『 白薔薇の剣 』
−最終王女、騎士録−
第12章 『賢者の森』 −5−
時は1日、遡る。
森に入っていくオヴェリア達を見届け。
カーキッドは部屋でゴロ寝を決め込む事にした。
『子供達の相手をしてやってください』とレトゥ老人には言われたが。
「ケッ」
面倒だった。
レトゥ不在により、子供達は建物の脇にある畑の作業を手伝ったり、自習のために魔術の練習をしている者もいる。いつもよりは数が少ない所を見ると、今日は家で手伝いをしている者もいるのだろう。
そう思うだけ思って、カーキッドは子供達に関わらない事に決めた。その姿を見た一部が群がってきたが、「忙しいんだ、あっち行ってろ」と追い払った。
「あーあ」
面倒臭ぇ。
『カーキッドは子供達に好かれているのね』
この数日、ここに来て以来、なぜか彼はいつも子供に囲まれている。
自分の事、とても子供に好かれるような面白い顔をしているわけではないと思うのに。
『空気でしょうな。お前が出す空気が、子供に好かれるのであろう』
女性にはもてぬのに、と余計な事を言う神父を、何度斬ろうとしたかわからない。
だが今は、その剣を持つ事さえ禁じられている。
「あーあ」
寝台にひっくり返り目を閉じても。目を開けても、それほど大差がない気がする。溜め息ばかりがこぼれ出た。
「剣を握るなたぁ、」
死ねってのと一緒だ。忌々しい。
だが、
――この先に、お前の力は必要となる
「知らねぇよ、そんなもん」
目を閉じる、必要以上に目に力が入る。
――これ以上、大事な人がいなくなるのは
「うるっせぇ」
同時に胸に沸いた感情は。
(……つまらねぇ)
オヴェリア達はどの辺りまで行っただろうか?
「……」
こんなふうに、時間を持て余して眠るのは、王都にいた時以来だ。
ハーランドの傭兵隊長。その頃にも、こうして暇つぶしに眠っていた。
あの頃はよく思っていた、こんなぬるい国になんぞ来るんじゃなかったと。
自分でも、何を思ってハーランドに訪れたのかは知れない。
ただ少しだけ、疲れたのかもしれないと。今なって思う。
――戦場を渡り歩いてきた、その道に、後悔はない。
だが。
「……」
剣を振るった分だけ、死も見てきた。この身に迫った事だっていくらでもある。
その、刹那的な生活が。
ハーランドは豊かな国。争いの少ない、平和な国。
(気まぐれに)
ブラリと立ち寄り。
ブラリと傭兵隊なんぞに入り。
知らない間に隊長になって。
毎日をダラダラと、警護に尽くす。
時に剣を振るう事もあったし、戦闘もあったけれども。
でもそれは、戦場とは訳が違う。
ぬるいと。
これが平和なのかと。
……どこか侮蔑もしながら。
眠って時間を過ごしていた日々。
(それがいつの間にやら)
姫のお供で竜退治の旅に出ている。
笑ってしまう。この手もこの体も、血と死に汚れきっているのに。
白い薔薇を守れと。
「……」
でも。
カーキッドは腕を見る。布が巻かれている、今は痣は見えない。
だが知っている。その赤黒い痣はもう、右腕すべてに及ぼうとしている事。
痛みは心臓の鼓動と一緒になって、時折猛烈に暴れだす。
(死なんざ、)
イヤと言うほど見てきた。死の恐怖なんぞ、飼い慣らしてきたと思っていたのに。
(何で今更)
怯える事がある?
