『 白薔薇の剣 』
−最終王女、騎士録−
第12章 『賢者の森』 −3−
「だから、どうして」
何度も聞いた、その言葉。
そしてカーキッドの憮然とした顔。
「だから言ってるでしょう? 陶原草を積みに行くんだと」
「俺も行く」
「お前は留守番だ」
「だからッ、どうして」
デュランは呆れた様子で大きすぎるほどのため息を吐いた。「何度言えばわかる」
「呪いが回る。お前は動くな。ここで大人しくしていろ」
「森を行くくらいッ」
「ダメだ。お前に掛けられた呪いは私の想像より強そうだ。下手に動くと廻り早まる可能性がある。お前はここにいろ」
「カーキッド殿、子供達を頼みます」
オヴェリア、デュラン、そしてレトゥ。
出かける支度を終えた3人に何度もそう説得されるが。
「るっせぇ!」
簡単に納得できる男ではない。
カーキッド・J・ソウル。剣士として、自らの腕に誇りを持っているこの男が。
「剣を抱えてガキのお守りしてろってのか!!」
「そうだ!!」
「……ッ」
「お前のために言っているのだ、わからんのか」
ちょっとこっちにこい、とデュランがカーキッドを促す。「お2人はここでお待ちください」
そうして、建物の裏手に回った。
井戸が一つだけあるそこはひっそりとしており、すぐの所が崖になっていた。
辺りに人気が無い事を確認し、デュランは深々とため息を吐いて腕を組んだ。
「お前が杞憂しているのは、あの連中の事だろう?」
カーキッドはデュランを睨んだ。
「刺客か……最後に会ったのはいつだ?」
「……フォルストだ」
うむ、とデュランは頷く。
「正直言えば、あの折の事は私はあまり覚えていない。意識も朦朧としていた。刺客に襲われていたオヴェリア様を救う事ができたのは、ただ運が良かっただけだ」
「……」
「カーキッド、改めて問う。奴らは何者だ? これまでに何度襲われた?」
カーキッドは不機嫌そうに答えた。
「3度。何者かは、俺にわかるわけがない」
ただ、と彼は続ける。
「狙いはわかってる。オヴェリアだ」
「何と」
「フォルストで襲われた時、奴らの1人を吐かせた。オヴェリアをゴルディアには行かせないだとさ」
「それは一体、」
「知るかよ」
「……いや、カーキッド、それは問題だぞ」
天を鳥の声が翔けて行く。
「オヴェリア様がゴルディアに向かう理由は1つ」
「竜退治か」
「黒竜討伐の件は、聖教会上層部では知られている事。そしてそれを受けた白薔薇の剣士の正体も然り」
当然だろうな、とカーキッドは思う。剣を授かったあの場に、どれだけの人間がいたのか。彼らは見たのだ、彼女の姿を。そして王に高らかと呼ばれたその名を、与えられし責務を。
オヴェリア・リザ・ハーランド。1人の少女が受けた定めを。
例え姫の名を知らずとも、その姓が導いている。その娘の出自を。
「私がそれを知ったのは旅の中でだったが……噂は瞬く間に広がる。今この国で、どれほどの者がそれを知っているのかはわからぬが」
「その中に、竜討伐を良しと思っていない奴がいると?」
「オヴェリア様が王女と知って尚、だ」
上目遣いに見たデュランの目と、カーキッドの目が重なる。
「これは、大概の事ではない。国家を揺るがす事になるやもしれぬ」
「……」
「オヴェリア様が竜の討伐に向かっているという事、その剣が聖なる剣であるという事、それを置いて他に竜は討伐できぬという事、そして何より黒竜という存在を知り得て尚、滅ぼされる事を良しとせぬ者」
何が導き出される? カーキッド?
