『 白薔薇の剣 』
−最後の王女の騎士録−
第27章 『罪深き国』 −1−
さて……。
森を一枚抜けた向こうに、小さな町があった。
町と言っても、旅人が行きかうほどではない。昔は南にある鉱山から人が流れていていたが、滑落により山が封鎖されてから幾久しい。今は土地に古く伝わる織物によってどうにか支えられている町である。
街道からそれほど遠くはないが、訪れる多くは買い付けの商人。それ以外の旅人が、例えば西の港町エンドリアまでの中継に使うには、便がいい町は他にある。
町に1軒ある宿にも、客層はいつもそうした商人ばかりだった。
――だが、その日は妙だった。宿の女将は宿帳を見て首を傾げた。それにしても今日はやけに客の入りがいい。
そういう事もある。近隣で祭りや何か特別な催しが行われる際、仕入れのために商人が数多く訪れる事はある。
だが今日は違う。明らかに客の雰囲気がいつもと異なっていたのである。
「どうした」
宿の旦那が女将 に声をかけた。女将は首をひねった。
「何だかね、」
おかしい気がする。
さっき馴染みの商人が訪れた。後で聞いてみようと思った時。
カランカランと、戸が開いた。
「いらっしゃいませ」
声をかけ、そして女将は固まった。
「部屋はあるか」
訪れた客は、男2人。だが問題はその様相である。
帯刀している。このご時世、剣を帯びた者は珍しくないが、それにしても大振りの剣である。
「お2人様ですね、少々お待ちください」
女将はあたふたと宿帳を見た。
「さっさとしろ」
前に出ていた男が苛立たしげに言った。
旅の剣士か、どこぞの兵士崩れか……人相は悪い。特に手前にいる男。射るようなその目つきはただ事ではなかった。
一瞬女将は台の下に隠し入れていた手配書を見た。駐屯の兵士から配られた物である。近隣の町で強盗を謀った極悪人だと言われていたが。目の前の男はその手配書の男よりさらに凶暴に見えた。
「おい。そのような物言いをしてはならん」
女将がビクビクしているのを見て取ったか、背後にいた男が凶暴な剣士を窘 めた。
「申し訳ありません。無礼をお詫びいたします」
転じて、背後の男は水のように涼やかな顔をしていた。思わず女将は顔を赤らめた。
「私は度の神父でございます。この者は私の下僕。不始末お許し願いたい」
「神父様……」
唖然とする凶暴そうな男を制止、神父と名乗った若者はにこやかにほほ笑んだ。
「お部屋はございましょうか?」
……なるほど、確かに彼は神職にふさわしい澄んだ目をしていた。女将にはそう見えた。
「誰が下僕だッ」
凶暴な男が文句を言いかけたが、神父がそれを一瞥 で制する。
「ゴリウス。黙れ」
「……ッ」
「お部屋でございますが……申し訳ありません、本日は大変込み合っておりまして……」
女将は申し訳なさそうに、神父だけを見て言った。
「一部屋だけならばご用意できますが」
「一部屋だぁ!?」
凶暴な男が声を上げた。
「待て。こいつと一緒の部屋に寝ろっていうのかよ」
「慎め、ゴリウス」
神父は眉を寄せた。
「致し方ございませんな……繁盛するのは良き事」
神父の背後に、後光が見えた。
「いえ、いつもはこれほどではないんですが……」
呟き、女将は神父に「お名前をお願いいたします」と言った。
神父は歯を見せて笑い、
「アレン・グランジスタと申します」
……凶暴な男が何やら毒づいたが、女将の耳には、涼やかな神父の声しか聞こえていなかった。
◇
「誰がお前の下僕だッ!!!」
部屋に入るなり、凶暴な男――実名カーキッド・J・ソウルはデュランの胸倉を掴んだ。
「うるさいぞ。静まれ」
それをデュランは片手一つで弾く。その口から出たのはため息である。
「まったくお前は……見境なく人に噛み付く」
「ああ?」
「落ち着け」
そう言い、デュランは荷を下ろした。
「……チ」
カーキッドも不承不承荷を下ろした。
「何でてめぇなんぞと同じ部屋に」
「言うな。私とて同じ想いだ。姫様がおられるならまだしも……」
そう言い、2人は一時険しい顔をした。
――2人がその惨状を見たのは、つい先刻の事であった。
その場所から森を一つ越えた先にこの町はあった。まだ脳裏には、先ほど見た光景がまざまざと焼き付いている。
「あれは……」
何だったのだろうか? デュランがポツリと呟いた。
カーキッドはそれには答えず、一言「腹が減った」。
