『 白薔薇の剣 』
−最後の王女の騎士録−
第23章 『予言』
23
あの日、私は、運命を見た。
――定めだよ
目の当たりにしたすべての者が、その光景に唖然とした。当然だろう。
……姫君が、剣を握ったのだ。
ハーランドに伝わる宝剣。かつて大陸を守ったとされる聖母の力を宿す剣。
白薔薇の剣を。
『リルカ姫様……』
姫は当初、自分が何をしたのか理解できていない様子だった。だがすぐに、彼女の顔面は蒼白になった。
カランと、剣が落とされる。
それは、他の剣とさほど大差ない音だった。私がこれまで握ってきた剣と同じ音。
ここに至るまで、何本も剣を潰して来た。腕は磨いた、だが未だ、生涯の剣には会えず。
その差が、我が友グレンとの決定的な差であるとはわかっていた。
だが私にとって剣は消耗品の1つ。
なのに、それに運命を左右される。
乾いた金属音は、普通のそれと何ら変わらない。転がるその姿も、ただ、白い薔薇を施しているだけ。
何が違う? なのにそれは。
人の運命を、決定付ける。
『何としたことか』
我に帰った大臣が叫んだ。その声は震えていた。
『も、申し訳ありません、わたくしは……』
どんな経緯でカーネル家の姫がその剣を手にしたかは、覚えていない。
だが歯車はこの時回り始めてしまった。
剣を手にした者だけが許される、ハーランド最高の地位。
私はそれを許されなかった。これは何を意味する?
そんな私の傍らで、その老婆は呟いた。
『……前にも申した通り。これが定め』
『……』
慌てふためく姫が兵士達に捕らえられる。周りの女達が叫ぶ。そこに大臣が『構わずお連れ申せ!』と一喝した。
『……あの姫はどうなる』
姫は最後に、私に助けを求めるように視線を寄越してきた。私はズキリとしたが、動けなかった。
転がったままの剣を拾う事もできない私は。
『王よ、今一度申しましょう』
本当は、王の資格は、ない。
我は偽りの王なり。
『すべては定め。選ぶのは我らではない。すべて神が思し召すままに』
ならば?
『これが運命』
『……』
『そしてこの国の運命は、白薔薇の剣を持つ者が決める』
それは、
『この国が終わる時、そこにいるのは白薔薇の剣を持つ女』
――この予言を知る者は、この世に、私を含め2人だけ。
ローゼン・リルカ・カーネルは間もなく、ハーランドへと招かれた。私の后となった。
婚儀は国を挙げて盛大に執り行われた、誰もが喜び歓喜し、薔薇大祭の年ではないのに国中が薔薇で溢れた。
だがその瞬間、私は国民すべてを欺く大罪人となったのだ。
私には王の資格はなかった。その証拠は剣が語っている。
そして更なる罪を私は犯す事となる。
国を……否、世界を欺くために、よりによって彼女に剣を持たせ。
……戦場に招き入れてしまったのだ。
彼女は……私を恨んだだろうか? 憎んだだろうか?
運命を呪っただろうか?
私は彼女が恐ろしかった。美しいその顔を見るたびに、その顔が花のように笑うたびに、私はむしろ恐怖して。
――守らなければならないのに。
怖かった。
むしろ顔を、背け続けた。
守らなければならない人。
償わなければならない人。
この身に代えても彼女だけは。
……だからこそ、決して、触れてはならない人。
こんな、罪に汚れた私が。
……犯してしまった、世界を欺く事以上に深い深い、最大の罪は。
彼女を。
…………愛してしまった事だったのかもしれない。
◇
――一ヶ月前。
あの折も、早馬は早朝に訪れた。
オヴェリアからの手紙。フォルストから届いたそれは、かの地で起こった事が綴られていた。
フォルストでの顛末。文面は簡単に綴られていたが、にわかには信じがたい物であった。
アイザック・レン・カーネルの謀反。
……その事は6人の大臣のみに伝えられた。無論彼らも一同に、簡単には信じられなかった。
だが先行で向かった部隊の報告により、フォルストの城の有様が伝えられると。事態はガラリ反転した。
「よもや、カーネル卿が」
大臣達は呆然とその言葉を繰り返したが、もうすでにヴァロックはすべての成り行きに心の整理をつけていた。
その上で、本当に憂慮すべきはアイザックの事ではなく、
(オヴェリア……)
彼女は、見たのだ。信じていた者が裏切る様を。その目で。
……あの実直な娘がそれを受け入れられるわけがない。剣を交えたのだろう。彼女の手紙には詳しくは書かれていなかったが、ヴァロックは直感でそれを感じ取っていた。
オヴェリアとアイザック。アイザックは母ローゼンの弟に当たる男。彼はよくオヴェリアの遊び相手になってくれていた。その姿をヴァロックは見ていた。
オヴェリアはアイザックを慕っていた。アイザックも姫をかわいがっていた。
そして同時にヴァロックは、アイザックのもう一つの感情も知っていた。
(あれは、私を憎んでいる)
表立って非難された事はない。仕草に態度に、明らかに出された事はなかったが。目が言っていた。
ローゼンの運命を捻じ曲げた男として。
アイザック・レン・カーネルが、自分を憎んでいる事を。ヴァロックは感じ取っていた。
だが彼は、それを冷静に受け止めていた。否むしろ、こう思っていた。
憎め、と。
(私を憎め、アイザック)
お前にはその権利がある。私にはお前に憎まれるべき罪がある。
(斬れ)
アイザックの剣の腕前はわかっている。彼が望むなら幾らでも、その機会はあった。そして瞬間的にヴァロックはそれを望み、その間合いにわざと入った事もあった。
だが結局その機会は訪れず、今日に至り。
「アイザック・レン・カーネルにその度量がありましたか……」
ついに彼は、行動に移した。
「カーネルは今は王家に繋がる家柄。処置を誤れば王家にも汚名が」
「亡きローゼン妃様の名に傷がつかぬようにせねば」
――ヴァロックは、議場の一段高みに座っている。その体は今や、自由に1人で動かす事はできない。
眼下で大臣達が言論を戦わせている。それをぼんやりと聞く。若い頃より頭は回らなくなった、病のせいもある。だがそれがこの時は幸いと思った。
なぁ、アイザックよ。脳裏で問いかける。なぜ今なのだ? と。
何度も願った、私を殺せと。私がまだ自由に動けた頃だ。武王と名を馳せた……いや、結局剣においてはグレンに勝る事はできなかったがな。
あの頃は何度もお前に斬られる事を願い、いつも背中をさらしていたのに。あの頃ならば簡単に出来ていたのに。
なぜ、するならあの時しなかった? あの時なら私の首などくれてやったよ。なぜあの頃私を殺して、姉をさらう事をせず。
……今になって。
「アイザック・レン・カーネルの処断は、規律に則る」
王の言葉に、大臣が一斉に彼を見上げた。
「斬首」
「……宜しいので?」
「無論だ。奴がした事は大罪である。それ以外にはない」
「……」
「奴の所在を一刻も早く掴む。抵抗するなら生死は問わぬ。我が前に首を持ち帰れ」
「――御意」
アイザックよ、なぜあの時私を斬らなかった?
