『 白薔薇の剣 』

−最後の王女の騎士録−

 

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 第29章 『狂うまで』 −1− 

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 ――私たちは戦って、戦って。
 狂うまで、戦い続ける。
 その先で私が、もうどうしようもないと思えるような状態になってしまったら。
 その時は迷わず、貫いて。
 ……竜を貫いたその剣ならば、私を貫くくらい簡単な事でしょう?




  29


 ――すべて話せ。
 エンドリア領主ブルーム・ロンバルトはそう言った。だがそれにデュランは正直戸惑った。
 何から話せばいいのか。あまりにも色々な事が起こりすぎている。
 まして、どこまで正直に話していいのかもわからない。
 ここで初めてデュランは気づく。これまでの旅路、どこで何が信じられたのかと。
 レイザラン領主は暗黒魔術によって獣に変えられていた。それを指示したのはフォルストの領主。彼は王の血族にありながら、この国を滅ぼすと言っていた。その行方はわからぬままだ。
 そしてデュランが仕えていた教会でさえ、教皇の側近たる枢機卿に不穏な動きがあった。暗黒魔術を操る魔導士を抱え、マルコに拷問の術をかけた。
 教会はオヴェリアを異端審問にかけようとしている。まして、先日人が消え失せた町では失踪を促すかのような教典が配られていた。
 彼らを導いた鐘の音が、この町でも打たれている。
 目の前の者は信じられるのか、信じる事ができるのか?
 ――人を信じる、簡単な事のようでいかに難しい事なのか。デュランは脂汗が滴るような思いだった。
 選択を誤れば、運命に響くかもしれない。
 しばしデュランは領主とその側近を見つめた。笑っているようだと形容されたその目が、今は鋭さだけを宿している。
 ……そして。
「かいつまんで申しましょう」
 デュランは決意した。
 いや、決意はこの町に入った時からもう決まっていたのかもしれない。思えばデュランは、最初から真実の名を名乗り続けた。もしも捕えられたとしても、それはそれで何らかの真実が見える物と思ってきたが。
「オヴェリア様の行方はわかりません」
「……なんと」
 そして真実の名が、自分たちをこの場所まで導いた。
 結果は何へと繋がる? すべてが賭けだ。
 ――デュランは語った。
 妹川を渡ってから起こり始めた人が消え失せる現象。一晩にして忽然と住民が消えた町。オヴェリアがそれを追ったであろう事、果てにあった人々の躯と異形の残骸。
「異形?」
 ブルーム・ロンバルトの側近ジラルドは眉間のしわを一層深めた。
「蟲か?」
「いえ違います。もっと巨大な物です」
 デュランはチラとカーキッドを見た。彼が話す様子はなかった。
「恐らく、それを倒したのは姫様」
「オヴェリア様が……」
「オヴェリア様はこれまで、数々の異形や人と立ち向かい、戦い続けてこられました」
 蟲、獣、竜。
 そして人。
 刺客、領主、騎士、魔導士。
 ……彼女の道のりは、戦いの旅路。
「アイザック・レン・カーネルの事は聞き及んでいる。ヴァロック王より手配も下った。血族も次々に嫌疑にかけられている」
 国を滅ぼそうとした者。
「その背後に陰があります」
 デュランは瞬きをせずに目の前の2人を見る。その眼力に、ブルームとジラルドは内心感嘆する。
 ブルームとジラルドは猛者として国でも名が通っている。その2人を相手に目で制する事ができる者は国内にそうはいない。
 それをデュランは今やっているのである。一介の神父にできる事ではない。
 豪胆。……そう思ったゆえに、ブルームはフッと笑った。
「カーネルの背後にいた者の正体は?」
「魔導士、ギル・ティモ」
「ギル・ティモ……」
「別名、八咫やた。ドルターナ卿は奴をバジリスタから招いたと言っておられたが、」
 八咫。思えばそれは、撰国の民が使うような名だ。
「バジリスタか」
 ブルームはしばし考え込んだ。
 その様子にデュランは一つ頷き、「ともかく、」と続けた。
「姫様の行方は不明。何者かに拉致された恐れもあります。我らは一縷の望みを託し、川に沿ってここまで参った次第」
 川の流れ。人の流れ。
 何もわからぬ。だが流れは確かにここに集約してきている。
「伝令ッ!!!」
 再び声が走った。ブルームは立ち上がった。
「ついて参れ」
 ジラルドが続く。カーキッドとデュランもそれに続いて歩き出した。
「何事だ」
 部屋の外にいた伝令の兵士は、出てきた領主の姿に一瞬動揺した。
「火災が第14地区にまで燃え広がっております」
「兵は?」
「人民の誘導と、港の火災で人手が足りません」
「ソルディク騎士団長はどうした?」
 ジラルドが叫ぶ。
「消息が追えません。団長以下第2から第10までの騎士団も現在不明。消火の陣頭指揮にゼム第1隊長以下第1隊、および11から15までの騎士団が駆け回っておられます」
「殿下、私どもが参ります」
 デュランが申し出た。だがそれをブルームは歩を止め制する。
「そなたらはここに留まれ」
 ――ブルームが向かったのは、物見の塔であった。領主の姿に、兵士がピッと姿を正す。
 そこからは城下が見えた。上から見るとエンドリアの広さと、高い建物が多いのがよくわかる。
「……中央区まで及ぶな」
 眼下に、灰色の煙が立ち上っている場所がある。あそこが郊外かとカーキッドとデュランも注視する。
「ゼム隊長から、市民の避難場所に城の解放の要請が出ております。現在は北のエンドリック周辺に待機させておりますが」
「……」
 兵士の言葉に、ブルームは黙った。
「どうされますか殿下」
「……どう思う?」
 ブルームが聞いたのは、デュラン・フランシスだった。
「……」
 デュランは正直驚いた。重なった瞳に、強い光を見る。
 デュランはもう一度、煙の城下を見下ろした。そして、
「……町を見に行きたいと存じます」
 そう言った。
 それに答えたのはジラルドだった。
「ならぬ。そなたらは、王よりの客人だ」
「――」
「王はオヴェリア様とその仲間の安否を気にしている。立ち寄る事があらば必ず保護せよとの仰せだ。そなたらの身に危害が及べば王の意に背く事になる」
「文には竜殺しの使命も、白紙にすると書かれていた」
 カーキッドが顔を上げた。
「アイザック・レン・カーネルの事と言い、何やらこの国で良からぬ事が起ころうとしている。オヴェリア様はその渦中にいる」
 アイザックを止め、枢機卿に剣を向けた。
 教会からの手配、そして今現在起こっている行方不明の諸事。
 すべての発端は、彼女が白薔薇の剣を手に入れてから。竜討伐の旅に出てから。
「オヴェリア様捜索も、我らがと言いたい所だが」
 そう言ってブルーム・ロンバルトは苦笑を浮かべた。
「先にエンドリアの混乱を鎮めねばならぬ」
「あの黒頭巾の目的は一体……」
 スッと、カーキッドが背を向けた。デュランが振り返ったが、彼は構わずエンドリアの風景に背を向け歩き出した。
「どこへ行く」
「人手がいるんだろ?」
「カーキッド・J・ソウル。行かずともよいと申しておる。これ以上危険に巻き込むわけにはいかん」
 ジラルドの言葉にカーキッドは鼻で笑った。
「今更何が危険だ」
「――」
 不遜なその態度にデュランも苦笑し、改め言った。
「私も参ります」
「だが、」
「姫様がここにいたら、迷いなく跳んで行かれます」
「……」
「オヴェリア・リザ・ハーランド。私共が知っているその方は、自分の安全のために城にこもっている方ではございません。困っている者があるならば、火の中だろうと跳び込む方。共をする我々が、のうのうとここにおるわけにはいきません」
 恐らくここにいる誰も、オヴェリアの本当の姿を知らぬ。だがカーキッドとデュランはその姿を見てきた。
 共に戦ってきた。ここにおらぬとて、それは同じ。
 今この瞬間もきっとオヴェリアはどこかで戦っている。それなのに共をする2人がじっとしているわけにはいかない。
「敵の意図がわからぬ。注意せよ」
 ブルームはそう言った。
 それにカーキッドが初めて答えた。
「戦場でしか見えない物もある」
「城の解放は、しばし待たれた方がよいかと存じます」
 去り際、デュランが言った。
 ブルームは頷いた。やはりか、と言った顔だった。
「どこに敵が紛れ込んでいるかわかりません」
 他の者にもわかるように続けて答え、その言葉の奥にもう1つ意味を濁す。
 だから、街へ降りて見極めてまいりたいのです、と。


