『 白薔薇の剣 』

−最後の王女の騎士録−

 

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 第24章 『鎮魂歌』 −3− 

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「困りましたな」
 何度も何度も地図を見た。
 その結果、デュランは静かに息を吐いた。
「近隣に、人里がない」
 昨晩の戦闘で荷を失ってしまった。特に急務は、食料確保。
「直近で一番近いのはどこだ」
「……単純に線を引いただけならば、南のモーリス」
 だが、とデュランは首を横に振る。
「山を越えなければならない」
 カーキッドはデュランから地図をひったくった。改めてもう一度眺め見る。
 デュランの言う通り、今いる場所の周辺には町も村もない。モーリスという名の町は確かに南の山の向こうにあったが。
 無理だな、とカーキッドは思った。
 現状、この山を越えられるだけの装備がない。今日食べる物さえままならない中、山に入るのは無謀。
 まして、オヴェリアは足を痛めている。昨日獣に食いつかれた所だ。デュランが応急処置はしたものの完治しているわけではない。本人は気づかれないように気をつけているが、カーキッドから見れば、確かにオヴェリアは足を引きずって歩いている。
 完治していないのはデュランも同じ。先日のドルターナとの経緯で負った傷はまだ彼をむしばんでいる。オヴェリアが平気な振りをして歩いているのは、デュランの負担を減らすためである。
 マルコもまた、昨日から青白い顔をしている。体調を崩しているのは明白。
 そしてカーキッド自身にも今それほど余裕がある状態ではない。愛用の剣の歯がこぼれてしまったのだ。
 頑丈な剣ではあったがいよいよ、刀鍛冶に出さねばならない所まできている。まだ斬れない事はないが、寸分の切れ味が命の明暗を分ける事がある。剣士ならば誰しも、刃の具合には神経を尖らすもの。
 普段慎重なカーキッドも、今は我知らず気が急いていた。この状態では旅は続けられない。無理に進めば必ずどこかで落とし穴にはまる。一刻も早く状態を整えなければならない。
「やはり東か」
 東にある、港町エンドリア。距離はモーリスの倍はある。だが道は平地だ。急げば、山を越えるのとそれほど変わらない時間で町に着けるかもしれない。
「それしかないか……」
「何とか食いつないで急ぐぞ」
 オヴェリアは遠く東の地を眺め見た。地平線は遥か彼方に、ただ純粋に天と地を別つ1本の線となっていた。
 カーキッドが東に向かって歩き出した。デュランが視線で促す。オヴェリアは頷き、マルコを振り返った。
「マルコ、行きましょう」
 だが少年はオヴェリアには答えず、じっと明後日を見ていていた。
「どうしたの?」
 見据える方角は、北。
「何か、あそこに……」
 マルコが指を指す。その方角をオヴェリアも見た。
「何してんだ、さっさと行くぞ」
 動かない2人に、カーキッドが苛立たしげに声を上げたが。
「あれは」
「建物……?」
 町。
「待って。2人共、あそこに町が」
 2人の男も驚き北を見やる。
 地平線の果てに、ポツポツと見える輪郭。それは岩の集まりではない形。天に向かって伸びる幾つかの建物の輪郭。
「まさか」
 デュランがカーキッドから地図を奪い取る。
「何だよ……あるじゃねぇか、町」
 カーキッドも我知らず安堵の表情を浮かべた。
 だがデュランは違った。カーキッドが北に向かって歩き出しても、デュランは凍ったようにその場を動かなかった。
「……」
「おい、置いてくぞ」
 もう一度デュランは地図を見た。やはり、その方角には平原しか書かれていなかった。




「結構大きな町じゃねぇか」
 ――川を渡ってたどり着いた人里は、すべて人がいなかった。
 町があり、そこが人で溢れている光景は随分久しぶりの事で。オヴェリアとマルコは目を輝かせた。
 入ってすぐに商店が軒を連ねている。誘われるままに進むと、幾多の食べ物の出店が並んでいた。焼いた肉の匂い、とりどりの串揚げ、一杯幾らと汁物を掲げる恰幅のいい女性。鼻先に突きつけられては、マルコはたまらず手を出してしまう。隣の店では店の奥から湯気があふれ出ており、蒸かした饅頭を売っていた。殺到する人垣をオヴェリアはとても嬉しそうに見つめた。
 カーキッドは食べ物の商店の向こうに武器屋を探し気を揉んでいたが、「とにかく宿を探すぞ」と先を急いだ。
 3人が町の雰囲気に少なからず煽り立てられる中。
 デュランだけは、町を注意深く見ていた。




