『 白薔薇の剣 』
−最終王女、騎士録−
第21章 『告白』 −2−
「私は罪を犯しました」
デュランは言った。
カーキッドは、煙草を取り出した。
火は、目の前にある。
力は、扱う者によって形を変える。料理を成す炎、命を温める炎。
だがこの世には人を焼く炎もある。世界に害を成す炎もある。
すべては扱う者次第、同じ物でも、
「私は……禁断の魔術が使えるのです……」
形を変えれば、全く別の物となる。
「最初は、彼女を助けるためでした……」
禁断の書物を得たギル・ティモは、その力でもってしてその娘に呪いをかけた。
手に入れた玩具がどんな物かを見極めるため。
それは、何の縁も恨みもない、ただの遊びの1つであった。
「彼女はそれにより……光を失った」
簡単に言った。だが、デュランの目にはあの時の光景が過ぎる。
彼女は光を失った。すべての光に拒絶された。
光る物すべてが、彼女を焼くようになった。
それがランプの明かりだろうと、磨かれたスプーンの反射であろうとも。
淡かろうが強かろうが等しく、光は彼女の身を焦がした。
その痛みは、絶望の叫び。
太陽の下に出れば、その身はそのまま炎を化しただろう。
地獄だ。
彼女は、一切の闇の中でしか生きられなくなった。
だがそんなの、本当に生きているというのか?
――レイザランの領主ラーク公。彼もまた暗い牢獄から、最後に望んだのは太陽の光であった。
デュランは目を瞑り、息を呑み、胸の中に湧いた憤りを押さえ込んだ。
「私は……彼女を助けたかった」
師の娘。
「師は……私を救ってくれた。私には親はおりません。神に仕えた事もなかった。幼少より乞食のように暮らし、荒んだ生活をしていた私を拾ってくれたのはラッセル・ファーネリア。あの方が亡くなった……ならば私が彼女を救うしかない」
誰一人、何一つ信じる事できず。ただ絶望だけで過ごしてきた自分に光をくれた人。
その人が残した、唯一の娘。
もう、彼女を救う以外には何もない。
自分は、師を救えなかった。
――あの日もし、もっと早く帰っていたら。もっと自分が強かったならば。
師はデュランに、術をあまり教えたがらなかった。
『術より先に、人として学ぶべき事を学びなさい』
まだ早い、お前は未熟だと。
――もし自分があの頃、もっともっと己を磨いていたならば。
師は自分に術を仕込んだのか? デュランは今でも問いかける。
師を守れる力――そして、彼女を闇から救い出せる力を。
「私は彼女を救うために、師の残した術書を読み漁り、片っ端から使った。だが何一つ敵う物はなかった」
『もう無理だよ』
朝になると彼女はデュランにそう言った。
昼の光を完全に遮れる物ではない。太陽が出ているというだけで彼女は苦しみを訴えた。まして四六時中何も見えない闇の中にいるという事がどのような事か。
彼女は、涙も見えないような闇の中でただ泣いた。
『もう待てない』
『俺はここにいる。ずっと傍にいる。だから頑張れ』
励ましても、励ましても。
デュランは感じていた。限界は近かった。
『太陽は、君のためだけに昇るから』
明けない夜はないから。
絶望の果てには必ず希望があるから。
光は、必ず再び君に注ぐから。
『俺が必ず、助けるから』
彼女の笑顔がもう一度見たいから。
俺の笑顔を見せたいから。
いつも笑ったみたいな顔だから、デュランは得だねと彼女は言った。
それまで彼は、その顔は嫌いだった。いつもどこでも罵られた。笑ってもいないのに笑っていると。馬鹿にしているのかと、大人たちは彼の顔を見るたび怒鳴って殴った。
初めてだった。ラッセル・ファーネリアはデュランという存在を認め。
彼女は、デュランの顔を見て笑った。
『私はデュランの顔、好きだよ』
笑ってる、君の顔。俺の顔。
――全部。
そこが闇だろうが地獄だろうが、引っ張り出して、光の元へ。
ただ、それだけ。
もう自分には、彼女以外に何もない。
……だから必死に。
必死に。
……………泣かないようにして。
「師の術は効かない。彼女は日に日に心も体も弱っていく。……もう限界でした」
だから。
デュランは、その方法を選んだ。
西の賢者は、暗黒魔術の書を守り封じる役目を担ってきた。
その過程で、デュランは知っていた。師がその術を解読しようとしていた事も。
