『 白薔薇の剣 』

−最終王女、騎士録−

 

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 第15章 『咎人とがびとの息子』 −1−

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 ――誰も知らない焔の記憶。
 ただ、その時ひたすら呼んだのは。父と母の名前。
 炎の中に求めたのは、2人の姿。
 それだけの、果ての。
 今という結論。

 

  15

 交差した剣は光輝く。
 それはむしろ受けた太陽の光をも弾き返すほどに。そこに甲高い音を上乗せ、虚空へと飛散させる。
 打ち合った瞬間の衝撃に、オヴェリアは一瞬顔をしかめた。腕がしびれ、動きが一瞬遅くなる。
 それを見たカーキッドがニヤリと笑って、彼女の肩口を狙う。
 どうにか受け止めるが、足に衝撃の余韻が残っている。体制は悪い。
「どうした!!」
 クっと表情を歪める、たじろいでいる場合ではない。一端距離を開け、剣を構えなおす。その数秒すら許さぬようにカーキッドは打ちかけてきた。
 まるで、待てぬと言わんばかりに。
 右から左からの激しい連撃を受け止める事はできる。だが流すのが精一杯。さすがにオヴェリアとて、カーキッドの渾身の剣を何度も受けるだけの腕力はない。
 となれば速度勝負だが。
「ヘヘヘヘ」
 ダメだ、とオヴェリアは思った。今日のカーキッドはダメ。
「待って、ちょっと」
「あん? どうした、もうしまいか!!」
 疑問符ではなく、啖呵。
 待ったをかけるその身に向かい、カーキッドは尚も攻め立てた。
 ――じゃれる犬のように。
 彼の全身から迸るのは剣気というよりは、一つの感情。
 楽しいと。
 嬉しいと。
 心底剣を握る事が、振る事が、打ち合う事が。
 これほど楽しいという感情を前面に出して、この男が打ってくる事は稀だ。
 ――普段から戦いに関しては「面白ぇ」と口癖にして言う男だが。今日は訳が違う。
 これぞまさしく本当に面白い=B
 そのあまりの気配に、オヴェリアも内心奮えるくらいに心は揺さぶられるのだが。
 その剣を受けるとなったら、話は別である。
「ッ!!」
 カーキッドの剣はいつもより数段弾む。重さや早さ以上に、受けた瞬間の衝撃がいつも以上に残るのだ。
 それが痺れとなって彼女の体に残り、続く一撃がまた更なる痺れを呼び込んでくる。
 最初は遊び半分の付き合い程度で打ち始めたオヴェリアの顔から、余裕の色がなくなって数刻。全身も汗まみれである。
「へへへ、どうしたお姫様!!」
 ここがどこか、傍目も気にせずそう言って見せるその笑顔に、オヴェリアはとても嬉しい気持ちで一杯になった。
 しかし。剣になれば話は別である。
 いよいよ本気で体制を低くし剣を構える。心も一緒に低く、穏やかに。
 波紋なき、水面のごとく。
「いい顔だ」
 舞い上がる、白薔薇の姫君。
 また1つ、剣が交わる音は空へと響き渡った。

 

