『 白薔薇の剣 』
−最後の王女の騎士録−
第24章 『鎮魂歌』 −2−
カーキッドが剣を横一線振り回す。
それにより2つの頭が吹っ飛ぶが、その下を掻い潜り3頭の獣が彼目掛けて飛び掛った。
返す刀で1頭、2頭と胴体を薙ぎ、最後はデュランが護符を突きつける。
だがその間にも、窓から新手が飛び込んできた。
「限 がねぇぞ!!」
カーキッドが怒鳴り立てる。
しかも、デュランの炎を受けた獣達によって部屋にまで火が燃え移ろうとしていた。
「チ、こんな所で火の術なんぞ使うんじゃねぇよ!」
「うるさい! それよりさっさとオヴェリア様たちを追うぞ!!」
チラと出入り口を確認する。一足飛びの距離だが、問題はこの獣達である。
窓を塞ぐには距離がある、しかも今ここに、直ちに窓が塞げるような物はない。寝台をひっくり返して覆うには、時間も状況も許してくれない。
「なぁ、そういやいたよな、こういう輩が」
デュランは術を唱えながら、眉間にしわを寄せカーキッドを振り返った。
「頭を幾つも持った、神話の魔獣だ」
獣目掛け炎の術を解き放ち、デュランは口の端を少し掲げた。
「ケルベロスか」
「地獄の番犬だっけか」
「……正確に言えば、ケルベロスは3つの頭を持つ犬だ」
カーキッドが剣を弾くように打つ。側頭が飛んだ、そこからさらに斜めに斬る。そして俊足の腿を両断する。
「音楽を聴くと眠ると神話にはあったぞ」
「じゃあてめぇ、歌え」
「なぜ私が。お前が歌ってみろ」
横から地面を蹴るように跳躍してきた獣の牙がデュランの腕を掠める。
返す刀のようにさらに食らいついてきたそれを、カーキッドが上から叩くように斬った。
「今ので貸し1な」
「お前に幾つ貸してると思ってる」
「――どの道こいつらは、そんな崇高なもんじゃねぇか」
炎が照らしてる、その異形。
「こりゃ……人だ」
犬の頭の横につく、牙をむき出しにした頭。
だがそれは犬ではない。……毛むくじゃら、そして獣のような顔だが。
人のそれ。
「趣味悪ぃ」
しかしこの場で最も趣味が悪いのは、それを前にして笑っているこの男であろう。
「ならあいつに歌わせるしかねぇか」
そう言いカーキッドは部屋の扉を開け放った。
「姫様の歌声か、さぞかし美しい事だろうな」
カーキッドの顔を確認し、デュランが先に部屋を出る。
デュランが出てもカーキッドは扉を開け放ち、仁王立ちに剣を構えたままでいた。
「まぁ、かろうじて女だからな」
ニヤリと笑う。
「かろうじて姫でもある」
デュランが術を唱え始める。
「あの顔で歌ってりゃ、そりゃどんな鼻歌だろうと、ちったぁ崇高に聞こえるさ」
獣が眠るかまでは保証できんがな、呟くカーキッド目掛けて獣が襲い掛かってきたが。
カーキッドはニヤリと笑って部屋の外へと滑り出た。
そして顕 になった、背後に控えていたデュランが。
「エリトモラディーヌ――――!!!!!」
炎を解き放つ。
そしてその火力、最大。
獣は吹っ飛ぶ、窓も吹っ飛ぶ、寝台もテーブルも椅子も何もかもが。
風の反動が2人の方にも押し寄せるが、戸を蹴飛ばし封じる。
「時間稼ぎにしかならんな」
デュランが肩で息をしカーキッドを振り返る。カーキッドはニッと笑って走り出した。
「さっさと建物を出るぞ」
小さな宿、外へ出るのに道は1本しかない。
だがその階段へと至る前に、カーキッドはすぐにその声に気がついた。
「姫様ッッ!!!!!!!」
マルコだ。
「カーキッドッ」
デュランが叫ぶ、言われるまでもない、カーキッドの速力が上がる。
階段を見つける、マルコが持つランプの光もあった。そしてそこに白い姿が浮かび上がる。
「オヴェリア」
階段を、カーキッドは文字通り段抜かしで、飛んだ。
