『 白薔薇の剣 』

−最後の王女の騎士録−

 

目次    次へ

 第30章  「剣を立てろ」 −2− 

しおりを挟む

 呪文。
 術。
 魔術の陣。
 ……描く事が出来れば、まだ少しは時間が稼げるのに。
 無力だ、とマルコは思った。



 蹴られた。
 喉から酸っぱい物がこみ上げた。
 もう立っているのもやっとだ。
 でも転がったら最後だ。
 重い剣を抱え、マルコは走ろうとした。
 そこに背中から衝撃が飛んできて吹っ飛ぶ。
 何が起こっているのかわからない。
 ただ、目の前に光のような物が幾度も見えた。
 剣を振り回してみるが、重すぎて地面に弧も描けない。
 でも放り投げる気にはならない。これは、託された物。
(死守)
 姫様を助ける事。
 この剣を渡す事。
 ……全身の痛みの中マルコは思った。それだけは絶対。
 何としても。
 でなければ、デュランに顔向けもできない。
(父さん、母さん)
 殴られて、血反吐が飛んで。
 半身を起こそうとした瞬間にまた飛ばされて。
 願っても願っても。だが心に反してもう体は言う事を聞かず。
 いよいよ、マルコは倒れそうになった。
(もうダメかもしれない)
 朦朧とする意識の中マルコは思った。
 仕方がないんだ……僕は弱い。弱いってわかってる。
 ……涙が出る。
 やっぱり僕は。
 ――そう思って背中からマルコは崩れようとして。
 その瞬間、何かに倒れる事を阻まれた。
 固い感触だった。驚いて見上げると。
 太い柱。
 天に伸びるその木の上に縛り付けられているのは、オヴェリア。
「姫様……」
 転がり飛ばされ最後に彼がたどり着いた場所は、オヴェリアの真下だった。
「姫様ッ……」
 ごめんなさい。
「オヴェリア様……」
 アズハという黒頭巾が近づいてくる。
 その手には短刀が握られている。
 殺される、これが最後かもしれない。マルコはそう思った。
 もうマルコは、剣を構えてはいなかった。
 ただ最期の瞬間がやってくるのを待ち。
 ただ、ただ、何かに謝り続けていた。
「ごめん、なさい……」
 僕はみじめだと思った。
 やっぱり僕は……と、思いかけた時。
 その声は、鳥の鳴き声ように辺りに響き渡ったのだ。




「剣を立てろ」




 一瞬、マルコは息を止めた。
 幻聴だと思った。
 頬を流れた涙が、首に伝った。
「まだ終わっちゃいねぇ。剣を握れ」。
 マルコの目から、一層の涙があふれ出た。
 だが今度は悲しみではなかった。
 全部の思いを飲み込む。唾やら血やら感情やらを喉の奥へ押し込む。ゴクリと音がした。
 その音に、まだ自分は生きてると感じる。
 そして目の前の黒頭巾も、動きを止めて。
 マルコはゆっくりと、剣を持ち上げた。
 両腕で力を込めなければ持てない剣。振り回すなんて到底無理だ。
 初めてこの剣を持った時に思った。この剣の持ち主は、どれほど腕を鍛えているのかと。
 自由自在に鳥のように跳ね回る、そこに至るまでに、どれだけの戦いを経てきたのかと。
 何を背負い、何もって戦い、
「貴様はッ」
 彼は強く、強く。
 ――アズハがマルコに向かって駆け出した。
 斬られる。そう思ったが、マルコは剣を構え続けた。
 目はつぶらなかった。
 そして叫んだ。
 最後まで叫んでやろうと思った。
 そして、ギンという金属音が鳴り響いた。
 ……次に聞いた声は。
「いいぜ」
 視界に滑り込んできた、巨大な男の背中。
「いい度胸だ」
「カー、」
「ただし、泣いてなきゃだな」
 皮肉に笑うその声は。ずっと聞きたいと思っていた男の物。
 そして、
「ディア・サンクトゥス!!」
 聞こえた声と、閃光と。
 体だけじゃなく、心を熱くするような炎の気配。
「マルコッ!!」
「デュラン様……」
「何とひどい怪我だッ……!!」
 2つの姿に、マルコは全身の力が抜けた。
 嬉しくて。半笑いを浮かべてしまう。
 そんな少年を抱きとめ、デュランは力強く頷いた。
「来たぞ」
「デュラン様……」
「よくやった」
 その言葉を聞きたかったのだと、マルコは初めて気づき。
 泣きたくないから顔を歪める。くしゃくしゃと撫でられる手の心地に、マルコは一層、たまらない思いがあふれ出るようだった。


