『 白薔薇の剣 』

−最後の王女の騎士録−

 

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 第28章 『天笑来時』 −1− 

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 ――エンドリア。
 ハーランド国最大の港町。国の玄関口とも言える場所である。
 船の乗り入れ量は他の港から群を抜いており、国内・国外問わず毎日多くの人が押し寄せる。
 それにより商業も盛ん。街のほとんどは商店が占め、国内外の様々な物が取り揃えられている。
 その規模は、ハーランド第二の街と言ってもいいほど。
 エンドリアはハーランドの心臓だと言った学者がいる。エンドリアに物が集まり、そこからハーランド全土へと届けられていく。血液を送り出す心臓のごとく街、それがエンドリアだと。
 物が集まり、人が集い、生産が集まり、流れが生まれる。
 ハーランド北部を流れる2つの川、姉川と妹川。それが一つとなり海へと流れるその場所にある街。
 そして、この街を治める領主は、ブルーム・ロンバルト。
 ――文大臣・コーリウス・ロンバルトの弟にあたる。




「これは遊びだ」
 男は眼下の者たちに言った。
「遊びだと思え」
 その金色の瞳は曲線を描く。
 まるで、船を漕ぐ月を逆さにしたような色。
 だがその髪は焦がすほどの炎の色。
「絶対条件は1つ。こちらの素性を気取られぬ事」
 そう言い、男は一同を見渡した。
 その場に陣を構えるのは、すべて、黒。
 顔を覆う黒の頭巾と、足まで覆うローブ。
 異様な光景。
 だが男は口の端を歪める。
「存分に」
 力を示せ。
「行け」
 そう言って男はさっと手を振った。
 それに合わせるように、黒の一団は動いた。瞬く間にその場から消え失せる。
「若」
 残った数名の中、長身の男がスッと彼に歩み寄った。肉をそぎ落としたような顔の中、目だけが異様に大きく見えた。
 不細工な顔だ。だが赤毛の男は、その者が自分のために迷わず身命を賭す事を知っている。だから微笑みを見せてやるのだ。
「頼むぞ、盃」
 長身の男はひと時己の主を見、胸に手を当てた。「御意」
「第三から第七までの部隊はすでに待機」
「任せる。そちらの指揮は全権を託す」
 盃は今一度頷く。
「必ずや」
「ああ」
「若は?」
「俺はここの顛末を見届けて後に向かう」
「……到着をお待ちしております」
 その時までにすべてを整えて。
「盃」
 万事、必ずや。
「次は雄叫びの中で会おう」
「は」
 盃の目に何とも言えない色が宿った。だがそれも一瞬の事であった。
 あとは無言にて。
 主に背を向け、歩き出した。




 その脇に、走り来た者がいた。
 漆黒の衣。だがそれは、今しがたまでそこに集っていた者たちとは様相が違う。
「お前は若をお守りせよ」
「……」
 一瞬、答えぬ気配に異論の念が漂った。
「あの娘だ」
「……」
「若に何かあらば、わしの代わりに」
 殺せ。
「……は」
 その者が返事をするのは珍しい。思わずチラと振り返った。
「アズハ」
「……」
「頼むぞ」
 言い残し。
 盃は馬に乗った。




