『 白薔薇の剣 』

−最後の王女の騎士録−

 

目次    次へ

 第25章 『君は絶対に』 −1− 

しおりを挟む

 必ず行くよと約束し。
 叶えられなかったあの日。
 もう二度と戻れぬ最後の笑顔。
 だから……俺は墓場を目指した。
 だから俺は、ゴルディアへ行った。



  ◇ ◇ ◇


「どういう事だ!!!」
 ぶん殴られた。
 やり返そうと思ったが、腕が動かなかった。代わりに、
「知るかよ」
「もう一度きちんと話せ」
 話せと言われても、カーキッドは苛立たしげに顔を歪める。
「消えるって言われたっつってるだろうが」
 ――昨日。
「誰に」
「わかんねぇよ!」
 実際にわからない。彼はその人物を直接見てはいないのだから。
 だがあの声には覚えがあるような気がする。……いや、そう思いたいだけか?
 わからない、カーキッドは地面を殴った。何もわからないのだ。
「……変なもんを見たんだよ」
「変なもの?」
「一昨日の夜の襲撃……獣を追って行った先で人影を見た。そいつと同じような奴を昨日町中で見かけて、追いかけたんだ」
 そしてその先で。
「消えるって……町が消えるって。お前が踏ん張らないと」
 大切な物が消えるよ、と。
「どうして昨日言わなかった」
 デュランがカーキッドの胸倉を掴んだ。カーキッドは振りほどかず、ただ顔を背けた。
「まさかこんな事になるなんざ、」
「お前の目は節穴か!? 実際見てきただろうが!!」
 人が消えた町を、村を。
「オヴェリア様が消えたのだぞ!!」
 だがカーキッドだけを非難できはしない。デュランは投げるように腕を離し、憎憎しげに自身の手首を握り締めた。
「……クソ、やはり昨日の内に発つべきだったか」
 異変の兆候に彼は気付いていた。
「ここは街道から随分外れている。なのにあれほどの人の数、どう考えてもおかしい」
 ましてこれだけ大きいにも関わらず地図に記載されていないとは。
 彼が持っている地図はつい先日仕入れたばかりの物だ。古い物ではない。
 この町の造りからして、この1、2ヶ月のうちにできた町というわけでもない。石畳の磨り減り具合、建物の錆具合や塗料の落ち具合からしても、いくらかは経っている。
「それに問題は鐘だ」
 昨日、そして今日と鳴っている鐘。
「鐘は教会を現す……だがどこにもそれらしい建物がない。どこから鐘が鳴らされているかもわからなかった。だが実際に鐘は鳴っている。そしてあの数、10で区切って4つ、5つと鳴らすなど……私はこれまで聞いた事がない」
「じゃあ教会じゃねぇと?」
「いいや……教会に通じる何かである事は間違いない。鐘を重んじるのは我らしかおらぬ。だがそれなら余計に地図から漏れているのがわからぬ」
 不覚、とデュランは首を振った。
「私もお前の事は言えぬか」
 異変に気付いていた。なのにそれを見過ごしていた。
 もうないか? 見過ごしている何か。
 カーキッドはもう一度地面を殴った。
「オヴェリア……ッ」
 分からぬ事はまだある。なぜカーキッドとデュランは無事で、オヴェリアとマルコが消えたのか。
「……白薔薇の剣はなかった。姫様と共にあるのか……」
 デュランはポツリと言った。だがカーキッドはその言葉に反応をした。
 オヴェリアには常に剣を肌身離すなと言ってある。だが宿で、少し部屋を出る程度で彼女は剣を持ち歩きはしない。カーキッドはそれを何度か注意してきたが、「大丈夫よ」と言って笑うばかり。彼女が守った事はほとんどなかった。
 そのオヴェリアが剣を持って部屋を出た。そこには確実に意味がある。
 カーキッドは舌を打った。オヴェリアは夜中のうちに部屋を出た。常ならば彼は必ずそれに気付く。だが昨晩はどうした事か気付けなかった。
 たるんでいたのか? 緩んでいたのか? いや、だが、神経は昂ぶっていたはずなのに。
「畜生」
「……とくかく、手がかりを探さねばならない」
 人が消える狙いは何なのか。そしてオヴェリアとマルコはどこへ行ったのか。
 2人が消えていくら時間が経っているかもわからない今、一瞬の時間も惜しかった。
 手がかりはどこにある? 気持ちは焦る。だが今はこの町しか糸口は見つけられない。
 2人は町を調べ、懸命に走った。
 ……そしてわかった事は。
