『 白薔薇の剣 』

−最後の王女の騎士録−

 

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 第29章 『狂うまで』 −2− 

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 喉が詰まる。
 街中にはもう、煙が立ち込め始めている。デュランはこみ上げる咳を抑え、その者を見た。
 老女である。
 道の端、崩れた荷材の脇に彼女はポツンと立っている。
 ……街並みは混乱によって崩れている。エンドリアは豊かで美しい街だった。前に来た時デュランは正直に感動を覚えたものだった。だが今は見る影もなく荒れている。
 その中に老女は慌てた様子もなく立っていて、むしろ静かに笑みをたたえてさえいた。
 薄い透けるような目だった。
 カーキッドも固まったように動かず、彼女をじっと見ている。
「あなたは……」
 たまらず、デュランが口を開いた。
「ここは危険です。早く避難を」
 そう言ったが老女は微笑んだままチラとデュランを見て、視線をカーキッドに戻した。
 笑みは深く。
 視線は柔く。
 だが沈黙に、デュランは恐ろしさを感じた。
「あんた、」
 カーキッドの声は掠れていた。
「何でここに……」
 メキメキとどこかで何かが崩れる音がした。デュランは慌てて周囲を見渡した。
 ここは危険だ。
 だが2人は動かない。
「この前、あの町にいたな」
 老女は変わらず、微笑み続けている。
「あれは……どういう意味だ」
 瞬きもせず、カーキッドを見つめ続けている。
「何でわかった? あの町の人々が消える事」
 目の前の女性、本当に生きているのか? とデュランは思った。むしろその微笑みは。
「俺が踏ん張らなきゃ消えるって、」
 そしてデュランにはわかった。カーキッドが恐れていると。
 鬼神のごとき剣を振うこの男が。
 今、たった1人の老女に。
「大事なもんが消えるって……どういう事だ」
 恐怖していると。




「カーキッド様、デュラン様ッ!!」




 不意に呼びかけられ、2人は同時に声の方を見た。
 見た顔だった。港で会った兵士の1人、兵士隊長ゴートンだ。
「ゼム隊長からの伝達です。騎士団が見つかったとの事。騎士団長の命令により、市民を城に誘導せよとの事です」
「城に?」
 それは、とデュランは問い返す。
「ロンバルト公の許可は出ているのか?」
「え?」
 兵士隊長ゴートンは至極不思議そうな顔をした。「いえ、それは」
「ですがすでに騎士団長の命により、誘導が始まっています。先に避難していた者たちも、兵団護衛の下城に向かっております」
 ゴートンは2人に、市民誘導の護衛に協力して欲しいと願い出たが。
 デュランは怪訝に顔をしかめた。
「城の解放はしばし待つと……」
 先ほどロンバルト公と示し合わせたばかりだった。
 嫌な予感がした。
「いねぇ」
 カーキッドの言葉に振り返ると、老女は姿を消していた。一瞬の事だった。
「……城へ向かおう」
 デュランはゴートンに向き直る。
「すまぬが、我らは一度城へ向かう。その後そちらに合流する」
「了解いたしました」
 デュランは眉間に指を当てた。
「なぜ……?」
 ともかく戻ろう、そう言ってデュランは走り出した。
 カーキッドも走りはしたが、その視線はどこか虚空を眺めていた。



