『 白薔薇の剣 』

−最終王女、騎士録−

 

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 第18章 『竜の閂』 −6−

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 すべての事象が不確かに。
 だが今、1本の道に導かれていく。
 運命は一筋、
 そして最後に待ち受けるのは、
 絶対的な扉。


  ◇


「枢機卿……」
「ご無沙汰しております。姫様」
 オヴェリアに彼と話した記憶はない。だが直接向かい合った事もあるのだろう。
 教会に席を置いても、彼の根底はハーランドにある。
 印象の像はある。柔和な笑みと穏やかな人柄。
 人の評価も聞いている。彼こそまさに聖人君子。
 それだけで、良き方だとオヴェリアは思っていた。それ以上も以下もなかった。
 確かに今目の前には、思い描いたそのままの彼がいる。
 だが明らかに存在するのは、違和感。
 置かれた現状、張り詰めた空気と様相。切っ先が立ち並ぶ中でも、この気配をかもし出すとは。
 それだけでもはや、彼女の中で警笛がけたたましく鳴る。
「お噂は、遠きガリオスの地にも及んでおりましたが。よもや真であったとは」
 ハーランドが誇る薔薇の試合にて、騎士の誉れを得たのが女性である事。しかもそれが、試合に出たすべての者が本来守るべきである存在であったと。
 王女が白薔薇の騎士の称号を得たなどと。
 とても、にわかに信じられる事ではなかった。
 ドルターナとて姫の印象は淡い。
 美しく可憐な姫。
 控えめで大人しく、どちらかと言えば父の影にまだ隠れていそうな少女。
 だが今目の前にいる少女は違う。
 記憶の中にある姫の顔をした、だがその気配はまさに戦士。
 否、むしろそれは――騎士。
 守るべき信念を携えた、誇り高き者。
 その目に、ドルターナは見覚えがある。
 整った顔立ちは、一見は王妃ローゼン・リルカ・ハーランドを思い出させるが。
(ヴァロック王)
 武王として名を馳せた若き日のヴァロックの眼差し、瓜二つ。
「なぜ、姫がかような地に?」
「マルコ・アールグレイを返してもらいに参りました」
 姫の言葉にドルターナは、わざとらしいほどの驚愕を見せた。
「なぜに姫様がそのような?」
「……」
「姫様の頼みとて、それは聞き入れられませぬ」
 カーキッドは2人の会話を黙って聞いているが、切っ先は刹那の瞬間を求めている。
「その子は今尋問の最中」
「この子に何を問う、ドルターナ」
 退けぬ、とオヴェリアは思った。
 彼女は王女。王族。それは人々の上に立つ存在。
 だがそれを無碍にひけらかすような事はしたくない。地位、そして権力で人を圧倒するような真似をしてはならない。
 王族だからこそ、人々の身に立たなければならない。誰よりも深く、様々な事に心を傾けなければならない。
 それが、この地位として生まれてきた者が持つ宿命。
 この権力は、自分のためにあらず。誰かのために振るえと。
 ……幼い頃から言われてきた。
 父と、母に。
 だが、だからこそ。
 彼女は今、その宿命を持ってする。
 1人の少年を守るために。
 だから今は退けない。1歩たりとも。
 たとえ己のこの姿が万人にとり傲慢と映っても。
怖気おじた瞬間に)
 終わるのだ、少年の運命が。未来が。
「マルコ・アールグレイの両親の罪状、それはこの子には関係ない。そしてそれはもう、2人の処刑でもってして終わった事。一体そこにそれ以上、何を掘り返そうとする?」
「それは教会での内々の話。たとえ姫様とて、お答えする事はできません」
「そもそも本当に、この子の両親は蟲など作ったのか」
 睨む。挑む。
「当時、2人に蟲作りの容疑が掛かった。その正確な所以ゆえんを、今ここに示せ」
 柔和な枢機卿の顔に、ひと筋の曇りが浮かんだ。
「何を仰せか」
「アールグレイの家の傍に蟲の巣があった、それ以外に何を持ってして、」
 なぜ彼らは疑われ。
 なぜ彼らはろくな真偽もなく処刑され。
 なぜ今少年が囚われたのか。
 レトゥは言った。アールグレイ夫妻が本当に作ろうとしていたのは別の物だと。
 それはかつてこの世界に君臨し。
 圧倒的な力でもって、天と地を支配した物達。
 ――竜。
(だとしたら)
 視界が一直線に道を描いていく。
「マルコ・アールグレイに問わんとする、本当の事象は」
 マルコが何かに気づき、オヴェリアを見上げる。
 カーキッドはいよいよ剣を握る手に力を込める。
 そしてオヴェリアは。
 最後の扉の前に立つ。




