『 白薔薇の剣 』
−最終王女、騎士録−
第19章 『伝承の炎』 −2−
カーキッドは剣を立て。
一気に間合いの内へと滑り込む。
視界の端に巨大な輪郭が踊る。
尾が飛び来る。上か、横か。
その動き自由にて、自在。
長さもある、先読みはほぼ不可能。
斜め上から振り下ろされるように来たそれを、だがカーキッドは回転しながら避ける。
狙いは避けではなく、そこから反動をつけて下からの斬り上げ。
空を舞った尾が再びカーキッドへ向けて反転したが、黒の剣の方が早い。
四つんばいになった前の片足の付け根を、砕くように斬る。
一瞬ジャッと、火花が散る。
深く入る。ザクリと、確かにえぐった。
竜が吠える。
だがそれは悲鳴というよりは雄叫び。
前足を崩したが、まだ体制は崩れない。
もう1歩先へ脇から心臓目掛けて突きを入れようとしたが、それよりも先に胴体がもがくように揺らめいた。
尾ではなく、牙が向かれる。カーキッドの鼻先を、竜がかじり取っていく。
「っと」
よろめきながら後ろへ避ける。そこへさらに、竜が一歩踏み込みを入れてくる。
竜の牙は、まるで磨きぬかれた無数の剣のようだった。
「カーキッドッ!!」
デュランが横から術を繰り出す。
彼の得手である炎の術は効かない。その身体を一切焼く事もなく、空気に溶けて消えて行く。
だがその炎に身を隠し、オヴェリアが飛ぶ。
竜はカーキッドを噛み砕きたい。2度、3度と口を突き出すが、空気に牙の衝突音ばかりが響く。
その間にカーキッドは顎の下へと回りこむ。
そのまま、黒の剣を上へと突き上げる。
そこへ飛んだオヴェリアが、頭上から剣を突き立てた。
真空にて交差する2つの剣。
竜は猛烈に首を横に振り、宙を舞うオヴェリアを振り払った。
投げ出された彼女をカーキッドが受け止める。
その2人目掛け、竜が走り出した。
ドシンドシンと、大地が轟く。
2人は反対の方へと走る。竜が追うのはオヴェリアの背。
一度首を振ったかと思うと、その口元より光がこぼれた。
火が噴き放たれる。
神をも脅かす炎。
オヴェリアは横へ横へと走り行く。
(振り切る)
「てめぇの相手はこの俺だッ!!」
そこへカーキッドの剣と。
デュランの術が完成する。
炎が効かぬなら、風。
解き放たれた疾風の刃は、カーキッドの黒い剣に絡みつくように共に竜へ向かう。
オヴェリアももう一度斬りかかりに向かうが。
ハッと、竜の視線の先を辿る。その顔は明後日を見ている。
地表に印を刻む、マルコを。
「マルコッッ!!!」
吸い込んだ息が、炎と変わるのを何度も見た。
マルコがオヴェリアの声に気づきハッと顔を上げるが。
遅い。
炎が口より、あふれ出す。
マルコは凍りつく。
「ッカヤロッッ!!!」
間一髪横からカーキッドが走りながらその身体を引っ掴み逃げるが。
炎がピタリとその背中を追いかけて。
「カーキッドッッ!!!」
――食らう。
彼が焼かれる。
その光景に、オヴェリアは一瞬我を忘れ絶叫した。
「ディア・サンクトゥス!!」
瞬間的に唱えたデュランの術と。
剣が、竜に向かって突きたてられた。
剣の主は、ガブリエル・ヴィンガー。
神聖騎士団団長は、ここに朗々と叫ぶ。
「竜討伐ッッ!!! 全騎士団に告ぐ、竜を倒すぞッッ!!!」
弾かれたように騎士たちが、こぞって剣を振りかぶる。
それに竜は炎の矛先を、カーキッドから騎士たちへと反転させた。
「カーキッドッッ!!!!」
慌てオヴェリアは駆け寄り、マントと共に抱きしめるようにその身体にかぶさった。
その光景を、マルコは唖然と見上げた。
「オヴェリア様ッ、避けてッ!!」
そこへ目掛け、尾が振り下ろされる。
カーキッドとマルコを抱えるように、一端その場をオヴェリアは離れた。
「カーキッド」
顔を覗き込む。黒く汚れてる。
それよりも背が。火傷にひどくただれていた。
「カーキッド……ッ」
オヴェリアはその傷の様にギュッと目をつむった。
カーキッドは小さく舌を打ち、面倒くさそうに「……るっせぇよ」と呟いた。
「お見せください」
そこへ、滑るようにデュランが駆け込んできた。
「ひどいな。待ってろ。治癒の術を施す」
デュランが詠唱を始めるが、カーキッドは「待ってられるか」と、オヴェリアの腕を振り解こうとした。
