『 白薔薇の剣 』

−最後の王女の騎士録−

 

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 第27章 『罪深き国』 −2− 

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「テトの契り≠ヘ……ハーランドとバジリスタの間で交わされた停戦の際の印。十字の中央に丸を描く、それは剣と花を示す。2つ重なり、1つとなる意味」
 花は白薔薇。
 すなわち、白薔薇を抱く王国ハーランドと、剣を抱く王国バジリスタ。
「2つの国はな、長らく戦火の絶えぬ国だ。建国よりこの方、両国間では常に戦が繰り返されてきた」
 カーキッドには何となくイメージが付かなかった。ハーランドは豊かで平和な国。彼が今まで見てきたどの国よりもここは恵まれた国だと思えた。騎士団も充実している。傭兵隊長の頃彼は、このぬくぬくした国が退屈で仕方がないとも思った。
「最後に衝突があったのは20年前だ。それは戦争と呼べるほどの規模ではなかった。だがその衝突により、国境の村が幾つか焼け落ちた」
「衝突のきっかけは?」
「ハーランド領内の村々の蜂起。最初それは、内乱と思われ制圧に駐屯の兵が出向いた。だが真実は違った。内乱を装った、バジリスタ軍の攻撃だった。……バジリスタ側はハーランド領内に侵入。ハーランドは出鼻をくじかれる形で先制を許した」
 バジリスタがなぜハーランドを狙うのか。その理由、デュランは酒を一飲みしてから告げる。
「簡単に言えば、聖地奪還」
 聖地? とカーキッドは眉をひそめた。
 デュランは酒に目を落とす。
「この手の問題は、根が深い」
 何せ絡むのは神。
「発端は、この国の起源だ」
 面倒な話になりそうだと、カーキッドは思った。


  ◇


「かつて大陸間で大きな戦争が起こった。前に話した事があったな。魔術文明が栄えた頃だ。文明が栄える、それはすなわち人が力を手にれる事。手にした力が大きければ大きいほどそれは誇示され、やがて狂気へと変貌して行く」
 豊かにするために栄えていった文明は、やがて他を圧倒するために磨かれていく物となる。
「その中で人が開いた禁断の扉。パンドラの箱だ……暗黒魔術。戦火は飛び火し、もはや世界は滅亡するかと思える域にまで達した」
 その時彼女は現れたのだと、デュランは言った。
「混沌と化したこの世界を救った人物。一人の少女。サンクトゥマリア」
「……その女が戦火を止めた、だったな」
 ぶっきらぼうにカーキッドは言った。デュランは薄く頷いた。「そうだ」
「悪魔の力に染められたこの世界、滅亡の危機から守った少女。彼女は神の化身として崇められている……どのような人物か記録はない。だが彼女はその力のすべてを1本の剣に託し、この世を去った」
「白薔薇の剣、だろ」
 ハーランドに受け継がれるその剣。剣が選んだ人間が王となり、この国を治める。
「それはすなわちどういう事だ?」
「……?」
 問われ、カーキッドは首を傾げた。
 デュランは少し苦笑して、「この国は、」
「サンクトゥマリアに守護された国」
「……」
「……この土地は、サンクトゥマリアが生まれたと言われる地なんだ」
 ――聖母誕生の地。
「彼女は1人の男に剣を託した。男はこの地に国を築いた。その後、代はかわり国の名前も変わった……だが1つだけ言える絶対たる事実。白薔薇の剣を持ちし王がこの地に築いた国は他国の侵食を受けぬ」
 守られているのだ、聖母に。
「神の化身とも言われる少女。それを祭る独立宗教組織まである。その影響力はハーランドのみならず、バジリスタは元より他の国にも及ぶ。誰もが彼女の恩恵を願っている。そんな世界で……唯一、その力を実際に手にしている国がある」
 ――ハーランド。
「聖母の力を持つ剣を受け継ぐ国。以来数百年、この土地に築かれた国は滅びぬ。250年前、ハーランドと名前を変えた。だが実際にその際にも、他国からの侵害によって変わったというわけではない」
 この国はな、とデュランは何とも言えない微妙な顔をした。
「聖母の守護をただ一身に受ける……言わば、罪深き国だ」
「……」
「……隣国バジリスタは果敢にも、長年ハーランドを脅かそうと試みた。聖母に守られたこの土地を手に入れる事、神を手に入れる事……代々、バジリスタという国は渇望するように繰り返してきた」
 最後の攻防は、20年前。
「バジリスタは口実を探している。……20年前の抗争、先手を打ったバジリスタ軍はその勢いでハーランド北部姉川近くまで攻め込んだ。姉川は、我らが沿って歩いてきた川だ。ハーランドは即時国境の兵を送り込んだが、持ちこたえる事はできなかった。姉川を越え、いよいよ本格的にハーランド領内に攻め入られるかと思われた」
 だが、とデュランは言葉を区切った。
「そこから、ハーランドの巻き返しが始まった……一端そこまで詰め寄られた兵を、バジリスタの国境まで追い返す事ができたのだ。その起因は、先陣に立った白薔薇の騎士。ハーランド王が自ら戦場に赴いた事で、形勢は見事に逆転した」
 20年前の白薔薇の騎士、それは、これまでの話からまとめればオヴェリアの母ローゼン・リルカ・ハーランド。
「白薔薇の騎士とその側近……現武大臣グレン・スコールの武勇伝もそこに伝えられる。ハーランド騎士団は彼らの活躍によって盛り返し、バジリスタの国境はおろかそのまま王都を狙えるほどの勢いだった」
「だが、そうはしなかった、と」
「そうだ。私は当時まだ幼かった、史実は師と教会の書物によって知った。ハーランドはあの時、バジリスタを滅ぼす事ができるほどだった。勇猛果敢なハーランド騎士団と白薔薇の騎士が国境に集ったのだ、そしてそれにより風は明らかにハーランドに吹いていた。だが、ハーランド王はバジリスタとの和平を申し出た。よって2つの国は停戦の協定を結んだ」
 ――風。
 カーキッドは虚空を睨む。そう、戦いにはいつも風≠ェ吹く。気まぐれな運命の女神と言うものもいる。
 そしてそれは、一瞬しか吹かず。そして次の瞬間風は、簡単に反転もする。
 掴む事ができるのも、乗る事ができるのも、その場に巻き起こった数多の運と。引き寄せるだけの、力。
「停戦の地はここより少し北の地。ハーランドとバジリスタの間にある不可侵領土……永久に中立とされる地。2つの国の真ん中に挟まれたその場所を、我々は聖地と呼ぶ」
「……」
「所以は、そこがサンクトゥマリア最期の地だからだ」
「……」
 言い換えよう、とデュランは言った。
「教会の古い書物にはこうある。永久中立地区……そこはかつて、処刑場だったと」
 つまり。
「世界を救ったと言われるサンクトゥマリアは、最期、処刑されたのだ」