「竜、復活への道のりか」




 誰が息を呑んだか。
 そして目を見開いたか。
 その場にいたすべての者達が。
 彼女が言った言葉の意味を理解する事できずに。
 沈黙と静寂の中、
 闇と光を交互に見つめる。
 だが騎士たちの驚愕とは別に。
 ドルターナは顔色を変えなかった。
 豪胆。
 彼もまた、唯人ただびとにあらず。
「何を仰せか」
 失笑にて、かわす。
 だが少女の眼光はそれを許さない。
「アールグレイ夫妻が作ろうとしていた物は、蟲にあらず。真実は、竜」
「馬鹿な」
「マルコから何を聞き出すつもりか? 答えよドルターナ」
「姫様」
 静かな声。
 彼はまるで、幼子に読み聞かせをするかのように、ゆっくりと語る。
「一体あなた様は何を申されているのか? 竜の復活? ……わからぬ。誰に何を言われたかは存じませぬが、正気の問いならば大変由々しき事でございます」
 マルコが何かを言おうとした。あの男にされた事を、姫に伝えなければならないと思った。
 竜復活の最後の鍵を、マルコが知っていると。
 だがそんな事知らない。そう言い続けたから。
 ドルターナはマルコの記憶にまで潜り込んだ。
 過去の残像から、それを、見つけ出そうとするために。
「私はそうは思わぬ」
 だがマルコの言葉を聞かずとも。オヴェリアはもう、気づいている。
 オヴェリアは闇に向かって声を張り上げた。
「真実に足る、そう確信している」
「愚かな」
 そう言い、ドルターナは初めて視線を外した。
「どの道教会はどんな権力にも屈しませぬ。たとえ姫様の問いとて、語る義務はない」
 確かに、ハーランドの威光は教会には及ばない。枢機卿の言葉は、たとえ貴族としては立場が下でも、無碍にする事はできない。
 姫であろうとも王であろうとも、強要する事はできない。
 ここまでか……? オヴェリアの眉間にしわが寄った。
 問答は、相手が一枚上手。
「オヴェリア、もういいだろ。やるぞ」
 カーキッドが決断を促す。
 ――だがそこに。思わぬ援護は現れた。
「ドルターナ殿、姫は教会の枢機卿に物を尋ねておるのでありません。ドルターナ家の主に問うておられる。でしょう?」
 その声に、オヴェリアの顔はハッと輝き、カーキッドは露骨に嫌そうな表情を浮かべた。
「通していただけますかな、方々」
 騎士の間を抜け現れたのは無論、
「ドルターナ≠ネどすでにハーランドに返上したとは言わせません。あなたはまだこの城を有している、そしてその衣には睡蓮の印も描かれている」
「……デュラン・フランシス……」
「その印を与えたのは王だ。答えられよ、ドルターナ卿。マルコに何を問うか。あなたは禁じ手とも言われる術をこの子に施しているはず。そこまでして、何を知らんとする?」
「……」
「姫だけでなく、私もお聞きしたい。教会という組織を背負い、あなたが成そうとしている事は何か。姫様が申される竜の話……詳しくお聞かせ願いたい」
 凛然と姫の隣に立った男を、オヴェリアは笑顔で迎えた。
「デュラン様、ご無事で」
 それを一瞥し、デュランも満足そうに双眸を下げた。
「……やはり、美しい騎士がおらねばつまらぬ」
「え?」
「いえ、独り言でございます」
 カーキッドは不機嫌そうに舌打ちをした。
「ドルターナ殿。あなたほどの方が知らないはずがない。竜がかつて大陸に栄華を極めた事、そして天災により滅亡の危機に瀕している今とて、その業火によって滅んだ国もある事。竜の所業、見聞は教会の文献に吐いて捨てるほどあるはずだ。マルコの心を暴く、すなわちそれは竜の精製を暴く事。一体何のために? 教皇は卿の所業をご存知か?」
 教皇。
 何気なくデュランが出したその単語に、初めて、ドルターナは狼狽の色をあらわにした。
「教皇様……」
 デュランはそれを確かに見止めた。
「私は、ただ……」
 思わずと言った様子で呟いたその一言を。
 遮ったのは笑い声だった。
 いびつな笑い声。デュランが先ほど振り切ってきたあの男。
 あの程度で捉えられるわけがない、デュランはその姿を見ても動じなかった。だがオヴェリア達は無論違う。
「デュラン様、」
「ええ。奴でございますよ」
 ギル・ティモ。
「ただしここでは別の名で呼ばれているようだ」
八咫やた……」
 悶えるように呟いたドルターナの前に、その男は足を引きずりながら立ち行った。
「自らで問うと申したから、任せたものを」
 使えぬ男だ。まったく。
「もう良い。そなたは行かれよ。後はわしが始末する」
「く……」
 一瞬ドルターナはオヴェリアを睨むようにして見たが。
 次の瞬間背を翻した。
「待て!!」
 その背に向かってオヴェリアは叫んだ。
 だが。
 立ち塞がっている闇が、そこにはある。
 周りすべてを取り囲んでいる騎士たちなどはこの闇の前には、陽炎も同然。
 カーキッドも、いよいよその時が来たと言わんばかりに剣気を膨らませる。
「やれやれ。厄介事よ」
 風も怯える。
 兵士達が持つ松明の火が、一斉に震えるように揺らぎ出す。
「なぜそなたらは、我が行く手ばかり阻む?」
 のう? 剣士たちよ?
 白薔薇の騎士、オヴェリア・リザ・ハーランド。
 傭兵、カーキッド・J・ソウル。
 神父、デュラン・フランシス。
 そして咎人の息子、マルコ・アールグレイ。
 どれもこれも。
 握り潰さば簡単に、溶けてなくなる小さき命。
「……今度はこちらから問おう」ズイと、デュランは1歩前に出た。
「なぜお前がここにいる? なぜ枢機卿と共にいる?」
 黒いフードのその下の表情は見えない。
 否、そもそもそれ自体、あるのか?
 そは、人か? それとも無か。
「お前はバジリスタから来たというのは真か?」
 デュランの問いに、魔道師は答えなかった。
 ただニンマリと笑い、人差し指を立てた。
「オヴェリア・リザ・ハーランド」
 そしてデュランではなく、オヴェリアに向く。
 目は見えない。だが確実に視線は合った。オヴェリアは悪寒を感じた。
「白薔薇の騎士。……そなたの使命は確か、ゴルディアの黒竜を倒す事、じゃな」
 気配が膨らんでいく。
「竜の命の石を持ち、今度は竜に一番近づいた者たちの息子と共にあるか」
 真に、竜に縁がある娘よ。そう言ってギル・ティモは高らかに笑った。「ならば」
「いっそ、見てみるか?」
 ゴルディアに行く前に。
 今ここで。
 竜とは一体、どのような物なのか。
 伝承にて。
 天と地を焼いた、、
 ――神話の炎を持つ生き物。