「……それで、朝から今までですか」
「ええ」
 頷き、オヴェリアは苦笑した。「さすがに腕がちょっと」
「いやはや。酔狂ですなぁ。捨て置けばよいものを」
「そうもできません」
 あんなにも純粋に喜び楽しんでいる者を。
 放って置けるわけがない……それに彼女自身も犯されてしまったのだろう。彼のあの笑みと空気に。
「本当に楽しそうでした」
「剣が握れる事が、ですか」
 そう言い、デュランはふっと笑った。「あなたと打ち合えたゆえに、でしょうかな?」
「え?」
 もっと言えば、あなたが傍にいるがゆえにでしょうなとデュランは思ったが。
「あれだけの者が剣を封じられた……呪いが解けて再び気兼ねなく振る事ができるようになったのが、本当に嬉しいのでしょうね」
 屈託なくそう言って笑った姫の顔を見てデュランは、寸前の言葉は呑み込み「そうですな」とだけ言った。
「それもこれもすべてはデュラン様のおかげ。本当にありがとうございました」
 ――カーキッドの呪いが解けてから3日が経った。
 その間カーキッドは鬱憤を晴らすかのように剣を振り回していたが、対してデュランは眠り込んでしまった。数日間の疲れが一気に溢れ出た様子だった。
 現実今も、彼は寝台の中である。体調を心配してオヴェリアが見舞いに来たのだ。
 彼の部屋はオヴェリア達が過ごしているのと同じ棟。カーキッドの隣の部屋であった。
「いえいえ。奴に運があったという事でございましょう」
「お体の具合は?」
「お見苦しい所をお見せしましたが、もう大丈夫。晩は自分で食堂まで参ります」
 姫様にこれ以上配膳をさせては、兵士どもに連行されましょう、とデュランは頭を下げたが。オヴェリアはニコニコと笑ってそれを流した。「いいえ」
「動ける者がすればいいだけの事です」
 それにね、とオヴェリアは続ける。
「城にいた頃にもそういう事はよく致しました」
「姫がですか?」
「ええ。父が……体を患ってからはよく」
「……」
「もちろん父も、まだ動けます。でも体調の良くない時もある、伏して動けぬと聞けば、私が父の元へ」
「……左様で」
 姫はお優しいですな。そう言って微笑んだデュランに、オヴェリアは首を振った。
「怖いだけです」
「……怖い?」
「ええ」
 ――母のように、自分の知らない所で誰かが倒れ、二度と会えなくなる事が。
 だがそれは言わず、オヴェリアはデュランの顔を見てゆっくりと顔をほころばせた。
「でもデュラン様、本当に顔色も良くなられました。良かった」
「……軟弱ゆえに。まったくもって見っとも無い」
 デュランもそれ以上は詮索せず、苦笑する。
「もう少し体を鍛えねばなりません」
「仕方がないです。森から呪いを解くまでの数日間、あれだけの激務を続けたら誰だって」
 むしろ倒れる事なく完遂したその姿は敬意に値すると、オヴェリアは思う。
「あなたもお気をつけくださいオヴェリア様。第一に、あの男の剣に付き合っていたらあなたが倒れますぞ」
「ふふ、そうですね」
「……まったく、あの者は姫様への敬意の念が足りぬ。一体誰だと思っておるのか」
 白魚の手が、痛んで赤くなっているではないですか。そう言い彼は彼女の手を取った。
 だがその手を見てデュランは改めて思った。ああ、確かにこの手は剣士の手だ。握りに独特のふくらみが出来ている。
「第一に、奴は女性の扱いが乱雑すぎる」
「そうでしょうか?」
「ええ。これまであのような者と旅をされて、不便は感じられませんでしたかな? どう考えても奴に姫様を……それ以前に女性にすら配慮があるとは思えませんが」
「不便と言えば……そうですね、部屋が同じという事くらいでしょうか……?」
「…………同じ、部屋? ……といいますと?」
「宿です。最近はやっと慣れてはきましたが、さすがに着替えやお風呂の際などは」
「……ちょっと。お待ちください姫様。何ですかな、聞き間違いですかな? もう一度お願いできますか? 宿が何と?」
「ですから、同じ部屋だと」
「なぜに?」
「旅は物入りゆえに、宿代の節約だとか。でも旅とはそういうものなのだと。ですから私も一生懸命、慣れるようにと思って」
「……」
「あ、私何か妙な事を言いましたか? でもねデュラン様、ちゃんと慣れてはきたんですよ? 最初は恥ずかしくて、息をするだけでも心臓が苦しいほどでしたけれども」
「……………」
「デュラン様??」
 オヴェリアの手を持ったまま固まってしまった神父を、彼女は不思議そうに眺めた。「どうかされましたか?」
「…………後で、」
「え?」
「……あの馬鹿者は私がしばき倒しておきます。ご安心くださいませ」
「え??」
 デュランが頭を抱えた意味がわからぬオヴェリアは、ただただ小首を傾げ。
 その純白そのものの瞳を前に、デュランは苦笑をするより他なかった。
「姫様は本当に、真白ましろにあらせられる」
「?」
「いえ、詮無い事。お聞き流しくださいませ。……ところで、つかぬ事をお聞きしますが」
「はい」
「……姫様は、奴めに何か妙な事をなされは……いえ、何でもございません。どうぞお忘れを」

  ◇

 カーキッドとデュランは回復した。だがまだ、レトゥは伏したままだった。
 オヴェリアは2人と共に、町の復興を手伝う傍らで学校の手伝いもした。
 デュランはレトゥに代わって子供達に勉学を教え、カーキッドも剣術を教えた。
 だがその際、
「何が基本だ、まどろっこしい。実践だ。何事も実践あるのみだ!!」
「馬鹿な。基本なくして何が成り立つ。戦術も学問も、根幹の部分があったればこそ知識も深くなる。それをおろそかにするという事は、浅はかな物しか成せぬ」
「基本基本としゃらくさい。んなもん、100の実践で自然と身につくもんだ」
 ……カーキッドとデュラン、2人の教育方針はことごとく反発し合った。
 それを見てオヴェリアは何度も仲裁に入ったが。
 マルコの肩を借りてようやく歩く事ができるようになったレトゥが、
「仲がよろしいですな」
 と笑って言ったので。
「あれで仲が良い、のでしょうか?」
「ええ。喧嘩するほど、と言いますでしょう?」
「……」
 これも仲良の良さの1つの形なのかと思い直し。2人を見守る事にした。
 無論それを本人達に言ったならば、
「馬鹿かお前は」
「冗談じゃありません」
 と口を揃えて言ったであろうが。

 