「あれを見て、よく食べようという気になる」
デュランは少し嫌悪の表情を浮かべた。だが彼自身も空腹は覚えていた。まともに食べたのは、オヴェリアとマルコを見失ったあの町以来であった。
――町の北に見つけた船着き場。そこから川に沿って西へ向かった2人は、少し開けた池のような場所にたどり着いた。
そこで見たのである。大量の、遺骸を。
……2人は宿を出た。男2人で部屋にいても、ただ、息が詰まるだけであった。
――あれは何だったのか。カーキッドとデュランは思いを巡らせる。
宿のそばに、軽くテントが張られた店があった。揚げ物のいい匂いが立ち込めていた。
2人はそこでおすすめだという串揚げを数本購入した。ソーセージが衣につけて揚げてある。デュランは蒸かし芋が団子状についた物に一口かぶりつき、それからケチャップをかけた。
――オヴェリアの姿はなかった。
水のたまり場、池というにはあまにも濁っていた。いやそれは、それを取り巻く景観のせいか。
打ち捨てられた、死骸の山。
あれはあの町の者だった。汚れていた、変わり果てた姿だった、だがデュランはその中に見覚えのある姿を見つけた。
そしてカーキッドは遺体を1つ1つ見て言った。刀傷だと。
「まぁまぁだな」
隣の屋台にはスープが売られていた。地元名産のきのこを使った汁であった。デュランが無言で2人分買ってき、カーキッドの鼻先に突き付けた。
「酒が飲みたい」
「……私は熱燗がいい」
――カーキッドは、これまで、多くの戦場を渡り歩いてきた。凄惨な遺体もいくつか見てきた。
それを思えば、打ち捨てられていたそれはまだマシな方だった。
だが、胸糞はすこぶる悪かった。
ここは戦場ではない。斬られていたのは戦士でも傭兵でも何でもない、武器も持たぬ人々。
老人も男も女も子供だろうと容赦なし。
一刀の斬り捨て。
なぶり殺しではなかった。しかし、漂う臭いは同じ。結果も同じ。
目を開けたままだった子供は、自分が死んだと気づけたのか。閉じてやってももうぬくもりは感じられぬ。
……そしてその中に、オヴェリアとマルコの姿はなかった。
「腹がふくれねぇ。お前、あっちの露店のあれ買ってこい」
「自分で行け」
「チ」
「ああ。行くなら私の分も」
「……」
――2人の姿がなかった、それが一概に幸とは言えない。
そして殺されていた人数は、町にいたであろう人の半数ほど。
町を去った人々は、何かによって導かれあの場に来た。
オヴェリアとマルコはそれを追いかけた。
あそこで、何かが起こったのだ。そして誰かがそれにより、人々を斬った。
オヴェリアとマルコはここでそれに立ち会った。……恐らくオヴェリアは剣を振 った。
カーキッドは懐から石を取り出した。
赤いルビーの石。元々は短剣に埋め込まれていた物。これはオヴェリアが持っていた物だ。
そして彼女が剣を振ったであろう痕跡は、水の中に残骸として。
「……ああ、やはり頼むんじゃなかった」
スモークチキンだった。突きつけられ、一瞬デュランは心底嫌悪の表情を浮かべたが。
構わず、カーキッドはそれにかぶりついた。
肉の味が口いっぱいに広がる。苦いような味だった。汁を飲んで、苦みを流し込む。
――その異形は、半分体が溶けていた。
だが刀傷があった。口から額にかけて。下から突き上げた物か。
その傷跡を見てカーキッドは思った。これはオヴェリアの太刀筋だと。
口の中繰り出された物だった……顔も半分が煙を立てて溶けかかっていたが、かろうじて残っていた痕跡。そこに赤い石も残っていた。
オヴェリアはこの怪物に食われそうになり、必死にもがいた。
そしてその全長は、計り知れず。それを見た折デュランは口元を抑え、「何だこれは」と呻いた。
カーキッドとて、こんな物見た事がない。巨大な体。人を丸呑みするのくらいわけがないだろう。竜かと思えるほどだったが、それよりもっと醜く、おぞましい体であった。
第一に、溶けかかった足は8つもあった。
……異形に残っていたオヴェリアの刀傷。そして遠くない場所にある遺骸。それを斬った誰かの存在。
もう、明らかにこれはひっ迫した状況。
「……」
デュランは仕方なしにチキンに食らいついた。吐きそうになったが、今は食べなければならないと思った。この先、何が起こるかわからぬ。
人を越えた異形……それで思い浮かぶ人物が1人いる。暗黒魔術、ギル・ティモ。奴の仕業か?