人という身の上で。
その上で、それを上回る術を成すために。ラッセル・ファーネリアが組み立てた、聖魔術を真に完成させるために。
解読の切れ端。
点在する、書物に書かれた断片的な文字。
そして、それを解読した写しの書物。
ギル・ティモが奪って行った完全な物に比べれば、切れ端も同然だ。
でもデュランは藁にすがった。もうそれしか道はなかった。
――暗黒魔術を使う。
だがそれを成すためには、やらなければならない事があった。
それが故に、最後、人間としての道徳を問われ。術の性質と同様にして禁じられた行為。
それは。
――悪魔との契約。
魂を、悪魔に捧ぐ。
「悪魔……」
オヴェリアが喉の奥で悲鳴を上げた。
だがカーキッドは黙っていた。
煙草の匂いはきつくはない。風が緩やかに、持ち去っていく。
「元々魔術の発端は、そうした所からだと言われています。悪魔との契約。人を捨て、この命を捧げる事によって得られる力」
「……やったのか、お前は」
カーキッドが淡々と問うた。だからデュランも「ああ」と答えた。
「私は悪魔に魂を売った。あの時もう、それでいいと思った。彼女が救えるなら私はどうなっても構わぬと。元々は当になかった命」
光などなかった。
だから今更闇など、恐れるに足らず。
だが彼女は違う。
「師に知られば私は殺されてしまうでしょうな」
師だけではない。事が教会に知られれば、すぐさまデュランは処刑される。
禁断の魔術。悪魔との契約を成さば。もう、ただでは済まされない。申し開きなどできない。
絶対たる禁忌。
永遠に、許されざる事。
「そして……皮肉にも、その力を得た時、彼女は亡くなった」
闇の中で彼女は唯一人、彼の目を盗んで自分の胸に剣を突き立てた。
「唯一人残された私には……もう、1つしか残っておりませんでした」
やるべき事は1つ。残された道は1つ。
すなわち、復讐。
ギル・ティモを殺す。
師を殺し、その娘である彼女を殺した、
仇。
もう、それ以外には生きられぬ。
「姫様、これが私の正体でございます」
神父の姿を成した、復讐の悪魔。
――デュランは深々と頭を下げた。オヴェリアは言葉がなかった。
彼はいつもの笑みを浮かべると、「ゆえに」と言った。
「あなたを、巻き込みたくはなかった」
フォルストの時も。
自分とギル・ティモの戦い。それは人道をに反した戦い。
決着は、自分たちでつけなければならない。
今生、もうそのためだけに使おうと思った時間を。
……だがその決意の前でオヴェリアは。ただ、涙を流した。
「デュラン様……」
男の手を取り、泣いた。
「何ゆえ泣かれます」
デュランは戸惑った。
「私などのために」
泣かれますな。
泣いてくれますな。
もう、私などのために。
……あなたのような、光そのもののような方が。
「……」
煙草の匂いが苦い。
だからだ。……デュランが、涙したのは。
――始まりはどこにある? その負の連鎖。
終わりはどこにある? 断ち切れるのか、その負の連鎖。
「……ラッセル・ファーネリア亡き後、教会は掌握する全土に向けてギル・ティモの手配を掛けた。捕獲を指示したのは枢機卿ドルターナ・ウィグル。そしてギル・ティモを囲っておったのはその男」
教会の2番手。頂点にいるその男。
「ガブリエル殿は申されていた、ギル・ティモは枢機卿がバジリスタから招いたのだと」
隣国バジリスタ。
「とどのつまりは?」
明後日を見ながら、カーキッドは先を促す。
「奴は、バジリスタに通じている可能性がある」
そしてもう1つ。
「奴は、教会にも通じている」
ギル・ティモがここまでに成した事。
ハーランド王家にも通じる、フォルストに取り入った。そしてフォルストの領主、アイザック・レン・カーネルはハーランド王家を倒そうとした。
フォルストには屍人が現れ。宰相によってレイザランの領主は、碧の焔石を探せと命じられた。
竜の命を宿す石。
それを集めどうしようとしたのか。
それが割れた時、石からは大地を覆うほどの炎が現れるのだと。
だがそれがあながちではないという状況を、オヴェリアは先日見た。
あの竜はギル・ティモが作り出した。どこまでの物かはわからない。だが、その炎は恐ろしい物であった。
