『 白薔薇の剣 』

−最後の王女の騎士録−

 

目次    次へ

 第31章  花 −1− 

しおりを挟む

 31

 

「マルコッ」
 物陰になだれ込むなり、デュランはマルコの衣服を脱がせた。ウッと一瞬デュランすらたじろぐ様であった。
「マルコ……よく耐えた」
 どれだけ殴られ蹴られたのか。幼子に刻まれたその様に、デュランは深い悲しみと激しい怒りを覚えた。
「待ってろ、今治癒の術を施す」
「デュ、ラン様……」
 震える声で、マルコは必死にデュランを見た。
「ごめ、なさい……ひめさま、守れなかった」
「良い。気にするな」
 横たわるマルコに、デュランは首を振る。
「僕たち、町の人を追って行って……それで、怪物に飲み込まれて……」
 カーキッドがたどり着く。
「ごめ、デュランさま……カーキッド……」
「泣くな。男だろうが」
 声は掠れていた。彼もマルコの傍に胡坐を掻く。
「あいつらっ、あいつらっ……」
「オヴェリアは眠らされてるだけなんだな?」
 デュランが治癒の詠唱を始める。その手のひらが仄かに光った。
「うん……多分。僕もかけられたけど……効かないって。僕は術のかかりが悪いって……」
 デュランはチラとマルコを見た。
「一体あいつら、何者だ」
「わか……ない」
 でも……と、マルコは必死に目を開き、カーキッドに言った。
「いなかった……」
「?」
「赤い髪の人」
「……」
 さっきまでいたあの男が、今あの場所にはいなかった。マルコはそれを必死に訴えようとした。
「あの人が、命令を……姫様をっ……」
「赤髪」
 デュランはハッと目を見開いた。
「その赤髪の名を……聞いたか?」
 聞くのが恐ろしいとも思った。
 マルコは虚ろに視線を漂わせたが。
「若様って、言われてた……。そうだ、姫様が名前を呼んでた……確か、ズファイ……」
 ――ズファイ。
 デュランの動きが止まった。カーキッドも一瞬固まったが。
「ズファイ・オーランド・バジリスタ」
「……来たか」
 繋がったのだと、カーキッドは思った。


