『 白薔薇の剣 』
−最後の王女の騎士録−
第31章 花 −4−
白薔薇の剣に触れる事ができるのは、選ばれた者だけ。
打ち捨ててしまえばそれで終わりだった事。
だが、剣はオヴェリアと共に縛られていた。
――もし抗う事ができるならば、抗ってみよと。
運命が、笑うかのように。
抜く。
白薔薇の剣の感触。
もう、最近は意識してなかったのに。今日は不思議な感じがする。
「姫様」
デュランが気づき、振り返る。
そしてオヴェリアはそれを、天高く掲げた。
その脳裏に焼き付く、老婆の声。
何だかわからない。だが。
オヴェリアの心を、湧き上がってくる物がある。
――止めねばならぬ。
「我はオヴェリア・リザ・ハーランド」
止まれ、とオヴェリアは思った。
声を出す。デュランのように響け、貫け。
そうでなければ。
「これ以上エンドリアを乱す事は許さぬ」
いいや、国だ。
そう思ったが構わずオヴェリアは突き進んだ。
「皆剣を置けッ!!! 何人たりともこれ以上の争いは許さぬ!!」
――だが。
「構わぬッ!! 斬れッ!!!!!」
「問答無用ってか」
カーキッドが笑いながら言う。
「第2隊、突撃――!!」
来るか。
ならば、仕方ない。
オヴェリアは剣を戻し、構える。
「カーキッドッ!! 殺してはなりませんよ!!」
「馬鹿言うな、ボケッ!!!!」
思わずオヴェリアはクスっと笑ってしまった。
そうだろう。もう仕方がない。
「国を揺るがすというのですか?」
誰にともなく問いながら、オヴェリアは。
――一気に、駆け出した。
「オヴェリア様ッ!!」
デュランの制止の声は、振り返って一瞥だけで返答する。
皆を守って、と。
私は大丈夫だから、と。
黒い騎士たちが、来ていたローブを一斉に脱いだ。
その下に、光る鎧が現れる。
斬りかかってきた者目がけ、オヴェリアは地面から斜めに剣を舞わせる。
早い。避けきれなかった騎士の、腕が両断される。
女である事、姫である事。それに生まれた油断の中を。
オヴェリアは速度と力を一気に放つ、一瞬も止まらず、走る、剣を振る。
跳んで、一閃。
そのたびに、白いドレスが舞い踊る。
花のように。美しく。
返り血に赤く染まっても、泥に汚れても。
その花の輝きを、今、止める物にはならない。
エンドリア騎士が斬りかかってくる。なぜなのか、一体ここで何が起こっているのかわからない。
だが、許してはならないのだ。
「私に剣向ける事がどういう事か」
国に剣を向ける事。
それを許してしまったら。
――ハーランドが滅ぶ。
(滅ぼさせはせぬ)
――今なら簡単に、滅ぼせる気がしないか?
そう、あの老婆に言われる前にもうすでにオヴェリアは言われたのだ。
戦乱が、彼女の記憶を蘇らせていく。ズファイ・オーランド・バジリスタ。彼は、言った。
この平和の王国……だがその中にある様々な危険な因子。今ならば、容易く滅ぼせると。
(させぬ)
誰も、彼も。
――ドレスが邪魔する、振り速度。
まとわりつくスカートの裾が、足を掴もうとしてくる。
髪も邪魔。
(もっと自由になりたい)
もっと自由でなければ、守れない。
スカートの裾を剣で引きちぎる。白い足がスラリと露わになるが構わない。
踏み込みが変わる、1歩が変われば、進む距離が変わる。それが風を呼び、速度を上げる。
動く。
跳ぶ。
もっともっと。
激しく。
強く。
一層、自由に。
――上からの一刀、術を放とうとしていた魔術師の喉笛を掻っ切る。
背中から斬りかかってきたエンドリア騎士の剣は、オヴェリアが受けるより先にカーキッドが腕ごと吹き飛ばす。
「1人で突っ走るなッ!!」
オヴェリアとカーキッド、背中合わせに剣を立てる。
重なる背中。そこから伝わる温もりと、存在と。
お互いの、熱。
「遅いですよ、カーキッド」
「チ、誰がだ」
取り囲まれているのに、オヴェリアは笑ってしまう。
変な感じだ。
「いやだわ、……こんなの、まるであなたみたい」
「あん?」
戦場で笑うなんて。剣を持って笑ってしまうなんて。
「お姫様ってのはな、普通、王子様の口づけを待って起きるってのが常道なんだぞ?」
カーキッドが斬りかかる。彼が剣を振れば、一気に2人弾け飛ぶ。
「知りません、そんなの」