だがギル・ティモは剣は使わぬ。まして遺体に残っていたその腕前、かなりの使手だとカーキッドは見立てた。
何が起こってる?
「まだふくれねぇ」
カーキッドは尚も露店で食べ物を買い求めた。
デュランはチビリと汁を飲むだけで、もう、食べたいとは思えなかった。
食べるだけ食べて、2人、黙って町を歩いた。
旅の荷を揃えなければならない。食糧だって要る。だが2人の目はそちらに向かなかった。
考える事はたくさんあった。
……小さな町の情景は、2人の目に入っているようで、流れて行くだけだった。
オヴェリアとマルコは無事なのか。
人々を斬った者とオヴェリアは対峙したのか……いや、せぬわけがない。そしてその状況になった時、オヴェリアが抜かぬわけがなく。
斬ったか。
斬られたか。
2人は無事か。
……遺骸がなかったからと言って、それが、まったくの無事とは限らない。
デュランが店先で足を止めたが、カーキッドは無視して歩いた。
武器屋らしき店の前をカーキッドは素通りした。いつもならば必ず目を光らせるのだが。
彼の目には何も映らない。ただ脳裏に浮かぶ惨状と死骸と、臭気と。
(オヴェリア)
カーキッドはそっと目を伏せて名を呼んだ。無論、返ってくる声はない。
オヴェリア……それでも名を呼ぶ、何度か呼ぶ。目を閉じる。瞼の向こうの闇に何か見えぬかと。
「商人が多いな」
ハッと目を開けると、隣にデュランが戻ってきていた。
「いやに多い」
「……」
そうだろうかと、カーキッドは改めて辺りを見回した。
商人と……旅人。
確かに。こんな小さな町のわりには人が多い。カーキッドとデュランが目立たないほどに、旅人と思われる者が歩いている。
デュラン自身も商人の多さに気づいたのは今しがた。道から聞こえた話し声がきっかけだった。
「エンドリアから来た」
……その声に引かれてカーキッドのそばを離れた。
「一度、宿に戻ろう」
デュランに促され、カーキッドも後に続いた。
「あ、お帰りなさいませ」
宿に戻るとちょうど、女将が客を見送る所だった。
随分の荷を背負っている。明らかにそれは、商人と思われた。
「ご出立ですか、お気をつけて」
デュランが微笑んだ。
商人は頭を下げ、去って行く。
「あの方はどちらからお越しで?」
デュランが女将に尋ねた。女将は上の空のような様子で、
「エンドリアでございますよ」
「ほう」
「今日は本当に……エンドリアからの方が多くて」
エンドリア。カーキッドの目も光る。
「俺たちはエンドリアに行こうとしてるんだ」
女将がカーキッドに目を向けた。
「宿にみえるのは、どうもエンドリアからのお客さんばかりのようですな」
冗談めいた口調でデュランは吹っかけたが、女将は真顔で「ええ」と答えた。
「……何だったのかしら?」
女将は呟き、奥へ戻ろうとした。
デュランはその一言を拾い上げ、「どうかされましたか?」と尋ねた。
「この町も、危険かもしれない、ですって」
「――」
「あ、いえ。何でもございません。お夕飯はどうされますか? 外にないます? ご用意いたしますか?」
慌てた様子で笑顔を取り繕っていたが。
カーキッドとデュランは顔を見合わせた。
◇
夕飯は外で食べた。
なるべく大きな食堂を選んだ。2人はそこで、黙って料理と酒をつまみ続けた。
2人が引き上げたのは、店に客がほとんどいなくなった頃。
何も語らぬままに部屋まで戻ると。
「……」
「……」
やはり2人はしばらく考え込んだ末に。最終的にカーキッドが荷物の中から酒を取り出した。
