『 白薔薇の剣 』

−最終王女、騎士録−

 

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 第14章 『痣跡』 

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 願いはないか? と問われた。
 その問いに、男は即答をした。『息子に』
言伝ことづてを。ただ1人残してきた、息子に』
『ああ、聞こう』
『何ら、お前は恥じる事ないと』
『……』
『この先に、待ち受けるは試練であろう――だがお前は俯く必要はない。恥じる必要もない。怯える事も、それによって躊躇ためらう事も』
 貫け、己の信念を。
 内にある正義に従って。
『誇りを持って生きて行けと……父も母も、見ていると』
『……』
『……願わくば、今少し傍にいたかった』
『……』
『これだけは。父も母も、何ら恥じる事はしていない。己の人生に誇りを持っていたとお伝えください』
『……確かに。承った』
『かたじけない。……賢者様』
 人は笑う。
 いかに悲しくとも、無念であろうとも。
 これが最後と思うた瞬間に人に向けるのは。誰あれ、いかなる状況とて。
 笑顔なのだと。
 その笑顔を、残った物への最後の手向けとして。
『確かに伝えよう。……そなたの息子マルコ・アールグレイに。必ず』




 笑顔も涙も。
 すべて。




  14


「調合に取り掛かるぞ! 今少しの辛抱だ!」
「……できんのかよ、本当に?」
「はは、私を誰だと思っている?」
 そう言って胸を張るデュランに。対しカーキッドはバツ悪そうに口を尖らせそっぽを向いた。
 それを見てオヴェリアは笑う。さらに男は視線を外す。
 ――蟲騒動から2日後の事であった。
 蟲により、コロネの町は小さくない被害を受けた。火事で消失した家もあった、焼けずとも水をかぶれば同じ事。もうそこに住む事はできない。
 人の被害も、避難できた者と遅れた者の明暗は分かれた。逃げ遅れた者の何人かは、次の朝を迎える事はできなかった。
 しかし、最小限で済んだとカーキッドは思った。
 あれだけの数の蟲に襲われて、なお、町が形をとどめている。人がこれだけ溢れている。
 全滅。そんな状態を目にしてきた彼からすれば、奇跡に近かった。
「だが、命は失われた」
「わかってるさ」
「祈りを捧げよう……この地に集うすべての魂に」
 この2日間、オヴェリア達も町の人々に混ざって復興を手伝った。
 その夜である。
 レトゥの魔術学校に戻ったオヴェリア達は、そのまますぐに書斎に向かった。
「私はこのまま今夜はここにて。オヴェリア様はお休みなされませ」
「しかし、デュラン様は昨日も寝ておられません」
 カーキッドの治療の事は気にかかる。だがデュランの体も大事に変わりはない。
 昨日だけではない。森での事もある。フォルストの折に受けた傷もまだ痛むはず。
「心配してくださいますのか?」
「当然です」
「ならば……少し、こちらへ」
 と。デュランがオヴェリアの腕を取り、にわかに抱き寄せようとしたのを。
 無論、カーキッドが黙っているわけがない。
「何をする気だ、エロ神父」
「……冗談に決まってるだろ、冗談に。抜くなよ、剣を」
「斬る」
「カーキッド!」
「まったく、短気な奴だ」
 お前だって先刻、姫を抱きしめておったではないかとは言わなかったが。
 異国で鬼神と呼ばれたこの男に切っ先を向けられ、笑っていられる者も中々いない。
 デュラン・フランシス。彼は平然とカーキッドの剣気を笑い飛ばし、ニヤリと笑った。
「私を斬れば、呪いは解けんぞ?」
「……チ」
「剣をしまって、カーキッド」
 その上、オヴェリアに言われてはどうしようもない。
「るっせぇ!」
 半ばヤケクソ、黒の剣は鞘へと収められた。オヴェリアはホッと息を吐いた。
「ところで……レトゥ様の具合は?」
 オヴェリアは、少し離れて立つ少年に向かって言った。
 マルコである。
 書斎の入り口に1人いた彼は、集まった3人の視線に一瞬たじろいだ様子だったが。
「意識は、戻られました」
「そう、よかった……」
 森で暗殺者の狂剣を受けた彼は、以来意識を失ったままであった。その彼が目を覚ましたという知らせは、オヴェリアとデュランはもちろん、カーキッドも安堵した様子だった。
「お医者様も、もう大丈夫だろうと」
「良かった。何よりの知らせだ」
「……あの、」
「ん?」
「……薬草を、調合するんですよね?」
 頬をピンクに染めて身を乗り出すように少年はデュランに言った。
「僕も手伝わせてください」
 それにはデュランも目を丸くした。「そなたがか?」
「はい。薬の事は、調合の仕方も、先生から習いました、から」
 途切れ途切れに緊張した様子で、マルコは言葉を並べたが。
 無論、デュランは苦笑を浮かべる。
「確かに、レトゥ様が倒れた今、手伝ってくれる者がいればありがたいが」
「じゃぁ、」
「……だが今回は話が別だ。今から成そうとしているのは普通の薬の調合ではない」
 幻とされる2つの草を使った、暗黒魔術を打ち破るための薬。
 デュランとて、この先は手探りなのだ。
(レトゥ殿が手伝ってくだされば、)
 もっと楽であろうが。まさか今、無理はさせられない。
 まして草は生きている。本当は摘んだばかりの状態で取り掛かりたかったくらいだった。
「そなたは今は、師であるレトゥ殿の回復のために尽くせ。マルコ……姓はなんと言う?」
「マルコ……アールグレイです」
 アールグレイ。
 その一瞬、デュランは少し驚いたような顔をしたが、すぐに微笑み。
「マルコ・アールグレイ。気持ちだけはありがたく受け取ろう」
「……はい」
「さぁさぁ。3人共出て行ってください。カーキッド、オヴェリア様をお守りしろよ」
「るっせぇ」
「デュラン様、無理はなさらず」
 どこまでも心配そうな顔をしたオヴェリアに、デュランはしっかりとした微笑を向けた。「承知」
 やがて3人が完全に去るのを見届けてから。
 デュランはふっと顔から笑みを消し、小さく呟いた。
「マルコ・アールグレイ……」
 あれがか……と。