オヴェリアの剣は力はないが、速さが勝る。迫ってきた騎士の腱を薙ぐ。
「口づけされずとも、目は、覚めるものです」
「死なない限りか」
「そうです」
側方からゼム・グリッド率いる第1隊がなだれ込んできた。形勢は一気にエンドリアに流れて行く。
「それに、王子様なんて方がどこにいらっしゃいますか?」
自分の周りにいるのは、王子とは真逆のような者ばかり。
だがそれが、仲間。
大事な……友。
――オヴェリア達3人と、エンドリア兵の活躍により、その場の抗争はそれほど時立たず鎮火を迎える。
「敵軍、敗走!!」
「兵団、続けッ!! 一兵も取り逃がすな」
何よりも、早々にオヴェリアを助け出した事が功を奏した。
「オヴェリア様、ご無事ですか?」
敗走兵を兵団が追いかけて行く様を見ながら、デュランがオヴェリアに寄った。
「わたくしがいたしましょう」
「……え?」
「姫様。不肖デュラン・フランシス。わたくしが姫様に口づけを。呪いを解きましょう」
「え? あ、いえもうあの、目は覚めてますから……」
「一応念のために。まだ何か残ってるやもしれませんゆえ」
「死ね、エロッ!!!」
カーキッドに、デュランに剣を向ける余裕が生まれた。
――その時であった。
一瞬、敵兵はいなくなったと思われたが。
「カーキッド、デュラン様」
2人に、オヴェリアは言った。
まだオヴェリアは剣をしまっていない。
そして再び彼女に生まれた剣気に気づき、カーキッドとデュランが見た先に。
「あいつ、」
たった1人だけ、残っている者がいた。
黒い刺客。
――アズハ。
そう呼ばれていた者。
◇
「……」
3人が居を正す。
彼らの様子に、ブルームとジラルド以下残るエンドリア兵たちも言葉を閉じ込める。
1歩、歩み出たのはオヴェリア。
そしてそれに呼応するように刺客も踏み出す。
まだ彼は、剣を抜いていない。
「この戦火の中で……」
デュランが思わず呟く。抜かずにいたというのか。
それはあまりにも豪胆。
そしてその意気ににカーキッドは感嘆の声を上げる。
「お仲間は逃げてったぞ? お前は逃げなくてもいいのか?」
「……」
答えぬ。
「あなたは、」
オヴェリアは気づく。目の間にいる者は何度も会った者。
フォルスト、そしてカスミソウの畑で。
手練れ。
殺気もなく撃ち込まれる剣。
斬られた感触が蘇る。
「何者ですか?」
「……」
ズファイが指揮する隊と共にいた。それはすなわち、この者がバジリスタと繋がっているという事。
ならば旅に出た当初より、命を狙ってきたこの刺客たちはバジリスタが放ったものか?
(だとしたら)
オヴェリアの中でも、事実が繋がっていく。
その推論が、未来へと。
「狙いはハーランドの滅亡か」
カーキッドとデュランがハッと姫を見た。
「……」
「答えよ」
だが刺客はやはり答えず。
代わりに、剣を抜いた。
やはりそれしかないのかと、オヴェリアは眉間にしわを寄せた。
刺客が走り出した瞬間は、オヴェリアには見えなかった。
見えた時にはもう目の前にいて。顔面目がけ、剣が突き出される所だった。
身をよじってひねってかわす。態勢が崩れたその瞬間を、返す刀で剣を走らせてくる。
オヴェリアはたたらふみながら何とか剣を受け止める。
だが相手は力勝負はしてこない。弾いたそのまますぐに次の一閃へと切り替える。
右から左から、オヴェリアは翻弄されるように足をふらつかせる。
「オヴェリア」
カーキッドが踏み込もうとしたが、その瞬間に足を止めた。オヴェリアの目が飛んできたのだ。
手出しするな、と。
「――ッ」
青い瞳に、カーキッドは歩を引っ込める。
その瞬間に刺客はオヴェリアの胴体を一閃させた。
オヴェリアはギリギリで避けながら、その反動を使って下段から斬り込む。
刺客はその動きを察していたように1歩退くが、すぐさま突きを入れてくる。
(早い)
切り替えと、第2、第3の連撃が風のように滑らかに動く。
オヴェリアの剣も早い。速度で言えば同等か一歩上。だが押されている。
殺す、殺さぬ。躊躇う、躊躇わぬ。
動く感情の違い。
――オヴェリアが一歩後ろへ間合いを取ろうとするが、させぬと刺客が追い立てる。
「駄目だ」
とカーキッドが呟いた。これ以上は見ていられなかった。
やはり加勢に加わろうとしたその時だった。