「竜退治が先だ」
「馬鹿言わないでッ!! 傷の治癒が先です!!」
「離せ」
「離しません」
神聖騎士団が、竜を相手にしている。
それを見、カーキッドは苛立たしげに呟いた。
「あいつらじゃ、止められねぇよ」
「カーキッドさん、ごめんなさい、僕のせいで……」
マルコはガクリと膝をついた。立っていられないほどに、震えていた。
そんな彼に、オヴェリアは言った。
「マルコ、カーキッドを抑えておいて」
「え」
「……時を稼ぎます。デュラン様、カーキッドを頼みます」
1人、再び剣を取り。
竜に向かって、振り返る。
遠巻きに見ればもう、辺りは火の海だ。
このままここにいては、竜はおろか、炎に飲まれてしまう。
だが竜を放置して逃げるわけにもいかない。
ここは人里から遠くない。僻地とは言えない場所なのである。
――騎士たちが炎に取り込まれていく。
誉れ高き教会の精鋭部隊と言えど、竜に対峙する事など初めてであろう。
逃さねば、彼らの命に関わる。
ならば彼女が成す事は1つ。竜は自分が引きつける。
「お待ちください、姫様」
決意し走り出そうとしたオヴェリアを、間髪、デュランが止めた。
「カーキッド、どう見た」
デュランが背に、護符を突きつけた。そこからジワリと、陽炎のように空気が揺らめき傷口を取り込んで行く。
深手にも関わらず、カーキッドの表情にそれほどの苦悶はない。痛みの感情を殺す事には長けている。
それでも、彼が一瞬安堵の息を吐いたのを見て、オヴェリアも眉間の力を緩めた。
「変だな」
「え……?」
オヴェリアはカーキッドの言葉が理解できなかった。だがデュランは表情を変えなかった。
カーキッドは虚空を睨み続ける。
「あいつは妙だ」
「何が」
「剣が、簡単に入る」
マルコもその小さな瞳でカーキッドを見つめた。
「竜の皮膚は鋼に例えられる。硬いウロコに覆われて、並みの剣では歯が立たない。歴戦の猛者が剣を折られて散って行った、そんな話が語り草になるほどだ」
オヴェリアは手の感触を思い出した。確かにあの竜、簡単に剣が入った。
むしろそれは簡単すぎるほどに。感触が足りなかった。
何か決定的に。本来あるはずの物が足りないような。
「それに竜の炎は本当は」
片方の眉を上げ、カーキッドは皮肉を口元にたっぷりと浮かべた。「こんなもんじゃねぇ」
「燃える、焼けるの話じゃねぇ。本当に竜の炎を浴びたなら、」
一瞬で。
そこにあるのは、無。
「……逃げ切れないんだ。大地を焼き天をを焦がした炎、それは……こんな生易しい物じゃない」
「カーキッド、お前、竜と戦った事があるのか?」
カーキッドは答えなかった。
だが一言。
「あれは、竜だが竜じゃねぇ」
決定的な言葉。
「あの魔道師が作った偽者」
「ギル・ティモの幻術か」
「しかし、実態はあります」
斬った感触は薄かった。しかし、今そこに竜は存在している。
炎を放ち、地を焦がし。
騎士たちはそこに、命を賭している。
悲鳴と共に倒れ。
絶叫と共に朽ち。
ここでどれだけの存在が命を落として行っているのか。
「私とて、奴の術のすべてはわからぬ」
デュランが苦しげに竜を睨んだ。
「あれが幻術にしろ何にしろ。狙うならば?」
「心臓。後はやはり、てめぇが最初に言った場所」
「目か」
「あの赤い光は、……俺には呼んでるように見えるぜ」
カーキッドが、ゆっくりと立ち上がった。
「ここを突いてくれと、言わんばかりじゃねぇか? なぁ」
そしてオヴェリアに向き直る。
「俺は右を狙う、お前は左を狙え」
頭一つ高い彼を見上げる。
「わかりました」
こうして何度彼を見上げ、
何度視線を交わし。頷きながら。
彼女は戦場へ向かうのだろう。
「今度は絶対外さねぇ」
先を行く2人の背中。炎を背後に、白と黒。
どこまで、あの2人は向かって行くというのか。
それを見つめデュランもまた立ち上がった。
「マルコ、お前はここにいなさい」
「で、でも……」
デュランはマルコの肩に手を置いた。強く。
そしてその身を翻した。
戦士達の行く道。
マルコは追えなかった。
足がもうすくんで。動かなかった。
「一端退けェェェッッッ!!」
ガブリエルの号令虚しく、騎士が焼かれていく。
鎧は重い。そもそも、このような相手を想定して訓練をした事はない。