(今はもう、お前にはやれぬ)
この命。
あの頃ならばよかったのだ。今の私には、何としても生きなければならない理由がある。
(オヴェリア)
あの娘がいる。
あの娘を残して、簡単には死ねぬ。
あれは、生涯唯一愛した女性の形見。
託された、希望。
『この国が終わる時、そこにいるのは白薔薇の剣を持つ女』
……すべての顛末を見守る。
傍にいる、いつまでも、どこまでも。
(守る)
だから。
「カーネルならびにカーネルに繋がる者全員に詮議を掛ける。疑わしき者はすべて断罪に処す」
あれから、カーネルの行方は知れず。徒らに時だけが経った。
――そして今朝。
書簡はまたしても、早馬によって届けられた。
今度は2通。
それを王は寝所で受け取った。この2、3日、今までで一番起き上がるのが困難となっている。
医師には包み隠さず述べよと申している。まったく動けなくなる日も遠くはないと言われた。
命の刻限も迫ってきている。
「せめて、オヴェリアが帰参する姿を見たい」
よくやったと言って、抱いてやりたい。
すまぬ、娘よ。
……書を読む間、1人にしてくれと頼んだ。
1つ目は、オヴェリアからの物だった。
息災にしていると書かれていた。几帳面で丁寧な文字だ。見間違える事ない、娘の文字。
仲間が増えたと書かれていた。王が知る旅の共は、傭兵隊長だった男。あの男の剣技はこの目で見た。騎士にはない豪胆で独特の曲線を描く剣技だった。だが悪い剣ではない。太刀裁きにはその人間の本質が出る、あれは間違いなく、娘を守る剣となろう。
それ以外に、支えてくる者を築いたか……。思わず顔がほころんだ。
娘はこの旅で多くの事を学んでいる。それは必ず、あの子の未来を培う力となる。
――だがすぐに、ヴァロックの笑みは消えた。オヴェリアの手紙には淡々と、事実が告げられていた。
教会、そして竜。
暗黒の魔術。
枢機卿ドルターナ・ウィグルとの事。
「……じゃじゃ馬が」
――教会とひと悶着を起こしたゆえに、何か害が及ぶやも知れぬ。だがこれは個人で成した事。もし有事の際は、私の存在は斬り捨てて欲しい――書はそう結ばれていた。
「愚か者」
だからか、とヴァロックは苦笑した。
――届き着たもう一通は教会からの物だった。見なくとも内容は察せたが、その中身はヴァロックの想像を超える物であった。
教会からの書状には、オヴェリアの引渡しが書かれていた。異端審問会に掛けると。
それは、宗教の根底。サンクトゥマリア大教会に反した者に下される、最大の詮議の場。
「……愚かな」
そこに呼ばれる、それだけで罪だとされている。ヴァロックの知る限り、異端審問会に呼ばれた者で罪を逃れた例はない。
そこで課せられるのは、最大級の処断。
――大人しく引き渡さねば、無理に奪う。
そう書かれた書面を見て、ヴァロックは1つ大きなため息を吐いた。
そして最後、呟いた言葉は。
「できる物なら、やってみろ」
あれはこの私の娘ぞ? ヴァロックはニヤリと笑った。
「誰かおるか? 所用だ。グレンを呼んでくれ」
我が最大の友。
そうだオヴェリアよ、友を増やせ。主従ではなく、友だ。
信頼は、誰かに強制される物ではない。自ら掴め。
そして世界を見ろ。足で、道を切り開いていけ。
……この国の最後に立ち会うのが、白薔薇の剣の娘だと?
「わしも共におるわ」
立ち会ってくれる。どこだろうと。
お前を一人で戦わせはせぬ。
愛する物がある。
守りたい物がある。
だから戦う、強くなる。
いつからだって人は、強くなれる。
もがける。
跪 く、その反動で飛べ。
伸ばした腕で空を掴め。
「オヴェリア……」
もう一度、王は姫の手紙を見た。
――ヴァロック・ウィル・ハーランド。
12代ハーランド王国、国王にして。
ハーランド、最後の王。
……そして彼が残りの人生、その腕でもう一度娘を抱く瞬間は。
生涯、訪れる事はなかった。