  ◇


「……テト、その地は永世中立地区。つまりテトの契り≠ニは、その地で交わされた約束」
 停戦の協定。
「それが何で、犬コロについてた?」
 犬コロと呼べるほど、容易い相手ではなかったが。カーキッドは鼻で笑うようにそう言った。
「わからぬ」
「見間違いじゃないのか?」
「いいや……肉に焼印がされていた。見た限りすべての獣の背にだ。ただ気になるのは……十字がやけに大きかった事。丸を凌駕するように」
「……つまり?」
 カーキッドは笑いながら言った。先に続く言葉に、何かを期待している顔だった。
 だがデュランはあえてそれには踏み込まなかった。そして、と続ける。
「停戦協定時、両国間で交換された物がある。……ハーランドからは犬が数頭贈られた。犬は起源最も古くから人と共にあった生き物だ。そしてバジリスタからはカナリアが贈られた。炭鉱の多いバジリスタは古来から毒ガスの検知にカナリアを使っている。なくてはならぬ重宝する生き物だ」
 犬とカナリアを交換し、
「その時に双方1人ずつが国の使者として立った……。ハーランドの使者は、当時西の賢者として名を馳せていた者。我が師、ラッセル・ファーネリア」
 ラッセル・ファーネリアは元々はハーランドの民であった。
「向こうの使者は?」
 何となく問うたその問い。デュランは視線を流した。
「バジリスタの使者は……確か、異国の民」
「ほう」
「バジリスタは撰国との繋がりが深い……その血を受けし者。確か名前は、――盃」
 サカズキ。
「当時はバジリスタ騎士団の長であったが、……数年前、亡くなったと聞く」
 カーキッドはコップに汲んだ残りの酒をクイとあおった。
「処刑されたと聞いた……バジリスタ第三王子、ズファイの逆鱗に触れて……」
 ズファイ? とカーキッドは一瞬目を光らせた。
「末弟の将と呼ばれる男。バジリスタ第三王子にして国内最強と謳われる天剣騎士団の長」
「……」
 ――幾つかの欠片が何かを飲み込み、形になりかけている。
 カーキッドはそれを感じる。この予感は何だ?
 川を渡った直後に集落から人が消え。
 消えた町には、異形の獣がうろついていた。その体に焼印として刻まれた停戦の印。
 訪れた町でまたしても人は消え失せ、オヴェリアたちは彼らを追って行方をくらました。
 その町の人物が殺され、打ち捨てられていた。そのそばにまたしてもあった異形。
 川の流れはエンドリアに向かっている。
 そのエンドリアからは商人が流れ出始めている。
「嫌な流れだ」
 やはりエンドリアか、とカーキッドは呟いた。
 オヴェリアたちがそこに行った確証はないが。流れがある。風が吹いている。
 追い風か、それとも向かい風になるのか。
「笑う所か?」
 知らず笑みを浮かべていたカーキッドに、デュランは窘めるように言った。
 いいや、これはハッタリだ。
 彼の本当の心境は。
「うるせぇ」
 むしろ、悪寒が背中を掠めた。




「明日発つ」
 商人の動きが気になる。だがとにかく今は、エンドリアに向かうべき。
 そう結論づけ、床につこうとした時。
「カーキッド、」
 とデュランが男を振り返った。
「何だ」
「……」
 デュランは言いよどんだ。
 だがその末に、
「……あれは、誰だ?」
「……」
 何がだ、とカーキッドは問い返したが。
 デュランが何を指しているかは、すぐにわかった。
 ――あの町。
 オヴェリアたちがいなくなったあの町で、黒の刺客に襲われた時、天から見下ろしていた者。
 ――ザークレスト。
「……」
 カーキッドは沈黙した。
 それを一時デュランは見ていたが。やがてふっと息を吐いた。
「いや、いい」
「……」
 気が向いたら話してくれればいい。
 デュランは何も言わなかった。だがカーキッドにはそんな声が聞こえたような気がした。
 寝台に潜り込む。目を閉じる。
 ――ザークレスト。
 過る、残像。
「……」
 ザークと共に浮かび上がる、笑顔。
 声。
 ……闇に招かれるように、カーキッドは浅い浅い眠りとも言えぬ世界へと落ちて行った。





 ――そして。

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