 宿は町の中心から少しそれた所に取った。
 値段はこれまでで一番安かった。この町の規模からして破格の値段だったが、誰も不思議に思わなかった。
 旅の泥を落とし、すぐに町に出る。
 オヴェリアとマルコはデュランと共に旅の装備品などを買い求めた。カーキッドは「後で合流する」と言い残し、鍛冶を探して去って行った。
 ちなみにオヴェリアの白薔薇は刃こぼれ一つなかった。カーキッドはそれを見るたび心底羨んだ。オヴェリアの扱い以上に、剣の持つ何かしらの力が影響していると思われた。
「夜営用のテントと鍋と……」
 オヴェリアが失った物を記憶の中で蘇らせていく。「毛布もいります」
「ピーターの装備も少し揃えましょう。今のままでは幾らなんでもちと危うい」
 ピーターとはマルコの事である。デュランは旅に加わって後、改め全員に偽名を徹底させた。
 オヴェリアはカイン・ウォルツ、マルコはピーター・ラウル。デュランとカーキッドにもそれぞれ偽名がある。だがオヴェリアはまだ覚えきれず、人前では間違って仲間を名前で呼びかけないように注意するだけで精一杯だった。
 マルコの旅具を揃えて後、薬草も買い揃える。オヴェリアのマントと靴も新調した。
 何件目かの商店で、デュランは矢束を買いがてら店主に尋ねた。
「随分と賑わった町ですな」
 店主はとても嬉しそうに笑った。
 同じ笑顔を道行く人々が皆浮かべていた。皆、満たされたように歩いている。
「私の手持ちの地図にはこの町は書かれておらなんだが、はて、最近できた町なのですか? 名前は何と?」
 だがデュランがそう尋ねた途端。
 オヴェリアにもわかった、店主の顔が、見る間に凍った。
「どうかされましたか」
 デュランは知らぬ様子で続ける。
「我らはここに来る前に、南の町に立ち寄ったのだが……」
 獣に襲われた町からここは、距離はなかった。デュランが何を聞こうとしているかオヴェリアにはすぐにわかったが。
 店主はにわかに、用があるからと奥へ引っ込んだ。そのまま、3人が去るまで中から出てはこなかった。
「何でしょうか」
 オヴェリアは何度か店を振り返り、不思議そうに呟く。
 だがデュランは逆に何か悟った様子で「カイン様」と呼んだ。
「やはり、」
 デュランが次の言葉を口にしようとしたその刹那。ゴーンと鐘が鳴った。思わず2人は明後日を振り返る。
 ゴーン、ゴーン、ゴーン……
 10鳴って、空白後に、4つの鐘。
 行きかう人々も一瞬動きを止める。天を仰ぐ。辺りに溜め息めいた音が広がる。
 だがそれだけ。
 人々はまた歩き出す。何事もなかったように、それぞれの道を。
「教会でしょうか?」
 オヴェリアはそっと囁いた。この町には教会があるのだろうか、ならば警戒をしなければならない。にわかにその美しい顔が曇る。
 デュランは空を仰ぎ、人々を見て後、オヴェリアを振り向いた。
「……用事を済ませて早急に立ち去るべきかと存じます」
 やはり、何やらこの町は気にかかる。デュランは視線だけでそれを伝える。
 オヴェリアは無言で頷いた。マルコも察し同じように頷こうとしたが、ケンケンと咳き込む方が早かった。
「気分悪い? 大丈夫?」
「大丈夫です……」
 しかし少年の顔は真っ青である。
「宿へ戻りましょう。行けるか?」
 マルコの手は氷のように冷たかった。
 道行く人々は彼らの様子を知らぬ様子で歩いていく。
 それがデュランは救いだと思った。


  ◇


 その頃カーキッドは。
「へぇ、中々の業物だ」
「どれくらいで仕上がる? 急ぎなんだが」
 町の隅で見つけた鍛冶屋は黒い剣から目を離すと、今度はカーキッドを上から下から品定めするように見た。
「旅の人かい」
「ああ」
 建物の中は薄暗く、静かだった。まるで地下にでもいるかのように、外の喧騒は聞こえてこない。
 だが薄っすらと聞こえてきた鐘の音。
 鳴り終わるまでの間鍛冶屋は黙り込んだ。カーキッドは返事を急いたが、ぐっと我慢した。
「今日中に何とかするよ」
「そうか、そいつはありがたい」
「代用がいるか?」
 ぶっきらぼうな刀鍛冶は顎だけで周りを指す。壁面にはとりどりの武具が立てかけられていた。
 カーキッドは1本1本順番に手に取り、渋い顔をしながら「これでいい」と長剣を選んだ。
 鍛冶屋は鼻で笑う。「だろうな」
「どこで手に入れた? この剣」
 代用の剣の刃を確かめる。カーキッドは鍛冶屋の問いには答えなかった。
 その代わり、「うまく仕上げてくれよ」と言った。
「そいつは俺の相棒だ」
「そうか」
「この先、そいつがないと守れねぇ」
「守る?」
 らしくなく、男は饒舌にそう言って笑った。言ってもどうせ、冗談にしか聞こえない。
「竜を斬る」
「竜か。そりゃ大層だな」
 黒い剣を見つめ、鍛冶屋はハハハと笑った。
 代金は多めに出した。
 ――鍛冶屋を出る。少し歩いただけでも、腰の違和感はひどかった。
「軽いな」
 実際に重みはそれほど変わらない、長さもだ。だがどうにも腰が落ち着かない。
 やはりあの剣だけなんだとカーキッドは思い知る。あの黒の剣だけが唯一の相棒。
 どこで手に入れた? 鍛冶屋の問いが蘇る。
「……」
 どこだと言ったって、あんたはわからないさ。カーキッドは心の中で答えた。
 でも世の中はうまいように出来ていて。手に入れる物と失う物は、プラスマイナスは結局でゼロ。
 だから。
(あの時俺が失った物)
 そしてこの先自分が失う物。
 それと引き換えに何を得るのか?
 ――表通りに出たつもりが、辺りから人気は減っていく一方。
 道を間違えたのかと、カーキッドは後ろを振り返る。だが戻るのもシャクで、先へと進む。
 歩いていればきっとそのうち、どこかに出れるだろうと信じて。
 だが最終的に、人の気配はパタリと消えてしまった。
 まずいな、やはり引き返すべきか。
 そう思いもう一度振り返ろうとしたその時。カーキッドの目の端に何かが横切った。
 長いローブ。
 反射的にカーキッドは動きを追う。
 建物の向こうへと消えた、一つの影。その輪郭は。
「――」
 カーキッドは走り出した。
 まさか、と思った。
 似ていると思った。
 でもその人物に会ったのはもう何年も前の事。顔などは思い出せない。
 ――お前は生涯、剣によって生き、剣によって生かされる
「待て……ッ」
 昨晩見たあの人影も。
 だがその人影はスルスルと建物の影へと消えていく。カーキッドの速力を持ってしても追いつく事ができない。
 やがて道は行き止まりにたどり着いた。
 乱れる息を抑え、カーキッドは四方八方見渡した。
「クソッ……」
 悪態を吐いたその時。
 ――カーキッド・J・ソウル
 声が聞こえた。カーキッドは慌て振り返った。だがそこには何もなかった。
 周り、上、どこを見回しても。
 ――消えるよ
 でも声がする。
 消えると言っている。
「どこに」
 ――大切な物
 お前がしっかりと踏ん張らねば。
「どこにいる!?」
 何もかも、消えていくよ
 ――この町も、消えるよ
「――ッッッ!!!!」






