『 白薔薇の剣 』
−最終王女、騎士録−
第18章 『竜の閂』 −5−
「けど……なぜお2人が……」
ともかく行こう。部屋を抜け出した3人は階段を駆け下りた。
改めて、マルコは今自分が置かれている状態に困惑した。なぜオヴェリアとカーキッドがここにいるのか。
「私たちはあなたを追ってきたのです」
元々この城は一時的な物。ガブリエル率いる騎士団と、ドルターナが共として連れてきた僅かの兵しかいない。それに対し城は広く、すべての道を完全に兵が塞ぎきれる物ではなかった。
「事情はレトゥ様よりお聞きしました」
久しぶりに他の人から聞いた師の名前は、マルコの中でじわりと広がるようだった。
曲がり角に身を潜める。カーキッドが向こうを覗き込む。誰もいないと、一つ彼は頷いた。
「絶対に、あなたをレトゥ様の元へ帰します」
「……オヴェリア様……」
「あなたは幸せにならなければならない、ご両親の分も」
これはレトゥ様、そして私たちの願いです。
そう言い、オヴェリアはマルコの手を握り締めた。
「早くここを出ましょう」
「でも何でここが……」
――神聖騎士団を見失ったオヴェリア達であったが、行商人から偶然その話を聞いた。
先年起こった大災害によって道が塞がれたその先に、貴族の城があると。
元はこの土地の領主であったが、先代の領主が亡くなって後に合併され、今はその城のみが残されていると。
その城の現在の主は健在ではあるが、別の場所に居を置いているため、かろうじて手入れがされているだけで普段は特に使われていない。たまに城主が訪れる事があってもそれも数年に1度程度。
そしてその家の紋章は、睡蓮。
オヴェリアは王女である。社交界に疎いが、それでも、家と紋章の事は幼い頃から教えられてきた。
だから、2人はすぐにその場に向かった。
「睡蓮は、ドルターナ卿の印」
今は教会に席を置く男。枢機卿ドルターナ・ウィグル。
「こいつの勘が当ったってわけさ」
辺りの気配を探りつつ、カーキッドが声を潜めて笑った。
「案の定、城には兵士がごろついてる。神聖騎士団の連中の姿もあった。……潜入して、様子を伺ってたんだ」
実際に2人が城に潜り込んだのは今朝。見回りの兵士の鎧を拝借した。
そこで、マルコが南塔にいる事を知り、奪還方法を練ろうとしていた矢先の出来事であった。
「手間が省けた」
「とにかく早く城を離れましょう」
見上げる2人の姿はマルコにとってとても頼もしかった。夜中であるに関わらず、その顔は眩しく見えた。
マルコはこみ上げる思いを堪え、代わりにオヴェリアの腕を掴んだ。
「デュラン様が」
「え?」
「デュラン様を、助けて……」
ピタリと足を止めた2人。オヴェリアはすぐに腰を落としてマルコに視線を合わせる。
「デュラン様はどこに?」
「地下牢に。傷を負われて」
その美しい顔が途端に曇る。
「傷? 騎士にやられたのですか?」
「違う……」
「どうせ女騎士にちょっかいかけてぶっ飛ばされたんだろう?」
オヴェリアに対しカーキッドは、馬鹿にしたような笑みを浮かべた。オヴェリアが睨むと、ひょいと肩をすくめて見せた。
「場所はわかりますか?」
「おいおい、行く気か? あいつなら、1人でも適当に逃げ出すだろ」
「捨て置けるわけがありません」
改め、オヴェリアはマルコの目を覗き込んだ。
「地下牢はどこに?」
「……本塔だって言ってた気がする……。本塔の地下の牢にいるって」
教えてくれたのは、騎士団長ガブリエルだった。
「わかりました。行きましょう」
「かったりぃ」
ブツブツ言うカーキッドを無視し、オヴェリアは走り出した。無論そうなれば彼も、不承不承続く他にない。
「しかし、あのデュラン様が傷を負うなんて」
一体何が起こったの? とオヴェリアは独り言のように呟いた。
それにマルコは一瞬躊躇ったが、答えた。隠す理由もない。
「魔術師だった」
「魔術師?」
狭い回廊、オヴェリアは改め少年を振り返る。
「騎士団にいたのですか?」
「違う。騎士じゃない」
あれは一体何だったのか。マルコは返答に困った。
「黒い人」
カーキッドが追いつき、「おい、誰か来るぞ」
だがオヴェリアは構わず、マルコに先を促した。
