『 白薔薇の剣 』
−最終王女、騎士録−
第12章 『賢者の森』 −6−
「何だ、また来たのか」
翌日。
昨日の場所にカーキッドが行った時にはもう、マルコがそこに座っていた。
マルコは彼を見つけると一瞬目を輝かせたが、すぐにバツが悪そうに顔を背けた。
「やるか?」
その様子を見て、カーキッドは特に顔色を変えず。普通の事のようにそう言った。
棒切れを拾い上げ、少年に渡す。彼は少し不思議そうな顔をしたが、すぐにそれを握り締めた。カーキッドも手ごろな物を探す。
「よし。打って来い」
「――ッ!!」
いい音が鳴る。それに一瞬マルコの顔がほころんだ。
――今日もそうしてしばらく、2人は打ち合いを続けた。
「休憩にするぞ」
とカーキッドが言った頃には、太陽は天の一番上まで登り切っていた。
ボチボチ昼飯かと汗を拭きながら言うカーキッドの傍で、マルコは地面にへたり込んでいた。
とりあえず水を持ってきてやる。美味しそうに飲む様に、カーキッドは知らずと苦笑した。
「腹が減ったな。もうすぐ飯か……ここの飯は美味いな」
「……」
「お前、ずっとここに住んでるのか?」
他意はない。何となく聞いてみただけだったが。
マルコの表情が一瞬曇ったのを、彼は見逃さなかった。
「……うん」
「じぃさんの一番弟子か。その年で大したもんだな」
「……そんなんじゃないよ」
初めてだな、とカーキッドは思った。マルコがまともに口を利いたのは。
「でも、言ってたじゃねぇか。あのじじぃが」
「……僕は、全然」
「てめぇの魔術のせいで、俺は風邪を引きかけたんだ」
嫌味半分、冗談半分。
だがマルコは真剣な顔で地面を見つめた。
「ごめんなさい」
「……別にいいけどよ。魔術、いつから習ってんだ?」
「……」
黙り込んでしまったマルコに、カーキッドは内心溜め息を吐いた。
「あのじじぃ、やり手の魔術師なんだろ? いい師匠で良かったな」
「……」
さぁ困ったぞ。マルコは顔を上げない。そして俺はガキをあやす方法なんざ知らねぇ。
そう思いながらカーキッドは、ボリボリと首筋を掻いた。ああ、だからガキは苦手なんだ。
すぐ笑い、すぐ泣く。すぐ喜び、すぐ怒る。
今マルコが俯いてしまった感情の出所など、カーキッドに掴みようがない。
「先生は、」
「?」
だが幸いにも、沈黙を破ったのはマルコの方だった。
「僕に、同情して」
「同情?」
「うん……父さんから頼まれて」
「……?」
「本当はずっとずっと偉い人なのに。僕のためなんかに、こんな所で」
「……あん?」
さぁまた困ったぞ。話が見えねぇ。こいつは何を言い出したんだ?
「父さんと母さんが……………死んだから」
「死んだ?」
オウム返しにそう呟いたその瞬間。
カーキッドはハッと目を見開いた。
「待て」
「……?」
「……おいおい」
臭う。
まだ微か。だが確かに。
森の匂いに混じって流れてくる異臭――酢のような、ツンとした、少しだけ甘いようなこの臭いは。
「ガキどもはどうしてる?」
「? 多分畑に……」
「マルコ、お前はガキ連中の所へ行け。すぐに集めろ。俺は大人を探す」
「どう、したの?」
この臭いは知っている。
――蟲が暴れだす前の臭い。
立ち会った事もあるんだ。何度も。この臭いがした後に必ず奴らは現れる。
(蟲が来る)
繭を破り、最初に羽ばたいた蟲たちの、羽根をこすった時に沸き立つ臭い。
(森か)
「とにかく急げ!!」
言いながらカーキッドは走った。
「蟲が襲ってくる!?」
「ああ。間違いねぇ!!」
「そんな馬鹿な」
子供達の世話役の男と昼食の準備をしていた女は、カーキッドの話に声を荒げた。
「だって! ここにはレトゥ様がお見えなのよ!? 森に蟲の卵があったとして、それにあの方が気づかないわけがないでしょう!?」
息をまく女性に、カーキッドは舌を打った。「知らねぇよそんなもん!」
「ただ言えるのは、俺はそういうのを何度も見てきたって事だ!!」
蟲の卵。それが現れるのは突然。
ある日突然前触れもなく。それは現れ孵化する。どこから来たか、いつからそこにあったかは問われる間もなく。
――それは空へ飛び立ち、町を襲う。人を食らう。
「じじぃがいようと関係ねぇ!! 今現実として目の前に」
迫ってるのだ。その危機が。
「間違いという事は?」
「ない」
「……」
「ガキはマルコに集めてもらってる。連れて逃げろ」
「ど、どこに」
「町もやべぇ。町の連中にも避難をッ! とにかくすぐにここから離れろ」
だが、確かこの町は谷間になっていた。
(やべぇな)
どれくらいの量がくるかはわからないが。臭いはどんどんきつくなってくる。
笑い出したい衝動を必死に抑え、カーキッドは指示を出した。
「急げッ!! 時間がないぞッ!!!」
カーキッドの緊迫した声に、ようやく大人2人が動き出す。
「あなたは?」
「俺は食い止める」
「蟲をッ!?」
「ああ」
神父様、どうやら抜かないわけには、
「行けッ!!」
いかないようだぜ?