受け入れるだけ、受け止めるだけ……世の中にはそれすらできずに果てていく者も多い中で。
自分にはまだ時間がある……なのに。
「……あの頃は、ちっとも怖くなかったのにな」
苦く笑う、同時に思う。
戦場を駆けたあの頃、俺は本当に生きていたのだろうかと。
花すら、見た事がなかったというのに。
昼過ぎ。カーキッドは部屋を出た。
のんびり過ごす事に慣れていない彼は、部屋にこもっているのは気鬱になるだけだった。
しかも今は、1人。
旅に出て1ヶ月、そういやこんなふうにまるっきり1人になったのは初めてだなと思い返す。
(いつもいつも、お姫様の面倒を)
いやいや、俺はお守りじゃないんだ。面倒なんぞ見ねぇぞ。
昼を少し過ぎていた事もあって、食堂には誰もいなかった。適当に飯を分けてもらい、パッパと済ませた。
子供の声がする方には行かず、建物の裏手に周る。
空は、上天気だ。
絶好なんだよなぁ……と呟いてから、自分が何に対して絶好だと思っているかはわからなかった。
旅か? 戦闘か? それともハイキングか?
「ハハハ」
一人笑い、それから。
ふとカーキッドは、地べたに転がっている木切れを手に取った。
それを、一振りしてみる。軽すぎる。だがもう一振り。やはり軽い、柔すぎる。これで打ち稽古などしても、一発で折れる。折れるどころか砕け散るなと思いながら。
それでももう一振り。
軽い、空気を裂くビュッという音が。
「ハッ」
思わず漏れた息と重なる。
「……ヘヘ」
神父様よ、剣じゃないならいいんだろう? これはただの棒っ切れだ。
こんな物、ガキの遊び道具だ。幸いにも遊ぶ事までは禁じられていない。
型を変えて、横からの一閃。
下からの一閃。上から構えて、くの字に斬る。
最初は遊び半分。だが次第に体がついてくる。
腰を落とす、足に力を入れる。眼力が宿ってくる。
少しだけ、呆けていた彼の瞳に光が浮かぶ。
ビュッ
木がこんな音を出す事は通常ない。それくらいそれは鋭い物であった。
だがカーキッド本人は到底気に入らない。これはただ風が鳴いているだけ。
(でも)
最初はこれだったな、と思い返す。
もう遠い昔。思い出しても、本当に現実だったのか定かでない頃。
こうして木を見つけては、振り回していた。
剣士になりたくて。
あの頃はその姿が絶対で。憧れで。
(俺は、)
あの時憧れてたような剣士になれたか?
剣を振り回すだけが剣士ではない。……その裏も表も知っている。もう知ってしまった。
(俺は)
ビュッ
剣士になれたか? ――あの頃思い描いていたような。
絶対的なほどの。
「ハァ、ハァ……」
気がつけば遊び半分のそれは、息が切れるほどのものとなっていた。
振るう木片は、すでに3本目。カーキッドの剣技に耐えられる物ではない。
砕け落ちたそれを捨て、4本目を探そうとして。
ふと、カーキッドは視線に気づいた。
建物の影から、子供が顔を覗かせている。その子は、
「お前は」
マルコ。
「何か用か」
カーキッドが声をかけると、少年は驚いたように顔を隠した。
「……」
何だあいつは?
改めて棒を構え、腕を振るいながら。
再び感じる視線を、カーキッドは気づかぬ振りをした。
『マルコの事、どう思いますか?』
オヴェリアがずっと気にしていた。そうも問われた。
だがカーキッドにはそれほど興味がわく事ではなかった。
――確かに、少年の様子は少しおかしい。
蟲退治の時もそうだが、何より、ここへ戻ってきてから。
同じ敷地にいるはずなのに、不思議と会う事がなかった。唯一は食事の時くらい。それも、すぐに終えて1人で席を立って行く。その間に誰とも口を利く事なく。
ここいる子供達の中で明らかに、マルコは浮いているように見えた。
(それがどうした)
『マルコの事、これでいいのかしら……』
おいおい姫様よ、子供の問題にまで首突っ込むんじゃねぇよ。
誰しもな、1人でいたい時はあるんだよ。周りと関わりたくないと思う事だってあるさ。