(竜)
オヴェリアの目に力が宿る。
「ギル・ティモはバジリスタと教会に通じている……そして、国を倒そうとしていた奴の手引きもした、と」
カーキッドは一瞬オヴェリアの表情を伺ったが、すぐに顔を戻した。
「嫌な展開になりそうだな」
「そしてもう1つ。今回の一件が本当に枢機卿の1人の意志なのかという事」
枢機卿の上にいる、教皇という存在。
「……どの道、私はもう、教会には戻れまい」
枢機卿に逆らった、それは、そう言う事。
「直に手配されるやもしれません」
「デュラン様……」
「オヴェリア姫様、私は、本当は、あなたの旅に加えていただきたかったのです」
え、とオヴェリアは声を漏らした。デュランは笑っていた。
「コロネで神聖騎士団が来る前に、お話したい事があると言ったのを覚えておいででしょうか? あの時私は、あなた様の仲間にしていただきたいと申し上げようとしたのですよ」
オヴェリアは言葉を失う。
「あなた様は私の目指す方向へと導いてくださる気がした。ギル・ティモへの道、そして」
もっと別の。
――復讐しかないこの体、この心。その中で。
(あなたは光のようであった)
デュランは涙を浮かべた。
でも笑った。
かつて愛した人が、好きだと言ってくれた笑み。
「あなたはあまりにも眩しい」
闇の中だけでは生きられない。
光を欲する、もうそんな資格などないのに。
愚かで醜いこの存在。
恥ずかしいほどに、苦しい。
けれども。
あなたの傍におれば、答えにたどり着ける気がして。
光でも闇でも。
求めていた最期の場所へ。
「……詮無き事。ただ、そう思っていた。そしてそれを伝えておきたかった。愚か者のたわごとと、忘れてくださいませ」
笑って捨てよ、そんな思い。
――だが、彼女は捨てない。目の前にあるならば。
どのような者、どのような場所であろうとも。
「何を申されますか」
「……」
「デュラン様、あなたはもう、私の仲間です」
デュランは顔を上げた。
「どれほど死地を共に潜り抜けてきたのですか。私達はもう、当に仲間でありませんか」
その顔を、涙が伝った。
「しかし私は、禁を破った者。この先、教会追われる身となりましょう」
「それは私とて同様。枢機卿に啖呵を切ったのですから」
「しかし、あなた様はっ」
あなた様はっ……と言葉に詰まるその手を再び、オヴェリアは握った。
「仲間です」
「――」
「もう、1人で背負い込まないで」
「姫様……」
「巻き込みたくないなどと言わないで。私こそ、とっくにあなたを巻き込んでいる。だから、私にもあなたの荷を分けてください」
共に。
「カーキッド、いいでしょう?」
「……」
ひと時男は無言で煙草を吹かしていたが。最終的に大きく溜め息を吐いた。
「言っとくが、ギル・ティモの野郎を倒すのは俺だからな」
奴には、腕の痣の借りがある。そう呟き、男はそっぽを向いた。
デュランは涙を拭い、ニヤっと笑った。
「馬鹿な。私は生涯の誓いとして心に決めている」
「知った事か。俺は借りは必ず返す事にしてんだ」
「ならば、ギル・ティモの前に私が貸した物を返せ」
「……あん?」
「貸しだ。フォルストで別れた時に貸しは2つだった。それから私は……まず第一にお前の呪いを解いた。これは貸し2つ分くらいになるな。それから竜との一戦の際の治療、炎から守り援護を飛ばした分……貸し6でまけてやる」
「待て、そんな事言ったらお前、ドルターナの城から助けてやったのは誰だ」
「私自身だ。自分で牢屋を出た」
「……ッ、なら、ほらあれだ、レトゥの学校で、お前がガキ連中にヤイヤイ言われた時にフォローした時とか」
「あんなもん、貸しに入るか馬鹿者」
「……オヴェリア、却下だ。こんな奴旅に連れて行かんぞ俺は!!」
「誰もお前に着いて行きたいなんて言ってない」
私が従うのは、姫様だ。
そう言ったデュランに、オヴェリアは困ったように苦笑した。そして最終的に、「わかっています」
「喧嘩するという事は仲がいい証拠、なのでしたね?」
「ふざけんな」
「それはまったく違います」
デュランが声を立てて笑った。
常から笑ったような顔をしているのに、オヴェリアは、初めて彼の笑みを見たと思った。
本当の笑い。
先は苦境なれど。
彼女も笑った。
心の底から。