ザラリ。
数日振りだが、やはり剣を手にする感覚は棒切れとは違う。
格段に重みを伴う。
――自分の胸にのしかかる、覚悟と共に。
さて。
(どこから来るかな)
――子供達は逃げて行った。
町の事は、あの2人に任せるとして。
神経を集中させる。
(こんな事なら)
もう少しこの辺の地理を見ておくべきだったなと、今更ながら思って。
ニヤリと、笑った。
蟲。
――さっきまでしていた臭いが、スッと和らいだ。直にくるなとカーキッドは目を細めた。
その時、背後でザワザワとした気配がして。
驚いて振り返った見た先にいたのは。
「……お前!!」
マルコ。
少年が息を切らし、立っていたのである。
「何でここにいる!? さっさと逃げろッ!!」
今にも殴らんばかりの勢いでカーキッドはその胸倉を掴み、明後日に向かって放り投げようとしたが。
目が。
「……僕も、戦います」
「ざけんな」
こいつはこういう目をする。それは昨日も見た。強い目だ。存外しっかりした眼差し。
「遊びじゃねぇ」
バッと手を離し、身振りだけで彼方を指す。「さっさと行けッ!!!」
「戦います!!」
「遊びじゃねぇと言ってんだろうがッ」
「わかってます」
声が震えてる。体も。
小さな手も。
さっきできたばかりの、棒遊びでできた傷が汚れてる。
「でも……だから」
少年は白墨を取り出した。
「僕も戦います」
「――」
決意の目から、涙がこぼれた。
だがそれは悲しみではなく。
溢れた感情。
(こいつは何を持ってる?)
人は誰しも抱えてる。
「……チッ」
恐怖だけでは立ち向かえない。
それでも、絶対的な物に立ち向かわなければならないと思った時、そこにあるのは。
誰のためでもなく、己のために下す、
「俺はガキのお守りじゃねぇぞ!!」
魂への、決意。
「いざとなったら建物に飛び込めッ!! いいなッ!!!」
「はい!!」
――決断。
羽音が聞こえてくる。
出会いは一瞬。目の前に姿を現したその瞬間が。
「……チ」
切っ先を。
前へと踏み込む、最初の判断。
黒一閃。
辺りの空気が真っ二つになる。
同時に、最初に飛び出してきた異形の体が、真っ二つに割れる。
飛び散った血が、蟲の悲鳴と共に拡散する。
「――ッ!!!」
数が多い。
怯え、最初の一歩たじろいだ少年を、建物の中へと突き飛ばす。
それからカーキッドは、異形の群れの中へと斬り込んでいった。
(10、20……30?)
いやもっとかもしれない。
大きさはまちまち。人の大人くらいの物もいれば、子供くらいの物もいる。
「湧 きやがって」
気持ち悪い。
言いながら、バサリと薙ぎ落とす。そのまま切っ先を回転させて2つ、3つ。
体に食いついてくるそれを蹴飛ばす。体制が崩れても剣を止めない。
体が。蟲の体液を浴びる。焦げた臭いがする。こいつらの血は火でよく燃えるんだ、とカーキッドの脳裏を過去に見た映像が蘇る。
(町へやるわけにはいかない)
町の奴らは逃げただろうか?
いやそれどころか、後ろにもやれない。
「チ」
今日は、背中を預けられる者もいない。
オヴェリアという存在。
いや、姫様には刺激が強いかもな、こんなグロイ光景は。そう思ってカーキッドは笑う。
その中でも、蟲を切り刻むのはやめない。
「あ、う……」
目の前で繰り広げられる光景。
大量の蟲。
その様は、あまりにも残酷。
マルコは口元を押さえた。吐き気がたまらなかった。実際少し吐いた。
胸がよじれるように痛い。苦しい。気持ち悪い。
でも。
男は剣を振るっている。堂々と。ひるむ様子微塵もなく。
その姿が、マルコの胸を揺さぶった。
戦わなくてはならない。
白墨を握る。
柱に文字を書く。
「我ここに魂を刻む」
ここを起点にして。
柱に、ツラツラと模様を描いていく。
背面、側面、前面と。
高さが足りない。だが届く限り。
万物の神ヘラ
太陽の神ラヴォス、闇無の神オーディーヌ
我ここに魂を刻む、我ここにこの名を捧ぐ
「わが真実の名はマルコ・アールグレイ」
我、悠久の時、先人オルカ・トルカ・マサライアの血を受け継げし者なり
白墨が折れる。文字が途切れる。新しい物を探しながら、前面へと回り込む。
その姿を見止めた蟲が、マルコに向かって羽根を羽ばたかせた。
「ッ!!」
それに気づいたカーキッドが、もがくように剣を上から叩きつける。1匹は羽根を叩き落して地面に落ちた。だがもう1匹には届かぬ。
追いすがろうとするカーキッドの体に、蟲が鋭く牙を立てる。
