『 白薔薇の剣 』
−最後の王女の騎士録−
第29章 狂うまで −3−
騎士団長ソルディックが倒れた。
ブルームとジラルドは剣を下ろしたが、すぐさま傍にデュランが駆け寄った。
「まだです。黒頭巾も侵入したはず」
遅れてやってきたゼムも警戒しながら、騎士団長を無念の様子で見降ろした。
「なぜ……」
そしてカーキッドは膝をつき、ソルディックの口元に顔を寄せた。
「どうした」
デュランが尋ねる。
だがそれには答えず、カーキッドは他の騎士の屍も覗き込んで行く。
その様子を他の4人はじっと見ていたが、
「臭う」
最終、カーキッドはそう言って立ち上がった。
「ボウ草だ」
「――」
瞬間、4人の顔色が変わった。
「まさか、麻薬か?」
「ああ。鎧の連中全員から臭う。特にこいつ」
と、騎士団長ソルディックを指した。
「この国は騎士に薬をやらせるのか?」
戦場で、士気を高めるために極秘に使われる事はある。正常ではいられぬ場所で、正気をなくして戦わせるためだ。
だがジラルドは憤慨した様子で怒鳴った。
「馬鹿なッ!! 麻薬などッ!!」
無礼な、と言い捨て今にもカーキッドに襲い掛からんばかりのジラルドを抑え、ブルーム・ロンバルトは声を抑えて言った。
「確かなのか」
「ああ。この特有の甘い臭い。間違いない」
「ソルディック……」
ブルームは首を横に振った。
「持ち込まれていたのか」
ボウ草という草は他国で採れる。気候に特殊な条件が必要な草なのである。
そして麻薬の入国は、絶対禁止。
ハーランド国民が持ち込んだ場合は極刑となす。他国民の場合、見つけ次第物と一緒に送り返す事が厳守とされている。
「入国審査は厳重にしてきたつもりであったが……よもや、騎士が手を出すなど……」
ゼムも愕然としている。そこに、ジラルドが問い詰めた。
「何か聞き及んでおらんか」
「……」
「答えよ、ゼム・グリッド!!」
無念の表情。ゼムの頬に力がこもった。
「……草の噂は、ありました」
「何!?」
「押収品の数が足りぬとか……騎士たちが……」
「ゼム!!」
ゼム・グリッド騎士隊長は、申し訳ありませんと詫びて白状をした。
「騎士たちの間で草が回っていると、聞いておりました。……団長が回していると。第一隊でも数人手を染めております。私は誘われましたが断りました。咎められなかった。……申し訳ありません」
――愕然。
ブルーム・ロンバルト、そして側近のジラルドは。その場に凍り付いたように動けなくなった。
「騎士が草に手を染めておったか」
これはしたりだ、とブルームは笑った。
「兄上にもはや、顔向けできんな」
「ロンバルト公、」
――ボウ草の生産地、輸出量最大の国は、撰国である。
「とにかく、兵を立て直さねばなりますまい。どれほどの兵士が残っているのか」
責任を取って今にも自害しそうなブルームを励ますように、デュランは言った。
「ジラルド殿、指揮を」
「……む」
「黒頭巾を追わねばならない。奴らがどこへ行ったのか」
――結局。その後城内に黒頭巾の姿を見つける事はできなかった。入り込んだ者たちは、すでに外に出た様子だった。
これも奇異。
「一体……」
デュランは腕を組み、考え込んだ。
「黒頭巾と騎士団長ソルディックは繋がっていた……ソルディックにロンバルト公を殺させる計画か」
「やはり狙いはエンドリアか」
広いテーブルが置かれた会議室に、カーキッドとデュラン、そしてブルームとジラルドは場所を移した。ゼムは残る騎士団・兵団を全集合させるべく市街へと走って行った。
「この街の占拠」
「……何とした事か」
皮肉、と領主が笑う。
この街の占拠が何を意味するのか。ここはハーランド第二の街。心臓とも呼ばれる場所である。
――すなわち、潰さばハーランドに打撃は直結する。
領主はブルーム・ロンバルト。文大臣コーリウス・ロンバルトの弟。
――ハーランド国を取り仕切る大臣の身内に楯突くという事。
それが、何を意味して行くのか。
「大した度胸だ」
加えて、ブルームとジラルドは、この国で名が通る勇将の猛者たち。
20年前の国境での紛争で、彼らもまた活躍したうちの2人なのである。
「現状をまとめましょう」
デュランが言った。
「街には黒頭巾の者たちが潜んでいる。奴らの正体は不明。遺体を検分しましたが、身分の分かる物は何一つ出てこなかった」
髪の色も茶や金。どちらもハーランドの民によくある色で。
――隣国の民も、同じ髪を持っている。
「奴らと騎士団長ソルディックは繋がっていた。……黒頭巾に合図をしたと思われる鐘を鳴らしたのも、この街の神父だった」
「内通者がおるか」
結論は避ける。事実だけをデュランは続ける。
「火災は郊外から始まり、兵士団のおかげで広場の手前で止まった様子。港の火災はまだ収まってはおりませんが、兵士団が完全封鎖をしております」
この状態で。
「兵力は?」
「残存は……ゼム騎士隊長率いる第一隊と、市中の兵団。騎士団は全体のおよそ3分の1」
相手がただの盗賊の類ならば、それだけいれば制圧は充分。
だが。
「黒頭巾の兵力」
カーキッドが少し面白そうに答えた。
「あれは、かなりの訓練を受けてるぜ?」
