『 白薔薇の剣 』
−最終王女、騎士録−
第21章 『告白』 −3−
◇
真夜中に、煙草が吸いたくなった。
……それを建前にしようと思った。
それしか理由が浮かばなかったし。
でなければ、おかしい気がしたから。
カーキッドは、見止めた背中に声を掛ける。
「おう」
ひねりもない、ただの呻きのような声。
だが少女はそれだけでカーキッドだと気づいて振り返る。
月明かりの下に笑みをくれる。
「何をしてるんですか? こんな夜分に」
「てめぇこそ」
わざとらしく煙草を出して見せようとして、彼らしくもなく、箱ごと落とした。
――夜中に、オヴェリアが1人どこかへ行った。
一瞬用足しかとも思ったが、違うとカーキッドは思った。だから追いかけた。
案の定彼女は、池のほとりで座っていた。
「またここかよ」
毒づきながらも、彼もよっこいせとその隣に胡坐を掻く。
「何だか、きれいで」
「そうか?」
「月明かり、映ってる」
黒いだけの水面に見えたが、言われて初めて、確かに月が映っている事に気づく。
だが、それがどうしたとも思う。
……いや、思っていたのだろう、以前の彼ならば。
オヴェリアと旅をする前のカーキッドならば。
「昼間は空で、夜は月ってか」
「きれいね」
「こうしたらどうなるんだ?」
バシャバシャと手を入れて波を起こし始める。途端、水面に波紋が広がっていく。
ずっと、遠くへ。
「あ、それもきれいね」
カーキッドは単純に、照れ隠しで水面の月の光を崩してしまおうとしただけだったが。オヴェリアは何を思ったか、揺らいだその光景にも微笑んだ。
月だとか、きれいだとか。そんな物はカーキッドの世界観にはない感覚。
だが今は滑り込んでくる、見た事ない情景。カーキッド1人では決して見る事できない、世界の別の姿。
「明日は早いぞ」
煙草をくわえ、カーキッドは遠くを見た。対岸は、今は闇の中にある。
「……夜の池は、飲まれそうだな」
「まずは東へ。マルコをレトゥ様の元に、ね」
「ああ」
その後は北進。
目指す先は1つ。
――待ってる。あの男もそこにいる。
だがその前に。カーキッドは彼女に問うておきたい事があった。
「オヴェリア」
「……ん?」
「決心に、曇りはないか?」
――竜と見 えた今だから。
もう一度、確認しておきたいその気持ち。
城を出る前とはまた違う、互いの気持ち、状況で。
問われたオヴェリアは、カーキッドが言わんとしている事をすぐに察した。
その上で。
「……」
瞬時には、言葉が出なかった。
――城を出る前ならば、迷いなく言えていた言葉が。
今は、出なかった。
あの存在は、ギル・ティモが造り出した物なのだろうとデュランは言った。
異界から呼び寄せた虚像。
実際の物とは違う、その感触をカーキッドも唱えていた。
あれは実物じゃない。
けれども、まったくの別物でもない。
あの姿。あの牙、あの瞳。
あの炎。
実物はさらに上回る、竜という存在。
「そう、ね……」
やっと、オヴェリアは言葉を口にした。
「あの時、気づいたの……私は甘かったと」
竜を倒す。
旅に出る事、それも、オヴェリアは実際に歩き出してから己の甘さを悟った。
そして今さらに思う、自分の愚かさ。
「竜を前にした時……私は、怖くて仕方がなかった」
ガブリエル達にはああ言ったけれども。
「本当は、凄く、怖かった……」
その姿を見た刹那、動けなくなった自分がいた。
全身が震えて、声すら出なかった。
体が凍り付いてしまったようだった。
「あの時、カーキッドが声を掛けてくれた。立てと、剣を持てと。……あれがなかったら、私はとても、」
何も出来なかった。
その瞬間に気づいてしまった。自分の甘さ以上の、覚悟のなさ。
竜を倒す、そのために出たこの旅路。
「私は……本当は何も心に決めてなかったのかもしれない」
「……」
カーキッドは黙って聞いている。
旅に出て、色々な町を巡った。
カーキッドに何度も言われた。「竜退治の方が先決だ!」
回り道を繰り返した、そこには彼女なりの正義はあったけれども。
(怖かったから、かもしれない)
今更ながら、そんな事を思う。
