『 白薔薇の剣 』

−最後の王女の騎士録−

 

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 第28章 『天笑来時』 −3− 

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 階段を段飛ばしにして駆け上がると、建物の隙間から十字架が見えた。
「見えた」
 デュランが呟く、カーキッドは先に階段を上り切り、その頭がスッと見えなくなった。
 湧き上がってくる息を何とか飲み込み、デュランも後を追いかける。彼の足では離されないようにするのでいっぱいだ。
 共に旅をするまでは彼も足に自信がないわけではなかったが、カーキッドとは比べ物にならない。
 走ってきた数と、場所が違いすぎるのか。
 どうにか最終段までたどり着いた時、キンと金属音が交差した。
 デュランは術の詠唱を始める。
 カーキッドの姿は見えなかったが、その音を頼りに建物の間を抜けた先にその背中を見つけた。
 術を解き放とうとしたその刹那、左手から剣を振り上げる腕があった。カーキッドでも黒頭巾でもない。彼が背にしたマントが大きく翻った。
 マントの主が剣を下ろす、鮮血が吹き上がったのとマントに描かれたその花が露わになるのは同時だった。
 ガーベラ。
 その花はロンバルト家の証。すなわち、それを抱く戦士は、ロンバルト家の騎士。
 ――エンドリア騎士団。
 その向こう、カーキッドの背中は動かぬ。デュランはさっと回り込むように走る。
 カーキッドの向こう側に、杖を突き出す魔術師の姿があった。
 デュランは魔術師目がけて術を放った。だが向こうの魔術師が放った光と入れ違いになる。
 カーキッドは、目がけてくる光を受ける気か。デュランは詠唱を省きもう一陣繰り出す。
「ディア・サンクトゥス!!」
 カーキッドは剣を肩に構え、膝を落とし反動から一閃した。
 いいや違う、彼が斬ったのは光ではない。それを横に潜り抜け、光の背後から襲い掛かってきた黒頭巾目がけて。
 斬った。だが斬られて尚も黒頭巾は坂手でカーキッドの背中に剣を突き立てんとした。
 その間髪、手首から剣は吹き飛ばされた。先ほどのエンドリアの騎士である。
 デュランは向こうに立つ魔術師目がけ、弓を打った。魔術師は音も立てず、地面に堕ちた。
「助かったぜ」
 エンドリアの騎士はカーキッドとデュランに頭を下げた。
「こちらこそ、助太刀感謝」
「それよりも、鐘でございます」
 やり取りを制し、デュランが騎士に駆け寄る。
「鐘付場に敵が紛れ込んでいる可能性がある」
「何?」
 騎士は目を丸くしたが、すぐに足を教会へと反転させた。カーキッドとデュランも後を追う。
 表から教会へ飛び込む。大聖堂が目に飛び込んでくる。ステンドグラスが七色の光で堂内を染め上げている。
 デュランの前を走るカーキッドの姿が、赤に変わり青に変わり、黄金に変わり。
 大聖堂の奥にある階段から上へと駆け上がる。
 二階から扉を開けると、回廊が続き、ただひたすらに走って行く。
 だが直に行き止まりに遭遇する。。
 騎士は戸惑った様子で辺りをグルグル見ていたが、デュランが代わりに叫んだ。
「こっちだ」
 来た道を一度戻り、見逃していた扉を見つける。そこからまた、走る。
「道がわかるのか!?」
 カーキッドに尋ねられ、デュランは答えた。
「知らん」
 ――また鐘が鳴り始めた。
 回廊を抜け、ガラス張りの部屋へ飛び込む。そこにまた階段があった。
 螺旋階段だ。
「恐らくこの先だ」
 デュランは足に限界を感じた。だから、
「行け」
 後ろのカーキッドにそう言った。
 瞬間、カーキッドはデュランの横を跳ぶように追い越して行った。羽でも生えているのかと思った。
 ――そしてデュランと騎士がたどり着いた時。
 そこにいた神父が、地に倒れ伏した。
 だがそれはカーキッドの剣によるものではなかった。
「自刃……ッ」
 自らで首を搔き斬った。その果ての結果であった。