オヴェリアが放った剣が、刺客の顔を覆っていた布を引っかけた。一端を切る。
それにより刺客の腕が一瞬緩んだ。そこに間髪入れずオヴェリアは畳みかけた。
足を狙うが避けられる。避けたその場所に上から斜めに斬る。そこも鋭くかわされる。
だがその瞬間を。オヴェリアは腕を返して剣を逆流させた。
斬れずともいい。挫ければ。
最後の一撃、刺客は虚を突かれた。
大きく跳んで避けたが、黒い衣に斜めの線が描かれる。
そしてその跳躍と風により。
頭巾が、舞い堕ちた。
「――」
面相あらわに。
オヴェリアは一瞬息を?み。
そしてカーキッドは目を細めた。
「やはりか」
黒の刺客。それは、女だった。
まるで黒髪のような濃い色の髪。肩の上で無造作に切り揃えられたそれに、髪よりももっと濃い黒のような青の目。
「なぜ」
刺客は女だった、その事実にオヴェリアの戦意が落ちる。
そこを狙い、刺客は顔をさらしたまま斬りかかった。
顔を隠していた時よりもさらした今の方が恐ろしい。その顔には何の表情もないのである。
敵意も、恐怖も、喜びも、高揚も……悲しみも。
能面のようなその顔、目に何一つ宿らぬ感情。だが剣は恐ろしいほど早く、オヴェリアの命を奪おうともがく。
じっと、一点、オヴェリアの目だけ見つめて。
オヴェリアもそれを受けた。彼女の目を見た。
「オヴェリア様ッ!!」
ジラルドが叫ぶ。
「オヴェリア様を守れッ!!」
脇で見ていたブルームたちが、いよいよしびれを切らし刺客の女目がけて号令をかけようとしていた。
それを刺客はそれをチラと見、剣を繰り出すが間合いを取った。
息も切らさぬその動き。
「あなたは何者ですか」
問うオヴェリアの声は、少し掠れていた。
「……」
「あなたは、」
さらに問おうとしたが。
それより先に刺客が再び斬りこんでくる。
その速力は、今までで一番の物。
切っ先にオヴェリアは初めて殺気を感じる。
間違いなく、まっすぐに。
「――ッ!!!」
受けるその手にジンとにじむ痛みが走る。
重なった剣の音、その余韻が消える間もなく打ち込まれる剣と。
視線。
濃淡のないその銀細工のような目は、だが逆に射るようでもあるとオヴェリアは思う。
純粋に、よどみなく。
「弓用意!!」
誰かの叫び声に、デュランとカーキッドの制する声がするけれども。
どうでもいいと、オヴェリアは思った。
その瞬間、脇を突かれた。さっと、斬られた感触がする。
痛む。
ほとばしる、だがそれを風で振り払う。
胴体から肩口へ向かって。体もろとも体当たりでもするように。
突っ込んだ、その先に、オヴェリアの剣も刺客の腕を捕えた。
(浅い)
だが刺客の動きは緩まぬ。
オヴェリアも剣を止めぬ。
2つの剣が、再度重なる。その瞬間の音は、鈴鳴りのようだった。
響く。
風も、その響きを聞き入ったかのように。2つの剣はそのまま、動かなかなくなり。
オヴェリアと刺客。2人はじっと互いの顔を見つめ合った。
「何が目的だ」
言葉を吐けば、斬られた場所から血が吹くようだった。
「……」
黒いような瞳は瞬きすらせず、大きな目をオヴェリアに向ける。その宝石のような青の目ただ一点に。
「この国で、何を成さんとする?」
「……」
沈黙と、均衡の果てに。
彼女の唇が、動いた。
「……」
その時、鳥の鳴き声が天高く号令のように打ち鳴って。
――それを合図に、側方から騎士がなだれ込んできた。
刺客の女は横目だけでチラと見たが。
やがてオヴェリアの目の前から消えたと思った瞬間、悲鳴が起こった。
なだれ込んできた騎士の1人が、血を吹き倒れる。
「まさか」
そのままの勢いで、次の騎士、そして兵士を斬り倒し。
「突破を許すなッ!!」
1人で切り抜けるつもりか。
オヴェリアがそう思った時にはもう、兵が順番に転がっていく所だった。
刺客が宙を舞ったように見えた。身軽に建物の上へと跳ぶと、そのまま姿をくらませる。
「追え!!」
「姫様ッ」
すぐにデュランが駆けてくる。
「ご無事で!?」
「大丈夫……大丈夫よ」
そっと手で制しながらも、刺客が消えて行った方を見つめ続けた。
カーキッドの煙草のにおいがふんわりと香った。
そのにおいは苦い。
……悲しみに似てると、オヴェリアは思った。