 その後3日。
 デュランは書斎に完全にこもりきった。
 食事にもこない彼を、見かねたオヴェリアが膳を運んだが。
 受け取る彼の顔は白く、明らかに眠っていない様子だった。
 このままではデュランが倒れてしまう。何度もオヴェリアは彼に注意を促す。
 だが、「今少しで完成致しますゆえ」。彼はその言葉を繰り返した。
 もうこれ以上は限界だと思われたその日。
 昼の膳を運んだ彼女に、デュランは言った。
「今宵、カーキッドにここにくるように申し付けてください」
 ただ1人で。
「……それ以外は何人なんびともここには近づけぬように。お頼みできますか」
「わかりました」
 死の呪いを解く、その時が。
 きた。


  ◇

「……そこに座れ」
 カーキッドが来るなり。デュランはまず手近の椅子を勧めた。
 だがカーキッドは椅子より先に男を見た。そして。
「先に言っておく」
「何だ」
「……礼を言う」
 書斎は、数日前に見た時よりは多少散らかってはいたが。散乱しているというほどではなかった。
「まだ呪いが解けると決まったわけではないぞ」
「……違ぇよ」
 カーキッドはバツ悪そうに目を背けた。
「あいつの事だ」
「……」
「襲われたらしいな」
 その事か、とデュランは少し笑った。「座れ」
「まぁ、約束はしたからな」
「……」
「だが、礼を言われるような事はしていない。……守られたのは、私の方だ」
 テーブルよりデュランはガラス皿を取った。そこに入っていた透明のペースト状の物をトロリとすくい、「腕を出せ」と素早く、塗りこんでいく。
「あの方は……私が思うよりずっと強い」
「……」
「過酷な運命を持った方だ……本来、あのような方が背負う必要がないような事だというのに」
 国を治める王の娘が、この国で最上の立場を持った娘が。
 剣を持ち、戦う。人を殺め、その罪を背負っていく。
「すべてはあの剣の成すがまま、か」
 聖剣・白薔薇の剣。
 それに選ばれたがゆえに持った定め。
「……」
 デュランの指を見ながら、カーキッドはただ黙っていた。
 やがてデュランも黙り込むと、
「オヴェリアは、お前に感謝していた」
「……」
「危なかったと。お前の助けがなかったら」
「……光栄な事だ」
「礼を言う」
 デュランはふっと小さく息をこぼし笑った。
「雨だな、明日は」
「……」
「礼には及ばんさ。私は、約束は違えぬ」
「神に仕える身だからか?」
「いいや」
 そう言いデュランは微笑んだ。
「その道を、選んだからだ」
「……道?」
「それにお前に礼を言われるのは今ではない、この後だ。呪いを解いてその時、改め言ってもらおう」
「できんのかよ」
「今塗ったのが、陶原草を3日間煮詰めた物。そしてその上から、蛍ガスミの粉をかける」
 パラパラと。それはまるで金粉のように彼の腕に降りかかった。
「そして」
 問題はここから。
 デュランは懐から符を取り出す。それはいつも彼が使っている護符より一回り大きい物だった。
 そしてそこに書かれている文字も然り。
 カーキッドはその文字を今まで見た事などなかったが、初めて思った。その紙に描かれている文字はただ事ではないと。
 緻密に描かれた文字、図形、配列。
 文字を描き、陣を描く魔術。先日マルコがそれを成しているのを見たが……これはその比ではない。
「今から私は、聖魔術を使う」
 その言葉にカーキッドは少し訝しげな顔をした。
 デュランは頷く。「そう」
「お前が受けたその呪いは、聖魔術が効かぬように施されている。私がそれを使う事を、奴が知っているからだ」
 ギル・ティモ。
「だが、だからこそ私は聖魔術でもって仕留める。他の何でもなく、必ずこの術で持ってして、」