「黒竜と言えば子供の御伽噺にも出てくる。大昔世界を滅ぼそうとした恐るべき存在だぞ」
「……この国を、滅ぼそうとしてる輩がいる?」
直近で。カーキッドの脳裏に1人の男の姿が浮かぶ。
「アイザック・レン・カーネル……」
オヴェリアの叔父だというその男はこう言っていた。この国を滅ぼしたいのだと。
「あいつが刺客の送り主か?」
「いや、それは恐らく違う。そんな様子はなかった」
「じゃあ」
「……気になるのは奴の事。ギル・ティモ」
ともかく、とデュランは腕を解き、再びカーキッドに向き直った。
「カーキッド、無理はするな」
「……」
「この先何が起こるとも知れぬ。だが確かなのは1つ。この先にお前の力は必ず必要となる」
「……」
「このような所で倒れている場合ではないぞカーキッド。ゆえに、今は呪いを解く事、それまで安静にする事が大事だ」
大事。
その言葉は、カーキッドの胸の中で弾ける。
――カーキッド。あなたは私の大事な共。仲間だから
――これ以上、大事な人がいなくなるのは真っ平です
「チ」
カーキッドは舌を打った。苦々しげに。今ここにいない少女を思って。
「案ずるな。もし道中何かあっても、私がお守りする」
「できんのかよ、てめぇに」
「誰に向かって言っている」
言い、デュランは背中の弓を指した。
「行って戻って2日だ。大人しくしていろ」
「……2日?」
「ああ? 今から発っても目的の場所には夜にしか着けぬとの事。レトゥ様が案内してくれるが、今夜はテントだ」
「…………」
「何だその顔は」
何でもねぇ、とカーキッドはデュランに背を向けた。
「何かあったら、ただじゃおかねぇぞ」
「ははは、レトゥ様も一緒だから。手を出すような事はしないよ」
即座、カーキッドはデュランの胸倉を掴んだ。
だがデュランは変わらず涼しげな顔で微笑んでいた。「わかってる」
「もしもの事あらば、全力で守る」
お前の代わりに。
「必ずだ」
「……絶対だぞ」
「二言はないさ」
胸倉を掴んでいた手を。
デュランの手が、ポンと打った。
それが、約束の印。
「カーキッド、すぐ戻るから。じっとしててくださいね」
「わーったわーった、さっさと行け」
森の奥へと消えていく3人の背中を見送り。
カーキッドは煙草に火をつけた。
見上げると空は、青く。雲が糸引くように広く、天を斑に白く染めていた。
◇
歌い上げる、真実の調べ。
君はまだ知らない。
真実がいつか、誰かの心を永遠に捉え。
支配し、
穿つ事になろうとは。
踏み分け入る。草木の柵檻。
「オヴェリア様、大丈夫でございますか?」
レトゥに問われ、少女は答える。「ええ」
「慣れていますから」
こういう道は初めてじゃない。
道と呼べぬほどの獣道を進む事。突き出た枝に身を打たれ、裂かれる事もある。尖った草も容赦なく彼女を襲う。
敵意ではない。それは摂理。
「もう少しです」
出立したのは朝。もう日が暮れかかっていた。
先頭を行くのはレトゥ。その後をオヴェリアと、一歩遅れてデュランが続いた。
「オヴェリア様はお強いですな」
オヴェリアが見やると、さすがのデュランも少し参ったような顔をしていた。
「大丈夫ですか?」
「こうした道は不慣れで」
お恥ずかしい限りでございます、とデュランは苦笑した。
だがオヴェリアは思った。恐らくまだ、デュランはあの時の傷が完全に癒えてはいないのだろうと。
あの時彼は、限りなく死に近い場所にいた。普通に考えても、まだ傷が完全に癒えるには時間が短すぎる。
フォスルトでの一戦は……今思い返してもオヴェリアの胸を打つ。壮絶、それ以上の言葉が浮かばない。
「少し休みましょう」
「いえ、大丈夫」
「この先に川があります。そこで今日はテントを張りましょう」