 ――合図は奴らのマネをしてやろう。
 金色の瞳は、別の側近にそう告げる。
「天笑いて、今ここに」
 時は来たれり。



  28


「見えたぞ」
 デュランが言うより早く、カーキッドはその輪郭を捉えていた。
 早朝に町を出立して、日が頂点に達した頃であった。
「思ったよりも早く着けそうだな」
 そう言い、カーキッドは息を吐いた。
 港町エンドリア。
 左に見えるのはハーランド北部最大の川、姉川。右にも直に妹川が流れ混んでくるのが目に留まるだろう。
 2つの川が合流する場所。
 たどり着いたのだ、ついにここに。
 ――また、ここに。
「橋が見えてくるはずだ」
 カーキッドが呟く。デュランが頷いた。
「お前、エンドリアに来た事があるのか?」
 一瞬カーキッドは黙った。デュランはその横顔をじっと見つめた。
「……少し、な」
 ポツリと呟く。
 デュランは思う事があったが、「検問だな」
「ああ」
「すんなり通してくれるか」
 問題は、教会による手配だ。それがあるかどうかが鍵。
 ――そもそもエンドリアの地形は複雑である。
 2つの川が合流している事により、まず出入り口は2つしかない。
 北と東。
 そして町は川によって囲まれている。橋を渡らなければならないが、その両端には検問所が敷かれている。
 それはこの街が、ハーランドの心臓とも言える場所だからである。
 人が集まり、物が集まる場所。それは時に、予期しえない物が集まる事も孕んでいる。特に貿易港としても栄えているエンドリアには、他国より規定外の物が持ち込まれるような事も少なくはない。
 以前、隣国よりある特殊な草が持ち込まれた事があった。香として積荷に紛れていたが、それは麻薬であった。流通する未然で回収し、持ち込んだ商人も捕え国に送り返された。麻薬は侮れない。それによって動乱が生まれ、滅びかけた国もある。
 船着き場の検査はもちろん、エンドリアは街の出入り口でも入念に物と人との出入りを管理している。だがかと言って、商いを規制しているわけではない。公平で安全な取引のためである。現実、商人はこぞってエンドリアを目指す。ここには物が溢れ、人がいつも溢れている。
 その絶妙なバランスを保っている場所。エンドリアの繁栄にはこの要所を任されている者の手腕が伺える。
「まぁ……もし万が一の時は仕方がねぇさ」
 そう言ってカーキッドはニヤリと笑った。逆にデュランは嫌な顔をした。
「待て。強行突破は賛同できんぞ?」
「じゃあ聞くが、もし検問で向こうから斬りかかってきたらどうする?」
 デュランは考え込んだ。
「……だが実際、教会の手配はどうなのだろうか?」
「あん?」
「ここまでの経緯からすると……どうも、表だっての手配はされていない気がする」
 確かに彼らは今まで、裏道を選ぶようにしてやってきた。
 だがそれも、本来ならば予測できる事。
 いかに教会施設が街道沿いにしかないとしても、その権威は国内全域に広まっているのだ。やろうと思えばいくらでも手配はできる。検問も掛けられるであろう。
 だがここまで、1度もそうしたものに捕まる事はなかった。
 枢機卿ドルターナに歯向かった事。それにより、必ず教会の手が動くと思っていたが。
「妙に……静かすぎる」
 自分たちを取り巻く環境が。
 杞憂か? とデュランも何度も思ってきたが。
 だが別の所で何かが大きく動いている気配はするのだ。
「静かと言えばこの道も」
 教会の動向を思慮するデュランに、カーキッドは少し楽しそうな声色で言った。
「平和そのものすぎやしないか?」
 言われ、デュランも顔を上げる。
 エンドリアまで一直線。荷台がすれ違う事できるくらいの幅の道である。舗装はされていないが、土は固く、多くの足によって慣らされてきたのがわかる。
 道になっている黒い土地の周囲に一面生えるのは、背の高い草。白い穂をつけているが、ススキではない。それが延々と広がり、時折風によってサワワとこすれて鳴いていた。
 空は水で溶かしたような薄い青。そこに泡になった雲がにじみ広がっていた。
 風以外、音もしない。絵に描いたような平穏な光景。
 それを見て、デュランは眉を寄せた。「確かに」
「エンドリアに続く道が……」
 これほど静かなのは、少しおかしい気がする。
 ――数刻後、2人は橋の手前の検問までたどり着いた。
 そこには半身鎧の兵士が2人いて、現れた2人をじっと見たが。
「旅の方ですか」
 特に何か咎めるでもなく。
 ……2人の杞憂を他所に、至って普通の問いかけをしただけであった。