 カーキッドが宿に戻ったのは夕刻。
「遅かったですね」
 少し心配そうにオヴェリアが迎えた。その顔を見て、カーキッドはすぐに目をそらした。
「道に迷ってた」
「鍛冶屋は見つかったか?」
「ああ……明日にはできるそうだ」
 デュランとオヴェリアは顔を見合わせる。
「では出発は明朝」
 カーキッドはオヴェリアを見た。視線に気付いた少女は不思議そうに男を見返した。
「どうかした?」
「……いや、……腹が減ったな、飯行くぞ」
「マルコの体調が悪くて」
「またかよ。んなもん、食えば治る。行くぞ」
 デュランがグイと、カーキッドの腕を引いた。
「何もなかったか?」
 なぜそんな事を聞くのかと、カーキッドは内心少しうろたえた。
「ねぇよ」
「本当だな」
「……しつけぇよ」
 神父の青い目は、見透かすように覗き込んでくる。オヴェリアとはまた別の、見透かす目。
「それより、お前らの傷の方なんとかしろよ」
 会話は終わりだ、と腕を強引に引き剥がす。
 ――刀が軽いと、また思った。
 足が動きすぎる。
 だからきっと落ち着かない。脳天がフワフワするのはそのせいだと、カーキッドは歯噛みをした。







 ――消えるよ







 ――だから。
 翌朝は、彼にしては珍しく、完全に意識を失っていた。
 疲れていたつもりはなかった。だが体は眠りを欲していた。
 だから。
「カーキッドッッ!!!!」
 叩き起こされた瞬間は、目の前に星を見たような錯覚を覚えた。
「……んだよ」
 だから。
 すべての事態が、簡単には認識できなかった。
「オヴェリア様がおらぬ」
「――」
 便所だろうさ、そんなもん。カーキッドはそう思った。
「マルコもおらぬ」
 2人で行ったんだろう、顔でも洗ってるだろう。
「誰もおらぬ」
 ――消えるよ
「町の人が、おらぬ」
 ――お前がしっかりと踏ん張らねば
「どこにもおらぬ、誰も」
「……へへ」
 たちの悪い冗談だ。
 そう笑い飛ばしてやりたいのに、足はいびつに立ち上がる。
 走り出す。
「冗談だろ」
 昨日あれだけごった返していた町。消えるなどと、あるわけが。
 だが走れど走れど、誰もいない。
 通りはガランと静まり返り。快方されたように広がっている。
 呼べど叫べど、誰も出てこぬ。
 ――川を渡って3つの人里から、人が消えていた。
「誰かッ!!」
 ――3つ目の町には化け物じみた犬がいて。
 ――4つ目の町には昨日は人がいたけれども。朝目が覚めたら。
「出て来いッッ、馬鹿野郎ッ!!!!!」
 ここもまた、何もかも、消え去っていた。




「オヴェリアッッ!!!!!!」
 叫んでも。
 彼女は返事をしなかった。
 誰もどこからも返事はなかった。
 ただ鐘の音がした。ゴーンゴーンと、10つ鳴って。空白後に5つ。
 それが最後。
 それが鎮魂歌。
 ……町は完全なる沈黙に包まれた。

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