レトゥの言う通り、少し行くと確かに川はあった。
「ここまでこればもう直。あと少しです」
だがその頃には完全に日ガ落ちてしまっていた。これ以上真っ暗な森を進む事は不可能だった。
夜営の準備を始める。その際、テントも焚き火も、レトゥがすべてこなした。
彼はオヴェリアの父・ヴァロックよりも年上に見えたが、体も良く動く。素早く整えられて行く様に、オヴェリアは感心した。
「慣れていますので」
と言って老人は笑ったが、やはりオヴェリアは凄いと思った。
「食事の支度をいたしますので、少々お待ちを」
「手伝います」
「いえ、オヴェリア様は休んでいなされ。デュラン様も」
「面目ない」
「いえいえ」
言い置き、火だけ起こしてレトゥは森の中へと消えて行った。
「凄い方だわ」
「ですな」
「私の父はもう、あのようには動けない」
思わず呟いてしまい、オヴェリアは困った様子でデュランを見た。
「ハーランド王は石病に犯されているんでしたな。まだ国民には伏せられていますが」
「ええ……内密にお願いいたします」
「無論の事」
デュランの笑顔に、オヴェリアはホッとする。
「デュラン様とレトゥ様はお知り合いなのですよね?」
彼は代わらぬ笑顔で「はい」と答える。
「レトゥ殿がかつて聖教会で魔術講師をしていた事は?」
「ええ、聞きました」
「その頃に少々お世話になりました」
レトゥ殿は我が師の友でしたゆえに、とデュランは言葉を続ける。
「デュラン様のお師匠様は……どのような方だったのですか?」
オヴェリアにとり、それは何気ない一言であったけれども。
一瞬、デュランの顔が曇ったのを。焚き火の明かりでもオヴェリアは見てしまった。
「わが師は……とても厳しい方でしてな」
闇の中から紐解くように、手繰り寄せるように。
紡いで行く、映像。
「私は未熟ゆえに、いつも怒られてばかりでしたよ」
「デュラン様が?」
「ええ。私は師に比べれば半端で」
愚かで。
甘かった。
だから。デュランは思う。
「師は、私を許さないでしょうな」
「?」
それは? とオヴェリアが尋ねると。
デュランは微笑み、そっと目を閉じた。
「オヴェリア様、お怪我をされておられる」
「あ……」
さっき枝を引っ掛けて切った物だった。腕に刻まれたそれを見止め、デュランはそっと手をかざした。
「治癒魔術は、それほど得手ではないのですが」
――ラウナ・サンクトゥス、ラウナ・サンクトゥス、ミリタリア・タセ・エリトモラディーヌ
唱え終わるとその途端、ほわりと光が灯った。
それは彼女の腕を包み、傷口をゆっくりと塞いで行く。
それを見ながらオヴェリアは、「きれいな音ね」と言った。
「え?」
「デュラン様の呪文」
「……」
ラウナ・サンクトゥス。
「とてもきれいな音」
「……この術を編み出したのは、我が師でございます」
かつて、西の賢者と呼ばれたその男が生み出した言葉を。
胸に抱き、デュランは微笑む。
「オヴェリア様」
「え?」
「ありがとうございます」
「……?」
無垢なその瞳は。
少しだけ彼女に似ていると。デュランは思った。
その夜は、何事も起こらず過ぎた。
張ったテントではオヴェリアが眠った。元々オヴェリアのためにレトゥが持ち寄った物であったのだが、彼女は最初頑なにそれを拒んだ。
「私1人だけがそのような待遇を受けるわけには参りません」
かと言って見張りは要る。まして、女性と2人切りでテントに入るわけにもいかなかった。
最終的にオヴェリアが折れる形で中で眠り、レトゥとデュランは外で過ごした。
2人は外で何かを語っている様子だったが、聞いていたのは最初だけ。オヴェリアはすぐに眠りに落ちてしまった。
そして夜明けすぐ、3人は出発した。