 そういう日が何日か過ぎ、その日は3人で町へ買い物に出ていた。
「随分と復興が進みましたな」
 町の様子を見てデュランは満足そうに頷く。
 焼けた建物の建て直しも始まってるし、混乱に荒れてしまった畑も何とか直されていた。
 何よりも、歩く人々の顔が。
 ……蟲騒動の直後は沈みきっていた人々の顔に、混乱前の笑顔が戻り始めていた。
 だがその顔を眺めながらオヴェリアは思う。悲しみがないわけではないと。
 確かに生活は変わった。亡くした命もあるのだ。
 かつてと同じにはなれない……だが。それでも進まなければならないのだ。それは、生きているからこそ。
「オヴェリア、ぼさっとすんな。さっさと買出し済ますぞ」
「あ、はい」
 カーキッドに声をかけられ、オヴェリアは慌てて2人の元へ戻る。
「ガキどもの飯と、……洗剤、木材、布? チ、色々あんな。こき使いやがって」
「力が有り余っているのだからいいではないか。我々も随分と世話になっているのだし」
 デュランの言葉に、カーキッドは面倒臭そうに耳を掻いた。
「オヴェリア、じじぃの様子はどうだ?」
「レトゥ様? ええ、何とか歩けるようになったみたい。まだ誰かの手は必要のようだけれども」
「それは良かったですな」
「そうか」
「……何? カーキッド?」
 男の様子に違和感を感じた姫君は、訝しげに尋ねた。
「そろそろ、発つぞ」
「――」
「このままずっとここにいるわけにも行かねぇだろうが」
 わかってる。わかってた。
 いつカーキッドがそれを言い出すか。ここ数日、考えない日はなかった。
 元々この町にきたのは、カーキッドの呪いを解くため。そのヒントを得るためだった。
 そしてカーキッドの呪いは解けた。痣跡は残ったようだったが、もう大丈夫だとデュランも言った。
 だとしたらもう、この町には用はない。
 そして彼女には、進まなければならない理由がある。行かなければならない場所がある。
 ――ゴルディア。北の大地。そこにいるという黒竜の討伐。
 それがこの旅の本当の理由。この国が抱えている厄災。
 立ち止まっている暇は、本当はないのだ。
「……」
 わかっているが……オヴェリアは黙り込んだ。本当はレトゥが回復するまで待ちたいが。「そう、ですね……」
「その件で。オヴェリア様、少々お話したき事が」
 何ですか? と何気なくオヴェリアはデュランを見たが。
 その目がいつになく真剣な色を帯びており。オヴェリアは元より、カーキッドも怪訝な顔をした。
「私、考えておった次第でございます」
「え……?」
 何をでございますか、デュラン様? と問い直そうとしたその時。
 不意に、周囲からどよめきが沸き起こった。
 3人は自然、声の方を振り返った。町の人々が一点を見つめ、声を上げている。
 その視線をたどれば。
「あれは、」
 畑に挟まれた、町へと伸びる一本道に。灰色の一団があった。
 馬にまたがり、太陽に輝くのは鋼の鎧。
 こんな小さな町に、どう見ても不似合いな群集。
「姫様、こちらへ」
 咄嗟、デュランがオヴェリアの手を引き物陰へと身を隠す。カーキッドもそれに続く。
「おいおい、何だありゃ」
「静かに」
 馬上の群はすぐに、オヴェリア達が先ほどまでいた所にまで至る。町の者たちは慌てふためき道を開けた。
 数はザッと、20。
 そしてその鎧が背中にまとったマントに描かれた紋章を見て、デュランは言った。
「あれは、神聖騎士団」
「あん?」
 異国の民であるカーキッドにはわからない。だがオヴェリアにはすぐにわかった。
「教会直属の騎士団です。でもなぜそんな者たちが?」
 彼らが駆け行く方角を、デュランは厳しい顔で見た。「あの方角は」
「まずいな。……戻りましょう。学校です」
 駆け行くデュランに、オヴェリアとカーキッドは一瞬顔を見合わせそれから後を追いかける。
「どういうこった、神父!」
 それには答えず、デュランは舌を打つ。「馬では分が悪いか」
「先回りをします。森へ」
 森へ入る。視界から馬上の騎士達は姿を消す。だが気配はまだ空気を伝って飛んでくる。
「カーキッド!」
 木々の間をすり抜けながら、一瞬デュランが彼を振り返った。
「先に行ってくれッ、私の足では間に合わん!」
「チッ、どうしろってんだ!」
 歯噛みしながらもカーキッドは問う。
「奴らを中に入れるな。絶対だ!」
「面倒くせぇ」
 叫んだが。カーキッドの速度は瞬時に上がる。2人を追い越し、森の奥へとあっという間に消えて行った。
「デュラン様、一体何が」
「まずい事になりそうです」
 何が起こっているのかオヴェリアにはわからない。
 ただ、嫌な予感がしてならない。
 獣道に足を取られぬように、オヴェリアも懸命に走った。

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