「……残りの騎士の行方も気になります」
「殿下、近隣に援軍を要請しますか?」
その時ゼムが戻ってきた。
「住民の避難完了しました」
それを聞き、ブルームは大きなため息を吐いた。
そして、
「民の避難を優先する。北側より外へ移送。南の領主ファルコへ文を書く、受け入れを願おう。……すべての民が出たのを確認し、その後、橋を壊せ」
ジラルドがハッと主を見た。だがブルームは構わず続けた。
「北・西、両側の橋を完全に取り壊せ。港の炎は市街に広がらぬようにそのままを維持」
「それは、」
全員がエンドリア領主、ブルーム・ロンバルトを見た。
「援軍は頼まん。これまでの奴らの動きからして、とても間に合わん」
ならば。
「エンドリアを封鎖する。猫の子一匹、外には出さぬ。何者かは知らぬ、だがこの中ですべて決着 をつけてくれる」
敵も味方も全部ここに閉じ込めて。
ここで終わらせる。
「ゼム、市街指揮を託す。総指揮はジラルド。全軍に伝えよ、エンドリア兵の意地を見せよ。エンドリアで起こった事はすべて、ここで始末するぞ」
ゼムとジラルドが飛び出す。
カーキッドは領主を見て、ニヤリと笑った。
「巻き込んですまぬ」
ブルームは2人に詫びた。
「巻き込んだのはこちらかもしれません」
デュランが言った。それにブルームは首を横に振った。
「違う。それはきっと、違う」
「……」
「どっちでもいいさ」
と、カーキッドは言った。
「我ら微力ながら、加勢いたします」
ブルーム・ロンバルトはしばし2人の男を見上げたが。
「……助かる」
そう言って深く深く頭を下げた。
◇
馬が駆け来る。
「伝令」
「どうした」
空の色を見ていればわかる。
「城内に押し入ったソルディック騎士団長以下エンドリア騎士団、殲滅。街に放った火も鎮火の模様」
フンと、鼻を鳴らす。使えぬなと、赤髪の男は冷淡な声で囁く。
続けざまにまた1人、駆け寄る黒頭巾があった。
「エンドリアの民衆が外へ出されてます。そして、橋が壊されている様子」
「橋を?」
ほう? と赤髪の男は金の目を剥いた。
「この街を封鎖するつもりか」
「若、今のうちにお逃げください」
側近に言われ赤髪は、だが高らかに笑って見せた。
「なぜ逃げる? 面白くなってきたではないか?」
「しかしながら、」
「……そうか……さすがエンドリア。領主ブルーム・ロンバルト。中々だ。先の抗争で叔父上率いる群を破っただけはある」
「もう一つ報告があります」
黒頭巾の兵は頭巾を少し上げ、目元を露わにした。
「エンドリア兵の中に外部の者が混じっております」
「外部?」
「黒髪の戦士と、術者です。同朋が何人かやられております。ロンバルトの首が取れる今一歩で妨害したのもこの2人」
「黒髪の戦士……? 名は?」
「いえ、そこまでは」
そうか、そうかと赤髪は舌なめずりをした。
「ここに追って参ったか……」
「若」
赤髪は立ち上がった。
「出来れば内々に潰しておきたかったが……これもやはり、あの娘を拾い来た定めか」
周囲に集うすべての兵士が、主の顔にゾクリとした。
「仕方がない。ここを狼煙 としよう」
「若、いかに」
「小僧、姫を旗にさせてもらうぞ?」
振り返るとそこに。
地べたに抑えつけられた少年の姿があった。
「何をッ……」
両手縛られ、その額と口からは赤い物が流れている。全身が、蹴られ殴られ傷だらけだ。
「姫様にッ、手を出すな……ッ!」
赤髪はニヤリと笑った。
「磔の用意だ。急げ」
ズファイ・オーランド・バジリスタ。
ここに高らかに、叫び声を上げる。
「オヴェリア姫を磔 にせよ!!!」
――数分後、城に伝令が届く。
兵士団長ゴートンである。彼は血相を変えて城に転がり込んできた。
「で、伝令ッ」
その血相にカーキッドとデュランも驚いたが。
本当に、驚くのはその後であった。
「第14地区に、黒頭巾の兵団が出没」
「チ、来たか」
無論カーキッドは喜色満面だったが。
「その黒頭巾が……女性を掲げています」
「――」
「十字の柱にッ、女性が磔 られてッ」
「人質かッ」
――嫌な予感が、2人の脳裏をかすめた。
「どんな女だッ」
カーキッドはゴートンの胸倉を掴んだ。
ゴートンは震えながら首を振った。
「遠目に見ただけでわからぬ。長い髪の……白い衣をまとっていた。まるでどこかの姫のような」
「姫」
「奴らは女を掲げ、……腕を縛られた少年が、姫を離せと叫んで」
――当たりだ。カーキッドは走り出した。デュランも即座に追いかける。
「まさか」
2人のその姿に、ブルームとジラルドも絶句する。
第14地区。焼け野原。
火が治まったばかりの場所。まだ煙がくすぶっている。
そこに、楔 のように打ち付けられている1本の木。
白い衣がふわりと舞った。
頭は垂れている。髪もほどかれている。顔ははっきりとはわからない。
だが、縛り付けられているその腰元には、剣がぶら下がっていた。
「オヴェリア……ッ」
建物の陰からそれを見、カーキッドは絶句した。
オヴェリアだ。あれは、間違いない。
――心臓が、逆流するようだった。
鼓動が激しく上下する。
頭が、真っ白になっていく感触は。
まるで狂っていくようだと、カーキッドは思った。