「やるか」
デュランは少し眉をひそめたが、「ああ」と苦笑した。
「何やら、不穏だな」
中々いい代物だなと、デュランは一口飲んで呟いた。当たり前だとカーキッドは答えた。ドルターナの城から持ってきた、とっておきの酒である。
「……どう見た?」
デュランは尋ねた。
――長々と食堂に居続けた理由はただ1つ。会話を拾うためであった。
無論、商人たちの。
……だが結局、大した話を聞く事はできなかった。誰もが、縫ったように口をつぐんでいた。
時折漏れてくる会話もある。連れのいない商人同士が意気投合し、話し始めた所もあった。
だが、何か肝心な部分に口をつぐんでいる気配がした。
その中で、商人のうちの幾人かが、「ハーランドに行く」と言った。王都だ。
「王都に行くならば、なぜ街道を使わぬのか……」
思い出し、デュランは呟いた。商人はここから西南に降りてそこから街道を目指すと言っていた。
「どう見た?」
もう一度、デュランが言った。カーキッドは剣を見た。
借り物の剣。だが今は欠かせぬ相棒。
「エンドリアから、商人が流れてる」
何かおかしい。
エンドリアはハーランドの海の玄関口。すなわち商業も盛ん。商人の拠点とも言える場所。
そこから、商人が流れ出している。
これはどう考えてもおかしい。
そして彼らが向かうのはハーランド。
「商人が動く瞬間ってのは、確かにある」
カーキッドは呟いた。だが、まさかと思う。
これまで廻った戦場で。戦いの気配がする場所で。1つ、余震のように起こる事があった。
それは、
「……混乱が起こる前だ」
濁した。
そうしてから、カーキッドは目の前にいる人物がその必要がないと悟る。同じ事を思っている目をしている。
だがカーキッドは結論を避けるように続けた。
「商人は、世の中が一番見える位置にいる」
「……ここも危ないと言われたと、女将は言っていたな」
商人は、物を扱う。
そして物を扱うのは、人。
その時々、人の求める物により、物流は形を変える。
干ばつが起これば、食糧が不足する。そこに食糧を持って行けば、普段より多くの儲けを得る事ができる。
天災が起こった土地は資材も不足する。食べ物だけでは生きてはいけぬ。衣服住、物はそちらへ流れようとする。
商人の目は、常に世界の動向を見ている。物をいかに流すか、必要とする人物、地域、あるいは国……それがすなわち儲け、生きる事につながる。彼らの生き方はそうしたもの。
……その商人が動いている。
エンドリアを避け、ハーランドへ。
「……」
エンドリアで何かが起き、ハーランドで何が起こる?
……不意に。カーキッドは自分自身に問いかけた。
今日見た中に、武器商人はいただろうか、と。
わからなかった。だが……。
「エンドリアで何かが起こっている様子」
「ああ」
「……嫌な流れだ」
ああ、とカーキッドはもう一度呟いた。胸騒ぎがする。
2人は酒を飲んだ。うまいが、2人共味わうよりも別の事を考えていた。
不意に、
「テトの契り=v
とデュランが言った。
「……お前は知らぬのだったな」
カーキッドはデュランを見た。その顔は、昼間宿の女将に愛想を振りまいていた時とはまったく違う深刻な表情だった。
「その言葉、前にも聞いたな」
どこだっただろうか、と思ってから。
「双頭の獣」とデュランが答えた。
「……あの時、あの獣に刻まれていたんだ。瓜二つの印が……」
「何だそりゃ」
デュランはふっと短く息を吐いた。
「それは、停戦の印だ」
――遡るのは、20年前の話。