『 白薔薇の剣 』
−最終王女、騎士録−
第15章 『
咎人 の息子』 −3−
「ゼクレトル・フレイド……そう、確かにそれは我が名でございます」
鳥の鳴き声が戻ってきた。
だがそれ以外に音はない。
先ほどまで聞こえていた子供達の泣き声も、今は皆無。
町から通っていた子供達は、騒動を聞きつけた親達によって連れ戻された。それ以外は、使用人の大人たちによってなだめられ、今は部屋に戻っている。
静けさにも慣れていたはずなのに。この数日、子供達の声を聞き続けてきたせいか、この沈黙はオヴェリアにとってやけに寂しく感じられる物であった。
「本名を明かさなかった事、誠に申し訳ございませんでした」
老人は寝台の中頭を下げた。その顔は数日前初めて会った時よりもずっと、やつれて見えた。
オヴェリアは小さく首を振り、「私も最初、名を明かしませんでした」と言った。
「水の賢者様だったのですね」
「……その名はもう、教会を去る時にお返ししました。今は一介の魔術師。そこに偽りはございません」
「全部説明しろ、じじぃ」
戸口に立ち腕を組んだまま、カーキッドは言った。
「俺達には、わけがわからねぇ」
「……」
「一体何だってんだ、何が起こったってんだ。何でマルコが連れて行かれる? あいつらは何者なんだ」
「カーキッド、」
「てめぇも同じ気持ちだろうが」
「……」
オヴェリアは黙り込む。否定はできなかった。
「デュラン様はレトゥ様の事もマルコの事も……知っておられたのですね?」
ここでお別れやもしれませぬ、そう言った彼の言葉がオヴェリアの脳裏に蘇る。
「差し支えがなければ、話してはいただけませんか?」
そっと呟いた彼女に。
レトゥは目を閉じ小さく呻いた。
「……アールグレイ夫妻の事を、お二人はご存知ないのですね」
オヴェリアはカーキッドを見た。だが彼も小さく首を横に振った。
「マルコの両親、ビル・アールグレイとアンナ・アールグレイは、3年前捕らえられ、処刑されたのです」
「処刑?」
「ええ。大罪人として」
オヴェリアは息を呑んだ。レトゥは瞳を開いたが、そこには何も映っていないように見えた。
「3年前……2人は捕らえられた。北の国境沿いにある小さな村です。そこに、教会が騎士を派遣した。ハーランドの議会も2人の身柄を要求したのですがな、それは聞き入れず、教会が彼らを一方的に背徳者として処刑しました」
ハーランドの国において、王、そしてその下にある大臣達が治める議会は絶対。国民はそれに従う権利がある。
だがその中で教会という組織だけは別格。
教会はそれだけで一つの独立母体として、他の何の力や権限も受けぬという取り決めがなされている。
その力はハーランドのみならず、周辺国家すべてに同じ。隣国バジリスタにおいても、その所在は同義とされている。
彼らを制する事ができるのは唯一神のみ。
他の何の国家、権力の力も受けぬ代わりに、どこの肩も持たない。それが教会という組織であった。
「背徳者なんて……」
一体何を……考えられないという面持ちでオヴェリアは尋ねた。
「教会側が下した罪状は、生命の冒涜」
ビル・アールグレイ、アンナ・アールグレイ。2人が成した事は。
「その2人は……蟲の生みの親だと言われております」
蟲。
通称羽蟲。ギョウライチュウの変異だとされている。
その様はオヴェリアも見ている。つい先日もこの村が襲われたばかりだ。
人を食らう、異形の存在。
「作った……?」
マルコの両親が? これにはオヴェリアのみならずカーキッドも身を乗り出した。
「マジかよ」