「エンドリアには何用で?」
「共と待ち合わせがありまして。あと、船を探そうと思っております」
「渡航ですか」
「船はどうでしょうか? 北へ渡りたいのですが」
「定期船は今のところ滞りないですよ。この時期なら海も平和だ」
 ……番兵とのやり取りは、デュランが担当した。デュランによりカーキッドは、「何があっても口を挟むな」ときつくきつく言いつけられていた。
「しかし何やら、静かですな」
 何気なく、デュランは聞いた。
「もっと、出入りは混雑しているかと思っておりましたが」
 すると番兵の片方が首を傾げた。
「この2、3日、こういった様子です」
「ほう」
「先日雨で川が氾濫しましたので、南からの道が閉ざされているのが影響しているようです」
 兵士は気楽に笑った。
「念のために持ち物の確認をさせていただきたい。それと身分を証明できるような物はございますか」
 身分証明。これに2人は一瞬困ったが。
「私はデュラン・フランシスと申します。教会に籍を置いております。この者は……確か、ハーランドの傭兵隊長だったか?」
「……」
 カーキッドはピクリと眉を動かした。
「ほう、ハーランドの?」
「カーキッド・J・ソウル。ハーランドに使いを出していただいても結構」
「そうですか。かしこまりました」
 兵士はにこやかに笑った。
 荷物検査は1つ1つ、かなり綿密にされたが。それだけで2人は検問を通過する事ができた。
 ……橋に入るなり、カーキッドは「おい」とデュランを睨んだ。
「人に散々、偽名だ何だと言う癖に」
 なぜここでは、真実の素性を語ったのか。
 デュランはふっと微笑み、それから首をグルリと回した。
「少し、ハッタリをかけてみた」
「……わざとか」
「ああ。やはりどうも、手配は回っておらんようだ」
「もしも手配されてたらどうするつもりだったんだ?」
 カーキッドが呆れ顔で尋ねると、デュランは平然と答えた。
「その時はその時だ」
「……」
「それに、……ここの兵士には真実を話すべきだと思った。勘だがな」
「何だそりゃ」
「私の勘はよく当たるぞ」
 そう言いデュランは視線を川に落とす。水量は多いが、せせらぎは穏やかだ。
「まじない師に転職してもいい」
 冗談半分で言った言葉であったが、カーキッドの気配が少し変わった。
 それを感じ、デュランは川を見たまま呟いた。「あの時、」
「混乱の中聞きそびれてしまったが……お前、誰かの姿を見たと言っていたな」
「……」
「オヴェリア様がいなくなる直前に、誰かに予兆めいた事を言われたと。双頭の獣のいた場所でも同じ人物を見たと言っていたが」
 カーキッドは黙している。だがデュランには確信があった。
 出会った当初から、引っかかっている事がある。
(まじない師)
 先ほどの冗談半分、残った半分にも意味がある。
「知り合いだったのか?」
「……さあな」
 言われ、デュランは少しだけ寂しい気持ちになった。だがそれは表情には出さず「そうか」と答えた。
「私の過去は、」
「……」
「話せるような話では本来ない。私が犯した罪、そしてこの身に宿っている罪……いつぞ、罰を受ける日が来る。だがそれを、人に語るつもりなんぞなかった」
 悪魔に魂を売り払い、復讐のために生きている。
 デュランが犯した禁忌。
「ギル・ティモは、もう一人の私だ」
 カーキッドが少し鼻で笑った。
「一緒にならねぇだろ」
「似たようなものだろ」
「お前、化物づくりの趣味があるのか?」
 言われ、デュランは笑った。
「それは、反吐が出る」
「……」
「……」
 もうすぐ川を渡り切る。向こう側にも門番がいる。こちらは3人だ。待ち構えるように、兵士はカーキッドとデュランをじっと見ている。
 その後ろにあるのは巨大な門。今は開け放たれているが、門構えだけでも随分しっかりした物だ。
 門以外に張り巡らされているのは高い壁。ハーランドの街も壁で覆われていたが、それと同じくらいのしつらえである。
 大砲でも防げそうだなと思い、カーキッドは笑った。
 その笑みのついでに。
「……まじない師に、似てた」
 ハッとデュランはカーキッドを見た。彼は他ごとを考えているような顔をしていた。
「昔、会ったまじない師だ」
 デュランは思った。確かにカーキッドは出会った頃から、何かまじない師に思いがあるようだった。
「ギル・ティモではないのだな?」
「ああ。違う。ババァだ」
「……その人物に似てたのか」
「さあ」
「どっちだ」
「……俺も会ったのは随分前だから」
 その容姿を正確に思い出せはしない。
 だが言われた事だけははっきりと焼き付いている。
 ――川が、終わった。
 兵士が2人を受けいれるべく動いた。
 その瞬間だった。
 ……鐘が鳴ったのは。



 ゴーン、ゴーン、ゴーン……



 兵士は顔を上げた。
「……?」
 鐘は鳴り続けている。
 教会の施設があるのだろう、こんな大きい街ならばそれは不思議ではない。
 けれども問題は。
 ゴーン、ゴーン、ゴーン……
「何の鐘だ?」
 兵士の1人が他の兵士に尋ねた。
 ゆっくりと刻まれていくその音と、不審がる兵士の姿に。
 デュランはカッと目を見開いた。
「カーキッド、覚えているか?」
「何だ?」
 カーキッドも異変を感じた。だが、デュランが言おうとしている事にピンと来なかった。
「あの町で、教典に書かれていた鐘」
 ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン……
 鐘は響く。
 最終、鳴らされた数は14。
「10と4つの鐘の意味は何だった?」
 ようやく、彼が言わんとする事に気づく。「そんなもん覚えてねぇよ」と言いかけた時。
「あっ……」
 兵士の1人が声を上げた。
 その顔に、慌てカーキッドとデュランは視線の先を振り返る。
 彼が見ていたのは、川の向こう。つい今、2人が歩いてきたその道。
 向こう側にいた兵士が胸をそらすようにしていた。その体から赤い物が噴き出している。それが鎮まるとデク人形のように倒れて行き。
 奇声を上げ、こちらに向かって逃げ来んとしたもう一人の首も、瞬間横に吹っ飛んだ。
 繰り出された剣は、馬上にて。
 剣を構えた、黒い姿の戦士。
 川の向こう側を、その黒と茶色の馬がズラリと並んでいる。
「な、何だ」
 兵士が震えながら言うその最中、馬上の戦士の1人が剣を掲げた。
「来るぞ」
 カーキッドは前に出た。
 デュランも護符を取り出す。
「な、何だあれは」
「防ぎます、早く中に知らせを」
 兵士3人、雁首揃えて唖然としているその向こうで、馬の足が持ち上がる。
「早くッッ!!!!」
 デュランの怒号が、すべての合図になった。

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