「ここは敬虔な教会信者の町だ」
 デュランはそう結論付けた。
「どの家にも教典が置かれ、暖炉や壁に教会の紋章が書かれていた。ハーランドは教会の教えを国教としている、それだけならば不思議ではないが」
 そう言葉を区切り、デュランは問題の教典を取り出した。
「これは、おかしい」
 カーキッドはこの国の根本はわからない。教会の教えも、それが人々のどの程度根幹を担っているか、彼にはわからない。
 だがそれでも確かに、デュランが指したそれには目を細めた。
「……何でぇ、これは」
 デュランがめくった教典の中表紙。そこにはくっきりとこう書かれていた。
 ――10の鐘は時を正確に打つ。
 ――10と1つの鐘  迷いはもうない
 ――10と2つの鐘  不安は掻き消える
 ――10と3つの鐘  幸福だけに満たされる
 ――10と4つの鐘  さあ、旅立ちの準備をせよ
 ――10と5つの鐘  神はすべての罪を許し、あまねくすべてを受け入れる
「……こんな文言、私は知らぬ。だがどの家の教典にもこれが書かれていた。そして最後の頁だ」
 反転させる、裏表紙。そこに。
 ――我、魂を返す
 血判と共に。
「んだよこりゃ」
「知らん。中身は教典、されどこれは何やら違う意味を持つ物となっている」
 魂を返す、その表現。
「教典の中に、我らの魂は借り物だという文言がある」
「借り物だ?」
「ああ。魂は神の一部。神より賜りし借り物。この世に降り立つ際、1つだけ受け渡される物。神の代わりに世界を築き、培い、そして最後には神の元へ還る」
 神に代わりこの世界を創り上げるために。
「そしてサンクトゥマリアはその神のご意志を最も強く受け継がれた方。神そのものだというのが教会の教えだ。この世界に具現化した神の姿だと」
「神、か」
 カーキッドは鼻で笑った。
「そんなもんいてたまるか」
 デュランは苦笑する。
「お前の母国に神はおらんのか」
 カーキッドはもう一度鼻で笑った。
「さぁな。例えいたとしても、俺には関係ねぇ」
 神だの、意志だの、
 ――定めだの。
 そう思い、一瞬カーキッドの心が固まる。
 だがデュランはそれには気付かず話を続けた。
「お前と神の真偽の問答をしている暇はない。とにかく問題はこの教典だ。この中表紙の鐘の文言は昨日の鐘とまさしく合致している。10と4つの鐘と、先ほど鳴った10と5つの鐘」
「旅立ちと……神の許しか」
「旅立ちが町人の失踪、そしてオヴェリア様とマルコの失踪に繋がると考えれば、合点が行く。そして次の問題はこの神の許し」
 デュランの頬を汗が流れた。
「この文言は」
「素人の俺でもわかるぜ」
「……死」
 2人は顔を見合わせた。
「オヴェリア様とマルコが危ない」
「でも一体どこに行ったっつーんだよ」
「わからぬ。わからぬが、道は限られている。あれだけの人の数だ」
 一晩で消え失せる? 一体どこへ?
 心で名を呼ぶ。答える声は無論ない。
 その代わりに肌が捉えた気配に。
「……へへへ」
 カーキッドは笑った。
 どうした、とデュランが問いかけようとしたが。
「誰もいなくなった、わけでもなかったらしいぜ」
 カーキッドが剣を抜く。デュランは愚問かと呟く。
 周囲ガランと静まり返る町中に男2人。
 そして目の前より歩み来る、もう1つの影。
 黒いシルエット。
 その者は姿を隠す事もなく、凛然とした足取りで2人の元へやってくる。
「あれは」
 様相は見飽きるほどに。2人は何度も対峙した。
 黒い襲撃者。
 デュランは腕を構えたが、カーキッドが一歩前に出た。
「お前は引っ込んでろ」
 あれは、とカーキッドは口元を歪める。
「よぉ。これまた、白昼堂々ご苦労な事だな」
 背格好、そしてかもし出す気配。覚えている。カーキッドの心臓が震える。
「今日はオヴェリアはいねぇぞ」
 その黒は、かつてオヴェリアを斬った主。フォルストでオヴェリアに手傷を負わせ、コロネのカスミソウ畑で対峙した者。カーキッドはこれまでまだ1度も剣を交わした事がなかったが。
「こっちは忙しいんだ。今日は出直してくれねぇか?」
 言いながら、カーキッドは足場を固める。
 黒は返事をしない。無論分かりきっている。
「時間がねぇんだ」
 まだ黒は剣を抜かない。腕はブラリと垂れ下がったまま。