1人でいるのも周りといるのも、受け入れるのも受け入れられるのも。
俺達にどうこうできる事じゃない。決めるのは自分自身だ。
(そうだな、そうして俺も決めてきた)
1人でいる事を。戦う事を。
「……」
チラと向く、まだ見てる。
チッと舌を打ち、改めて無視を決め込もうとしたが。
結局カーキッドは溜め息を吐いた。「……おい」
「暇か」
「……」
「俺は暇だ」
「……」
「……付き合え」
言い、カーキッドはそこらに転がっていた木を1本彼に向かって放った。
「……」
少年は動かない。カーキッドは舌を打った。
そしてマルコの姿が視界から消えてしまうと、カーキッドは「ただの冷やかしか」と思った。暇だったわけではないようだ。
よって改めて打ち込みを始めようとした時。
マルコが再び現れた。そして。
「……」
「……おう」
木を、取ったのである。それにはカーキッドも少し驚いた。「いいぜ」
「打ってきな」
「……」
「どっからでもいい。好きなように」
打ってきな、そう言うと。
マルコが棒を振りかざし、走りこんできた。
それをカーキッドは、ヒョイとかわす。棒はスカっと宙を切る。だがもちろん、カーキッドが振るのとはわけが違う。彼が奏でる怪物のような音が鳴るわけがない。
だがカーキッドはその様を見てニヤリと笑った。
「そら、こっちだ」
「ッ!!」
今度は避けずに受けてやる。その感触は、思ったよりもずっと軽かった。
こんなもんか。でも悪くはない。
何度かそれを繰り返す。少年が無茶苦茶に打ってくるのを、1つ1つ丁寧に受けてやる。
(俺も最初はこんなだったか)
振り方も構えもあったもんじゃない。。
でも。
「ほれほれどうした? もう終わりか?」
「……ッ」
「腕に頼るな、体で振れ。握りはもっと柔軟に」
少年はすぐに息をあげた。でも向かってきた。
細くて白い腕だ。鍛えた事などないだろう。
根を上げるのも時間の問題かと思ったが、だが彼は打ってきた。
最初はいたずらに。
だが直に無心に。
必死に。
――それはカーキッドも同じ。
交差した棒切れが、甲高い音を上げる。
「いいぞ、その感じだ」
「ハァ、ハァ」
少年はまっすぐに自分を見てくる。
その目の色が、徐々に変わってくる。
それにカーキッドも我知らず口を緩める。
「手首が硬い、もう少し柔軟にしてみろ」
「……」
「そう、その感じ」
カーキッドが満足そうに言うと、少年は目をクルクルとさせて彼を見る。笑いはしなかった。だが輝いていた。
(いい顔してやがる)
マルコ。その少年の顔など今まで大して見た事なかったが。
(こういう顔をすんのか、こいつ)
まだあどけない、少女のようではあるが。
(いい目をしてる)
「ほれ、こっちからも行くぞ!」
「――ッ!!」
「ハハハ、油断するからそうなるんだ。もういっちょ!!」
――そうして2人はそれからしばらく、打ち合いを続けた。
何度かカーキッドは少年の様子を見て「休憩にするか?」と言ったが。マルコは首を横に振って、打つ事を望んだ。
楽しいんだなとカーキッドにはわかった。言葉にされたわけではない。でも目がそう言っていた。剣を振るのが楽しいと。打つのが楽しいと。
自分もかつてそうだったから。
地べたに転がる棒っ切れを握るだけで楽しかった。振ればもっと楽しかった。型もへったくれもない。朝から晩までだって振り回していられた。
1人で振るのも楽しい。だが相手がいれば尚更だ。
だがここ数日の様子からして、マルコにその相手がいるようには見えなかった。きっと、こんな事は初めての経験だっただろう。
「お前、筋いいよ」
結局、昼も食べずに二人は打ち合った。
「ハァ、ハァ」
「毎日続ければ、いい剣士になれるぞ」
グッタリしている少年に、カーキッドはそう言った。冗談が半分、半分は本気だった。
「ああ、お前は魔術師志望か」
「……」
「でも、魔術師でも少しは剣も知っておくと便利かもな」
「……剣?」
「ああ」
「……」
