……」
「ですが、一つ心当たりがないわけではない」
 レトゥは薄い白髪の混ざった髪を掻き、眉を寄せた。
「私がこの森に居を構えたには理由がございます」
「?」
「この森の奥には……陶原草という草が生えておりましてな」
「陶原草?」
 レトゥの言葉を引き継ぎ、デュランが答えた。
「貴重な薬草です。ハーランドにおいてそれが採れる地域は極々稀。しかもそれが市場に出る事はまずない。我ら術師の間では、幻の草の異名を持つ薬草です」
「この森の奥にそれが生える場所がありましてな。貴重な物ゆえに守り、どうにか増やせぬものかと研究している次第」
「ここは土地が豊かだ。作物や川の魚を見てもわかる」
 オヴェリアは息を呑んだ。
「では、その葉がカーキッドの呪い消しになると?」
「正確には茎、特には根の部分です。煎じて溶かした物が万能薬となる」
 ただし、とデュランは付け加える。「それだけでは立ち行かぬ」
「問題はそれともう一つ。……ホタルガスミ=v
 暗黒魔術の事は少しお話しましたね、とデュランは前を置く。
「今から数百年前、魔術文明が栄えた頃があった。その時分に多くの魔術が生み出され、その中に禁断の魔術もあった」
「……」
「魔術文明が栄えたきっかけは、大陸間で起こった戦争です」
 ――文明の発達には、血が流れる。
「それが、魔術の精度を磨いて行った。……皮肉ですな。いつの時代も、命に関われば関わるほど、利害が及べば及ぶほど、人は知識を磨く。技を磨く。己のために、そして、他を圧倒するために」
 ――安穏とした世に、進化は成し得ない。
「戦火は大陸を飛び火した。その結果、当時の魔術師たちはこぞって、決して開いてはいけないパンドラの箱を開いてしまったのです」
 それが。
「悪魔との契約」
「……」
「それによって人は、絶大なる力を得た。……今の世に禁忌の技とされる多くはその時生み出された。それは一瞬にして大陸を業火で包み、人を……世界を貶めていった」
「人道に反する技……」
 デュランがかつてそう言っていたのを思い出し、オヴェリアは呟いた。デュランは頷く。
「そう。いや、それは神をも冒涜する技なのかもしれない。あなた方も見ましたな、命を弄ぶギル・ティモの技を。あれは序の口。そしてそれを当時の魔術師たちは競うようにして使っていったのです。世界は……ある意味死さずとも在を成す、地獄と化しました」
 ――地獄。
「そして、その戦争を終結させたと言われるのが、一人の女性」
 オヴェリアはハッと顔を上げた。「それは、」
「サンクトゥマリア。この国の守りの女神」
「……」
「彼女の力は、悪魔の力によって染められた世界を浄化した。当時の資料は残されていない、ただ大きな戦争が起こったというだけ。……だが、一人の女性がそれを止めたとは残る。彼女の働きによって戦乱が終わった後に、その術の恐ろしさと業の深さを知った魔術師たちはこぞって暗黒魔術を封印した。それにつながる書物の多くはその時に処分された。現存するのは、唯一、聖サンクトゥマリア大教会で保管していた物のみ」
 それを盗まれた――一人の魔道師によって。
「サンクトゥマリアはその後、自らの力を1本の剣に託し、この地を去ったと言われます。その剣を託された者が王となり、焦土と化したこの地に国を作ったのがハーランドの始まり」
 その男は戦中、彼女と共に戦ったのだとも言われる。
「そして彼女を絶対神として崇める、教会という組織も生まれた……二度と戦火がこの地を苛む事ないように。世界を真の平和に導くために」
「サンクトゥマリアは、暗黒魔術を打ち破ったってわけか?」
 唐突にカーキッドが口を開いた。それにデュランは少し訝しげに答えた。「真実はわからぬ」
「だが……」
 ――白薔薇の剣。
 それを持ち、オヴェリアは獣となったラーク公を打った。彼の最期の顔は、穏やかなものであった。
 ましてフォルストの領主アイザック・レン・カーネルと対峙した時。彼の周りにあった見えない力を断ち割る事ができたもの、オヴェリアが剣を振るった事がきっかけ。
「そうなのであろう」
「じゃぁもし、聖母の剣で斬ったら?」
 レトゥはオヴェリアの正体を知らない。ましてその剣の事も。
「ハーランドに伝わるその剣に斬られたら? 俺の呪いは解けると思うか?」
「――!!」
 カーキッドが浮かべるニヤニヤ笑いの中に、オヴェリアは嘘ではない物を感じ。
 たまらず叫ぶ。
「そんな事、出来得ません」
「……例えばの話だ」
「例え話でも」
 睨む。
「無き事」
「……」
「待てカーキッド。本題はここからだ」
「……あん?」
「暗黒魔術、悪魔との契約に寄って成し得た技。その悪魔が恐れる花があるというのは知ってるか?」
「古くからの言い伝えです」
 レトゥが本棚から1冊本を取り出す。
「私が持つこの書物にも書かれている。悪魔が恐れる花。その花は悪魔の力を殺ぐとされ、彼らでさえも
恐れて近づかないのだと」
「それが、蛍ガスミ」
 幻か、神秘か、悪戯か。
「カスミソウの花だ。その中に……稀に、月夜に淡く青い光を放つ花があるそうな。めったな事ではない。10年に1度、いや20年に1度……世紀に1度かもしれぬ。だがその花をもし見つける事ができれば」
「カスミソウならば、」
 この町に来る途中にあった。一面の花畑が。
「そう、」とデュランは頷いた。
「陶原草と蛍ガスミ。この2つがあれば、よもや」
 呪いは解けるかもしれない。
 オヴェリアはカーキッドを見た。
 カーキッドは少し呆けた顔をして。
「そうかい」
「そうだ。やってみる価値はある」
 向けられた笑顔にバツ悪そうに。
「そうかい」
 もう一度そう言い、顔を背けた。
 そんな彼を、オヴェリアたち3人は顔を見合わせ。
 小さく頷いた――決意に身を固めるように。

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