「黒い人?」
「黒い魔術師……笑ってた。デュラン様とは知り合いだったみたい……。また、会ったなって」
オヴェリアはハッとした。
「デュラン様も反撃していたけれども僕がいたから……僕を庇って、魔術を受けて。でもデュラン様は懸命に戦って。魔術が封じられても弓で戦って」
カーキッドも動きを止める。そこに固まる。
「そうだ……デュラン様が言ってた。師の仇だって……」
3人を見つけた兵士が声を上げる。
だがオヴェリアとカーキッドはそれとは別の事に囚われ、目を合わせた。
「まさか、」
「あいつの師の仇……」
かつて、西の賢者と呼ばれた男が殺された事。彼こそがデュランの師である事。
それをカーキッドはデュランから聞いた。オヴェリアにも話した。
その仇こそが、2人もフォルストで対峙した魔道師である事も。
「ギル・ティモ」
「何でここに出てくんだ?」
兵士が兵士を呼ぶ。やがて3人は取り囲まれていく。だが2人の視界にそれは空ろにしか入らない。
「だけど、デュラン様ほどの方が手傷を負われるとしたら」
大抵の事ではない。相手が彼ならば、合点も行く。
「……チ、厄介な事になってきた」
だが、剣を抜くカーキッドは笑っていた。
「思ったより早く借りが返せそうだな」
腕に残る痣跡。
2人の剣士は剣を抜く。
数は対する兵士の方が圧倒的。
だがその目が捉えているのは別の事象。
オヴェリアは走り出したと同時に息を呑んだ。
背中を悪寒が掠めたが。
(一刻も早くこの城を去らねば)
断ち切るように剣を振った。
切った風音が、悲鳴のように。
だがそれすらも、その速度は断ち切っていく。
◇
牢獄にあるのは常に沈黙。
だが数秒前、その空気が突然変わった。
詰めていた見張りの騎士がいなくなった。
彼がいなくなる直前に別の騎士が来て「伝令」と言った。
詳しい内容はわからない。だが会話の断片はデュランの耳にも届いた。
すなわち、マルコが逃げたと。
そしてその逃亡に関わる2人の剣士がいると。
団長命令で召集が掛かった様子、騎士たちは牢獄のデュランを置いてその場を出て行った。
残されたデュランは、すべての気配がなくなると同時に大きく息を吐いた。
「……構わず行けと申したはずだが」
マルコの逃亡を手助けする2人の剣士。そんな物、あの2人しか思い当たらない。
やれやれ。額に手を当て、しかし思わず苦笑してしまう。
「無理というものか」
あの姫があの少年を捨て置けるわけがないか。
目の前で、さらわれるようにして少年が消えたのだ。
恐らくあのままあの姫が、事態を静観するわけがない。罪人の息子とは一体何事なのか、レトゥに真相を尋ねないはずがない。
となれば当然。
……想像はしていたが。
「構わず行けば良いものを」
デュランは寝台から降りた。
体がごわついた。服にできたしわをひと撫でする。
「だがそれができる方ならば、」
私と出会う事もなかったか。
思い、鉄格子の向こうを見た。
触らずともその感触、燐と冷え切っている。
その向こう、今は誰もいない空間に向かって、デュランは言った。
「お前は行かんのか?」
返答は静寂。
――では、ない。
「ヒェッヘッヘ……」
いびつな笑い声。
同時に姿を現す、黒塗りの魔道師。
デュランは腕を構えない。
代わりに言葉を放つ。
「ぼやぼやしてると、お前の獲物が逃げてくぞ?」
腕には包帯。全身を巻き締められている。
治療を施してくれたガブリエルに感謝している。
――そして今、この機会を与えてくれた事も。
見張りもない、今この瞬間は。あまりにも絶好。
「わしの獲物は、ここにおる」
頬の布をはがした。
傷はあったが、もうさほど痛みはない。
「そうか……奇遇だな」
布がなければ、笑いやすい。
「私もそうだ」
そしてその布の内側には。
――文字が描かれていた。
先日の枢機卿への行動により、持っている護符はすべて奪われた。
だが筆は、隠し通した。
ガブリエルがわざと黙認した、デュランはそう思った。
だから。
「だがお前は私に触れる事できない」
デュランがいる牢獄、この領域にすら、1歩たりとも。
四方八方に書き記された文字という文字。