本当は、ゴルディアに行くのが恐ろしくて。
だから……知らずと遠ざけていたのかもしれない。
竜と戦う事。そこにたどり着く事。
目を背けていた、そう気づいたあの瞬間。
……やがてカーキッドは煙草に火を点け、ポツリと言った。
「仕方がねぇさ」
「……」
「歴戦の猛者だってな、竜と戦うなんざ、大概の覚悟がいる」
「……でも、私は」
そのために、白薔薇の騎士となったのに。この剣を手にしたのに。
「お前が止 めたいってんなら、誰も止 めない」
カーキッドが言った。オヴェリアは驚き彼を見た。
「非難できる奴なんざ、いない」
誰に、そんな事ができるというのか。
この現状にすら、本当はカーキッドは苛ついている。
聖母の剣を手にしたからと、姫1人に国の命運を託すなど。
こんなあり方は間違っている。その点は、アイザック・レン・カーネルと同じ意見だ。この国は狂ってる。
「剣が竜を倒すんじゃねぇ」
竜を倒せる剣、だが剣は勝手に動かない。
誰かが使ってこそ、その力は意味を持つ。形を作る。結果を作り上げていく。
「戦うのは、お前だ」
「……」
「もう、お前の戦いは始まっている。そして退くのも1つの戦いだ」
無理すんな。
カーキッドは彼女に言いたかった。
止めておけと。
傷つくなと。傷つかないでくれと。
……竜と戦ったから今だからこそ。
(見たくねぇ)
――もう、二度と。
「私はずっと、こう思ってきた。娘じゃなければよかったのにって。私が男だったら、父と母の代わりに戦えたのにって」
「……」
「娘だから、私は父の重荷を背負う事ができない……それが口惜しくて仕方がなかった。母の意志も継げない自分が、悔しかった」
オヴェリアの言葉は、水面に見えない波紋を作り上げていく。それがカーキッドには見えた。目には映らずとも、確かに。
「だから……白薔薇の剣を持つ事を許された時、初めて思った。やっと父の代わりに戦える、母と共に戦えると」
生まれてきたその意味を、やっと与えられた気がした。
「でも、間違いだった」
「……」
「父の代わりに、母の代わりに……それは違うと。そんな覚悟では、あんな物と戦えない」
その程度じゃ、剣を向ける事も許されない。
本当に必要な事は唯一。
「私自身の意志でければ、戦えない」
誰かの代わりじゃなくて、自らで。
自らが選んだ道で、自ら選んだ剣で。
戦う。
そうでなければいけない道だと。あの時初めて気づかされた。
「だから。私は私で選ぶ」
決まったか、とカーキッドは思った。
「私は、私の意志で戦います」
「……それでいいのか?」
オヴェリアは頷いた。その顔は、見なくてもカーキッドにはわかった。
「そうか」
「カーキッド」
「あん?」
「……ついてきてくれますか?」
思わず、カーキッドは笑った。
「何を今更」
「……」
「俺の道は決まってる。お前がその道を選ぶなら、道は一緒だ」
――もしもオヴェリアが諦めるというのならば、カーキッドはそれに従った。面倒臭くなったから戻る、彼はきっとそう言っただろう。
だが彼女は選んだ、険しい道を。過酷な道を。
ここに、自らの意志で。
「改めて言う。並みの事じゃねぇぞ」
「ええ」
「それでも行くってんだな」
「……待ってます」
あの男が待っている。
そしてその先にもう1人、オヴェリアには取り戻さなければならない人物がいる。見失った叔父の姿を。
「私は、騎士です」
ガブリエル達の最期を思い出す。
貫く想い、そして正義。
信念。
確固たる物。
根幹は、自分に宿せ。
求めるならば、惑うな、迷うな。
最後に問うのは、神ではなく、己の魂。
「行きます」
誰かの代わりじゃなく。自分の意志で。
守りたい物は、己 の中にある。
そのために。この剣を握る、振るう。
――戦う。
カーキッドはオヴェリアの肩に手を置き、立ち上がった。
「目指すは北だ」
「はい」
(武大臣よ、そしてハーランド国王よ。あんたらの代わりに俺は見届けたぜ)
一人の騎士が生まれた瞬間を。
本当の戦いが始まる瞬間を。
(俺は)
こいつと共に行く。
――もう当についていた決断。今更だが、カーキッドは改めて深く刻む。
(守り抜く)
行こう、と。