 呪いは、解く。
 ――符を構える。
「行くぞ」
 ラウナ・サンクトゥス。その言葉から始まる音階メロディ
 ――もう、残っているのはこの言葉だけ。だからこそ。
(師が残したこの術で)
 負けるわけにはいかないのだ。
 あの男にだけは。




 ……そして、2人と呪いの戦いの結果が出るのは、その後数時間後の事であった。




 魔術師という者を、カーキッドは存外に捉えていた。
 魔術など、剣には劣ると。
 剣は直接腕を振るう、直接命のやり取りをする。振るえば剣は音を成し、振るった力が腕ににじむ。そして肉を刻まば、感覚は手に残る。
 それは命の感触。本当の戦いとは、そういう物だと。
 対し魔術師は魔術を使う。飛び道具だ。
 そこに、実際の命の感触はない。鍛錬は必要だろう。だが肉を削ぐ感覚を知らぬ者達に、なんの、命の重さを知る事ができようかと。本当の戦い≠ニいう物を知る事などできようもないのだと。
 道具を頼り言葉を頼る事、この腕一本で戦場を駆け抜けた自分が、どう比べても比べようもないのだと。
 ……軽んじていた。そういう存在を。
 だが彼は思う。その思いを改める。
(術師の戦い)
 ……目の前で行われた、デュランと死の呪いの戦いはあまりにも壮絶な物であった。
 肉を削ぐ事も、剣の音も、走る事も吠える事もないが。
「……よし、」
 でもこれも、命のやり取りだ。
 閃光と空間の揺らぎ。
 押して、押されて、薙いで、弾かれて。
「終わった……よく頑張ったな」
 いいや、俺は何もしてない。カーキッドは思う。すべてはデュランが1人で成した事だ。
 だがそう言うと彼は疲れた顔の中に笑みを浮かべ、「それは違う」。
「お前の強き心があったればこそ。常人ならば、食われていた」
「……」
 呪いを解こうとするデュランに対し、呪いは一気にカーキッドを食らおうとした。だがそれを押し留めたのは、カーキッドが堪えたからだと。
 そう言い、彼は同時にその場に座り込んだ。
「おい」
「……いや、大丈夫。しかし少々疲れたかな」
 さすがに、身に堪えたよ。そう言い笑うデュランが、この数日まともに休んでいない事をカーキッドは当然知っている。
「改めて言おう。呪いは解けた。……もう大丈夫だ」
 ただし、とデュランはその腕を刺す。「見ての通りだ。痣跡は残った」
「ああ」
「解けた……今は止めた≠ニ言うべきかもしれん。痛みは消えたな? 死の腐食はもうない。だが奴の術の形跡は残った。奴がそれを辿り、再びそこに術を成さば」
「今度は死ぬか?」
「……否定はせん」
「……」
「本当の意味で術が解けるのは、術者を葬った時だ」
 ギル・ティモ。あの男が死すれば。
「その痣跡も消えてなくなろう」
「そうかい」
 なるほどなとカーキッドは腕を何度か動かした。確かにもう痛みはなかった。「わかりやすい話だ」
「だったら斬るまでの事」
 カーキッドの顔に光が宿った。ここ数日弱めていた炎が再び灯ったと言い換えてもいい。
 だがその姿を見てデュランは一つ深めに瞬きをし、「カーキッド」
「私が倒す」
「あん?」
「ギル・ティモだ……いずれ私が倒す。そしてそれも消してやる」
 その表情に。
 カーキッドは繭を寄せ、「てめぇの事はてめぇでケリをつけるさ」
「それとも……何かあるのか、お前とあの男」
「……」
「西の賢者を殺した男、だったか? 禁断の書物を持ち去り、教会でその行方を追っている男」
「……いかにも」
 デュランは視線を外し、ゆっくりと立ち上がった。その膝が、少し頼りなさげに揺れた。
「ギル・ティモは西の賢者、ラッセル・ファーネリアを殺した男」
「……」
「ラッセル・ファーネリアは……我が師だ」