 城門の前には、すでに民衆が群がっていた。
「中に入れてくれッ!!」
 閉ざされた門の前に立つ兵士に、人々が詰め寄っている。
「開けてくれッ!!」
 これは、とデュランも息を?む。
 2人の姿を見止めた兵士が、助けを求めるように声を上げた。
「門は開けられぬッ! エンドリックへ避難してくれ」
 仕方なく、デュランは一歩前に出て人々に説明を始めた。
「城は開けられぬ!! ここには避難はできぬ!!」
 なぜだ!? 民を守るのが領主の勤めだろうと、人々はがなり立て。
 デュランの胸倉に掴みかかる者も現れた。
「うるっせぇ!! ここは開けられねぇと言ってるだろうがッ!!」
 関わりたくなかったが、仕方なくカーキッドも前に出た。
 民衆と言い合う2人の元に兵士が現れ、困惑の様子で門と彼らを見る。
「しかしッ、騎士団長の命令だぞ!?」
「貴様ら退け。騎士団長の命令が出ているのだッ、さっさと門を開けろ」
 おかしい。デュランはひどく違和感を感じた。
 だがその思考の途中で、デュランは人々に無理矢理押し退けられ、城壁に肩から打ち付けられた。
 その間に門へと人は押し寄せる。門番もデュランと同様に押しのけられ、残るは厚い壁のみ。それを強引に、人々は開けようと試みる。
「騎士団長の命令だッ!! 門を開けろッ!!」
 ロンバルト公は知っているのか?
 ――鐘を鳴らしたのは、神父なのだ。それも騎士団の隊長は神父の事を知っていた。突然現れた者ではないという事。
 その鐘によってあの黒頭巾が動いているとしたならば、
 内部に、敵が潜んでいる可能性がある。
「どうされた!?」
 デュランの元へゼム・グリッド騎士隊長が駆け寄った。
「中に入れてはならん」
 デュランはゼムに訴えた。カーキッドは脇へ避け、事の成り行きを見ている。
「カーキッド、止めろ」
「門を開けよ――!!!」
 その時一際高く避けんだ男がいた。
「ソルディック団長」
 カーキッドとデュランが振り返ったその先に、人の中に一段高い男がいた。
退け」
 男は人々を押しやると、門の前に立ち、
「エンドリア騎士団団長ソルディックである。門を開けよ」
 そう叫んだ。
 ソルディックの言葉に、慌てて兵士たちは反応し、門がギィと開け始められたが。
 ――馬の嘶きがした。
 カーキッドが反応した。デュランはまだ動けずにいる。
「黒頭巾だ」
 門が開く、カーキッドは剣を抜く。人々は何かを叫ぶ、そして馬は鞭を入れられ。
 待つ人々など眼中にないように。
 開く扉目がけて、一斉に突進を始める。
「退け――――ッッッ!!!!!!」
 カーキッドの渾身の叫びに、人々は凍り付く。
 それを片っ端から横へと蹴り飛ばし、いよいよ肩口に剣を構える。
 馬上の戦士は剣を横に構え、吸い込まれるようにやってくる。
「門を閉じろッッ!!」
 だがもう遅い。門は開けられてしまった。
 人々がなだれ込んでいく。そして一番最初に場内に入った男が、門兵を次々に斬った。
 それは騎士団長、ソルディックであった。
 ゼムはその光景に唖然とする。だがそれよりも。
 馬が飛び込んで行く。カーキッドが先頭の戦士の剣をかわし、馬に一閃を入れる。
 だが数が多すぎる。その怒涛の勢いに、鬼神と呼ばれた男も脇へと逃げた。
 まして、剣を振り回すには人が多すぎる。
「突撃――ッ!!!」
 そしてその馬の後ろを、ガーベラを背中に抱いた騎士が追いかけるように駆け込んで行った。
 だが問題は。
「狙うはロンバルトの首だ――ッッ!!!」
 騎士団長ソルディックの叫び声が聞こえた事。
 人々は茫然と、成り行きを見るしかない。
「こ、これは」
 ゼムもデュランも、その例外ではない。
「ソ、ソルディック隊長が」
 デュランはゼムの肩をガシリと掴んだ。
「黒頭巾が場内に入った。先導したのは、騎士団長ソルディックだな」
「――」
 ゼムは、震える瞳でデュランを見る。だが震えも許さぬほど、デュランは強く強くその肩を握りしめた。
「後ろに続く兵士はッ!? エンドリアの騎士かッ」
 カーキッドが駆け出した。
「これは、まさか……」
 ゼムは首を横に振る。事態が飲み込めぬ。だが現実に目の前で起こった事がある。
 ソルディックは騎士を先導している。
 街を襲った黒頭巾も誘導した。
 そして先ほどの雄叫びは。
「謀反だ」
「――」
「ロンバルト公の身が危ないッ!!!!!」
 全速力で、カーキッドは城門を潜り抜けた。