「姫様ッ……!!」
退けぬ。
オヴェリアは歯を食い縛った。背後には少年が控えている。
今はここは、鉄壁であらねばならない。
――階下はすでに獣で溢れていた。
双頭の犬。
狂ったように牙を剥く獣達は、闇の中に爛々と目を輝かせていた。
そして獣達は2人の姿を見つけるとすぐに襲い掛かってきた。
マルコの小さな光では照らしきれない、そして今はその全貌を見ている暇もない。
飛び掛ってくる物を斬る。血が飛ぶ。それを掻き分けるようにして、斬ってもすぐに別の牙が襲い掛かってくる。
剣を返している暇もない。獣の動きは俊敏。
咄嗟に一頭、突きを入れたのが災いした。骨か筋肉か、引っかかって抜けない。
その間に獣は彼女の足に食らいついた。
「――ッッッ!!!」
膝の下まで覆う厚めの革靴であったが、それごと足に牙を立てられた。
苦渋に顔を歪めながらもオヴェリアは剣を振るった。だが足が取られては力は半減する。
脇を狙ってくる一頭を横薙ぎに斬ったが、浅い。痛みなどなかったように地面を蹴って再び襲い掛かってくる。
その間にも足に食らいつく獣が牙を突き刺したまま力任せに双頭を振り回した。それに体が取られる。
ここまでか、そう思いかけたオヴェリアに。
「頭引っ込めろッ!!!}
頭上から男の声が降り注ぐ。
反射的に体が動いた。オヴェリアは上体を下げる。
その頭上をカーキッドの剣が一閃し、そのままオヴェリアを狙う一頭の頭を首から吹き飛ばした。
「クソ、狭い」
幅のない階段での戦い、すぐに剣が壁にぶつかる。
だがその反動を利用して、オヴェリアに食いついていた一頭に痛恨の蹴りを入れる。
「行儀の悪い奴だ」
衝撃に思わず口を離したその場所に、今度は黒い剣を叩き込む。
「そんなに腹が減ってるなら、これでも食ってろ」
だが獣が歯を立てる暇などない。すぐに口が裂かれる、喉まで裂かれる、後頭部を突き抜ける。
「あ」
急に支えを失ったオヴェリアは思わず倒れ込みそうになったが、カーキッドがそれを片腕で支えた。
「デュラン!!」
そしてそのまま後ろへと放り投げる。
「オヴェリア様!!!」
デュランが抱きとめ、すぐに止血に掛かる。
「下にも火が回ってきてやがるか」
初めてオヴェリアは視界の良さに気づいた。1階のロビー、そして頭上に火の手が上がっていた。
「さっさと脱出せにゃまずいな」
カーキッドはペロリと唇を嘗めた。
――だが実際に数は、相当の物だった。オヴェリアが斬ったであろう残骸を引いても、まだ20はいる。階下は埋め尽くされていた。
これで全部だとは思えない。上からもすぐに獣は現れるだろう。
「挟まれたってか」
「嬉しそうに言うな」
言葉を拾ったデュランに咎められたが、カーキッドは喜色満面に笑うだけだった。
「いいぜ? 掛かって来いよ」
番犬になり損ねた者たちよ。
いいやむしろ彼らがこの村の墓守か?
黒い剣を構える。刃こぼれしたのは気づいている、だが今はこの相棒が頼り。
ニッと笑うカーキッド。その体はもう、獣の血でグシャグシャに汚れていた。
「デュラン、そいつら頼むぞ」
獣の群れの中に向かって飛び込んでいくカーキッドの背に向かい、オヴェリアは叫んだが。
マルコが、2階から押し寄せた獣の姿に気がついた。
「上からッ」
オヴェリアの手当てで反応が遅れたデュランの頭を目掛けて獣が飛び掛ってきた。ギリギリでオヴェリアが白薔薇の剣を突き出す。
「ディア・サントゥクス!!」
デュランも術を繰り出すが、階段の中腹、前後に挟まれた状況はいわば絶体絶命。
「まずいな」
退路は上にはない。ならばもう、道は一つ。
だが運良くこの場を逃れても、この狼たちの足から逃れる事は簡単ではない。
ならば?