 間合いは、あと2歩。
 その2歩を黒装束は、突然走り出した。
 ――そして気付いた時には空にいた。
 恐るべき跳躍。もう剣が抜かれている。胴体丸ごと使っての一閃。
 ギンとカーキッドは剣で受け止める。腕に振動が響く。いつもと手ごたえが違う。今日は相棒が違う。
(オヴェリアの言っていた通り)
 この相手、殺気がない。
 ――跳躍、地面に踏みついた瞬間をカーキッドは狙うが、黒が早い。顎先の空を掠めて終わり。だがそれは承知で、すぐに返しの一手を踏み込む。
 剣を切り返すその一瞬をついて、黒は右へと避ける。そのまま中断からカーキッドの腹を斬る。
 カーキッドは鞘を立ててそれを受ける。だが黒装束の勢いの方が強い。大の男が一歩後ろへ後退する。
 右から出た鋭い蹴りを腕で止める。そのまま足目掛けて剣を振り下ろす。
(剣が違う)
 反応が違う。
 付いてくる速度が数コンマ遅い。ぶら下げていた時は軽く感じられたのに、振ってみるとまた違う。
(それにこいつ)
 気配がない。これだけの戦闘の中、殺気がないとは。
(しかし)
 カーキッドの顔に笑みが広がる。
「面白ぇ」
 足を払う。黒装束はそれを察し跳んで避けた。だがカーキッドの本当の狙いはその瞬間。
 胴体諸共、体当たりをする。それは読みきれなかった黒は諸にその衝撃を喰らう。
 地面を裂くようにして下からブンと剣を振れば、黒装束の一端を斬った。
 だがそれはまだ衣服。
 体は無傷。わかっているから返す刀を上から叩き落す。
 黒は左へ逃げる。腕が突きの衝動を抱えている。だが黒の視線は横。
 突くと見せかけての横薙ぎ。
 カーキッドは体をひねってかわし、背後から斬りかかった。
 その間合いでも、黒はカーキッドの剣を受け止める。受け止めて後、流して蹴りつける。
 そこはカーキッドの腹に入る。よろけだが、転倒するほど完全な形ではなかった。
 それを見て黒装束は一旦距離を取った。カーキッドも剣を構えなおした。
「中々の剣さばきだ」
 短刀よりやや長い。だが長剣ではない。普段相手にする事のないような間合いの剣。確かに骨が折れるとカーキッドは思った。
 だが、とカーキッドは思った。
(こいつは何か、)
 違う。
 生粋剣士ではない。かつて対峙した仲間の黒装束もそうだった、暗殺の技。足運びは拳法に似ている。
 殺気を微塵も漏らさないのも気にかかる。
 だが何よりも。
 手合わせしたからこそわかる、微妙な感触。
 それが導く一つの疑念。
「まさかお前……」
 カーキッドは思わずその言葉を口にしようとした。
 ――だが。その時だった。
 音がした。
 天高く、風を咲く音。
 粉塵が瞬間、小さな竜巻を起こし横切っていく。
 思わずカーキッドは目を庇った。視線の先に建物の影があった。
 そこに。
 奇妙なシルエットを見た。
 カーキッドはハッと影の行方を仰ぎ見た。
 逆光。その人物は光を背に受けている。光が視界を焼く。その人物の顔は見えない。
 だが輪郭。
 ――見た事がある。
 カーキッドは目を細める。手で庇う。
 まさか、と思う。
 見開く事できない双眸がもどかしい。
 だが。
 雲が一瞬太陽を隠した。
 視界が途端、柔くなる。
 だから。
 見えた。
 はためく衣。
 無作法に伸びた髪が顔を覆い隠しているが。
 その男に見覚えがある。
 見覚え? いやそんな物じゃない。
「ザーク」
 ピッと指笛の音。
 カーキッドが視線を外したその瞬間に、黒い刺客は走り出した。
「カーキッドッ!!」
 デュランが叫ぶ、カーキッドは視線を戻す。
 剣を片手に走りかかってくる刺客。交差の瞬間、剣がぶつかり合う。
 カーキッドは一瞬、次の一手を葬った。
 黒はそのままカーキッドの脇を抜け。
 向こうの建物の脇から、馬が一頭現れた。
「待て」
 追い掛けるより早く、刺客は馬に飛び乗り。
 走っても届かぬ、カーキッドは痛恨に舌打ちをした。
 そして再び建物の上を見上げたが、その男の姿もなかった。
「カーキッド、今のは……」
 デュランがカーキッドに問う。
 カーキッドはそれには答えず、ただ天を仰ぎ続けた。
 そして太陽に心の底で呟いた。
 ――生きていたのか、ザークレスト。
「……」
 お前もあの日から。
 生きていたのか――と。