  ◇


 城下は錯綜していた。
 先ほどとはまた別種。黒頭巾を追っていた時、人々は茫然と何が起こっているかわからぬ様子で立ち尽くしていたが、今は目に見えてわかる危険が人々を混乱に駆り立てている。
 警笛が、けたたましく響き渡っている。
「避難地区は確かエンドリックだったな」
 確認し、デュランが声を上げた。
「動ける者は北へ!! エンドリックへ!! 兵士の誘導に従えッ!!」
 そして走り出す。
「北だッ!!」
 カーキッドはデュランの後ろを走りながら周囲を警戒して見回す。
 ――よもや、民衆の中にオヴェリアはおらぬか?
 注視する。
(どこにどんな姿でいようと、必ず見つける)
 無意識に、カーキッドはそう思う。
 そう思ってからふと彼は、目を伏せた。
(3年か……)
 初めてエンドリアに着てから。
 エンドリアに訪れたのは、墓場へ向かうためだった。
 一つの決意があった。だからそこに訪れた。
 だが彼は結局……捨て去る事が出来なかった。
 未だ剣を握ってる、戦い続けてる。
 ――お前の生涯は、剣に生き、剣によって生かされる。かつてまじない師は彼にそう言った。
 カーキッドは前を走るデュランの背を見た。デュランは声を張り上げ、避難を促している。
「デュラン」
 カーキッドはその背に向かって言った。だがデュランは気づかなかった。
 もう一度名を呼ぼうとした時。視界の端に彼は違和感を感じた。
 何を感じたか、すぐにわかった。視線だった。
 カーキッドは足を止めた。その顔には驚愕が張り付いていた。
 ――じっと、その者はこちらを見ていた。顔もはっきり見て取れる。その顔に記憶にあるかと言われれば、わからない。
 だがカーキッドの感覚が告げていた。
 その人物がまとうその空気を。それだけは、ずっと。
「どうした?」
 デュランが気づき、振り返った。
「あんたは……」
 ――覚えていた。
 カーキッドの声は、いつになく震えていた。
 彼が見るその方向、建物の間に。
 ……長いローブを見にまとった、老女が1人、立っていた。

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