少年は頬をピンクに染め、カーキッドを見ていたが。やがて少し気恥ずかしそうに俯いた。
「楽しかったか?」
「……」
「そうか」
俺もだ。
そうは言わず、ただカーキッドは口の端を吊り上げた。
「昼飯食い損ねたな。腹が減っただろ。晩飯がいつもより美味 くなるぞ」
「……」
「さて、俺も着替えてくるかな」
まだじっと自分を見る少年に、カーキッドはその肩をポンと叩いてやった。
少年はペコリと小さく頭を下げ、建物の方へと走っていった。
その背中を見届け、鼻の頭を掻く。何となく、胸が転がるような感触がした。
(楽しかった、か)
子供と遊んでいただけなのに。棒切れ振り回してただけなのに。
楽しかったのだ……カーキッド自身も。とても、とても。
「……へへへ」
その晩の食事は本当に、思った以上に美味しかった。
いつもさっさと食べて立ち去っていくマルコが、いつもより長く食堂にいた。
カーキッドが見ると、マルコもチラっと見、そのたびに少し気まずそうな顔をしたけれども。
カーキッドが笑ってやると、安心したような目をした。
笑いはしなかった。
でも、カーキッドはなぜか満足だった。
食事を終えて部屋に戻るが、当然真っ暗である。誰もいない。
昼間には思わなかった妙な感情がカーキッドに浮かんだ。
だがそれを、
「あー、清々すらぁ」
と一人呟き笑ってみた。
一人で過ごす事などもう、慣れているはずなのに。
「酒でももらってこりゃよかった」
こういう時こそ酒が要る。先日、しばらく酒は控えようと思ったばかりだったがもうそう思っていた。
仕方なく持ち歩いている秘蔵の酒瓶を荷物から取り出し、ゴクリと一口飲んだ。
喉が焼けるままに、寝台にひっくり返る。
今頃オヴェリア達はどこにいるだろうか? と思った。
(あのクソ神父、妙な事してなきゃいいが)
「……」
思い、カーキッドは腕を見た。湯浴みの後に一度巻いた布を解いてみる。ランプの明かりに、その痣がそれほど広がっていない事に少し安堵する。
それから、思わず笑った。少し皮肉げに。
(あんなガキの遊びで)
痣がどうのと、呪いがどうのと恐れるなんざ。
ちゃんちゃら可笑しい。笑っちまう。……戦場で共にした連中が見たら、大笑いどころか呆れるだろう。
(ガキの遊び)
目に過 ぎる、昼間のマルコの姿。手の感触、体の感触。心の感触。
ガキの遊び。……始まりはあそこから。振り回すだけの世界。それが楽しくて仕方がなかったあの時分。
いつからだっただろう、そこに強さを求め始めたのは。
純粋に、強くなろうと。もっと強くもっと強くと。
棒切れが、剣へと変わり。
(一振りするごとに)
何かが変わっていった……それは世界ではなく、自分が。
でも自分には、それは世界であったような気がしていた。
貪欲に、ただひたすら求めた強さと力の果てに。
その切っ先が求めるようになったのは。
死。
……強さはいわんや、死を意味する。力を示すには、誰かの犠牲がなくてはならない。
他を圧倒する事。
振るう剣に付きまとう物。
それだけが、価値を持つ世界。
――戦場での概念は、実にシンプル。
「……」
(だが)
幾多の戦場を見た。地獄も走った。俺は変わったとカーキッドは思う。ガキの頃と同じにはいかない。剣が持つ重みも知った。業も知った。覚悟も持った。背負っている物は多い。
しかし。
(楽しかった)
あんなガキの遊びが。たまらなく。
命のやり取りでもなく、何の証にもならないあの時間が。
たまらなく。
そう思う自分は、変わったようでいて、あの頃と同じ物を持ち続けているのかと。
随分と遠くまで来た気がするのに。
「……剣が振りてぇ」
誰かと戦うとかじゃなく。単純に。
剣が持ちたい。思い切り振り回したい。
(あの時みたいに)
フォルストでオヴェリアと打ち合ったあの時を思って。
振れない事にではなく、振ってしまった感覚に腕が震えるから。
――その夜は、それを愛しく抱いて眠った。
オヴェリアが早く帰ってこないかと思いながら。