  ◇ ◇ ◇


 太陽が傾く。
 上りきった太陽は、再び地平線へ向かって一刻一刻沈む道を歩む。
 変えられない、これは悠久よりの定め。
「姫様ッ……」
 デュランは自分の腕を握り締めた。
「手がかりはないのか……ッ」
 カーキッドはボソリと呟いた。
「川があった」
「……川?」
「地図見せろ」
 デュランはもどかしい手で懐から地図を取り出した。
「今いるのがここ。ならば、北に川がある」
 ……確かに、とデュランは言う。
「ハーランド北部を走る2つの川……姉川と妹川。数日前最初に渡ったのがこの妹川」
「その川を渡って東を目指し、その途中で見つけた3つの人里はもぬけの殻になってた、ってか」
 デュランはハッとする。
「この町は妹川からは離れているが……代わりに、姉川がある」
 2つの川が流れ込む場所に海がある。その場所に、港町エンドリアがある。
「2つの川は大きく、よく氾濫を起こした。この一体が街道から離れ開けなかった理由はそこにある。特に今いるこの付近は北の山間から流れた川の流れが一番早くなる場所。幾つか町はできたが、よく水害に遭い結局人は離れて行った」
「問題は、川だ」
 カーキッドは前を睨んだ。
「大量に人を運ぶには、もってこいだ」
 急ぎ2人はその川へと向かった。
 ――そして確かに。
 町から北の川辺に。大量の縄が打ち捨てられていた。杭もある。明らかに何かがここに置かれていた跡が残っている。
 そして付近にあった小屋から、巨大な鐘も見つかった。
「ここが鐘突き場」
「同時に船着場」
 だが時遅い。2人がそれを見つけた時、空は夕にさしかかろうとしていた。
 オヴェリアとマルコが姿を消したのが夜中だったとしても、半日近く経っている。もし本当に2人がここからどこかへ行ったとしたら、川の流れを追い越さなければならない。
 デュランは絶望した。
 町の人々は自分の意志でどこかへ向かった。そしてこの川へやってきた……オヴェリアとマルコもどういう経緯かここへやってきた。連絡がない所を見れば、2人も彼らと共にある。
 そして最後の鐘がほのめかす意味は、死。
「オヴェリア様……マルコ……」
 膝から崩れたデュランとは対照的に、カーキッドは川の流れを見、そして笑った。
「何がおかしい」
 デュランがその音を拾い上げた。
「お前こそ、何座り込んでるんだ」
「2人の身に危険が及んでいるやもしれぬのだぞ!?」
 だがカーキッドは笑った。
「危険だ? 今に始まった事じゃないだろ」
 そして。
「オヴェリアは剣を持って行った」
 承知していたんだ、あいつは。カーキッドは目を閉じる。
「追うぞ」
「どこへ」
「川の流れの先へ。……この先にはエンドリア、そして海がある」
「……」
 デュランはカーキッドを見上げた。カーキッドは神父を見下ろし、淡々と言った。
「あいつは何があっても諦めない」
「……」
「逆境に、簡単に折れたりしない。そういう奴だろう?」
 でなければ、こんな無謀な旅には出ない。
 あの少女は並みの少女ではないのだ。
「絶対に、あいつは諦めない」
 もう一度言う。
 カーキッドは信じてる。
 ――背中を預ける者を。
「行くぞ」
 ――だから自分達も絶対に、諦めない。








 ――そう、まさに。
 カーキッドとデュランがたどり着いたこの場所に、オヴェリアとマルコはやってきていた。
「ひ、姫様……ッッ!!」
「怯えるな」
 その時オヴェリアは剣を抜いていた。
 白き薔薇を抱きし剣。
 翻弄される船上で、震えながら祈りを捧げる人々の中で。
 ただ一人剣を立て、真っ向見据え。
「姫様ッ」
 闇夜の川。
 川の流れの向こうに、何かがガバリと口を開き待ち構えていた。
 見える、無数の牙。
 川の流れはまっすぐに、その喉の奥へと導いている。
「怯えるな」
 もう一度オヴェリアは言った。
 怪物がゴォォと鳴き、船を飲み込まんとする。
 その瞬間、剣はギラリと輝いた。
 そしてオヴェリアは化け物目掛けて、跳んだ。




 ――そしてすべては、闇の中に飲まれて行ったのである。

しおりを挟む

 

目次    次へ