「オヴェリア様!!」
 デュランが咄嗟、オヴェリアを庇う。
 黒いローブが両の手を差し出す。全員がその腕に釘付けとなる。
 一斉に。
 何かが軋む音が始まる。
「これは、」
 デュランの声などかき消される。
 風は、ギル・ティモに向かって吹いていく。
 目が、吹き荒ぶ風に開いていられない。
 だが懸命にオヴェリアは目を見開き黒い魔道師を見た。
 何か唱えている。口元が揺れている。
 笑っているのか、いないのか。
 それすらも、彼が着ているローブが生き物のように暴れて覆い隠す。
 その中に現れたのは、一瞬の光。
 そして。
 巨大な扉。
 周囲から黒い炎が立ち上っているそれの。
 錠を成している閂が。
 ゆっくりと。
 音は皆無。
 外れていく、抜けていく、溶けていく。
 消えていく。
「――」
 開いていく。
 今度は耳を貫くほどの、重々しい音を立てて。
 ――開錠の儀。
 その向こうにあったのは。
 風と。
 振動と。
 熱気と、冷気と。
 恐れ。
 悲しみ。
 だが。
 歓喜。




 熱波。
 瞬間吹き荒れた猛烈な風に、オヴェリア達はもちろんその場にいた全員が吹き飛ばされた。
 ……やがて、目覚めて再び見た先にあったのは。
 闇よりも黒く。
 木々を超えて、
 夜空の月をも隠す、
「あ……」
 赤い光を放つ瞳。




 伝承に伝えられし。
 竜がそこに、あった。

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