 城で、何が起こっているのか兵士にはよくわからなかった。
 ただ、剣を向けられた。斬りかかってきたのは、身内の騎士団だった。
「なッ」
 わけもわからぬうちに斬られ、絶命して行く。
 指揮系統も崩れている。
「ロンバルトは上だ」
 ただ、本来あるべき騎士団の長が、ひたすら叫んでいる。
 なぜ主君を呼び捨てにしているのか、兵士は困惑する。そのうちにまた仲間の兵が現れ、迷う間もなく斬られていく。
 相手が剣を抜いていようと抜いていまいと。
 そこに姿を見つけただけで。
 騎士は、兵士を、問答無用で。
「一兵たりとも逃すな――」
 その指示の元に、悲鳴を上げる暇も与えぬ。
 ソルディック騎士団長は、まっすぐに執務室を目指した。
 おらぬならば、謁見の間。
 そこもおらぬ、私室を目指せ。
「第二隊は物見塔を上がれ、第三、第四隊は北塔へ」
 的確に、指示を与えて行く。
いとまを与えるな」
 その目の色には明らかな狂気が浮かんでいた。
「発見しましたッ!!」
 伝令が駆けてきたのは間もなくだった。
「ロンバルト、ジラルドと騎士数名、中庭にて発見」
「すぐ行く」
 ――果たして、確かにそこにエンドリア領主ブルーム・ロンバルトと、側近ジラルドはいた。
 2人を守るように騎士が数名いる。だが数は、取り囲む軍勢が明らかに有利。
「殺せッ」
 ソルディックは叫んだ。
 その声に反応し、騎士たちは一斉にブルーム目がけて襲い掛かった。
「ぐあッ!!」
「貴様らッ」
 怒号が飛び交う、剣劇は残劇と同義。
 剣と剣が絡む。だが、数が違いすぎる。剣を交差した瞬間、後ろから斬られる。ソルディックが指揮する騎士たちは完全鎧、それに対しブルーム護衛の騎士は軽装であった。
 いかに腕が立っても、完全鎧の前にあまりにも無力。
 そして、気合が違いすぎる。決意を固めているのと固めていないのとでは、戦いの中で生まれる力に圧倒的な差が生じる。
 次々と倒れていく騎士たちを前に。
 ジラルドが動いた。
 彼も軽装である。だが、ジラルド・ロックスター。彼はかつてこのエンドリアで一番の使い手と言われた男である。
「わしが相手をする」
 前騎士団長。
「名声が欲しい物は、かかってこい」
 顔に彫り込まれた幾重のしわ。見えぬその体には、幾重もの切り傷があった。
 ブルームも剣を抜いた。護衛の騎士は僅か。もう、ここまでだ。
 ならば最後は剣にて果てよう。
 ――エンドリアを支えてきた2人の猛者が剣を抜いた。その姿にソルディックは笑みを浮かべた。いかにあの2人とて、ここが最期だ。
「斬れ」
 全員が一斉に踏み込む。
 だがその瞬間。
「ディア・サンクトゥスッ!!!」
 彼方より炎が押し寄せた。
「ラウナ・サンクトゥス、ラウナ・サンクトゥス」
 術者がいる。詠唱が聞こえる。させはせぬとソルディックがそちらに向かって駆け出そうとしたその刹那。
 騎士団長の腕は、勝手に反応した。
 上からの一閃だった。頭ではわからなかった。ただ歴戦の腕が、迫った風に盾の動きを成した。
 だがそれでは、受けは弱い。
 膝から沈む。
 受けた剣の向こうに、2つの目を見た。
 黒髪と、光る眼光。
 猛獣のような目。
 一撃成しただけでもう、ソルディックの全身は総毛立った。
 剣の主はソルディックを追撃せず、そのままブルームとジラルドの援護に向かう。
「ミリタリア・タセ・エリトモラディーヌ!!」
 閃光。誰もが振り返る。その先に、炎の鳥が舞い踊った。
 一直線にそれが襲い掛かる。カーキッドはその機に乗じ、完全鎧の騎士に向かって斬りかかる。
 鎧の戦士とも幾度も剣を交えた。どこをつけば良いかなど、考えるまでもない。
 関節という関節、首筋の縫い目。
 腕を斬り落とし、鎧に剣を滑らし火花を散らせる。
 摩擦の熱と、飛んできた火の鳥の炎を剣に乗せて。
 そのまま一気に、腰から斬り裂く。
 ……次、そして次と、完全鎧の騎士たちが崩れて行く。
 だがまだだ。カーキッドの勢いは止まらぬ。
 ブルームの盾になっていたジラルドに振り下ろされようとしていた剣を、斜めから剣を叩き付け割り飛ばす。
 そこでカーキッドが持っていた剣も折れる。だが、剣の替えなどゴロゴロしている。
 鬼神か、とソルディックは思った。一瞬前まで追い込んでいたのに、今はもう。
「ディア・サンクトゥス!!」
 完全に、追い込まれている。
 ブルームとジラルドに詰め寄っていた騎士はすべて斬った。
 残るは、ソルディックとその近衛のみ。
 ……カーキッドは折れたままの剣を構え、ニヤリと笑った。
 ソルディックは鎧兜を捨てた。本気の戦いに、面は邪魔になる。
 その間に、彼の近衛の1人は首に剣を突き刺された。折れて平打ちになった剣を、そのまま突き刺す。
 カーキッドの得物はなくなったと思ったもう1人の騎士が、その瞬間を狙って頭上から斬りかかったが。
 もうカーキッドは、斬ったばかりの騎士の腕から剣を奪い取っていた。
 横からの一閃。当たったのは鎧だ。だがカーキッドの振りは並の力ではない。鎧がかえって仇となるほど、衝撃により騎士は吹っ飛んだ。その末は剣を使わず足だけで、首の骨をへし折る。
 残りはソルディック。
 すでにこうなる事を予期していた彼は、もう、剣を構えていた。
 剣気。
 ……それを察し、カーキッドも斜めに剣を構え直す。
 時が止まったかのような、恐るべき沈黙。
 その末、ソルディックは奇声と共にカーキッド目がけて一歩踏み込んだ。
 目の前で剣が一度重なる。目と目、そこにも刃が交差する。獣のような二つの目。
 カーキッドは一瞬驚いたような顔をした。その瞬間、ソルディックは好機と見て踏み込んだ。
 だがそれは、あまりにも甘い判断。
 ソルディックはカーキッドから目を離さなかった。その視界の外でカーキッドの恐るべき瞬速の剣が舞い、自身の腕が斬られても。そのまま腰をがれ口から血を吹いても。
 命の炎が消えるその瞬間まで。
 彼はじっとカーキッドを見ていた。

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