「マルコッ!!!」
カーキッドの声に気づいたマルコが見たのは、飛び来る蟲の姿。
ヒッと声を詰まらせたが。
「――ッッ!!!!!」
腰に。突き刺していた棒切れを。さっきまでカーキッドと打ち合っていたそれを。
マルコは思い切り蟲目掛けて突き出した。
――もっと強く
感触なんか無視しろ。入ったのは、蟲の巨大な目玉。
ギリギリと、押し込める。蟲が手をばたつかせている。もがいている。だが構わない。
「我ッ、ここにッ、魂を」
大地との契約、御剣の証
糾うは十字架の梢
ザシュと、目の前の蟲が地に落ちた。カーキッドだ。
「大丈夫かガキ!!?」
答えず、すぐ様マルコは白墨を走らせた。
そして。
「避けてッ!!」
「――ッ」
バンッと、マルコは柱に手を当て叫んだ。
「天宝あまねけ、氷の礫 」
次の瞬間、柱は一瞬にして凍りつき、弾けた。
弾けた欠片はそのまま、蟲の大群目掛けて飛んで行く。
何匹かがそれに当り、奇声を上げて一瞬羽ばたきをやめたが。
(弱い)
はやり起点が小さすぎる。この程度では、どうともならない。
そして、礫に当らなかった物が何を思ったか、途端バッと天高く飛び上がった。
1匹、2匹、3匹――礫に倒れていた物たちも続いて空へと駆け上がる。そして羽音を立てて飛んで行く先にあるのは。
「まじぃ」
町だ。
カーキッドは急ぎその後を追いかける。
少年を振り返り、一瞬だけ迷ったが。
「――行くぞッ!!」
「はいッ!!!」
「人がッ」
2人が町に着いた頃にはもう、蟲たちはそこにいた。
そして。
「ギャァァアアア!!」
避難が遅れている。そして残っている者が襲われている。
今まさに人を食わんとしてた物を、カーキッドが両断する。
「火がッ」
マルコの叫びに振り返ると、建物から煙が出ている。誰かが火を使ったのであろう。
マズイなとカーキッドに苦渋のしわが寄る。ここは谷間。火が回るのはあっという間。満ちれば逃げ場ないままにすべてが火炎と化すだろう。
「マルコッ、火を消せ!! 回るとマズイ! それにこいつらに火は通じねぇ、怒りを煽るだけだ!!」
「はいッ」
マルコは出火している建物に向かった。建物を囲むように急ぎ白墨で円を描く。細かい文様は書いてられない。最低限でいい。
――そして最低限でも充分。
水に関しては、マルコの術は大きく発動する。
「水神よッ!!」
建物を包み込むほどの水が大地から立ち上る。
カーキッドも、残りの蟲目掛けて走る。
斬る。
異形の声と共に、カーキッドも顔をしかめる。
腕が痛むのだ。だが。
「ヘヘヘ」
笑う。
蟲の軍勢を前に。
挑む、真っ向。揺らがぬ瞳で。
絶対に。
「ウォォォォ!!!」
逃げぬ。怯まぬ。
負けぬ。
――己には。
それがかつて、少年の日に、カーキッドが誓った約束。
いつか、死の瞬間はくる。だがその時。
無様にだけは死にたくない。
剣を磨け、技を磨け、己を磨け。
強くなれと。
楽しさだけでは振るっていけぬ。でもこれが。
(俺の魂)
死に際まで振るよと。誰にともなくカーキッドは呟いた。
◇
――そして。
「カーキッドッ!!」
最後の一頭を斬った時。
声がした。仰ぎ見れば、水浸しになった通りの向こうから人が駆けて来る。
「おう」
オヴェリアであった。
彼女はカーキッドの姿を見止めると、半泣きのような顔をして彼の元へと駆け寄った。
「良かった、無事だった」
「あん? 俺を誰だと思ってる」
「この町の様子はッ」
遅れて、息を切らせてデュランもやってきた。
「やはり襲撃が」
「蟲だ。仕留めた所だ」
それにしても、とカーキッドも目を細める。
「やはり、たぁどういう事だ?」
戦闘の果て、カーキッドの腕を覆ってた布もいつのまにか取れてしまっていた。
痣が広がっている。それを見て、しかしオヴェリアは首を横に振った。
「持ち帰りましたよ、陶原草」
「……そうか」
「ええ。確かにここに」
笑って見せる。だがオヴェリアの瞳から涙が零れ落ちた。
それを見て、少しカーキッドは照れくさそうに鼻の頭を掻いた。
「じじぃはどうした?」
「レトゥ様は、町の者達に託して参りました」
「我々も襲撃に遭ったのです」
そして森での顛末をデュランが語ろうとした時。
「大変だッ!!」
転げるようにやってきたのは、子供達を託した学校の者であった。
「カスミ畑がッ」
「え」
「火がッ、町外れのカスミソウの畑にッ!!!」
皆まで聞かぬ。
真っ先に、オヴェリアが走り出す。