  ◇

「一体何が起こっているというのだ」
 神父の屍を前に、騎士が愕然とした様子で呟く。
「タミナル殿ッ……!」
「黒頭巾の妙な奴らが入り込んでる」
 騎士に、カーキッドは剣をぶら下げたまま告げる。
「奴ら、ありゃ、兵士だ」
 デュランは倒れた司祭に寄り、そっと目を伏せた。
「剣の振り方、騎馬の兵士。きちんとした教えを受けている」
 数々の戦士と闘ってきたからわかる。
「指揮者への反応といい、傭兵やごろつきの類じゃない」
「お主らは……」
 改めて、デュランは男に名を名乗った。そして今までの経緯を簡単に告げた。
 カーキッドの名に、この騎士もやはり反応を示した。
「私の名はゼム・グリッド。エンドリア騎士団第一隊隊長」
 ゼムはカーキッドを見、少し笑った。
「カーキッド・J・ソウル。会えて嬉しい」
 その反応にカーキッドはやはり、煙たそうな顔をした。
「入り込んだ奴らはまだまだいるぞ。追いかけねぇと」
「追撃には騎士団、兵士団共に向かっている。必ず全員抑える」
 ――鐘付場から降り、大聖堂へ戻る。外へ出るとすぐに、ゼム指揮下の騎士が彼の元へと駆け寄った。
「隊長、ご無事で」
「うむ。首尾は?」
「現在団長の指揮の元、全軍郊外へ向かっております」
 ゼムは少し驚いた。
「団長が指揮に……?」
「は」
 うむ……とゼムはしばし考え込んだ。
「わかった。私も向かう。お前は残りの者への連絡を」
「ゼム殿、避難誘導はどうされるか?」
 全軍という言葉に引っかかり、デュランが尋ねた。「先ほど、港の兵士たちにはその旨伝えたが」
 兵士団長ゴートンの名を伝えると、ゼムは少し目を見開いた。
「そうか。ならばゴートン以下南部兵士団はこのまま市民の誘導を」
 一度区切り、それからゼムは続けた。
「避難先は一時、北のエンドリック周辺に。追って指示を出す。私は城へ向かう」
「は」
 騎士が去ると、ゼムはカーキッドとデュランを振り返った。
「人民の誘導に、城を解放できぬか伺いを立ててみる」
「それは有難き事」
「……それじゃ俺は、郊外に向かおう」
 言い、カーキッドは1歩踏み出した。その際、倒れている黒頭巾から剣を拾い上げ、持っていた物は捨てた。すでに使える状態ではなかった。
「いや……郊外は、団長が指揮をしている。2人には私と城へ願いたいが」
「あ?」
 途端、カーキッドは強烈に嫌そうな顔をした。
「そなたらは黒頭巾が現れたその時に立ち会っている。事の経緯を詳しく聞きたい」
「そんなもん話してる暇はない」
 苛立たしげにカーキッドは言ったが、ゼムは首を横に振った。
「来ていただきたい……共に」
「ゼム殿」
 デュランはゼムの目に有無を言わさぬ物を見た。
 恐らくこれはと、デュランは察した。
「出ているのですな?」
「……」
 カーキッドにはわからない。だがデュランは確信をした。
「城へ参ろう。この方を困らせてはならぬ」
「どういうこった」
「……カーキッドとデュラン、この名を持つ者が現れたら捕えよ。そう指示が出されておりますな?」
 カーキッドは目を剥いた。
 ゼムは否定をしなかった。
「エンドリアのため、奴らと戦ってくださったそなたらに、無碍な事はしたくない」
 剣を構えかけたカーキッドの腕を、デュランはそっと手で制した。
「わかりました。参りましょう」
 ――警笛が聞こえる。
 その中、2人は騎士の後ろに着き、音とは別の方向へと歩き出した。