鉄の格子の裏側にも一見は錆のようにも見えるが、そこには細かな字がしたためられていた。
監視の目を縫い、完成したこの空間は。
完璧に闇を阻む。
それに対し、闇の魔道師は高らかに笑った。
「真に、見事」
「……」
「確かにその状態では、こっそりとお前に近寄る事も叶わぬわ」
見事見事と言うその口元の曲線が、スッと並行に伸びる。
「……さて、その前にじゃ。最後にお前に聞いておきたい事がある」
デュランは詠唱を始める。
「手を組まぬか?」
ピクリとその眉が動いた。
「ここで見す見す殺すには、やはり惜しい。あの死地を乗り越える事できる者、消すにはもったいない」
だから。
「わしと共に来ぬか?」
「……」
「わしが目指す所、お前なら理解でき得よう」
「……」
ニヤリと笑う黒いローブのその者に。
答える言葉は。
「……」
ただ1つ。
次の言葉は、ほぼ同時。
「ミリタリア・タセ、エリトモラディーヌ!!!」
「残念じゃ」
格子の狭間をくぐり抜け、炎の鳥が飛びかかる。
それをギル・ティモは、詠唱1つ、手で振り払う。
その瞬間、起こったのは、巨大な爆竹音。
一瞬ひるんだその隙を見て。
デュランは格子を掴んだ。
――この部屋を出ればもう無防備。ここにいれば、書き詰めた呪文によりギル・ティモの凶刃からも身を守る事ができる。
だがそれも、時間の問題だ。
彼が本気で成そうとすれば、暗黒の魔術の前に聖魔術は太刀打ちできない。
今は=B
「テム・ダム」
唱えたと同時に、格子が崩れる。
それをギル・ティモは笑って見ていた。
崩れているのはもはや格子だけではない。デュランが入っていた牢獄の壁面の岩肌が欠ける、崩れる。ボロボロと天井が落ち始める。
書き記したすべての文字が共鳴を起こし、そのすべてを壊していく。
デュランは落ちてきた岩を避け跳んだ。そこに、巨大な岩が振って来た。
岩の向こう側には、ギル・ティモがいる。
埃が舞う。粉塵の中にギル・ティモは消えていく。だが彼が浮かべた笑いははっきりと見て取れた。
崩壊は、余談を許さない。
デュランはギル・ティモを背に走り出した。
鴉の鳴き声が聞こえたが、無視して走った。
後ろから一陣の刃が飛んできたが、それも崩れた岩によって阻まれた。
◇
開けた場所に、オヴェリアとカーキッドはマルコを挟んで背中合わせで立っていた。
取り囲むのは、背中にユリを背負った者達。
カーキッドが舌なめずりをしたのを、オヴェリアは感じた。
(抜けられるか)
視界は、幸いにも兵士達が持つ松明によって照らされている。比較的悪くはない。
慣れぬ鎧は動きにくい。だがいつもの白銀の鎧は城に忍び込む時に隠してきた。今はこのまま戦うしかない。
騎士に向かって斬りかかろうとしたカーキッドを、一端オヴェリアが止める。そして、
「枢機卿ドルターナ卿に会いたい。話がある」
ここにきて何を話すってんだと、カーキッドは舌を打ったが。
「我が名はオヴェリア・リザ・ハーランド。現ハーランド王ヴァロック・ウィル・ハーランドの娘」
彼女の名乗りに、騎士たちの間に衝撃が走った。
「オヴェリア……王女!?」
そしてそれは同様に、オヴェリアの背後にいる者にも及ぶ。
マルコは驚き彼女を見た。ただの女性ではないと思っていた。だがまさか、
「姫、様?」
王女オヴェリア。
なぜ姫が今ここに剣を持って立っているのか。
虚偽だと言える者はいない。それほどに、彼女の気配は際立っている。
高らかに。
美しいが、常人の域には出せぬ、威圧感。
「噂は真であったか」
そしてその場にいるほとんどすべての人間が動きを忘れたその時。彼方より声は降った。
「白薔薇の騎士、オヴェリア・リザ・ハーランド」
その声にマルコは思わず声を上げた。背筋がゾクリとした。
「まさか……このような形で対面する事となろうとは」
騎士が彼の存在に気づき、道を開ける。そこを2人の男が歩いてくる。
1人は神聖騎士団団長ガブリエル・ヴィンガー。
そしてもう1人は。
……風が吹く。ほつれた髪が揺れた。だがオヴェリアはそれは一切構わず、ただ剣を握り締めた。
「枢機卿ドルターナ・ウィグル……」
青い瞳がまっすぐに、その剃髪の男を迎える。
白い薔薇の刻印も、それに付き従う。