「……2人は当時、研究者として教会内でも名が知れておりましてな。主に生物に関する研究をしておりました。特にビルは第一人者として、多くの動植物の発見、生態調査などを行ってその実績を上げております。今あるそうした基盤の書の多くは、彼によって書かれた者です。アンナはその助手としてずっと付き従っておりました。元々は、私の弟子の一人でもありました」
「……」
「研究熱心な2人でしたが、数年前、そのために北へと移り住むと言い出した時は……皆驚きましたが反対はしなかった。ビルがどうしても試したい事があるのだと熱心に言うておりましたからな。その情熱に、誰もその時は信じて疑わなかった」
だが、それが疑惑へと変わるのは数年後の事である。
「誰が言い出した事かはわかりませぬ。ただ……教会内で妙な噂が流れるようになったのです。ビルが妙な研究をしていると。彼がしているのは恐ろしき生命の冒涜 であると」
「それが……?」
「その矢先でありました。北の集落が滅んだという話が飛び込んできたのは。妙な生き物に襲われたのだと。だがその当時は蟲などという存在を誰も見た事がなかった。わけもわかりません。ただそこより少し足を伸ばせばビルたちが住む村がある。そしてその後何がどのようにつながったのか、私が聞いた時にはもう、2人に容疑はかけられ捕らえられた後でした」
「2人が蟲を作って村を襲ったと?」
「確定したのはその後です。2人を連行して後再度調査した折、2人の住処の裏山に大量の蟲の巣が発見されました。当時の調査班はそれに対する処置法がわからず、結局それらはすべて孵化した。無論近隣の村は全滅」
「――」
「……マルコもその場に、居合わせたのです」
ギャギャという声が外から響いた。あれは何の鳥の鳴き声か。
「押し寄せる蟲の大群、炎によって包まれた村……マルコはその惨劇を見ている。両親を連れて行かれたった1人でその状況に居合わせた。……その時の事をあの子は決して口にはしません」
村はもう二度と復興せぬ、無残な状態へと変わった。
「そしてそれが決定打となった。アールグレイ夫妻は蟲を作り村を襲ったとして、処刑されました」
「……」
オヴェリアが口元を押さえた。
「そしてそれを見届け私は教会を去った。2人の最後の願いを叶えるために」
――何ら、恥じる事はしてない。
「私は最後に、ビルに会った」
面会を許されたのは、彼の方だけ。アンナには会えなかった。
「マルコに伝えて欲しいと頼まれた言伝を届けるために」
もう、教会には戻らぬ覚悟で。水の賢者という称号を返し。
誰にも行方を言わず。
マルコと共に。
「そしてあの子を守るために」
両親を失った少年を守る。
ビルとアンナが叶えられなかった最後の望みを、叶えるために。
「蟲を作った大罪人、か」
オヴェリアは言葉を失っている。カーキッドは懐から煙草を取り出し、火を点けずとりあえずくわえた。
「そんな事が、本当にできるってのか?」
「……」
「万が一それができたとしても。それが今なぜ、マルコと関係がある?」
アールグレイ夫妻が処刑されたのは、今から3年前。
幼きマルコが、さらに幼い頃の事である。
「仮に蟲を作っていたとしてもだ。マルコがなぜ連れて行かれる? あいつが手伝ってたからとか言うのか?」
「気になるのは枢機卿」
オヴェリアも思い出す。騎士たちは言っていた。これは枢機卿の命令なのだと。
枢機卿は、教皇に次いで教会で権力を持つ人物である。その言動は国王とて軽んじる事できない。
「現枢機卿は、ドルターナ卿……」
オヴェリアの中でその男の印象は、さほど悪くはなかったが。
「なぁじいさん。あんたはなぜマルコと逃げた? 賢者の名前を返上してまでなぜ? しかも蟲を作った罪人の息子だ。たとえ最期の言葉を受けたからと言っても」
そこまでした、本当の理由は別にあるんじゃないか?