  ◇


 オヴェリアが縛られたその下に、ついに彼らは再び集った。
「へへへ」
 取り囲む黒い群衆。それは、エンドリアに訪れてからずっと戦ってきた者たちと同じ様相。
 そしてその中に同じ黒として佇むその者。
 今まさにマルコに斬りかかったその者に、カーキッドはニヤリと笑いかけた。
「まさかこんな所にお前がいるなんざ」
 黒い刺客。この旅でずっと付きまとってきたその姿。
 それが今目の前にまたいる。
「カーキッド、こいつは、」
「デュラン、マルコとオヴェリア頼むぞ」
 そう言ってカーキッドはニヤリと笑う。
「貴様らッ」
 黒い群衆の中から数人、前に歩み出る者がいた。
「黒髪の剣士と術者……貴様らか、作戦の邪魔をする者は」
 カーキッドはそちらをチラリとだけ見て、だがすぐに視線を一点に戻した。
 その先にいるのは無論、黒い刺客である。
「何でお前がここにいる?」
 答えはない。
 そして遮るように、黒い刺客との間に幾重の戦士たちが流れ込んでくる。
 八方を完全に囲まれた。
「まずいな」
 視線を走らせ、デュランも思わず呟くが。
 カーキッドはただ笑った。
「カーキッド、」
 マルコがその背に向かって手を伸ばした。
「剣を」
 差し出された剣を、カーキッドは一瞥し。
 そしてグイと掴む。
 手になじむ、自分の剣。
「何でお前が持ってんだよ」
 だがその顔は笑っている。
「伝言があるよ。完璧に仕上げたって」
「……」
 そうかい、そう呟いて。
 カーキッドは一つ目を閉じた。
 そして次に開いた時は、斬りかかってきた者目がけて一閃を下ろす所だった。
 手になじむ感触。重みと振り速度。
 これは他の剣では味わえない感触。思わずカーキッドは不気味に笑ってしまう。
「ありがとよ」
 虚空に向かって呟く。
 そしていよいよ、カーキッドの足に力がこもった。
「相手してやる、かかってこい」
 それを合図にするかのように、大量の戦士が流れ込んでくる。
 斬りかかって行ったカーキッドの背とは反対方向をデュランは振り返り、単発の詠唱を始める。
 剣撃と爆音の中、デュランは打ち立てられた柱の上を振り仰いだ。
「オヴェリア様ッ!!!」
「眠らされてるんだ」
 オヴェリアの代わりにマルコが答える。
 デュランが舌を打つ。
 柱は四方の縄によって支えられている。
 縄を切るしかない。だがその間にも敵は襲い掛かってくる。
 数が多すぎる。八方から襲い掛かってくる戦士をけん制するには、デュランだけでは事が足りない。
 その上、デュランの鼻先に嫌な風が吹いた。
 そして次の瞬間、地面からの轟音と共に、炎が噴き出したのである。
「術者がいるか」
 デュランは即座に詠唱を打つが、一歩遅い。
 マルコを背中に回しかばう。
「グハッ」
 デュランの悲鳴に、マルコも悲鳴を上げた。
「カーキッド!」
 カーキッドもまた幾多の戦士に囲まれている。
「姫様ッ」
 マルコが叫ぶ。その後ろからも黒い戦士は襲い掛かってきた。寸前でデュランの術が弾き飛ばすが、その間にも魔導士の繰り出す術が襲い掛かる。デュランは防戦一方である。
 マルコが慌てて陣を描こうとするが、体がうまく動かない。
 カーキッドは剣を打つ合間にその2人の様子を見ている。縄を斬らねばならない事はわかっているが。立ちはだかる戦士たちが思うように動かせてくれない。
 いや、黒い戦士たちだけならば時間の問題で伏せる自信がある。だが問題は、その奥に控えている例の刺客。
 彼は今は戦士たちの後ろで沈黙を守っている。
「デュラン、オヴェリア何とかしろッ!!」
「うるさいッ!! こっちも考えてるッ」
 吐き捨てられる言葉と言葉。
 全員の一念が、オヴェリアに向けられているが。敵の攻撃は止む事なく続く。
 そしてデュランから見てマルコの傷は、あまりにも重傷だった。
 ……その決断を出す瞬間は、苦渋だった。
「カーキッド、一端退くぞ」
「馬鹿野郎」
 カーキッドは叫んで一刀斬り伏せた。
「マルコがまずい」
 援護をしようとしていたマルコの目がもう開いていない。呼吸が肩を上下させている。
「このままでは、マルコが」
「――」
 頭上にオヴェリアがいるのに。そこにいるのに。
「オヴェリアッ!!!」
 カーキッドが呼んでも彼女は答えない。
「馬鹿野郎、クソ!! 返事しろ馬鹿女ッ!!!」
 ――そして。
「クソったれッ!!! デュラン!!!!」
 カーキッドが叫んだ。
 それを合図に、デュランはマルコを背負い走り出した。
 目の前に立ちふさがる敵に、術を放つ。焦りのために威力が出ない。だがもう道だけ開けばそれでいい。
 カーキッドもその後を追いかけようとするが、させぬと言わんばかりに戦士たちが立ちふさがる。
「退け」
 斬る、斬る、そして斬り。
 走り出すその胴に一撃が入った。
「……ッ」
 カーキッドが呻き、その体制が崩れた。
 その瞬間をつき、横から降るような気配を感じた。カーキッドは紙一重でそれをかわす。
 剣撃の主は、あの黒い刺客。
「てめぇと遊んでる暇はねぇッ」
 剣を構え直し、カーキッドは一歩踏み込む。
 それをサラリと受け流し、下から顎先に向かって刺客が切っ先を滑らせる。
 どうにかかわすが、首筋に赤い線が走る。
(強い)
 笑いたい衝動に襲われるが、今はそれどころではない。
 その間に刺客は喉元目がけて剣を突き出してきた。
 その瞬間、呼子が鳴ったのが聞こえた。
「放て――ッ!!!!」
 合図と共に、空を幾つもの矢が飛んできた。エンドリアの兵士だ。
 刺客が一歩退いた瞬間に、カーキッドはデュランの後を追いかけた。
 もう一度だけ振り返る。黒い戦士たちは撤退をしていく。
 そしてオヴェリアが沈黙と共に空に向かって打ち立てられていた。
「オヴェリア」
 すまん、すぐに行く。
 必ず行くから。
 待ってろ。そう叫び、彼は走った。

しおりを挟む

 

目次    次へ