圧倒的な体躯。
そして炎。
こんなものを前に、一体何を頼りに戦えと言うのか。
戦術、戦法、剣技、間合い。
これまで積み上げてきた鍛錬のすべてが。
吹き飛んでいくのを感じずにはいられない。
こんなものを前にして。
咆哮一つで、身体が震える。魂が凍る。描いたすべてが握り潰される。
足が動かなくなる。
でも。動かなければ抗えない。
怯える、すくむ、凍る、震える、へたり、嗚咽、涙が勝手に。
でも。
「斬りかかれェェェェェ!!!!」
抗おうとするのは、人間のすべての感情を超えた、
誇り。
騎士。
戦うために。
腕を磨いた、足を磨いた、身体を、心を。
命を。
「ギャァァァアアアアアアアア」
「うろたえるなァァァァァ!!!!」
叱咤しながらガブリエルも、切っ先を竜目掛け駆ける。
赤い瞳と目が合う。それだけで心臓を突き刺されたような感触がする。
人では到底発する事出来ないような叫びを上げ、竜は再び炎を吐いた。
慌て避けるが体制が悪い。剣先に体重が乗っている。よろけた刹那に、足を捻った。
「団長ッ!!」
その身を庇い、騎士の1人が盾となる。
鎧は熱を通す。炎を弾いても、伝わった熱は身体を焦がす。
「団長ォォォォオオオオ!!!!」
他の騎士たちも一斉に、竜に向かって斬りかかるが。
首をグルリと薙ぐだけで、騎士は吹き飛ぶ。
力も身体もすべてが圧倒的に違う。
差。
一体どうやってこんな物を相手にし。
ひるむ事なく。
立ち向かっていけるというのか。
――彼らは。
「オオオォォォォオオオオオォォオオォオオオッッッ!!!!!!!!!」
獣のような雄叫びだった。
自分を庇った騎士を抱き、ガブリエルはその主を見た。
カーキッド・J・ソウル。
異国で鬼神と呼ばれた男が。
まさしく鬼のごとき形相で。
この絶対的な存在を前に。
全力で構えた剣を。
殴るように、竜目掛け。
跳んだ。
切っ先が竜を捕らえた。
薙いだ剣筋は、竜が動いてすくう様に皮膚を斬った。
返す刀でもう一度後ろ手に斬りながら、胴体を足がかりに反対側へと飛び去る。
それを追って、竜が息を吸い込むが。
その喉元を今度は、オヴェリアが引き裂く。
(やはりおかしい)
血の一つも飛ばない。
そうだ、今までだってどれほど斬っても。
斬っても突いても手ごたえが少ない。この感触を、ようやくオヴェリアは思い出す。
フォルストで対峙した屍人のようだと。
竜が後ろ足を軸に、上半身を持ち上がる。そうなればもう、高低差はあまりにも歴然。
竜は吠えた。10m以上あるその場所から火を吹かれてはたまらない。
だが、逆に今なら、心臓はがら空き。。
狙える位置にいるのは、オヴェリアただ1人。
両手に構えた剣で一気に胸目掛けて跳んだそこへ。
竜が、上から火を吹いた。
直撃。
オヴェリアの身体が火に包まれる。
――だが。
彼女は焼かれなかった。
なぜならば彼女はその懐に持っている。
――碧 の焔石。
その石は持つ者を、火と水の災いから守る。
手の先に託した剣が、その場所に突き刺さる。
竜が悲鳴を上げる。
竜が暴れだす。白薔薇の剣は竜の心臓に突き立ったまま、オヴェリアが放り出される。
今度は受け止めてくれる者はいない。
だが地面に打ち付けられても、彼女は立ち上がった。
腕が痛んでも、足が痛んでも。
まだ立ち上がる、まだ見据える。
そしてもがき暴れる竜の身体を、唯一狙える物があるとすれば。
デュランが腕を振りかざす。途端無数の風の刃が、竜の身体を四方から突き刺した。
その衝撃に動きを止めたその瞬間を。
カーキッドは、狙い済ましていたかのように。
再び四つんばいになったその顔、その目。
右目に剣を、振り下ろした。
そこで初めて血飛沫が飛ぶ。
ついでに左目を狙おうとしたが、竜の腕がカーキッドを振り払う。
心臓の白薔薇の剣。左目を薙いだカーキッドの黒き剣。
あと一つ、右目を狙うのは。
オヴェリアは腰元のもう一本の剣を抜いた。
赤いルビーの剣を。
立ち上がる。
よろついてなどいられるか。
歩け、走れ。
そしてその瞳目掛けて、剣を、放った。
両の瞳と心臓からあふれ出た赤い液は。
やがて炎となって竜を覆い尽くす。
いや、むしろそれは食われているようだと、オヴェリアは思った。
何に?
言うなれば。
地獄そのものに。