「……」
ゴォォと雲が唸り声を上げた。オヴェリアは外を見た、やや暗い。雲が重くなってきている。
「罪人の息子……」
レトゥの脳裏に浮かぶ声。マルコに託された言葉。
「あの2人は」
――書に、アールグレイ夫妻の名は歴史上稀なる大罪人として刻まれている。
だが。
「……違う」
「レトゥ様」
「ビルとアンナは……」
言えなかった、あの時自分は。レトゥは両手で顔を覆った。しわの深さが、長く歩んだ道を思わせた。
「蟲など作って、おらぬ……」
――混乱は急激に生じた。
ビルとアンナは普通の蟲を人食い蟲に変えた。それで人々を混乱に、国家を貶めようとしている。
その意見は一気に膨らみ、気づいた時にはもう、レトゥ一人では止められなかった。
レトゥはアンナの師である。ビルの事も良く知っている。家にも遊びに行った。
だから、見ているのだ。彼らが何を成そうとしていたのかも。
――もしもあの時あの者が生きていたらと思わない事はなかった。
西の賢者ラッセル・ファーネリア。
……だが彼はすでに他界した後。それにより教会内が混乱していたというのもあった。
盗まれた禁断の魔術書。
そして現れた異形の存在。
教会は急ぎ、事態の沈静化に勤めようとした。だから。
「止められなかった」
何かしらの事実を知っていても、声を上げる暇もなく。
上げてもそれは、取り上げられる事もなく。
露と風に、押しやられるように。
「わしは、わしは」
今声を上げた所で、ビルとアンナは還ってこない。
だが終わっていないのだ。現実に、マルコが連れて行かれてしまった。
あの時の惨劇は、まだ、終結を迎えていない。
その理由は恐らく、2人が本当に成そうとしていた事。
ビルの中で何かがゴトリと崩れるような音がした。
「オヴェリア様」
「はい」
「あなた様は……ハーランド王、ヴァロック・ウィル・ハーランド様のご息女、オヴェリア・リザ・ハーランド様でございますね」
オヴェリアは目を見開いた。「ご存知だったのですか」
「当たり前でございます」
今までのご無礼、お詫びいたします。
「聞いて、いただけますか。私が知っておる事を」
ビルとアンナの無念。
「あの2人は蟲など作っておらぬ。あの2人がやろうとしていた事は」
一粒、空から最初の雨が零れ落ちた。
「竜の復活でございます」
後はポロポロと、空が泣き始める。
◇
竜。
数千年前この地に繁栄した種族である。
その力は絶対的。長く、この地の主として猛威を振るっていた。
だがその歴史が終わりを迎えたのは突然の事。
詳しい事は解明されていないが、その時起きた天変地異により、竜は滅びの道を辿った。
今では、人が及ばぬ秘境にひっそりと隠れるようにいるとされるが、実際の数は不明だ。両手で足りるとも言われるし、もう少し多いともされる。
そして彼らが栄えた跡は、今は地中に残ったその残骸からしかわからない。
化石となった骨と、それに守られるようにして埋まった1つの石。
竜の命を宿すとされる生命石、通称、碧 の焔石。
「ビルとアンナがやろうとしていた事は、焔石から竜を復活させる事でございました……」
オヴェリアは息を呑んだ。対しカーキッドは少し笑った。
「そりゃまた。蟲より悪いな」
「……」
レトゥは神妙な顔でカーキッドを見た。
「なぜそのような事を?」オヴェリアも、ためらいをにじませ問う。
「私もかつてビルとアンナに同じ事を申しました」
竜の復活など、何を考えているのかと。
「だが……ビルはそれにこう答えたのです」
――賢者様、それは違う。
「『我らの認識こそが、間違っているのかもしれません』、と」
「……それは……?」
「かつて竜はこの世界にあり、栄華を誇った。大半が絶滅し、残った僅かも、人に害を成す物とみなされている。中でも黒い竜は最も恐れられる存在。……だがビルは申しました。それは、間違っているかもしれぬと」
「……」
「ただ……あの時よりずっと引っかかっておった。突然かかったビルとアンナへの容疑、とってつけたような蟲騒動、そして詮議もほとんどないままの処刑。何かがおかしい。何かが引っかかる」
だからマルコを連れて、姿を消した。2人を守れなかった代わりに、彼を守るために。
「そして今回の騎士団」
レトゥが激しく咳き込んだ。オヴェリアは彼の体をさすった。
「レトゥ様、わかりました。無理をされすぎました」
「いいえ姫様、聞いてください」
姫の手を退けるように首を振り、レトゥは目を閉じる。
「あの時からずっと。教会は何かを隠している、何かとてつもない事を……それがいつかマルコの身を襲うのではないかと、私はずっと案じておりました。そんな心配が、一層あの子に影を落とした。あの子はビルとアンナの分も幸せになって欲しい、ならねばならぬのに……姫様、マルコは」
「レトゥ様……」
「あの子は……こんな、」
再び呻き声を上げた彼を、今度こそオヴェリアは優しくなだめた。
「少し休んでください。食事の用意を致しましょう。……カーキッド、手伝って」
返事の代わりにカーキッドは、くわえていた煙草をポキリと折った。「湿気ちまった」
2人、とりあえず部屋を出る。
「おい、オヴェリア」
カーキッドが声をかけたが、オヴェリアは答えなかった。
横顔だけを見る。もう、そこに答えは出ている気がした。
「……だりぃ」
その呟きは先を思っての事か。
だが彼も、右手を淡く握り締めた。
◇
――翌朝。
一晩中降り続いた雨は、先ほどようやく止んだ。
レトゥはその音を一晩、聞き続けた。
彼は杖を頼りに窓辺に立っていた。マルコは今頃、どこにいるだろうか?