 残るのは痣跡。
 痛みと悲しみと共に。
 身に、そして。
 心に。
 強く、深く、刻まれる。
 そこに黒き炎を宿し。




 ――そしてもう1つ。
 オヴェリアはその頃、1人レトゥの元を尋ねていた。デュランとカーキッドの事を知らせるためであった。
 レトゥがいたから、デュランに会えた。そして今日に至る事もできた。
 その彼が森の中で傷を負った事を。彼女は悔いていた。
(あの暗殺者たちは)
 私達を狙って――いや、私を狙って。
 もう核心している。彼らの狙い。
 ――首が欲しくばかかってこい!!
 その叫びに彼らは反応したのだ。
(私の命)
 だとすれば、レトゥが傷を負う意味はない。
「……」
 どう責任を取るべきなのか……ずっと考えていた。だが考えても考えても、彼女にはその答えが浮かんでこなかった。
 これは私が姫ゆえにか? 浅慮で幼い、未熟者ゆえにか?
 ――考え、レトゥが眠る部屋の前まで来ると。そこからマルコが出てくる所だった。
「レトゥ様は?」
「……眠っていらっしゃいます」
 マルコ。
 あの一件以来、話すようにはなったが。彼はやはり彼女とあまり視線を合わそうとはしなかった。
「そう……」
 蟲騒ぎの時、彼は町で必死に火事を食い止めていた。他の子供達は皆、逃げていたのに彼だけが、カーキッドと共に走り回っていた。
 その時の詳しい経緯を彼女は知らない。だが。
「デュラン様が、薬を完成させたの」
「……」
「その報告をしようと思ったのだけれども」
「……そうですか」
 ずっと、常にレトゥの後ろに隠れるようにしていた少年。
 だがレトゥが倒れた今、彼の中にも何かしらの変化があるのだろう。
「……僕は寝ます。おやすみなさい」
「おやすみ、マルコ」
 背を向けた少年を見送りながら、ふと、彼女はその首筋に目を留めた。
(……痣?)
 襟足と服の間。
 ランプの光の中にも、一瞬彼女は黒い痣跡のような物を見た気がした。
 初めて会った時も、ここへくる道中も、彼は首を覆うようなローブを着ていた。ここに来てからはまともに話す機会もなかったので気にした事もなかったが。
「……」
 もう一度目を凝らそうにも、彼はもう角を曲がり去った。
 オヴェリアは胸に手を当てた。
「……父上……」
 誰もが持つのかもしれませんね、何かしらの傷跡を。痣として。
「……」
 窓の外は漆黒の木々。ここからでは、星も見えない。 

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