  ◇


 マルコを兵士に託し城へ運んでもらうと、カーキッドとデュランは再び前線に戻った。
 前線はエンドリアの兵士が固めていた。指揮を取っていたのは兵士団長ゴードンであったが、事態はこう着状態となっていた。
 オヴェリアがいるからである。
 黒い戦士たちは一端退いたが、直にオヴェリアの元に戻り、見せつけるように彼女に向かい剣を向けた。
 動けば殺す、沈黙の内にそう訴えられていた。
 そして黒い戦士たちの背後に控える魔導士たちが、自分たちを囲むように炎を放った。
「結界だ」
 デュランは言った。
「あれでは容易に踏み込めぬ」
 さっき無理にでも奪還すべきだったと、カーキッドは悔しげに顔をしかめる。
「カーキッド、ちょっと」
 オヴェリアの状態を見て、デュランはカーキッドを促した。兵士たちがいる場所に目が届く程度に場所を変える。
「私はロンバルト公の元へ報告に行く。その間頼めるか」
 カーキッドはデュランをじっと見た。マルコを奪還した折に負ったものか、デュランは無傷ではなかった。
 それはカーキッドも同じである。黒の刺客に最後に受けた傷が痛む。だがそれは決して表情には出さない。
 返事の代わりにカーキッドは懐から煙草を取り出した。
「厄介な事になりそうだ」
 いや、もうとっくの昔になっていたのかもしれないなとカーキッドは少し笑う。
「同姓同名、もしくは偽名ってのは?」
「……だったらいいがな。悪趣味だ」
 デュランがため息を吐いた。カーキッドにはそれが珍しい事のように思えた。
「目的は何だと思う?」
 茶化すように聞いたカーキッドに、デュランは対して真面目な顔で答える。
「……ここから始める気か」
 ズファイと名乗る者がもし本当にバジリスタの王子だとして。
 それが率いて現れた黒い一団。彼らはエンドリアになだれ込み。
 港を襲い、町を占拠するように走り。
 エンドリアの騎士団も加担している。領主ブルーム・ロンバルトの首を狙った。
 ブルーム・ロンバルトは現・文大臣の弟。
 そこに剣を向ける、それはすなわち、ハーランド国自体に剣を向けるのと同じ事。
 ましてここはハーランド第二の街、国の心臓とまで呼ばれる場所。
「エンドリアを皮切りに……」
 言葉の後ろをデュランは切った。そしてもう一度オヴェリアを見た。
「そしてもう1つ。あの刺客」
「……」
「間違いなかったな?」
 同意をする前に、ニッと笑った。
「繋がったってわけか」
 この旅に出た当初から、狙われ続けてきた刺客。
 その刺客が黒騎士の中に混ざっていた。それが意味する事。
「奴らの狙いは、オヴェリアだった」
「ならば……なぜここまで連れてきた?」
 刺客の狙いはオヴェリアの命だった。カーキッド自身が、刺客から聞き出している事。
「分からぬ事もある」
「でも繋がってた、だろ」
「……そのようだ」
「となると最初から」
 隣国バジリスタ。その影はあったのだ。
 オヴェリアを狙い、国を狙う。
「ギル・ティモも絡んでいるのか……?」
「ならば教会もだ」
「考えたくないな」
 デュランは苦笑した。
「バジリスタはやはり……この場所を諦められぬのか」
 聖母が守るこの国を、この大地を。
「ロンバルト公に知らせる。オヴェリア様が吊るされている事を踏まえてだ」
「敵はズファイ・オーランド・バジリスタ」
「目的はバジリスタ国の、」
 侵略か。
「橋は落とした。推理が正しければ、やはりこの場所で片を付けなければならない」
 いいな、カーキッド。とデュランはカーキッドを振り返った。
 カーキッドは煙草を吹かせた。
 その目はとぼけているようで。
 だが一点、オヴェリアを見つめていた。
「私が戻るまで少し頼む」
 デュランは少し不安を覚えたが、ヒラヒラと振る手を信じる事にした。
 オヴェリアに向けて一礼をし、デュランは走り出した。
 デュランが去ると、カーキッドは煙草を捨てた。
 途端に静かになった気がするほど、辺りは不気味なほどに静まり返っていた。
 揺らめく炎と、黒い戦士たち。
 彼らはじっとオヴェリアに向けて剣を構えている。
 そしてエンドリアの兵士たちもその状況を固唾を?んで見守っている。
 敵将がズファイならば、どこにいるのか?
 デュランが去り際まで、自分が無茶して突っ込まないかを杞憂していたのはわかっていた。
 そのタイミングさえあれば、カーキッドは突っ込む気でいた。
(オヴェリア)
 遠く見える、オヴェリアは白い衣を身にまとっている。最後に別れた時、あんな衣は着ていなかった。
 誰に着替えさせられた? ……少し心が疼く。
 その中でカーキッドは心でオヴェリアを呼んだ。なぁ、オヴェリアよと。
(何してんだ、おい)
 そんな所に吊るされて。
 苦笑しながら、その手は剣に触れかけている。
(まるでドレスみたいじゃねぇか、ヒラヒラさせて、お前舞踏会にでも行く気か?)
 ――初めて会ったお前は、鎧姿だったな。カーキッドの脳裏に蘇る光景。
 国中の猛者が集まる大会に、女であるにも関わらず身を投じ。
 結局、全部倒して頂上に立った。
(姫様は守られるもんだぜ?)
 お前がそんな強くちゃ、この国の男は全員面目が立たないぞ。
 ……だが覚えてる、カーキッドは、初めて彼女に会った時の事を。
 カイン・ウォルツ。そう名乗る戦士とすれ違った時、確かに何かを感じた。
 あれは運命か?
 ……心が震えたんだ。
 そして彼女と対峙した時、初めてその面相を見た時。
 決定的な何かを見せつけられたような気がした。
 こいつに出会うためにこの国にやってきたのだと。
 運命論なんて、信じないと言ってきた自分が。
(オヴェリア)
 そして姫として初めて会った時。彼女は今のような純白のドレスを身にまとっていた。
 この女が竜退治をする?
 姫だぞ? ただの娘でもない。
 ……だが彼女は歩き出した。
 最初は、さっさと諦めろとしか思わなかったが。
 いつしか。彼女の生き方は、声は、そして笑顔は。
「……馬鹿女が」
 敵を殺すなとのたまわる馬鹿女。
 それでも命のやり取りをしなければならない、剣士としての定めを乗り越え。
 残酷な現実と、過酷な運命の中。
 国を守ると、そう叫んだ。
 相手が身内でも、得体の知れない化物でも。
 強くなった。
 その姿にいつしか彼は、彼女になら自分の背中を預けてもいいと、そして預けられると思った
 傭兵として戦場を渡ってきた。幾多の戦いの中悟った事は、己の身は己しか守れぬという事。
 誰かを支えようと思う事はやめようと思った。誰かの支えにもなりたいと思わなくなった。
 背など、預けぬ。
 1人で戦い、1人で散る。
 ……なのに。
「何してんだよ」
 オヴェリア、起きろ。そう思った。
『あなたが倒れては何の意味もない』
『あなたが一緒にいてくれなくては……あなたが一緒じゃなくては。あなたは竜を倒したいんでしょう? 強い者と戦いたいんでしょう?』
 いつか彼女が言った言葉。そっくりそのまま返してやる。
『これ以上、大事な人がいなくなるのは真っ平です』
「……笑っちまう」
 その言葉もそのままに。
(思い出させるんじゃねぇよ)
 失った痛み。もう御免だ。
 ――俺は狂ったか? とオヴェリアとは別の人物に問う。
 その人物は狂うまで戦うんだと言っていた。そしてその最期の笑顔。
 忘れていた痛み。忘れていた喜び。
(喜び?)
 悲しみ。
 絶望と。
 ……希望は。
「オヴェリア」
 剣が震えてる。
 名前を呼べば呼ぶほどに、心の奥がかき乱される。
 ――背も、心も。生涯誰にも、預けぬと決めていたのに。
『温かい。……おいしい』
 あの笑顔が、消えない。
「クソったれが」
 噛み締めて噛み締めて。
 剣を振る瞬間を、待つ。

しおりを挟む

 

目次    次へ