――3年前、マルコの村を襲った蟲は、村人全員を食い尽くして後に死んだと聞く。それだけを役目としていたかのように。
そしてその時の業火を消したのは、雨だった。
マルコも雨を見ていたのだろうか? だとしたら今宵の雨をマルコは、どんな気持ちで聞いていたのだろうか? レトゥは目を閉じた。傷が痛んだが、構わなかった。
「……誰ですかな」
扉の向こうに人の気配がして、レトゥは声をかけた。
開いた先にいたのはオヴェリアとカーキッドだった。そこまでは予想していたが。
2人の姿に、レトゥは双眸を開いた。
「姫様……」
「お暇 に参りました」
旅装。
「長い間、お世話になりました」
「……行かれますのか」
「はい」
オヴェリアの目には、決意がこもっている。
「マルコとデュラン様の後を追います」
「何と」
「このままにはしておけません」
カーキッドがオヴェリアの背後で、大きく溜め息を吐く。
「必ずマルコを取り戻します」
あなたの代わりに。
「姫様……」
「それまでお体を大事に。無理はされませんように」
良いですね? とオヴェリアは微笑んだ。
レトゥは膝をついた。
そのまま泣いた。泣き続けた。
オヴェリアとカーキッドは旅立った。
その背中に向けてレトゥは呟く。
「申し訳ありませぬ、姫様」
それから、すまんマルコ、と――。
「あー、かったるい」
「そろそろ発つぞと言ったのはあなたです」
「そうは言ったけどよ」
行く先が違うだろうが、とカーキッドは毒づく。
「何でガキと神父を追いかけなきゃなんねぇんだ」
それは、とオヴェリアは思う。
「レトゥ様へのご恩返しです」
罪滅ぼしだと、彼女は思った。
ずっと思っていた、レトゥが受けた傷。あれは彼が受けるべきものではなかったと。すべて自分のせいなのだと。その罪を、どうしたら償えるのかと。
ずっと思い、考え……それを果たすまではあそこを去れないと思っていた。
だから。
「それに気にかかる事があります」
無論、竜である。
ビル・アールグレイとアンナ・アールグレイが研究していたという、竜の復活。
だが2人は大罪人として処刑された。
にもかかわらず、今また、マルコが連れ去られる事となった。
奇しくもオヴェリアが旅に出た理由も、竜。
何かが引っかかる。これは偶然か?
「あなただって、マルコの事、気になるでしょう?」
「全然」
「……そう」
だがカーキッドはオヴェリアと共に歩く。
「面倒臭ぇ」
そう言いながらもその目は、光を放っている。
「さっさとガキを連れ戻してゴルディアに向かうぞ」
「ええ。そうね」
「……何がおかしい」
「別に何も?」
「嘘つけ、だったら何で笑ってやがる」
「笑ってないってば。デュラン様の事も気になるし、急ぎましょう」
「おい、先に言っておくがな、ガキは助けても神父は助けねぇぞ。あいつは捨ててく」
「もう、本当にカーキッドはデュラン様と仲良しなんだから」
「……あ? 今何つった? 誰と誰がなんだって?」
「カーキッドとデュラン様は仲良しだから喧嘩するのだと、レトゥ様が」
「……誰がだ、クソじじぃ」
新たな旅立ちの足跡は、ぬかるんだ地表にくっきりと残る。
そこに決意も一緒に刻み。
前に大地は、果てしなく続く。