それから小1時間ほど歩いた所に、それはあった。
一際大きい巨木の根元に生えた草。
「これが陶原草……」
ハート型の葉が4つ、きれいに並んだ草であった。葉の中に白い斑点があるのが特徴的だった。
それをレトゥは手で丁寧に掘り下げて行く。薬の材料として、根が必要なのである。
傷つけないように、痛まないように。丁寧に丁寧に。ゆっくりと。
やがてすべてを掘り起こすと、レトゥはそれを大切に布にくるんだ。
「この巨木はこの地の守り神でしてな」
幻と呼ばれる草を足元に持つその木を見上げ、彼は手を合わせた。
「どうぞ、よき力を」
オヴェリアとデュランもそれに習う。
「この草を村に持ち帰って根付けできぬのですか?」
「これはここでしか育たない……この木の根元で生まれ、朽ちていく。
誠に不思議な草。
「種もない。だが1つ朽ちれば1つ生まれる。……どうにか、数が増やせないものかとは思うのですが」
中々立ち行きませぬ。そう言い、レトゥは苦笑した。
――陶原草を手に入れ、3人は来た道を戻る事にした。
「帰りは下りも多い。夕刻前には戻れるでしょう」
ええ、とオヴェリアは微笑んだけれども。
デュランだけは、少し険しい顔をしていた。
予感がしたのである。何か、嫌な予感が。
そしてそれは間もなく現実となり、彼らの前に立ちふさがる事となる。
昨晩の夜営地まではすぐに戻れた。
川がある。一時休憩する事となった。
オヴェリアは木陰に座り息を吐いたが。
「デュラン様?」
デュランは焚き火の跡をじっと見ていた。
「どうかされましたか?」
「いや」
濁す、言葉。
「少し、動いている」
「え?」
「レトゥ様、念のために川には近寄らないように」
目を丸くしたレトゥの体に。
刃が刺さったのは、次の瞬間。
「――ッ!!?」
あっと悲鳴を上げる間もなく、デュランがオヴェリアを突き飛ばした。
すぐに、彼女がいた場所の木々に、短剣が幾つも刺さる。
「刺客です」
「レ、レトゥ様がッ」
「後で」
2人走る。その背を、黒い装束が追いかける。振り返りデュランが見る。その姿には彼も覚えがある。
(やはり)
カーキッドの杞憂が当った。それに思わず、デュランは笑ってしまった。
「デュラン様ッ」
上から。
小太刀を振り上げ、オヴェリア目掛けて舞い降りる黒。
それを2人、転がって避けるが。
(まずい)
左右に、オヴェリアとデュランが割れる。
急ぎオヴェリアの元へ寄ろうとするデュラン目掛けて、暗殺の黒が短刀を突き出した。
接近戦は、デュランは不利。
「クッ」
(オヴェリア様の元へ)
視界の中、オヴェリアが剣を抜いた。そこへ目掛けて、刺客たちは押し寄せた。
だが助けに行きたくても、デュランを狙う黒も多く。
まして彼の獲物は弓と術。
(距離が要る)
だが、それにはオヴェリアから離れなければならない。
(約束したのだ、あの男と)
しかし、追い立てる暗殺者達の狂剣から逃げれば逃げるほど、距離は開いていく。
そして避けるのがやっとで、矢を番える事も、呪文の詠唱も。
「ディア・サンクトゥス!!」
短縮したそれでは、威力は最低限。
どうにか放った炎も、だが黒装束は簡単に避ける。
しかしその間に空白は生まれる。
「ラウナ・サンクトゥス、ラウナ・サンクトゥス、」
ガキーンという金属音の音。
「ミリタリア・タセ」
暗殺者がデュランの顔目掛けて短刀を振るう。
頬を掠めて何とか避ける。「エリトモラディーヌ!」
目の前にいた3人が火に包まれるが、彼らは動きをやめない。炎を身にまとい、それでも尚デュラン目掛けて剣を。
「ディア・サンクトゥス!!」
けん制入れながら弓を持ち、矢を番え、放つ。
(守るぞ、カーキッド)
必ず。ここは。
切り抜ける。
神父は弓を番え、胸に誓う。