  ◇


 城をどこから見たか、カーキッドは思い出した。
 教会からだ。その建物の向こうにすぐ、エンドリアの城は見えた。
 ――エンドリアという街は二層に分かれている。
 川と壁に囲まれた外側の層、その中にもう一層、高い壁で覆われている場所がある。
 その内にあるのがエンドリアの城。
 街の構造はどこかハーランドに似ている。決定的な違いは、港があるか否かであろう。
「私に入っている情報では、敵は2か所から攻めてきた」
 城への道すがら、ゼムは言った。
「東の門と、あとは海」
「海……?」
 デュランが会話に乗る。
「ああ。敵は海から現れた。船が占拠され、爆破された」
「船着き場に魔術師がおりました。ざっと見た限り、4人ほどか」
「魔術師か……そして謎の黒頭巾」
 このような事が、とゼムの言葉に苦渋が滲む。
「エンドリアが、このような事となるとは……」
「東側は、川向うの門兵がまずやられた。それから馬が一斉に橋を渡ってきた。迎撃したが堪えられず町への侵入を許した。面目ない」
「何も申されるか。いや、それは我らの油断」
「追いかけた黒頭巾は街中へなだれ込み、途中で別れた様子……一部は港へも向かったようだが、本陣は……」
「指揮はどのような者がしていた?」
「いや、一切わかりませぬ。頭巾で顔を隠していたゆえに。ただ、奴らの行動には鐘の合図があったように思えた」
「鐘か」
「あの鐘は……神父が鳴らしていたのであろうか」
 自刃した神父。
「ゼム殿はあの方と面識が?」
 尋ねると、ゼムは苦しそうに言った。「ああ」
「なぜ……」
 カーキッドは心底機嫌悪そうに、2人の後を歩く。
 2人の会話に彼は一瞬言おうか迷ったが、「あの神父、」と舌を打った。
「申し訳ございません、だってさ」
「何?」
「そう言って、首を斬りやがった」
「……」
 ――直に城にたどり着いた。ゼムの姿に、門はすぐに開かれた。
 そのまま回廊を抜け、中庭を抜け階段を上がる。
 上がってすぐの部屋、扉には巨大なガーベラの紋章が描かれていた。
「失礼いたします」
 中に入ると、広めの部屋に巨大なテーブルがあり、2人の男がいた。 
「ゼムか」
 その内の1人が言った。
 見るからに屈強そうな男であった。領主ロンバルトの側近・ジラルド。年は60。だが鍛え上げられたその肉体はそうは見えない。顔に彫り込まれた数々のしわが、一層、男を強者と証している。
 そして彼が傍らに立つ男が領主ブルーム・ロンバルト。
「報告でございます」
 ゼムは背を正し、声を高くした。
「敵本陣は郊外に向かった模様。団長以下騎士団が追撃に向かっております」
 ブルーム・ロンバルトは、文大臣コーリウスの弟である。
 カーキッドはコーリウスと直接話した事はない。だが遠目に見た事はあった。小柄な男という印象があった。
 だが目の前のブルームは小柄とは言えない。隣にいる男には劣るものの、こちらも鋭い目をした強者の様相であった。戦いを知っている顔つきである。
 目の前に揃った武者風の2人に、少しカーキッドは口の端を歪めた。
「その2人は?」
「この2人は、敵が入り込む経緯を見ている者。迎撃に加わってくださった方々です」
 ゼムは、先ほどデュランが話したこれまでの経緯を話して聞かせた。デュランは黙って聞いていた。
 そして話の締めくくりに、2人の名を告げた。
「カーキッド・J・ソウル殿と、デュラン・フランシス殿です」
 ロンバルト公と側近ジラルドはその名を予想していたように、ピタリとも視線を変えなかった。
「第一報はすでに受けている」
 ブルーム・ロンバルトが初めて口を開いた。
「エンドリア兵に先んじて、敵の迎撃に努めてくれたと。感謝する」
「いえ」
 デュランが胸に手を当て頭を垂れた。
「ロンバルト公。我らに特別の御用がある様子ですが。何でございましょうか?」
 デュランは涼しい目をしていた。だがその奥で、これから起こる事態を予想していた。投獄か、まさかこのまま処刑はあるまい。
 カーキッドも口元に笑みを蓄えている。いざとなれば抜く。その手はその瞬間を待っている。
 だが、ブルーム・ロンバルトは2人の警戒を他所に、尋ねた。
「そなたらは、姫様の共をしている者だな?」
 姫。その言葉に一瞬2人は呼吸を止めた。ブルーム・ロンバルトは正確に告げる。
「オヴェリア姫様だ」
「……は」
 デュランは短く答えた。
「姫様はいずこか」
 答えられぬ。
「主ら、姫様と共におったのであろう?」
 その目に、厳しい色が灯り始めた。
「オヴェリア様はどうした!?」
「……うるせぇよ、クソジジイ」
 カーキッドの言葉に、デュランはハッと振り返った。
「馬鹿者、口を慎め」
「見りゃわかるだろうが」
「ロンバルト公、申し訳ございません。……姫様とは、理由あって行動を別にしております」
 意図は何だ? デュランの脳が激しく動く。教会からの手配か? それとも。
 彼のその目に気づき、ブルーム・ロンバルトは嘆息を漏らした。
「我らはハーランドより伝達を受けた」
「ハーランドから?」
「……オヴェリア様と、それに従いし者達……カーキッド・J・ソウル、デュラン・フランシス、そしてマルコ・アールグレイ。この4人がエンドリアに着た際には直ちに我が口より警告を発せよと。内々に触れを出しておった」
「それは……」
 ブルーム・ロンバルトから次の言葉が発せられようとしたその時。
「伝令ッ!!!」
 扉の外より、叫び声が飛び来た。
「どうした」
 側近ジラルドが叫び返す。伝令はそれを待ち、転がるようにして部屋に入ってきた。
「こ、郊外より火の手がッ」
「何!?」
 ゼムが返す。
「黒頭巾の者たちによるものか!?」
「わかりません! 郊外の第13地区が全焼ッ、火の手が広がっております」
「追撃に向かった団長たちは!?」
「詳細不明です。行方がわかりません!!」
 ――エンドリアで何が起こっているのか。
「私が出る」
 言い放ち、ゼムは部屋を出て行った。
 それに続こうとするカーキッドとデュランを、ブルームが制する。「そなたらは待て」
「オヴェリア様の行方、何があったかここで詳細に示せ」
「……」
 カーキッドとデュランはじっとブルームを見た。
「ヴァロック・ウィル・ハーランド王よりの伝達だ……オヴェリア様を守れと。姫様はどこにおる? 一体何があった?」
 ――そこで、2人は正式に知る事となる。
 教会から、オヴェリアに異端審問の通達が来ている事。
 その身に危険が迫っている事を。

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