「……やるしかないか?」
デュランがゴクリと唾を飲み、そう呟いた時。
「……乱暴に描いたので、どういう結果が出るかわからないんですが」
カタカタと歯を震わせながら言ったのはマルコ。
「陣が描けました」
ハッと、オヴェリアとデュランが少年を振り返る。少年が立ちすくむ背後の壁に、白墨で円と文字が描かれていた。
「結果は私がフォローする」
デュランが叫んだ。
「放て」
マルコは一瞬目を見開き、ぐっと頷いた。
万物の神ヘラ
太陽の神ラヴォス、闇無の神オーディーヌ
我ここに魂を刻む、我ここにこの名を捧ぐ
「カーキッド!! 勝手に避けろよ!!」
「あん?」
双頭の群れに囲まれ、カーキッドは振り向く事もできない。
その中で。
マルコは壁の中心に手をつき、最後の言葉を野に放った。
「舞え、水の翔」
瞬間、壁から吹き出した水に3人は吹き飛ばされた。
「なっ!?}
驚きカーキッドは狼を無視し、オヴェリアを抱きとめる。
だがその1階フロアも、水の塊が叩きつけられる。狼たちが打ち付けられ、獣も狼狽をする。
水は1階フロアをすぐに水浸しにし、宙を舞いその中へと落ちたデュランがすぐに、その水目掛けて呪文を叩き入れた。
「ディア・サントゥクス」
聖なる魔術。
弾くようにその術を繰り出せば。
水が広げる、その波紋。
途端、そこに浸かった獣達が苦しみにもがき始める。
その瞬間をカーキッドが逃すわけがない。一気に畳み掛ける。
上から跳び来た獣も同様に、水に浸かれば同じ道。
オヴェリアもマルコを庇いながら剣を振る。
デュランが放つ炎の術から逃れるように数頭が、宿の外へと飛び出した。
「逃すかッ」
それをカーキッドが追いかける。
「カーキッドッ!」
オヴェリアの声が刺さったが、今は走る事が優先。
本能が告げている。一匹も逃せぬと。
だが外に出れば走るほどに闇が深くなって行く。追いかけるつもりが、囚われるのはカーキッドの方。
「――」
昼間見た村の様子を脳裏に浮かべ映像を思い描くが、すぐに気配を見失ってしまった。
それでもカーキッドは辺りを見回し、僅かな痕跡を探った。
――その時だった。
辺りは闇なのである。目が慣れても、建物の輪郭くらいにしかわからない。
それなのに、カーキッドは建物の向こうに見た。
人影を。
「――ッッ」
その瞬間、四方から何かが跳び来る気配がした。反射的に剣を立てる。
見えぬ、でも腕は気配を辿って勝手に動く。
ザッと何かを斬る感触、降り注ぐ生ぬるい感触。
だがまだだ。剣は下ろせぬ、足に風が起こる。右から来る気配を、切っ先を斜めに切り結ぶ。
悲鳴がするその方向に、封じるように突き立てる。
すぐに足でその肉を蹴飛ばし剣を抜き、半弧を描く。
重心を後ろから前に一気に踏み込み、
上からの、一刀両断。
剣が裂く空気の音が、今日は尾を引くように聞こえた。
「ハァ、ハァ……」
動く気配はもうない。目視した逃げた狼の数と斬った数は、恐らく同じ。
カーキッドは顔を上げた。もう一度、先ほどの方向を見やる。
だがもうそこには、人影などなかった。
「……」
あれは……と呟きかけ。
「……」
口を結ぶ。
◇
「一体これは……」
白薔薇の剣を握り締めたまま、オヴェリアは呆然と呟いた。
宿にいた獣はすべて倒した。もう動く物はいない。
だが問題はその異形。
デュランはその残骸の傍らに跪き、様相を凝視した。
「……尋常の沙汰ではございませんな」
普通の生態系ではありえない。異なる2つの頭。
特に人と思しき頭とその根元をデュランは食い入るように見つめた。だがオヴェリアは直視できなかった。
代わりに辺りを見渡した。地面は宿からあふれ出した水によってぬかるんでいる。その宿も2階から崩れ、瓦礫の山と化していた。
まだ炎はくすぶっているが、燃え移るほどではない。1階の水気がいずれ鎮火をするだろう。
だが荷は燃えてしまった
焼け落ちる前に僅か拾い出せた物もあったが、ほとんどは不可能だった。食料はもとより野営に必要な物の多くをこの一晩で失ってしまった。
「……」
オヴェリアはマルコの背中をさすりながら、少し呆然たる思いで炎を見つめた。
「ひどい様だな」
男の声がしたのはそんな時だった。振り向くとカーキッドが戻ってきていた。
「どうだった?」
デュランも顔を上げる。カーキッドは一言、「仕留めた」と答えた。
「何か変わった気配はなかったか?」
デュランが尋ねたが。
カーキッドは一瞬間を置いた末に、
「……、いや」
「そうか……」
デュランは少し考えた様子で俯き、だがすぐにオヴェリアを振り返った。
「とにかくこの場は立ち去った方が良い。服も乾かさねば」
言っている傍からマルコがクシャミをし、オヴェリアは頷いた。
「マルコ、大丈夫? 歩ける?」
気分悪そうにしているマルコに呼びかける姫に。
聞こえぬように、デュランはそっとカーキッドに言った。
「カーキッド、お前……テトの契≠……知っているか?」
「あん?」
カーキッドは大業に目を見開いた。その様子にデュランは「そうか」と首を横に振った。
「お前は異国から来たんだったな」
「……んだよ、それ」
デュランはもう一度、獣を見下ろした。そしてその首元を凝視した。
「偶然やもしれぬが……」
――姫にはまだ言えぬ。
「とにかく早急にこの場を離れましょう」
そう言い、デュランは横たわる屍たちに向けて短く祈りを捧げる。
「酔狂な事で」
「……命は命ゆえに」
カーキッドは胸元から煙草を取り出しくわえた。そしてデュランのその様をぼんやりと見ていた。
そしてオヴェリアもまたカーキッドの横顔を、そっと見つめた。
男の横顔はいつもと同じだったけれども。
……なぜか胸が騒いで。